赤いきつねの子
片瀬智子
第1話
──あっ。
ふいに懐かしい記憶がよみがえり、思わず私は手を伸ばした。
コンビニの店内で見つけたのは、目線の高さにあった赤いきつね。言わずと知れた、赤のカラーが目印のカップうどんだ。
こちらの店ではキャンペーン期間中、東西の赤いきつね・緑のたぬきを共に陳列しているらしい。
ポップを読むと、北海道・東・関西・西と四種類がそれぞれの地方で売られている。
どれもその地域に合わせた味付けがなされていて、例えば東では鰹節と昆布だし、西では昆布・鰹節・煮干し・雑節のだしといった具合だ。
私はカップの側面を指でなぞり、お目当ての『E』という文字を見つけた。それはEAST。東向けという意味。
私の住んでいる九州では通常、赤いきつねは『W』という記載がある。なぜならWEST。西向けだから。
基本、その地域の味しか売られていない。同じ赤いきつねなのに、なかなか手に入らない種類があるのだ。何年も前、私はそのことを知った。
当時まだ十代だった私は、都会に並々ならぬ憧れがあった。
しかし高校卒業後、家庭の事情ですぐに地元の工場へ就職することになる。大手企業の子会社・九州工場だ。
広大な敷地を要する工場は大抵、山深いへんぴな場所にあることが多い。従業員も車で通勤する人がほとんどだし、待合場所から小さな専用バスを利用する人もいた。
毎日ビルのそびえるオフィス街どころか、山へ山へと向かって行く日々。
希望に反する私の日常に芽生えた唯一の励みは、お金を貯めて東京へ遊びに行くことだった。
──親友が東京の短大へ通っているの。
時々、仕事仲間にも自慢した。
都会の友人のSNSには、毎日夢みたいな出来事や憧れの場所がアップされていた。
私もキラキラや可愛いに囲まれて幸せになりたい。
おしゃれで綺麗な女性になって、充実した素敵な毎日を送りたい。だから、少しずつだけどお金を貯めた。
就職して初めての夏。
私は夏休みとして三日連休をもらい、二泊三日で念願の東京へ行くことが決まった。初めてのひとり旅だ。
旅行は計画した時点から始まっている。
その通り、行きたい場所を調べたり用意をしたり、楽しい計画の延長線上に出発があった。
久しぶりに会った親友とはすぐに打ち解けた。
流行ってるスイーツやおしゃれな穴場を教えてもらう。
テレビで観た観光地で写真を撮ったり、九州にはないショップで洋服を買ったりもした。
美味しいものを一緒に食べて、いっぱい笑い合った。
楽しすぎてまだ帰りたくないよ。
だが夜のとばりは一刻一刻と迫る。
やがて口数が少なくなる。
二人は最初のはにかんだ表情へと戻り、西日に反射する
さよなら、またね。
魔法のような時間はあっという間に終わるもの。最終日は一人、おみやげを買って羽田空港へ向かうだけとなった。
おみやげは、実は日本特有の文化だそうだ。
お世話になった方々へお礼の気持ちとして、旅の思い出のお
私の職場でもそう。旅行後は箱入りのお菓子を持って行って、みんなに配る。ばらまき型というやつだ。
どこどこへ行ってきたのね……とすぐに分かる商品もいいが、例えば、特別な
出来ればなるべく手に入りにくく、美味しいものをあげたい。
そこで私は思いついた。
ホテルへ帰る途中、立ち寄ったスーパーで見つけてしまったのだ。
何を隠そう、『赤いきつね』!
