実際に見えている風景と心の距離に関する考察
令月 なびき
見えている風景と心の距離に関する考察
今オンライン会議の最中だけど、その便利さを噛み締めています。
「これで今日の議題は全て終わりです。お疲れ様でした」
私は画面越しに話しかけると、通信オフの間合いをはかる。昔ならダラダラと会議が続いたもんだけど、画面上では会議終了までのカウントダウンが始まった。
あとはこのまま在宅勤務を終えて外出するだけ。
でも私はそれをおくびにも出さない。ここで早く終わりたそうにするなんて愚の骨頂ですよね。
そんな気も知らず、通信を切る直前、滑り込むようにしてマネージャーが聞いてくる。
「明日から連休かあ。ねえ、何か予定とかあんの?」
おっとそうきましたか。私にデートの予定がないか、探りを入れている感じがアリアリだ。
画面越しに見えるマネージャーの表情。うまい具合に通信エラーでぼやけ出した。こうなりゃしめたもの。
私はこれ幸いとマネージャーを適当にあしらうと、通信オフにする。さっきまで自宅に現出していたオフィスは跡形もなく消え失せ、一瞬にしてモニター越しの現実は遠くなった。
すぐに出かける準備を整え、アパートのエレベーターで降りる。ちょうどお盆の時期。帰郷。前に帰ったのはいつだったかな。
自宅から直行できたおかげで、余裕で新幹線に間に合った。座ると同時にまずはお茶で一服。
在宅勤務で通勤時間が減っても、疲れるものは疲れるよねえ。たまの連休、座席で伸びをしつつのんびりしていると、出発を知らせるメロディが流れ始めた。
あ、そうそう。新幹線に乗ると流れるこのメロディ。
いつも不思議なんだけど、この発車メロディが呼び水になって思い出す言葉がある。これって偉人の名言だっけ。
ふるさとは遠きにありて思ふもの
……うん、遠くにありて思わずともこれから帰るのにね。でも何で思い出すんだろう。国語の時間は好きじゃなかったけど。
帰省の際だけ条件反射でふと蘇るのだ。でもこの瞬間以外、たまにしかふるさとを思い出さない自分がいる。実家に帰る度、それに気付いて複雑な気分になるのがお決まりの流れだ。
◇
到着。
坂の上にある実家は、街灯に照らされてクッキリ浮かび上がっているように見えた。
「ただいま」
「あ、おかえり。思ったより早かったじゃない」
「うん。兄貴は?」
母が出迎えてくれる。勝手知ったる自分の家、挨拶もそこそこに私は中へ入ると、そこには幼い甥っ子と姪っ子がいた。兄貴夫婦の子供たちだ。
「あ、おばちゃん久しぶり」
「次にその呼び方したら、分かるね?」
私はわざと真面目な顔で目線を合わせそう告げると、子供たちが楽しそうに笑う。自分と兄貴の子ども時代を思い出させてくれる、この子たちの笑い声が好きだ。
「ねえ、ゲーム一緒にしようよ?」
子供からのお誘いのタイミングで兄貴の奥さんが顔を見せた。
「こら、今着いたばかりの人に。ゆっくりさせてあげて」
大丈夫ですよ、私はもう戦闘モードですから。コントローラーを握りしめる。
「で、どんなゲーム?」
「これこれ、面白いよ」
そこでテレビの画面を覗き込んだのはいいけれど。
「うわ。最近のゲームのグラフィックはすごいね」
きっとこのセリフ、ゲーム機が生まれ変わる度に言うんだろう。
「本物が動いてるみたいでしょ?」
何かのアクションゲームらしい。
「解像度が高すぎて、う~ん。こんな近くじゃ目がチカチカするなあ」
極彩色の画面にはレーザーやら火花が散ってキャラがド派手に動き回っている。
「おお、帰ってたのか」
父と兄が別室から出てきた。まだ夕食前だが、もう2人で飲んでいたみたいだ。
「ただいま」
私はそれだけ言うと、ゲームを隠れ蓑にして父親との会話を避ける。別に仲が悪いわけじゃない。でも、面と向かうと話しにくいのだ。帰ってくる道すがら、元気にしてるのかな、なんて殊勝なことも考えていたのに。
実際に帰ると何となく居心地が悪い。これもまた、実家へ帰る度に繰り返すいつもの流れ。
早めに結婚して子供にも恵まれた兄。
対してまだ独身の私。
父も母も何も言わない。でも考えてることは分かる。
私は一泊だけすると、翌日の夕方、そそくさと実家を後にした。一体、何しに戻ったんだか。
坂を下りながら一度だけ振り返ってみる。もう実家は遠い世界のようで、街頭が灯る前の微かな陽の光に照らされた実家は何だかぼやけて見えた。
「……ふるさとは遠きにありて思ふもの、か」
帰りの新幹線でまたこれを思い出す。それもまたお決まりの流れだ。
◇
お盆明け。
久しぶりにオフィスへ向かう。
以前はバスを使っていたけど、混雑する車内が嫌になって、今は自転車通勤が心地いい。
でも会社に着く直前、坂を上らないといけない。高校生が軽快に私を追い越していく。
抜きつ抜かれつを繰り返していた頃もあったっけ。けどごめんなさい、不毛な戦いからはもう卒業したの。
「……ふう」
私は坂の序盤早々に自転車を降りる。頂上まで来ると、ちょっと離れたところに会社のビルがハッキリと視界に入ってきた。無機質な外観とは言え、その真新しさも手伝って、夏の光にビルの輪郭が強調されて美しい。
お盆の連休で間隔が空いたし、新鮮な気分で会社に来たのだが……。
「ねえねえ聞いた? あの部長、10月から子会社に出向するらしいよ。何やらかしたのかな」
「え~、この時期に? じゃあ次の部長は?」
そんな会話が更衣室や給湯室で囁かれている。来る前は嫌じゃなかったのに、もう滅入ってしまった。民間会社のくせに、オフィスは社内政治家と評論家の集まりですよね。
在宅勤務制度ができてからだろうか。たまに会社に来ると疲れるようになった気がする。
以前は当たり前だった空気が、会社に来る頻度が減ったことで、馴染めなくなってしまったのかもしれない。
せめてランチでもと思ったが、在宅勤務の欠点は、一緒にランチする仲間を見つけられないことにある。
今日は後輩ちゃんがいないじゃん。
私は1人空しくランチとなった。
そのときだ。
ふるさとは遠きにありて思ふもの
急にこのフレーズが浮かんできて驚いた。ここはふるさとじゃない。オフィスなのに?
