第11話 死神の寵愛と『死神の厄災』

 しんと静まり返った村を、クロエはもう自分のよく知る村だとは思えなくなっていた。


 外に出れば必ず村の誰かがいて、声をかけてくれる。代り映えしないけれど、穏やかな日常。

 これほど静まり返った村をクロエは見たことがなかった。

 当たり前の光景が、遠い昔のように思える。


 思い返してみれば、村人はみんなクロエのことばかり見ていた。いつも一緒にいるのに、ノアよりもクロエのことを気にかけ、大切にしてくれていた。疑問に思ったこともあるが、クロエが村で最年少だからだろうと勝手に納得していた。

 けれど、いつまで経ってもクロエが最年少なままなのは、考えてみればおかしなことだった。


「厄災に囚われるって、どういうことなの?」


 静けさに耐えられなくなって、先に沈黙を破ったのはクロエのほうだった。少し間をおいて「うぅん……」と唸ってから、ノアの外見をしたドレイクがそれに応える。


「ふむ……。では、クロエ。死神のことはどの程度、知っておるかな?」


 ドレイクの質問に、クロエは「なんにも」と首を横に振った。


「──じゃろうな。誰も教えておらんものな……。では、そこから教えねばなるまい」


 ドレイクは、借り物の顔を困ったように皺くちゃにしてから、意を決して語りだした。


「人々は女神を崇め、死神をむものじゃ。普通はの。女神は人の信心によって力を得、死神はつつしまれることで力を高めることができる。ここまではいいかの?」


 はっきりと理解できるわけではないが、言っていることはなんとなく分かるから、とりあえずうなずいておく。


「ふむ。そのせいか、人は女神を善、死神を悪と捉えがちじゃ。しかし、死神と女神。本質は、同じなんじゃよ」


「どういうこと?」


「いいかい? クロエ。信心しんじん忌慎きしんの違いこそあれ、女神も死神も人の心をその力の糧としているんじゃ。その糧となる心が反転したとき──つまり、信心が死神に向き、忌慎が女神に向いたとき、女神は嫉妬する。そして、女神の嫉妬心こそ、死神の最大の力の源なんじゃよ」


 そもそもクロエは、女神と死神というものが実際に存在しているとは思っていなかった。けれど、ドレイクの口ぶりはその実在を示唆している。まるで会ったことがあるかのような口ぶりだ。


「つまり、じゃ。人間が女神を遠ざけ、死神に心酔すると女神が嫉妬するんじゃな。その嫉妬心は、何億の人間が忌み慎む心よりも大きな負のエネルギーとなって、死神のものとなるんじゃよ」


「すると、どうなるの?」


「分かり安く言うと、女神の嫉妬を受けた者の魂を死神がいたく気に入るんじゃ。その者は死神の寵愛を受けることになる。『私のために、よくぞやってくれた』といった具合じゃな。通常、人は死神にも女神にも決して近づくことはできない。それは、人の魂と女神たちの存在する場所が違うからなんじゃ。しかし、死神の寵愛を受けると、魂のステージが彼女らのところまで上がるんじゃよ」


「それってすごいこと──、いいことなんじゃないの?」


 クロエの好奇心が刺激されていく。

 突拍子もない話をされているにもかかわらず、クロエはドレイクの言葉を疑わなかった。


「すごいことではあるが、いいこととは言い切れんな」


「どうして?」


「ふむ。では、死神の寵愛を受けるということがどういうことか分かるか?」


 クロエは首をひねって考えたが、答えは浮かばない。


「死神の寵愛を受けるということは、死者でも生者でもなくなるということなんじゃ」


「──死者でも生者でも……ない?」


「そうじゃ。生者であれば、死神と相いれることはできない。死者であれば、死神の領域にはいるが、それはもう死神の下僕じゃ。寵愛を受けるということは、死神の領域にいながら下僕ではない存在──、あえて言えば、忠臣のような立場になる。お前もさっき見ただろう? 『死神の厄災』。あれがそうじゃよ。あれは死神の寵愛を受けた者が厄災に囚われた姿じゃ。厄災に囚われた者は、自らも『死神の厄災』となってしまう」


 クロエは、自分がついさっきまでノアと対峙していた禍々しい姿になることを想像して身震いした。


「そして、女神の想定を超えて死霊魔術ネクロマンシーを極めることは、女神の逆鱗に触れ、最大の嫉妬を産むことになる」


 その瞬間クロエは、はっと息をのむ。そして、あることに気が付いた。


「それじゃあ、お母さんも……まさか……。『死神の厄災』に……?」


「──そのはずじゃった、と言ったじゃろう?」


「そっか……。そういえば、そう言ってたね」


 ドレイクの言葉を思い出し、クロエはほっと胸をなでおろす。そして、すぐに別の考えが浮かぶ。


「それじゃあ、お母さんは無事なの!?」


「無事といえば……無事じゃな」


「それじゃあ、会えるの!? お母さんはどこ!? どこにいるの!?」


 ドレイクの含みのある言葉に、クロエは気が付かなかった。興奮するクロエとは対照的に、ドレイクは黙ってうつむいている。


「ドレイクさん? どうしたの?」


「もう……会っておる」


 ようやく異変に気づいたクロエに、ドレイクは、ポツリと呟くように言った。

 できればしたくない話。ドレイクの声音からは、そんな本心が覗いていたが、クロエは気づかないふりをした。母親への思いと、好奇心を抑えることはできない。


「今、なんて──?」


「お前はもう、アナスタシア──、お前の母親と会っておるんじゃ」


「どこで!? いつ!? どうして教えてくれなかったの? お母さんも会ってるなら、そう言ってくれたらよかったのに!! ──あっ、そうか!! 街ですれちがったんだね。私がいつも仮面をつけてるから? だからお母さん、分からなかったのかな」


「落ち着け、クロエ。違う。……違うんじゃよ」


 矢継ぎ早に質問を繰り返し、最終的に一人で勝手に納得するクロエにドレイクは苦笑いをこぼした。


「違うって? どういうこと? 全然わかんないよ」


「──ノアなんじゃ。ノアがお前の母親なんじゃよ」


「ノア……? ──が……?」


 クロエの声が止まる。体まで固まったまま、元々大きな目をより大きく見開いた。


 吸い込まれそうな灰色の瞳が、アナスタシアそっくりだとドレイクは思った。

 アナスタシアに尋ねられると、誤魔化すことなどできなかったことも同時に思い出す。クロエに見たアナスタシアの面影に、ドレイクの中で揺れ動いていた気持ちが固まっていく。


「そうじゃ。ノアこそが、アナスタシアなんじゃ。死神の寵愛を受けたアナスタシアは、なんとか厄災に囚われてしまうのを回避しようとした。それ自体はうまくいったんじゃ」


「それじゃあ──、」


 言いかけたクロエをドレイクの声がすぐに遮る。


「──じゃが……アナスタシアは、もはや、アナスタシアではなくなってしまわれた。アナスタシアを覚えているのは、ワシだけじゃ。けれど、アナスタシアは『アナスタシア』と呼ばれることを拒絶するようになってしまった。その名で呼べば発狂してしまうほどに……。だから、ワシが新しい名──『ノア』という名を授けたんじゃ。そして──、」


「そして……?」


「アナスタシアに逃げられた死神は、クロエ。お前を標的としたんじゃ」

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