このカップ麺が地域によって味が違うということは何かで知っていた。そもそも、私はまだ東向けの赤いきつねを食べたことがない。
きっとそういう九州人は多いはず。しかも都会の事情に
私はひらめく。これをみんなへのおみやげにしようと。
早速、職場の人数分 一八個と両親の分 二個、そして私の夕食分 一個、計二一個をスーパーで買い込んだ。
二一個といえば、二ケース近い。
両手にかさばるカップ麺。だが一個 百円代でコスパ良し・満足度最高となれば、ここで妥協するわけにはいかなかった。
いやいや、なぜ配送にしなかった? ……と今なら分かる。
でもね、当時の私は十代でしかも初めてのひとり旅。自分で思う以上に、なかなか幼かった。自分で持って帰る
後付けさせてもらえば、次の日は仕事だったので持って帰って正解なのだ。配送なら日数が掛かるため、おみやげなしで会社に行くことになるから。
まずは潰れないよう、ホテルの部屋を占領するシングルベッドに二十個のカップ麺を並べた。
そして小さな机にも一つ、赤いきつねを用意する。
備えつけのポットでお湯を沸かし、内側の線まで注ぐ。あれこれしてる間に、すぐに五分が経った。
さあ、未知のお味を頂こう。
「あちっ……ん、おいしいー」
うどんが隠れるほどの大きなおあげから、たっぷりのつゆが染み出てきた。
しっかりとしたお出汁と存在感のある醤油の風味が大人っぽくて、今まで慣れ親しんだ西の赤いきつねとはほんのり違うと舌の上で感じる。
「……やっぱり違うやん♪」
誰に向けてか、自慢げな私がつぶやく。
ひとり旅、私の東京はじめて物語の一ページだ。こんな小さなカルチャーショック、すべてが嬉しかった。
さて、食べ終わった私にはこれから大仕事が待っていた。
機内持ち込みサイズのキャリーバッグに、この二十個のカップ麺をどうやって入れ込むかという難題だ。
着替え、化粧ポーチなどを含む全荷物を一つのバッグへというのはどう考えても無理に思えた。とりあえず、服や小物は小さくまとめて買い物でもらったショッパーに入れて肩に掛けよう。
そして赤いカップ麺らをあーでもないこーでもない、こうだこうだろと狭い絨毯の床にしゃがみ込んで詰めた。ただみんなの喜ぶ顔が見たくて、せっせと詰めた。
今となってみれば、どうやってあのカップ麺全部がキャリーバッグに収まったのか想像もつかない。思い出せない。
それはそうと、私には次なる課題が待ち構えていた。
手荷物カウンターで預けた荷物は到着時、コンテナからポンポン放り投げられるという聞きかじった情報だった。
力任せにそんなことされたら、私のカップ麺の中身が崩れてしまう。せっかくのおみやげはきれいな状態で渡したいのに。
選択の余地はない。
羽田空港では手荷物のお預けをスルーして、機内持ち込みの列へ並ぶ。
保安検査場では、X線で中身を調べられると知って恥ずかしくなった。
バッグいっぱいの赤いきつね。どんだけ好きなのという、検査員の心の声が聞こえたかと思った。
まあとにかく、私ときつねたちは無事に大空を飛ぶことが出来たのだ。
苦労の
「注目ポイントはここです!」と念を入れて『E』の文字を指差しながら、同僚の桃ちゃんや
これで楽しかった東京旅行は、
……と思っていた。完全に終了したと。
ちょっと待って。それなのに、まさかあんなことが起こるなんて!
「おっ、赤いきつね。お疲れー」
その声に私は眉をしかめる。
堤下め。私を赤いきつねと呼ぶんじゃない。
実はおみやげを配った直後から、私は赤いきつねの子と噂されるようになってしまったのだ。
「ああ、あの赤いきつねの子ね?」みたいな。
東京へ行って少しだけでも都会的になったつもりでいたのに、素朴さが倍増してしまっては元も子もない。
「ちょっと、やめてよ。私忙しいんやけど何?」
堤下がニタニタ笑いながら言う。
「そう怒るなっちゃ、重大な話が二つあるんや。どっち先に聞きたい? いい話か悪い話」
どっちって、はっきり言ってどっちでもいい。
「じゃあ悪い話から」
「あー悪い話かー」
意味不明の含みを持たせながら、だが
「お前、うちの部署以外でも『赤いきつねの子』っち言われよんで」
「ウソやろ!?」
「いや、マジで」
いくらポジティブに
おしゃれとは真逆のイメージが社内に広まっていく。
どうしよう。私はうなだれながら次に進んだ。
「はやく、いい話ちょうだい」
堤下はもったいつける。だがやがて、口を開いた。
「それがな……まさかの噂が、
* * *
「そろそろ行くよ」
馴染みの声が聞こえて、ふわりと現実に引き戻された。
日常の雑音が耳に戻り視線がさまよう。持っていた赤いきつねを棚へ置く。
自動ドアからやわらかな風が入ってきて、頬を
ありふれた日曜の午後。
コンビニを出ようとする背の高い彼は片手に買い物袋、もう片方で女の子の手をひいている。
その子が振り返って、たまらなく愛くるしい瞳で私を見つめた。そして小さな手を伸ばし言った。
ママ──。
幸せは目に見えるものだと知る。
記憶の中の私が導いた未来が、今ここにあった。
赤いきつねの子 片瀬智子 @merci-tiara
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