山の神
かいらー
山の神
山。
人々は古代から現代に渡ってどんな時代だろうと山に登ってきた。
食料を取るためや薪を集めるため、修行のため等理由は様々だ。
山というものは常に危険がつきまとう。
無論それが低い里山であったとしてもだ。
危害を及ぼす獣たちもいるが、何よりも迷ったり怪我をしたときに助けを呼ぶことが大変だ。
今は携帯などもあるが、昔は携帯などと言ったものは勿論ない。遭難などした者は絶望の中亡くなっていったのだろう。
そのため、昔から山には様々な信仰が行われてきた。
そこで主に信仰されているのは、山の神だ。
山の神は女神であるとされており、山の神は恐ろしく、また女に嫉妬するとされていた。
多くの山が女人禁制になっているのはそのためである。
現代でもその信仰は続けられているが、今では山登りの多くは安全で安心できるものになった。
きれいに整備された遊歩道。
迷いやすい場所においてある看板。
かつて修行僧が修練のために使ったとされるような場所も今では誰もがー子供ですらー登れてしまうのだ。
そうは言っても、すべての山が気楽に登れるわけではない。
未だに遭難や事故で亡くなる人はあとを絶たない。
だから、神様は居続けるのだろう。永遠に。
------------------------------------------------------------------------------------------------
これは俺が遭難した時の話だ。
俺は冬の日本アルプスに登りに行っていた。
冬のアルプスは雪が多く降ることは知っているかもしれないが、その量はお前の想像を凌駕しているはずだ。
その積雪量は7m。これが冬の日本アルプスである。
なんでそんなところへ行くのか。
そう思うだろう。実際多くの人間に言われてきた。
「何故危険を犯してまでそんなところに行くんだ?」と。
その回答は有名な登山家ジョージ・マロリーの言葉を引用させてもらおう。
ジョージ・マロリーは記者にこう尋ねられた。
「なぜあなたはエベレストに登りたかったのですか?」
「そこにエベレストがあるから」
彼にはエレベストがあり、俺には日本アルプスがあったんだ。
長野出身の俺にとっては日本アルプスは幼少期から見てきた憧れの存在だった。
そして、また信仰の存在でもあった。
この視界いっぱいに広がる雄大な山々を見ると、誰もが圧倒され神の存在を信じてしまうだろう。
かくいう俺も小さい頃から見て、そして登っていくうちに畏敬の念が生まれ、
俺は事あるごとに山の神様に祈っていた。
大学受験、就職、その他にも色々数え切れないぐらい頼んだ。
そして、その願いが叶うたびに俺は山に登りに行っていたんだ。
こうして、日本アルプスを登ってきた俺だが、俺は初めて死に瀕した。
俺は東京に就職していて、なかなか地元へ帰る機会がなかった。
そんな中久々に帰省することができて、そのついでにとアルプスへと足を運んでいた。
5泊6日の行程で登りに来ていて、三日目のことであった。
体調もよく予定より早く頂上に着いた。
度々登っていて良く見る景色にも関わらず、今日の姿も恐ろしいほどに美しい景色 が広がっていた。
「今日も綺麗だな。来てよかった。」
そんなことを思いながら、その快調そのままに下っていると今日泊まる予定であった山荘に一時間早く着いた。
ここで俺は大きな判断ミスをするのだ。
「一時間早く着いたな...そういえば、丁度もう一時間行った先に違う山荘があったよな。たしかここよりも広かったはずだったし行けるならそっちがいいよな。よし、行こうか。」
思えばこれが運の尽きだった。
その次の小屋を目指して尾根を歩いている最中だった。
山の天気の移り変わりはとても早い。さっきまで、気持ちも晴れ晴れするような晴天だったが、段々と雲に覆われてきて、雪が降り始めた。
「ちょっと天気が悪くなってきたな。急ごうか」
そう言って、少しペースを早めて進んでいたときだった。
それは一瞬だった。
轟音とともに奇妙な浮遊感を感じた。
下を見ると、地面に足がついていない。
突風が吹き、体が浮いていたのだ。
そして、次の瞬間には俺は地面に叩きつけられていた。
俺は坂を転げ落ちていく。
「ああ、俺は死ぬのか」
そう思いながら気を失った。
なんとか一命はとりとめた。
だが一命をとりとめただけだった。
目が覚めたとき、軽い脳震盪で状況がうまくつかめず、ぼーっとした状態であたりを見渡していた。
段々頭のもやが晴れてくると同時に疑問が生まれた。
「何処だ?ここ。」
