第12話 死霊魔術師《ネクロマンサー》だった少女

 ノアの姿をしたドレイクは、いつのまにか二人を包んでいた朝靄あさもや越しに顔をしかめる。

 そして、そのまま淡く幻想的な空を見上げた。その仕草は涙をこらえているようであったし、もう会えないと分かっている誰かに思いを馳せているようでもあった。


 クロエの心臓が、一度大きくドクンと脈を打つ。


「ワシは、長い時間をアナスタシアと過ごしたが、あれほど悲しみにあふれたお顔を見たのは、あの日が初めてじゃった。アナスタシアはあの日、初めて死霊魔術ネクロマンシーを極めたことを後悔しておられるようじゃった」


「お母さんが……?」


「そうじゃ。アナスタシアは、お前とよく似ておった。特に、何かに興味をもったら、わき目もふらず突き進む、好奇心の塊のようなところなど本当にそっくりじゃ。死霊魔術ネクロマンシーを極めてしまわれたのも、その旺盛すぎる好奇心がゆえじゃろう。あの日までは、それを誇りに思うことこそあれ、後悔など絶対にしないようなお方じゃったのに……」


「……そうなんだ。私、お母さんに似てるんだ……」


 今まで感じたことのない母親とのつながりに、クロエの頬は場違いに自然とほころんだ。クロエは、母親が自分と似ているのであれば、何があっても後悔などしないだろうなと思う。


 けれど、アナスタシアは後悔したという。


「後悔しちゃうくらいのことがあったってことなんだよね?」


「ふむ……。あの日。──死神の寵愛から逃れることができたあの日。アナスタシアは、知ってしまったんじゃ。死神の執着心は、底知れないものであると」


 ドレイクは見上げていた顔をゆっくりと下す。その顔は険しかった。


「お前を見ていると、死神の寵愛を逃れたこと自体、死神の罠だったのかもしれないと思うよ」


「それって、どういうこと……?」


 クロエの質問にドレイクは答えず、自らの発言を否定するようにふるふると頭を振った。


「なんでもない。忘れてくれ。いずれにしても、じゃ。あの日、死神は執着の対象をアナスタシアからお前に変えたんじゃ。死神は、お前に執着しておる。だから、定期的に『死神の厄災』を送り込んでくるんじゃ」


 ドレイクは一度バチンと自分の──もとい、ノアの太もものあたりをはたく。よほど、悔しいのだろう。その手は震えていた。


「この村はのぉ、そんな『死神の厄災』からお前を守るために、アナスタシアが作った村なんじゃよ。アナスタシアは、最後の力で死霊を召還し、お前のそばに置いた。村を作ってしまえるほどたくさんの死霊をな。そして、強力な結界となる神殿と、その仮面まで作ってしまわれた」


 手に持った仮面に思わず視線が動いた。仮面は死霊の放つ瘴気からクロエを守っていたのではなく、『死神の厄災』からクロエ自身の気配を消していたのだと気が付く。


「文字通り命を燃やしてお前を守ろうとしたんじゃ。その代償として……アナスタシアは、死神の手の届かないところで、死霊となってしまわれた。それどころか、アナスタシアではなくなってしまったんじゃ。自分がアナスタシアであることも、死霊魔術ネクロマンシーを極めてしまったことも、ワシのことも、なにもかも覚えてはおらん。お前の母親であることも──」


「そんな……」


 ショックだった。死神に執着されていることなどは、この際どうでもいい。正直なところクロエには、その恐ろしさや危うさがよく分からない。


「もう間もなく、この身体もノアに返さねばならん。お前にとっては辛いことかもしれんが、ノアにはこのこと──、ノアがアナスタシア──お前の母親であることを話さないでいてはくれまいか?」


 クロエは素直にうなずいた。

 ドレイクに頼まれなくても話すつもりなどなかった。話してしまったらノアも母親も両方失ってしまう。なぜかそんな気がしていた。


「ありがとう。クロエ。──そろそろ時間のようじゃ。いいか? クロエ。『死神の厄災』の襲来は、これが最後ではない。必ずまたやってくるじゃろう。そのときにそばにいてやれないのは口惜しいが、お前にはノアが──、アナスタシアがおる。二人でなら、必ず乗り越えられる。忘れるでないぞ」


「分かった。分かったよ。ドレイクさん」


「いい子じゃ。それでは、クロエ元気でな」


「──待って!! ドレイクさん。ドレイクさんはもしかして、私の──、」


 言い終わる前にノアの頭が電池の切れた玩具おもちゃのようにガクンと下がった。

 クロエの言葉はドレイクに届いたのかは、分からない。けれど、届いていたとしても、ドレイクがクロエの疑問に答えることはなかっただろう。いつものように、「自分の目と耳で確かめるんじゃ」と言われていただろう。


「クロエ──?」


 さっきまでドレイクのものだった声が、ノアの声に変わる。


「──ノア……」


「お母さん」と呼びかけそうになるのをぐっとこらえる。見えた顔は、当たり前だがノアのものだった。


「ドレイクさんは、もう……?」


「ごめんね、クロエ。分からない。私はクロエの知っていることしか知らないから──」


「そう……だったね……」


 その言葉で、目の前の相手が本当にノアであると確信する。


「ノア。ありがとう」


「どういたしまして」


 何の礼を言われたか分かっているのか、ノアはすぐさま応える。

 ノアのすました顔に思わず笑いがこみ上げた。ノアが『死神の厄災』と対峙しているときに感じた不安が、ようやく完全に吹き飛んでいく。


「──ノア。私、旅に出たい」


「いいと思うよ。クロエは広い世界をもっと知ったほうがいい」


 ノアは、理由を尋ねなかった。


「もちろん、ノアも一緒に来てくれるよね?」


 ノアは無言で首をかしげた。「なぜそんな当たり前のことを聞くの?」と目だけで語る。


「ごめん、ノア。私たちが離れ離れになるわけないもんね」


「うん。──クロエ。仮面は……」


 意識すると、ノアから発せられる瘴気をひしひしと感じた。ノアが──、母親が死霊である事実をまざまざと見せつけられる。

 けれど、気分が悪くなることはなかった。瘴気アレルギーの症状もない。


「う~ん……大丈夫みたい」


「そう。ならよかった」


 ノアはいつものように仮面を付けろとは言わなかった。


「それなら、クロエ。行こうか」


 クロエは差し出されたノアの手を取る。クロエよりも少し背の高いノアの向こうから、照らす太陽の眩しさにクロエは目を細めた。


 ノアの温かい手をギュッと握りしめる。ノアの手からは、いくつもの温もりが感じられた。


 ドレイクの言葉通り、二人ならどんな困難でも乗り越えられる。クロエは、そう確信していた。





【了】

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死霊と暮らす死霊魔術師《ネクロマンサー》 宇目埜めう @male_fat

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