第10話 借り物の顔

 抱きついたノアの背は、クロエよりも大きかった。そんなはずはない、と何度比べてみても、ノアのほうが少しだけ大きい。


 ノアが白い光の球体に包まれた時に、クロエが感じた違和感は間違いではなかった。

 目の前にいるノアは、ノアであって、ノアではない。そんな不思議な感覚をまとっていた。いつも一緒にいたノアよりも、どこか懐かしい感じがした。


「ノアのほうこそ、大丈夫なの?」


 頭から足の先までノアを覆っている魔術師のローブは、見たところ傷一つない。さっき目の当たりにしたとおり、不思議な魔法陣がノアに襲い掛かるものをすべて防いでいたから当然なのだが、それでもクロエは確かめずにはいられなかった。


 クロエの言う「大丈夫?」には、「本当にノアなの?」という意味も含まれている。間違いなくノアだと思うのに、当初持っていた自信がだんだん揺らいでいく。


「私はもちろん、大丈夫だよ」


 ノアは、クロエの真意までくみ取って、両手を広げながらにこやかに応えた。

 けれど、「大丈夫だ」と言ったはずのノアの首が突如、がくんと下がる。そして、クロエがかける前に、すぐにまた顔を上げた。


「どういうことか、説明する必要があるみたいじゃな」


 聞こえてきた老い声は、ドレイクのものだった。

 クロエが、きょろきょろとあたりを見回しても、その姿は見当たらない。声の出どころは、ノアの口だった。


「すまない。ノア。少しだけ借りるよ」


 ノアに事後承諾を求めたドレイクは、一度咳ばらいをして、ほんの少しだけ身をかがめる。そして、今度はクロエに視線を合わせて、「いいかな?」とクロエにも承諾を求めた。

 クロエは何が起きているのか分からないうえに、ノアが心配だったが、とりあえずのところはうなずいておく。すると、ドレイクは「いい子だ」と言って、借り物の顔をしわくちゃにして笑った。

 決してノアがすることがない表情に、クロエは戸惑う。


「訊きたいことが、山ほどあるじゃろう? そうじゃなぁ……まず──、ノアは大丈夫じゃ」


 クロエは黙って、再度うなずいた。

 ドレイクの言う通り、聞きたいことはたくさんある。


 さっきまでノアと対峙していた、あの禍々しく不気味なものは何だったのか。

 ノアはどうなってしまったのか。

 どうして、ノアの口からドレイクの声がするのか……。


 けれど、今クロエが一番訊きたかったことは、村人たちのことだった。

 ノアのことは、本人とドレイクの言葉を信じれば大丈夫なのだろうと思えた。そうなると残る心配は、消えてしまった村人たちのことだ。


 ドレイクはそんなクロエの思いを理解してか、クロエが尋ねなくとも村人について語りだした。


「この村はの、死霊が作った村なんじゃ」


「死霊が……作った村?」


 クロエは、ドレイクの言葉をオウムのように繰り返す。


「そうじゃ。だから、この村の住人はワシを含めて、全員死人しびと──死霊なんじゃよ。お前を除いてのぉ」


 クロエは衝撃を受ける。

 ドレイクの言う「お前」にノアは含まれていない。クロエを除く全員が死霊だとすれば、ノアも死霊だということになる。


「じゃから、心配せんでもいい。ワシらは、もともと死んどるんじゃ」


「……でも、死霊はそれだけじゃ存在できないはずでしょ? 死霊がこの世に存在するには、必ず術者が必要なはずだもの。みんなが死霊だっていうのなら、みんなを召還した術者──死霊魔術師ネクロマンサーは誰なの?」


 知識が乏しいとはいえ、クロエだってそれくらいのことは知っている。ドレイクの言葉を否定したい気持ちから、クロエは強く反論した。しかし、ドレイクはそれを予想していたのか、あっさりと応える。


「死霊がする……か。その認識から正さねばならんが……。術者……のぉ。それはの……。クロエ。お前の母親じゃよ」


「えっ──」


 再びの衝撃がクロエを襲った。


「お母さん、が……?」


「そうじゃ。アナスタシア──お前の母親は、偉大な魔術師じゃった。若くして多くの魔術を極めたアナスタシアは、死神の魔術──死霊魔術ネクロマンシーにまで、その研鑽けんさんの対象を及ばせたんじゃ。その結果──、女神の逆鱗に触れ、嫉妬を受けることとなった」


 死者を蘇らせ、意のままに操ること──究極的には生命蘇生──をその目的とする死霊魔術ネクロマンシーは、死神の魔術と呼ばれ、かつてその目的を達した者はいないとされていた。


 他の魔術が女神の加護のもと人間に与えられ、人々に畏敬の念を持って受け入れられているのに対し、死神の力を借りた魔術である死霊魔術ネクロマンシーは、大っぴらに批判や嫌悪、禁止の対象にこそなっていないものの、忌避されている。それでも、禁忌とまでされなかったのは、人々の死者を悼む心をおもんぱかってのものだっだ。


 愛するものに先立たれた者は、誰もがその者に再び逢って抱きしめたいと願う。その望みを叶えることができるのは、死霊魔術ネクロマンシーだけだった。

 遺されたものが死者と再び逢うためには、死霊魔術師ネクロマンサーに頼るほかない。


 しかし、実際に死霊魔術ネクロマンシーを扱うことができる魔術師は、ほとんどいなかった。そもそも、死霊魔術ネクロマンシーを扱おうとする魔術師自体が少ない。

 そして、数少ない死霊魔術師ネクロマンサーであっても、せいぜい術者の口を借りて死者の代弁をすることができる、という程度だった。

 ちょうど、今、ノアの口からドレイクの声が聞こえているように。


 死霊魔術師ネクロマンサーによっても、死者との再会は、その程度が限界とされていた。


 しかし──、


「アナスタシアは、死霊を生者と見まがう姿で永続的にこの世に現出させることができたんじゃ。それはもう、死者を蘇らせることと、ほとんど変わらん」


 クロエは、昨日までの村の風景を思い出す。

 ドレイクに聞かされるまで、クロエは、死霊魔術師ネクロマンサーであるにも関わらず、村人が死霊であると疑ったことはなかった。村人と会う時は、瘴気を遮断するとされた仮面を装着していたのだから無理もない。


 アナスタシアが召喚した村人は、瘴気を放っていること以外、生身の人間となんら変わらなかった。


「それが、女神様の逆鱗に触れたってことなの? そんなことで女神様が嫉妬を?」


 村の外に出たことがないクロエは、世界の事情をほとんど知らない。それどころか、自分自身のアイデンティティともいえる死霊魔術ネクロマンシーのことだってほとんど知らずに暮らしてきた。

 けれど、産まれた時から死霊魔術師ネクロマンサーだと言われて育ったクロエは、死霊の存在をそれほど忌むべきものと思ったことはない。

 ドレイクの話を聞くと、なんとなくあってはならない一線を越えた術のような気がしなくもないが、それと女神との関係が分からなかった。


「そうじゃ。死神の魔術ではあるが、人々の心を思えばやむを得ないと赦されていた死霊魔術ネクロマンシーを、アナスタシアは極めてしまったんじゃ。女神も一人間いちにんげんが、まさか死霊魔術ネクロマンシーを極めてしまうとは思ってもいなかったのかもしれんのぉ」


「よく分からないけど、それで……女神様の逆鱗に触れたお母さんは、どうなったの?」


「死神の寵愛を受けて、厄災に囚われる……はずじゃった」


 ドレイクは借り物の顔をゆがめて、苦しそうに告げた。

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