あ、ついこの間まで実家に帰省してたからか。
このフレーズの由来が急に気になって、1人ランチで手持ち無沙汰の私はスマホで検索してみる。
「……うん? これ偉人の名言じゃなかったんだ」
検索結果によれば、詩人 室生犀星 作とある。
……そうそう、教科書で見た詩だったんだと今更ながらに思い出した。記憶なんてこんなもんよね。
事実、この詩に続きがあることも覚えていなかった。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしやうらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや……」
検索結果には、ご丁寧にも詩の解説まで表示されている。詩人が丹精込めて作った詩。その思いや背景がお手軽に検索して終わりなんて、申し訳ない気持ちになってしまった。
でも、その解説でまた驚いた。
この詩、解釈が幾つもあるのか。
ふるさとから遠く離れた東京の地で望郷の思いを詠んだとの説。
ふるさとの金沢に戻った際、そこに居場所はなく、ふるさとは遠くで想ってるくらいの方がいいと詠んだとの説。
う〜ん。私は、遠い場所からふるさとを懐かしんでるんだと思ってたのにな。
……いや。違う。私は場面によって詩の解釈を変えてたんじゃないか?
行きの新幹線、遠い場所から懐かしいふるさとを想って。
帰りの新幹線、もう実家に居場所がないことを確かめてこの詩を思い出し。
考えを整理したくなって手にしたスマホを置き、代わりにコーヒーへと手を伸ばす。何となく、自分の中で何かが引っ掛かってるような気がする。
……いや。もしかして。行きの新幹線から既に、実家なんて立ち寄らずに遠くから想ってるくらいがいいと感じてたんじゃないかな?
ってことは、実家に帰りたくないのが本音か。
……いや。行きの新幹線、確かにふるさとを懐かしむ気持ちはあった。でも実家に帰れば、懐かしいだけの存在ではないことを再確認する、それの繰り返しだけど。
私は手に持ったコーヒーに口を付けずテーブルへと戻した。カップにフレッシュを入れてかき混ぜる。白と黒がぐるぐると渦を巻き、1つに混ざり合っていく。
頭の中に実家の様子を思い描いてみる。浮かんできたのは、何日か前の実家……じゃなくて昔の映像。
……ああ、そうか。
自分がふるさとを思い出すとき、私は子供の頃の実家を頭の中に描いていた。あの頃のふるさとを懐かしんでるんだ。
道理で、頭の中で再生される映像はみんな若いな。自分は、実家を懐かしく思いつつ、かつての日々はもう戻りようがないことを帰る度に確かめてるんだ。
ふと視線を上げると、店外ではたくさんの人が思い思いの場所へ向かって歩いている。私にとっては文字通り遠い風景。それを眺めながら思う。
私には、この詩の本当の解釈は分からない。この詩人が背負った苦労も分かりようがない。その苦悩に比べて、私が抱えている状況は陳腐かもしれない。
でも今、この詩を知って自分の内面と向き合っているのは確かだ。
そう、これは詩の解釈の話じゃない。私の心の解釈……。
◇
夕方。
私は再び自転車に乗って会社を出た。またあの坂だ。頂上でひと息つき会社のビルを眺める。
夕日でうっすらとぼやけたビルの輪郭。
ああ、これくらいの距離感がちょうど良くなっちゃって。
とうとう、ふるさとだけでなく会社まで遠くにありて想うものになりましたよ。
……近すぎるとキツイからな。目にも心にも。
私の周囲の風景は遠ざかる一方。じゃあ、私は何を身近に感じていけるんだろう。
しばし会社のビルを見入ってから、再び自転車に乗り込む。
それでも、今の居場所はここしかない。近くで見ていたい場所は、自分で見つけないとね。
ふう、考え込んでるうちに風が少し出てきたな。
私は会社に背を向け、目の前の風景を見た。
風を受けつつほんの少し漕ぐと、自転車はとろとろと進み出す。そこから力強く蹴り出し、ペダルから足を離してみる。
周囲の風景が加速しながら流れてゆく。どんどん後ろに消えていく。トップスピードだ。私はその勢いのまま、一直線に坂を下った。
実際に見えている風景と心の距離に関する考察 令月 なびき @24solarterms
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