そうして、体を起こそうとすると、体に電撃が走るような激痛が走った。
その痛みのする方へ恐る恐る目を向けると、そこには恐ろしい光景が広がっていた。
俺の足は折れていた。しかも開放骨折だった。
俺はその足を見た瞬間、恐怖のあまり絶叫した。
「うわあああああああああああああああああ」
と、情けなく叫んだ。
そして気づいたんだ。俺は滑落したんだと。
その事実に気づいて、恐ろしさのあまり頭が真っ白になった。
ただ時間だけが過ぎていくのを感じていた。
実際のところの時間はわからない。数十分だったかもしれないし、数十秒程度だったかもしれない。
「...寒い」
その放心状態から戻って来たのは、-10℃にも及ぶ極寒アルプスの世界を直に感じていたおかげだった。
しかし、その長所はすぐに短所に変わった。
今度はズタボロに切り裂かれた衣服によって低体温症に陥ってきていたのだ。
とりあえず、グロテスクな姿になった足をどうにかしようと思い、身近にあったストックを使ってなんとか足の添え木を作った。
「とにかく暖を。」
そう思ってバックの中身を見た。
そこには、ただ薄暗い空間だけが広がっていた。
「嘘だろ...」
バックの中身は散乱し、暖を取るものが手元に残っていなかった。
さらに先程から更に吹雪いてきていた。
風が吹くたびに体中にできた痣や傷が痛み、猛烈な苦しみを感じていた。
「助からないのでは。」
そう思い始めると、先程から薄れてきていた恐怖が再び襲ってきた。
上の山荘で届け出を出しているので捜索はされるだろうが、おそらく見つかる頃にはもう...
自分にももはや生きているような感覚はなく、さながら夢遊病患者のような状態だった。
そして、そろそろ体力的にきつくなってきていた。
「俺はこのまま死ぬだろう。
まあでも...アルプスで死ねるなら本望か。
そういや、あいつはどこに行ったんだ...?」
そんな事を考えていたときだった。
『諦めるな。』
「...声?ついに幻聴が聞こえ始めたのか。」
と思った。
『幻聴ではない。私はここにいる。私はお前がいつも祈っている山の神だ。』
それでもまだ声が聞こえた。
だから、その声がする方へ、なんとか気力を振り絞って顔を向けると其処には女がたっていた。
その姿はあまりにも雪山にはそぐわない姿で、防寒具も何もなしに着物を着て突っ立っていた。
「幻覚まで見えるときた...もうじきお迎えかな」
『私は本当にここにいるのだ。何故信じない』
俺は会話できたことに驚いた。
そしてまた彼女はこういった。
『凍えているのだろう。温めてやろう。お前の私への思いは今まで良く伝わってきている。私の愛を以てこれからも守ってやろう。だけど、私は気が短いからな。それだけはわかって居てくれ。だから・・・』
その声を聞きながら、驚くことに体がだんだんと温もっているのを感じた。
そうして、俺はその声を子守唄にしながら微睡みの中へ落ちていった。
「ワン!ワン!」
「うんっ?...」
俺はゆっくり体をあげようとしたが、動かなかった。
重たい。そう思って体の下の方を見ると、犬がいた。
「この犬は一体何だっ...って痛え。そうか、俺は滑落したのか。でも、なぜ生きているんだ?」
「チリンチリン」
遠くから鈴の音が聞こえてきた。
俺は、小屋から出された捜索隊によって見つけられたのだった。
体が温もったと思ったのは、その時来ていた捜索隊についてきていた犬のおかげだったようだ。
「助かった...」
勿論そうはいっても危険な状況であったため、俺はそのまま呼ばれていたヘリで病院まで運ばれた。
こうして俺はなんとか九死に一生を得た。
これがこの日の記憶だ。
そして、俺はあることが気になっていた。
あの幻覚は一体何だったのだろうかと。
低体温症による幻覚だと医者には言われたが、それにしても妙にリアルだったのである。
そして、最も重要なのは、俺は山の神について調べるまで山の神が女と知らなかったんだ。
まあ死ぬ前に最後に女が見たかっただけと言われればそれまでかもしれないが、それにしても奇妙だろう?
ああ、そういえば俺に奥さんが居たのは覚えているよな?
何故居なくなったか言っていなかっただろう。
奥さんも僕と同じで山が好きでね。
よく一緒に山に行っていたんだ。
そしてある日、アルプスに連れて行ってあげたんだ。
そう、丁度この日だよ。
つまりね。俺の奥さんは山の神に嫉妬されて死んだんだよ。
山の神 かいらー @kakaneko
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます