胸に視線を向けてくる男性はご遠慮してましてよ
ただ巻き芳賀
短編 胸元をチラ見してくる男性が多くて失望してますのよ
「ハンス様。貴方との婚約を破棄したく存じます」
第一王女フローラ・アーレンベルクは、今も愛するハンス・クライスト男爵令息に対して婚約破棄を言い渡した。
「フ、フローラ様。急にどうしてそうなるのです!?」
今でも彼女から愛を感じるハンスは、何故そんなことを言うのか分からないとフローラを問いただした。
この場所は式典で使用する玉座の間ではなく、内々で使用する円卓の間。
呼ばれた理由を知らなかった国王ロレンツと王妃ミリアは顔を見合わせた。
それはそうだろう。
先週、フローラとハンスが二人で揃って面会に訪れ、婚約を了承して欲しいと強く訴えて来たばかりだからだ。
それに対して、事情を知っているであろう二人の姿があった。
フローラの後ろには彼女に付き添いとして同席を頼まれた友人エリーゼが意味深に微笑んでおり、そのさらに後ろでは目をつむり困り果てたフローラの専任執事クロトアの姿があった。
「私は本当に貴方を愛しているのです。それなのにあなたは酷い!」
「な、何が酷いのです!?」
ハンスには本当に身に覚えがない様で、フローラの追及に慌てている。
「おかしいと思っていました。男性の皆が執拗に私の胸に視線を送って来るのに、貴方は全く一切これっぽっちも私の胸に視線を向けなかった」
「そ、それは……、そう努力していたからです!」
「最初は、コンプレックスであるこの胸に視線を向けない貴方を、本当に誠実な人だと思いました。でも、違ったのですね?」
「ち、違ったとは一体どういう……?」
「普通に考えればおかしいことなのです。他の男性は皆が私の胸をちらちらと見るのに、貴方だけが胸に視線を落とさないのですから。でもその理由が分かりました!」
「え、え!? 何で知って……」
困惑するハンスをよそに、フローラは感情を高めて瞳に涙を溜めながら訴える。
「貴方は私自身には一切興味が無いのです! 第一王女の夫、将来の国王という地位と王家の財産にしか興味が無いのですから!!」
それを聞いたハンスはポカンとした。
一体何を言っているのだろうと困惑する思いが顔に出ていた。
「い、いや違う」
「何が違うのですか!」
追求するフローラの瞳から涙が零れた。
◇◇◇
第一王女フローラは辟易していた。
婿入りできる婚約相手を探すために名門貴族の令息たちと面会したが、彼らの目線がことごとく気に入らないのだ。
「男の人はどうして話の合間に私の胸へ視線を落とすのかしら」
面会が終わったフローラは大きくため息を漏らす。
彼女のため息には理由があった。
十六歳とお年頃になったこともあり、生涯の夫になり次期国王となってもらう人を探すため、王都にいる名だたる令息を登城させて一緒にお茶をして相性を確認していたのだ。
本来であれば王族なら政略婚が当たり前で、この国の安寧を考えてより有利な貴族令息と婚姻する流れになるはずだった。
だが彼女が両親である国王、王妃に直訴したのである。
「第一王女として責任は果たします。
きちんと良き夫と婚姻し国王になってもらいます。
けれどもせめて自分に相性のよい人にしたいのです。
自分でその人を見付けたいのです。
どうか私の初めてのわがまま、叶えてくださいませ」
フローラに甘々の国王ロレンツは一も二もなく了承したが、王妃ミリアを説得するのには時間が掛かった。
それでも最後に王妃が了承したのは、普段従順なフローラがこれだけは譲れないと頑なに主張したからだ。
そんな経緯もあり、今日も何回目かの面会を実施したのであったが……。
先程会ったレギン・プロファードなどは、公爵令息で爵位は申し分なし。
年齢も十六歳で男らしい顔つきも頼もしさを感じさせた。
でも彼のある行動が彼女を大きく失望させた。
四、五回ほど、いずれも一瞬ではあるが、彼女との会話の途中で視線を落としたのである。
それは手元や足元を見たのではない。
彼女の胸元に視線を落としたのだ。
年頃になり男性と話すようになって、最近そのような男性の視線に気付いた。
そして相手を変えて繰り返したこの面会では、どの男性も例外なくフローラの胸に何回も視線を送っていた。
彼女はこの国の第一王女。
彼らがこの場で粗相をすれば実家の責任が問われ、下手すれば彼ら自身が罰を受ける恐れもある。
誰だってそんなことは絶対に避けたい訳で、できるなら何事も無く王女との面会をすませたい。
だが、一瞬、ほんの一瞬だけ見てしまうのだ。
彼らも年頃の男性、女性の
そのせいもあってか、フローラのあまりにも大きな胸を前にして、そちらを見てはいけないと気にするほどに、ほんの僅かだけ見てしまうのだ。
視界の端に入った強烈な誘惑に逆らえない、悲しい男の習性とも言えるかもしれない。
そう、フローラの胸はとても大きいのだ。
自分を産んだグラマーな王妃を上回るほどに。
彼女は自分の大きな胸にとてもコンプレックスを持っていた。
だから、男性の視線にも過敏に反応して、自分のコンプレックスに向けられた好機の目に嫌悪を抱く。
「私がいけないのでしょうか。男の人も悪気は無いのでしょうけど、どの人もどうしてこんなに私の胸に興味を持つのでしょう」
フローラが嘆くといつもそばにいて何かと話を聞いてくれる、幼い頃からの友人エリーゼ公爵令嬢が応えてくれる。
「フローラ様が悪い筈がございません。男の人とはかような、いやらしき生きもの。第一王女のフローラ様をそのような下賤な目で見る男性は、お相手として到底ふさわしくございませんわ」
「でも皆が皆、同じようにお話し中に視線を胸に向けるのです。何回もチラ見するのです。それって一方的に相手が悪いのではなく、私にも原因があるように思えます。ああ、私はどうしてこのような体なのでしょう」
フローラが多少なりとも自分にも原因がある、自分の胸が大き過ぎるせいで男性の視線を集めてしまうと言うと、エリーゼは僅かだがつまらなそうな顔をしてからすぐに元の微笑に戻った。
私の悩みを共有し、一緒に男性の態度を憂いてくれているのかしら?
きっとそうですわね、エリーゼは本当に親し気に接してくれますし、……ちょっとスキンシップが過剰と思うときはありますけど。
第一王女という身分の自分に対して、いつも臆せず意見をくれ、時間を共有してくれるエリーゼにフローラは感謝していた。
エリーゼはゆっくりと立ち上がる。
その姿勢は美しく、何よりスタイルが良い。
ないものねだりとはよく言うもので、決して太ってはいないけど、胸が大き過ぎてグラマラスなフローラからすれば、お人形のようにスリムでエレガントなエリーゼのことが本当に羨ましかった。
「外見に目を向けて、心の中身を見ない人は生涯の伴侶としてはどうかと思うのです。ですから、本日のレギン・プロファード様はおよしになった方が……」
「そうですわね。いつもありがとうエリーゼ」
「いえ大切な殿下のためですもの」
言うなりフローラに近づいたエリーゼは、腕を組んで体を寄せ、顔を見上げて楽しそうに微笑んだ。
このようなエリーゼの行為は、フローラが小さい頃からなので慣れていて、むしろこれが女の友情なのだろうと感じていた。
今日の面会予定を終えてエリーゼに別れを告げると自室に戻る。
王女とて阿呆では務まらない。
生まれが良すぎる分、求められることが多く、礼儀作法は当然で、知識と教養、ダンスを筆頭とする習い事など、時間に追われて日々過ごしている。
「フローラ殿下」
「どうしたのクロトア。渋い顔をして」
自室のデスクチェアに腰かけたフローラが、もうすぐ始まる王国史の個人授業を受けるべく準備していると、疲れ切った表情の専任執事クロトアに話し掛けられた。
ここ自室であっても彼女にプライベートはない。
プライベートがあるのは、寝室とトイレだけだ。
「男の人の目線を気にされるお気持ちも分かります。ですが、今までの令息の中には誠実な者もいたと存じます。どうして一度の面会でどなたもお断りされてしまうのですか?」
苦労して面会をセッティングしたクロトアからすれば、納得いかないのだろう。
「私が胸元を見られるのが嫌なのは、とうに知っているのではなくて? 貴方だって私の気持ちを考えて目線に気を配ってくれていますわ」
「もう十年以上、フローラ殿下が幼少の頃からお仕えしているのです。日々の積み重ねで訓練されておりますし、それでも殿下とお話する際、目線には特に気を使っているのですよ」
「理想を言えばクロトアくらい心遣いの出来る人……。いえ違いますわ、私は外見ではなく内面を見てくれる人を望んでいるのです」
彼女の希望を聞いたクロトアは静かに首を横に振った。
「如何に私とて、彼らのようにパーティで遠目からフローラ様を拝見するだけの関係だったなら、そして急に美しいフローラ様が眼前でお話になられたら、自制が効かなくなり目線だって泳ぐというものです。これだけお仕えしている私ですら、フローラ様の魅力に抗うのは簡単でないのですよ」
それを聞いたフローラはかなり驚いた。
父親である王や、母親である王妃は、自分にそのような視線を向けてこない。
これは内面を見てくれる両親で近しい存在だからであり、それがさも当然だと考えていた。
だが言われてみれば、執事長バートンは伏し目がちで視線も常に腰の辺りを見ており、この専任執事クロトアは逆にしっかりと顔を見て話すものの、他には目線を動かさず意識して鼻の辺りを見続けているように思う。
そうまでして、強く視線を固定する必要があるとも言えるのだ。
つまり家族以外は、近しい存在あっても彼女の胸が相当気になるのだ。
この邪魔な胸はそれほど男の人の注意を惹いてしまうのね……。
落ち込んだ様子のフローラを見たクロトアは慌てた。
大きな胸が彼女のコンプレックスだと分かっていたのに、それが魅力的な部分だと伝えようとして逆に傷つかせてしまったからだ。
「し、失言でした。フローラ殿下のお気持ちに思い至りませんでした。どうかお許しください」
クロトアがすぐに王女のそばで跪くと、フローラは彼の肩へ優しく手を置く。
「よいのです。貴方はお母様の望み通り、よい令息との婚約が決まるように心を砕いてくれています。……でも安心して欲しいのです」
「何かお考えが?」
「エリーゼが良きアドバイスをくれます。必ず私の内面を見てくれる人に出会えるでしょう」
エリーゼの名を聞いたクロトアは神妙な顔をした。
フローラが面会してNGを出した貴族令息は、全てエリーゼが止めた方が良いと言って婚約候補から外していたためだ。
確かにどの令息も、ことごとくフローラの胸に視線を向けるため、彼女自身も関係を深めるのは気が進まなかったのだが、視線のことを除けば素敵な男性も多かった。
フローラのことを本当に思うのであれば、もう少し慎重に結論を出すように逆に諭しても良いくらいなのだ。
それなのにエリーゼは、登城させた貴族令息のよいところが何処かなんてろくに吟味せず、フローラの胸を見たというだけでバツを付けていくのである。
その様は、まるでエリーゼがフローラの良縁を望んでいないようにも見えるのだ。
一部始終を見ているクロトアがエリーゼに良い印象を抱かないのは、当然ともいえる話である。
でも、フローラはエリーゼを信頼していた。
「エリーゼは私のことを真剣に思って助言をくれています。仲良き女性の友情ほど信頼に足るものはありませんわ」
クロトアはエリーゼの行動について思惑を語ることはしなかった。
証拠もなく憶測に過ぎないからなのか、それともフローラがエリーゼを信頼しきっていたからなのか、その理由は彼が表情を元に戻したので不明となった。
「王都に住まう貴族令息との面会は終わりました。今後の面会相手は地方領地を治める貴族の令息になります。本来であれば殿下の生涯の伴侶は地方、辺境の貴族令息ではなく、王都の貴族令息が望ましいのですが」
別に地方領地を治める高位の貴族もいるし、財政的には王都貴族より豊かな地方貴族もいる。
しかし、夫に国王として勤めを果たしてもらうことを考えれば、王都に地盤や勢力を築く貴族の方が望ましいという考えは一般的といえる。
「分かっています。でも私は、この悩ましい外見を気にしない方と一緒になりたい。この件はもうしばらく貴方に頼りたいのです」
それを聞いたクロトアは急いで彼女の前に跪いた。
王女に頼りたいとまで言わせてしまったことを専属執事として悔いているのか、唇をかみしめていたが、少し勢いのある声で返事をする。
「お任せくださいませ」
力のこもった彼の声には意気込みが感じられた。
◇
翌月より、地方貴族との面会がスタートした。
今日の面会は、ハートリン地方を領地とする侯爵の令息シュルツ・ハートリンである。
フローラは、いつもの様にエリーゼとお茶会用の部屋で待機する。
部屋の隅には、お茶会という名目でこの面会をセットしたクロトアが控えている。
ドアがノックされクロトアが入室を促すと、少し小柄な男性と少し遅れて長身の男性が入室した。
毎回、一人ずつ招いているのに今回は二人である。
手違いがあったのかと、すぐにクロトアが口を開く。
「ハートリン様。ご招待にはお一人でとご連絡させていただきましたが、手違いがございましたでしょうか?」
「す、す、す、すまぬ。わ、わ、私は……」
呼び掛けられた小柄な男性シュルツ・ハートリンは、極度の緊張状態なのが見て分かるほどで、顔を真っ赤にして挨拶も碌にできないまま黙ってしまった。
後ろに立っていた長身の男性が、シュルツの肩に優しく触れて彼を落ち着かせる。
「あ、あ、ハンスか。す、すまないな」
大袈裟に深呼吸したシュルツは、フローラの前で跪いてやっとのことで挨拶をすます。
「わ、わ、私はシュルツ・ハートリンと申します」
「申し訳ありません。シュルツ様は極度のあがり症でして、幼少より付き合いが長く親戚の縁もあるので付き添ってまいりました。ハンス・クライストと申します」
「ク、クライスト様でしたか……」
ハンス・クライスト。
今回の婚約者候補からクロトアがあえて外していた男爵家の四男である。
婿をとり王宮に残る第一王女フローラの婚約者候補には、彼女の好み以前に相応しい身分というものがある。
男爵と言えば一世代限りの準男爵を除けば、この国では一番下の爵位である。
王女の夫が男爵令息ではいろいろと不都合な点が多い。
親族同士の付き合いで男爵家側が王家へ合わせるのが大きな経済負担になるのは目に見えており、また一国の王女がそのような扱いを受けていると他国に勘違いされては聞こえが悪い。
そして一番の問題は、自国内の貴族たちである。
今回のお茶会を名目とした面会が、第一王女フローラの生涯の伴侶を探すものだということは、貴族であれば気付いて当然。
王都の名だたる名門貴族の令息を登城させた挙句、選ばれたのは地方男爵の四男とあっては彼らの面子も丸つぶれだ。
そのような貴族の不満をあえて招くような真似はせず、面会の相手は伯爵令息以上を対象としていたのだ。
クロトアは完璧を自負する自分の仕事に起きたイレギュラーに一抹の不安を覚えたのか少し顔をしかめたが、ハンスがあくまで親戚で幼馴染のシュルツに付き添ってきただけだと聞いて、そのまま面会を進めることにしたようだ。
そもそもハンスが退室してしまっては、あがり症のシュルツがまともに口を利けず、困ってしまう恐れがあるからだろう。
ハンスの席も用意されてようやくお茶会という名目の面会が始まった。
クロトアは先程と同様で部屋の隅に控えているのは変わらないものの、用意されたテーブル席にはいつもとは違い男女が二人ずつ向かい合って座っていた。
奥の席にはフローラとエリーゼ、向かい合ってシュルツ、隣にハンスが座っている。
互いに時節の挨拶をしたあと、フローラは紅茶に口をつける。
彼女の表情は徐々に明るくなっていった。
何度となく繰り返されたこの面会は、フローラにとって少し気の重いものになりつつあったが、今回は小さなハプニングが新鮮さを与えてくれた。
でも彼女の機嫌がよくなった最大の要因は別にあった。
それは、シュルツのサポートとして居合わせたハンスが、彼女の胸に一切視線を向けず真っ直ぐに目を見て話したからである。
招いた面会対象のシュルツはというと緊張のため目も合わせられず、当然のように彼女の胸元ばかり見て話していた。
だが、フローラは気にしていなかった。
シュルツから性的な視線は感じなかったし、そもそもこちらの望む対応を出来そうにないことは、入室の時点で予想が出来ていたから。
それより何より彼女は、ハンス・クライストに好感を抱いた。
彼の視線はブレずに真っすぐ目を見ていて、こちらの話に真摯に耳を傾ける姿勢、彼女の胸などまるで意識しない誠意ある態度がとても嬉しかったのだ。
今までの面会では、どの男性もフローラの胸がどうしても気になるのか、取り繕ってはいても会話に気持ちが入っていないのが感じられた。
でもハンスは違った。
いつもより長い時間を過ごしたのに、彼の目線は常にフローラの顔を見ており、彼女の話に目を見て頷き、時折会話に入るエリーゼにも優し気に対応していた。
本日の主役がシュルツのため、ハンスはあくまでサポートにまわり、彼が緊張で言葉に詰まれば笑顔で語り掛けて緊張をほぐしていた。
終始付き添いの立場を通し、エリーゼと同様に発言は控えめではあったが、それでもフローラにはハンスが特別に光り輝いて見えた。
この人は私の運命の人かもしれない。
大きな胸という彼女のコンプレックスに目を向けることなく接してくれるハンスは、ちゃんと自分のことを見てくれる大切な存在に映ったのだ。
時間になってお茶会がお開きになると、彼ら二人は退室していった。
「今回のお相手は会話が弾まず散々でしたわね。付き添いの方は男爵令息ですし……」
男性のダメ出しに饒舌なエリーゼが、いつもより長い面会に疲れたのか言葉少なに感想を述べると、辞去の挨拶をして退室した。
今日の主役シュルツが王女と婚姻するなど誰から見ても難があるし、付き添い男爵令息に至っては爵位が低くて、エリーゼからすれば全く評価の対象に入っていないのだろう。
部屋に残ったフローラは、クロトアに笑顔で語り掛ける。
「私、面会はしばらく止めます。エリーゼにも伝えて頂戴ね」
「殿下、もしやハンス・クライスト様を気に入られたのですか?」
「わかります? ふふふっ」
「他の方は気付かれなくとも、私には分かりますよ」
「じゃあ、改めて彼ともう少し話をする機会をお願いしますね」
そのフローラの指示にクロトアが渋い顔をする。
「大変申し上げにくいのですが、あの方は男爵家の方。殿下のお相手には望ましくは……」
途中まで言い掛けたクロトアが発言を止めた。
あれほど嬉しそうに話していたフローラが、とても悲しそうな顔をしたためだ。
コンプレックスを抱える彼女が、自分から好意を示したのである。
爵位のことさえなければ、クロトアだって何とかしたいと思うのは当然ではあるのだが。
「も、もし仲良くなられても、私の口から王妃様へのご報告はとても……」
「大丈夫です。そのときが来たら、お父様とお母様へは自分の口で伝えますからっ」
それを聞いたクロトアは、驚きの後に決意を秘めた顔になる。
その表情は、何とかしますから任せてください、そう言っているようだった。
「では、今すぐハンス・クライスト様にご連絡いたします。地方にお住まいの方ですので、自宅へ戻られる前にもう一度登城いただきましょう。それとハンス・クライスト様とお会いになるのはエリーゼ様にお伝えしない方が良いかと」
クロトアとしては、今回ばかりはエリーゼにちゃちゃを入れられて、フローラの想いが台無しになるのを避けたいのだろう。
「そうね。今日もとても疲れさせてしまったようですし。今度は男性を見極めるのではなく、同じ男性とまた会って話をするのですもの。一緒に居ても気を使わせてしまいますものね」
再びハンスと会うこと自体、エリーゼには少しの間伏せることにした。
ハンスが運命の人であると感じたことを、エリーゼに伝えるのが急に気恥ずかしくなったからだ。
あ、相性がよいかはまだ分かりませんし……。
もしかして、私の勘違いかも知れませんし……。
その後のフローラは、ダンスのレッスンにまるで身が入らなかった。
なぜなら明日、またハンスが登城してフローラに会いに来ることになったからだ。
フローラの心はうきうきと浮かれてしまい、羽が生えて飛んでしまうのではと自分で心配になるほど幸せな気持ちになった。
ああ、待ち遠しいですわぁ。
今までの面会では、こんな気持ちになる方とお会いしたことなどありません。
きっと、これが恋というものなのでしょう!
でも、これではまるで夢見る少女みたいではありませんか。
第一王女に生まれた私が男の人に会うことで浮かれるなんて……。
恋心なんて一生体験できないと思っていましたのに。
その様子をそばで見ていたクロトアは、満足そうに小さく頷いていた。
大急ぎで自らハンスの滞在先に出向き、今日に引き続き明日も登城してもらうように頼んだのだが、フローラの喜ぶ様子を見て苦労も報われたのだろう。
翌日、招待した時間きっかりにハンスはやって来た。
「本日はお招きいただきありがとうございます」
フローラは浮かれ切って一時間も前からこの部屋でやきもきしていた。
直前まで習い事があったのだが、どうせこの様子では手に付かないだろうとクロトアが早めに部屋へ入ることを勧めたのだ。
「ようこそ。お待ちしておりましたのよ。さあこちらへ」
クロトアが動くより早く、フローラ自ら席を立つと彼を案内して着席を勧めてしまった。
男性の来客を王女が自ら出迎えるなんてあってはならず、それはもちろんフローラも分かってはいるはずなのに。
クロトアは少々困った顔をしたものの、今までになく楽しそうなフローラを見て何も言えないようだ。
昨日ともいつもとも違い、用意された席は二つだけ。
フローラとハンスがテーブルを挟んで向かい会って座る。
「昨日は呼ばれてもいないのに大変失礼しました。本日改めてお招きいただき、殿下のお心遣いに感謝いたします」
「いえ、気遣いではないのです。ハンス様ともう少しお話をしたいと私が思ったのです。ご予定があったのに無理をお願いしました」
ハンスは目を丸くして驚いている。
今日の登城が王女の気遣いではなく、純粋に自分と話がしたいという彼女の望みによるものと聞き、そしてそれが本心であると彼女の素敵な微笑みを見て分かったからだろう。
彼自身も男爵令息の自分が王女との茶会に招かれるとは、思っていなかったのかもしれない。
それから二人は他愛のない話でとても楽しいひと時を過ごした。
ハンスは今日もフローラの胸を一度も見ることなく、真っすぐに彼女の目を見て話す。
何よりフローラが嬉しかったのは、彼女の話を聞くハンスが本当に楽しそうなことだ。
「ごめんなさい。私ばかりがお話してしまいました」
「いえ、殿下のお話はとても楽しいです」
「貴方のお話も聞かせてくださいな」
「そうですね。それでは田舎に伝わる騎士と令嬢の逃避行などいかがでしょう」
フローラは目を輝かせてハンスの話を聞き、あっという間に時間が過ぎてお茶会はお開きとなった。
「あ、あの、またハンス様とお会いしたいのですが……」
「ええ、私も是非またお話させていただきたいです!」
フローラの瞳は黒目が大きくなって、もうすっかりハンスに夢中になっていた。
ハンスの方も決して王女への礼儀から愛想で返事をしているのではなく、本心で好意を抱いているようだった。
今後にどうやって二人が会うかをクロトアに相談し、地方に住むハンスが王都へ来るタイミングに合わせて、なるべく登城してもらうことになった。
その日の午後、ハンスは地方の自宅へと帰って行ったが、彼が地方へ戻っている間は文通をすることになった。
ハンスが一度地方に戻ると、二人は数カ月会えなくなる。
別れ際でそれに気づいたフローラがとても悲しそうにしたので、ハンスが手紙を書きますと言ったのだ。
この手紙をフローラは心待ちにして、彼からの手紙が到着するとその日のうちに返事を出した。
王女と男爵令息の文通という普通では考えられないやりとりを、クロトアは非常にほほえましく見守った。
王族に生まれ自由を知らないフローラが、婿を取るという事情があるにせよ、自分で愛する人を見付けてその人との愛を育んでいる。
たとえこの恋が婚姻に繋がらず、政略婚をすることになってもフローラにとって一生の宝になるからだ。
第一王女として婿を取り、その婿を国王にと考えるなら、やはり相手が男爵令息の四男では大変に難しい。
それでも王家が覚悟して他の貴族を抑え込めば、完全に不可能ではないかもしれない。
しかし、フローラに甘々な国王はともかく、王妃を納得させるのは至難の業だろう。
そのことはフローラも分かってはいるのだ。
でも、自分が大人になるまでのこの一時を大切に守りたかった。
自分が好きになった人を思い切り愛したかった。
クロトアが何も言わずに協力してくれるのは、きっと彼も同じ気持ちなのだと感謝した。
◇
フローラはハンスとの逢瀬を楽しみにして、会えない日々は手紙のやり取りで過ごした。
胸への視線で男性に苦手意識のあったフローラは、ハンスと付き合うようになって少しずつ他の男性への苦手意識が薄れていった。
ハンスの方も王女への礼節は守りつつも、三カ月置きに二回という頻度で登城を重ねた。
そんな愛情の深め方もあって、周囲の者には二人の関係をほとんど知られずにお互いの距離を縮めて行った。
そしてフローラがハンスと初めて会ってから1年が経過して計十回の逢瀬となった今日、二人がある計画を実行しようとしていた。
「ハンス様。とうとうこの日を迎えました。貴方の私への想いは変わりませんか?」
「はい、フローラ様。口に出すのは少々気恥ずかしいですが、自分のこの気持ちは真実の愛であると確信を持ちました。私の両親もそうなれば大変な栄誉と喜んでおります」
互いの気持ちを確認したフローラは、意を決するとハンスを連れて国王と王妃の元へ向かう。
二人で内々での面会を申し込み、婚約の許しを得ようというのだ。
クロトアが執事同士の根回しを完璧にしてくれたお陰か、使用人同士の連携が万全で両陛下の揃った面会がすんなりと実現した。
やはり予想通りというか、国王ロレンツの許可はすぐ出たが、王妃ミリアが難色を示した。
「まあ、二人の気持ちは分かりましたわ。親としては許してあげたい話。でもね、分かっているはずですが王族の婚姻なのですよ。二人には爵位という障害があります。ハンス、貴方こそがフローラに相応しいという理由が必要です。ただ好きというのは建前にもならないですわ」
「ミリア、それは少し厳しくはないかな?」
ロレンツがフォローを入れようとするけど、王妃は彼をキッと睨んだ後に少し穏やかな口調で続けた。
「私だって大事な一人娘の気持ちを何より大切にしたい。だから、婚約は認めます。ただ、婚姻時期は未定。ハンスが爵位の差を埋めるような何か建前を用意なさったら婚姻時期を決めましょう。王国内への婚約発表は、婚姻時期が決まらなければ致しませんからね!」
ミリアの判断は厳しいものにも見えるが、その実は婚約を認めるという優しいものであった。
二人して胸を撫で下ろしながら、お茶会用の応接室に戻った。
「建前とは……。ま、まさかドラゴン討伐とかを期待されていますか!?」
椅子に座りながら深刻そうにハンスが呟いたので、そうではないと急いでフローラが補足する。
「お母さまはご自身の気持ちを納得させたいだけなのです。昔からそうです。別に対外的な理由でなくても筋が通っていれば何でもいいのですよ」
とにもかくにも、婚約の許しをもらえたので、あとはハンスがフローラに必要な人だと王妃に示すだけになった。
今日の所はここまでと二人は笑顔を交わして別れた。
フローラは部屋の隅で待機するクロトアに指示を出す。
「そろそろエリーゼにもお話した方が良いと思うの。無事婚約の許しを得ましたし、公式発表前に一番大切な友人のエリーゼにこのことを伝えたいわ」
「かしこまりました。エリーゼ様とのお茶会をセット致します」
◇◇◇
「ハンス様。貴方との婚約を破棄したく存じます」
第一王女フローラ・アーレンベルクは、今も愛するハンス・クライスト男爵令息に対して婚約破棄を言い渡した。
「フ、フローラ様。急にどうしてそうなるのです!?」
今でも彼女から愛を感じるハンスは、何故そんなことを言うのか分からないとフローラを問いただした。
フローラは、エリーゼとのお茶会の後に、大至急登城するようにとハンスを呼びつけたのだ。
内々での話に使う円卓の間に国王ロレンツと王妃ミリアを呼んでおり、フローラとエリーゼがハンスに対峙する。
フローラの専任執事クロトアは部屋の隅で立ち尽くし、どうしてこうなったと下を向き目をつむっていた。
なんと、フローラは折角勝ち取ったハンスとの婚約を、国王と王妃がいるこの場で破棄すると宣言したのだ。
「貴方は私自身には一切興味が無いのです! 第一王女の夫、将来の国王という地位と王家の財産にしか興味が無いのですから!!」
それを聞いたハンスはポカンとした。
一体何を言っているのだろうと困惑する思いが顔に出ていた。
「い、いや違う」
「何が違うのですか!」
追求するフローラの瞳から涙が零れた。
生まれて初めて恋をして、会える日を今か今かと待ちわびて、会えない寂しさを手紙で紛らわせ、ようやく両親を説き伏せて愛する人との婚約をもぎ取ったと思ったのに……。
それなのに自分が好きになった人は、自分のことを好きではなかった。
好きだったのは、私と婚姻すると付いて来る、次期国王の椅子だったのね……。
あまりの切なさに彼女は下を向き、目をつむって涙を零した。
流れた涙は、胸元が大きく見えないように仕立てられたドレスの布を濡らした。
「違う! 違います!」
訴えに驚いた彼は、彼女の涙を見た途端我に返ったのか、敬語も忘れてフローラの主張を否定する。
「エリーゼが私の目を覚ましてくれたのです。彼が胸を見ない理由に心当たりがあると……」
国王と王妃が状況を見守る中、付き添いを頼まれて立ち会ったエリーゼがこのやりとりに口を挟んだ。
「貴方は魅力的な殿下に興味が無いから、視線が胸へ泳ぐこともないのでしょう。普通の男性であればそんなことはありえません。つまり、貴方は男性がお好きなのです。そもそも女性に興味がない。だから、殿下自身に興味がない。興味があるのは次期国王の椅子だけなのです!」
「女性に興味がない……?? わ、私が男性を好きだと?」
このエリーゼの主張を聞いたハンスは、目を大きく見開いてエリーゼが何を言っているのか必死に理解しようとしているようだった。
「さあ、諦めて婚約破棄を受け入れなさい! クライスト男爵令息!」
確信した様子のエリーゼは、何かハンスに恨みでもあるかのように詰め寄る。
「お待ちなさい!」
ここまで様子を見ていた王妃ミリアが、良く通る声でエリーゼを制してから、ハンスの方を向いて問いただす。
「女性に興味が無く男性を好き。もし本当なら面白過ぎる展開ですわね。確かに男性の目を引き付けるフローラを相手に、完全に己を律せるなど考えにくい。ハンス。貴方は先日、私たちの娘を娶りたいと婚約を申し出ました。なのに実は男性を好きとあっては、世継ぎを求める王家にとって大きな裏切りになります。申し開きがあるなら言いなさい」
婚約破棄を進言したのは、幼少の頃よりフローラと付き合いのあるエリーゼ。
長年の信頼から彼女の意見がうのみにされても仕方がない状況で、王妃はことと次第によっては懲罰ものだと、ハンスにわざわざ忠告してから問いただしてくれた。
王妃が弁明のチャンスを与えたからか、王妃の何かを促すような目を見たハンスは表情を変えた。
「こ、このような場で私の性的嗜好を告白することをお許しください」
ハンスの宣言を聞いたフローラが口に手を当てて小さな悲鳴を漏らす。
エリーゼはフフと笑いを漏らすと、目を細めて彼をみつめた。
思わぬ指摘をされたハンスは、潔白を示すために何故自分がフローラの大きな胸を少しも見ないのか、その告白を始めた。
「私は大きな胸の女性が、殊のほか大好きなのです」
この告白に皆が言葉を失った。
そして、誰もが意味が分からないと疑問の表情をした。
なぜなら、大きな胸が大好きだと告白したハンスは、とても大きな胸のフローラを前にして、全く胸を見ないのだから。
「時折田舎から王都へ出てくる私は、二年前に偶然フローラ様を拝見しました。建国八十周年式典のときです。そのとき初めて拝見したフローラ様のお姿はお美しかった。まるでこの世に女神が降臨されたと思ったほどです」
昔の自分の想いを語るハンスは、そのままフローラの方を見た。
彼女は嬉しそうにしながらも、彼が次に何を語るのかを待っている。
「あの頃すでにフローラ様の胸は大きかった。別にただ胸が大きいというだけではありません。お美しいフローラ様が大きい胸をされていたから、その合わせ技で私は一目惚れしました」
ここまでは、ただ容姿に惚れたという話である。
王妃ミリア、王女フローラ、エリーゼ公爵令嬢は、この先に話が続きそうなので静かに聞いていたのだが、国王ロレンツが話を遮った。
「分かる! 分かるぞ! ハンスよ!」
心の声がうっかり出てしまったのか、国王は喋った後に口を手で塞ぐ。
それを聞いた娘のフローラは冷めた視線を送り、エリーゼまでが微笑みを消して一瞥した。
なぜかミリアだけが、いたずらっ子を見るような優しい目でロレンツを見てからハンスに先を促す。
「その先を続けて」
「はい、私はこのような恋をして不幸だと思いました。相手は王女様。どんなに想い焦がれても叶うことのない恋なのですから。それなのに夜も眠れぬほどの恋を患ってしまった。ところがです。一年後に、シュルツ・ハートリン様の付き添いでフローラ様にお会いすることになったのです」
「それが私としたあのお茶会なのですね?」
「はい。私は最初で最後の機会と思いましたが、だからこそフローラ様が不快な気持ちにならぬよう細心の注意を払いました。自分の好きな人から嫌われるほど辛いことはありませんから」
今度はエリーゼが、ハンスに汚らわしいと言わんばかりの視線を向けて、彼の言動にツッコミを入れる。
「貴方の話には矛盾があります! さっき大きな胸の女性が好きと言いましたよね! 殿下にはどんな男性の視線も引き付けてしまうほど魅力があるのに、殊のほか胸をお好きな貴方がちょっと注意するだけで、見ないで済むとは到底思えませんのですけど!」
エリーゼを一瞥したハンスは、口調を少し強くして彼女の言葉へ回答する。
「だから私はフローラ様のいる部屋に入る前から、お会いしている間中ずっと、腕や太ももに傷をつけて痛みで気を逸らしているのです」
彼は左腕の袖をまくって見せた。
そこにはおびただしい傷やあざの跡があった。
真っ青に変色した部分が広がり、傷には血がにじんで治っていない傷跡も多い。
それを見たこの場の皆が絶句した。
ちょっとやそっとでは動揺しないクロトアさえ、その有様を見て表情を変えたほどだ。
「いつも右手で、左腕や右足のももを触っているとは思っていましたが……」
このような場で口を開くことのないクロトアが、独り言を漏らした。
「ええ、太ももはもっとひどい状況です。流石にお見せはしませんが」
「ご、ごめんなさいハンス様……。私のせいでこんな酷いことに。私が男性の目線を気にしているなんて言わなければ……」
「フローラ様、違うのですよ。初めてお会いしたときから自分で始めたことなのです。貴女をいやらしい目で見たくない。ただその気持ちだけだったのです」
王妃ミリアが頷く。
「ハンス、よくわかりました。それからフローラ! ちょっと前までハンスに夢中だったあなたが、急に疑心暗鬼になるには理由があるでしょう」
そう言って王妃がエリーゼを見る。
彼女は震えあがってフローラの陰に隠れた。
フローラがエリーゼをかばう。
「今回の騒ぎは私に責任があります。エリーゼにはいつも相談はしていましたけど、決断したのはいつも私です」
「そうですね。貴女の罰は後で決めましょうか。でもね、別の報告が上がっているのですよ」
ミリアがそう言うとクロトアが跪いて書類を渡した。
「婚約者候補としてこれまで面会した王都の貴族令息は六十人。これら全てが一回の面談で候補から外れています。聞けば胸を見たという理由だけで、エリーゼが全員にバツを付けて、フローラが承認したと!」
ミリアが書類をパンパンと手の甲ではじく。
フローラとエリーゼは王妃の剣幕に縮こまった。
「しかもです。私も昨日知ったのですけど……」
そう言って、王妃がもう一枚の書類に目を通しながら説明する。
「ハンスが王家入りするのにふさわしいか調査して判明したのですけど、彼の妹がエリーゼの実家で上級メイドとして勤めていて、なんとその妹にエリーゼが手を出そうとしたらしいのです」
情報量が多く皆が混乱したようだが、誰もが次々と顔色を変える。
「な、なんてことだ。困った家主がいて逆らったら待遇が酷くなったとは言っていたが、女性が女性に手を出すなんて……」
妹の窮地にハンスが悲壮な顔をする。
「安心なさい、未遂ですよ。でも、他のメイドは手遅れみたいですが」
王妃ミリアはそう言うとフローラを見てからハンスを見た。
ハンスの悲壮な顔を見たフローラは慌ててクロトアに指示を出す。
「クロトア、ハンス様の妹君に別の働き先を手配して」
「承知しました」
頷いた王妃はより一層厳しい顔をすると、今度はフローラを見た後、エリーゼを見る。
これは私が蒔いた種だわ。
だから私が刈り取らなければいけない……。
将来は王妃になるんですもの。
でも、信じていたものを断罪するのは、まるで心を自らで削り取るよう……。
それがよりにもよってエリーゼだなんて!
……だとしても、私がしなければならない。
私がけじめをつけて、彼へ非礼を詫びなくては。
「エリーゼ」
「ひっ」
初めて聞くフローラの強い口調にエリーゼは後ずさる。
「貴女は次期国王となる前提で婚約したハンス様について、嘘の報告をしました。その嘘を理由に彼との婚約破棄という重大な進言をしました。決断は私であっても、嘘の報告で決断を誤らせて重大な問題を引き起こそうとすることは、国家への謀反といえます」
「そ、それはフローラ様を、す、好きだから……」
「その好きというのも、私を性の対象として見ていたのですね。頻繁に私の体へ密着してくる件、先ほどのメイドに手を出した件、面会で男性六十人を私から遠ざけた件で理解できました」
「い、今まで通り二人で一緒にいましょう? 男の人なんて不要です。ね? ね? お願いします、殿下!」
エリーゼは潤んだ瞳で私のことを見ていた。
ここでエリーゼを許してはいけない。
彼女を許すということは私が過ちを認めないということ。
「私は私の罰を受けます。でも、貴女も罰を受けなくては」
そう言ってフローラは王妃ミリアのことを見る。
ミリアは国王ロレンツの方を見た。
「え!? そんなとこだけわし? むう。そ、それでは……。エリーゼよ。次期国王となる婚約者を詐称により追放しようとした行い、規模は小さいながらも国家転覆の企てと判断する。ただし、企みが未達で終わったことから、通常の死罪、終身刑ではなく、終身に亘り王都への出入りを禁ずる。地方都市にて健やかに過ごせ。以上じゃ」
「ありがとう存じます、お父様。クロトア、彼女を連れて行って。ハンス様の妹君も頼みましたよ」
クロトアがエリーゼを連れていく。
彼女は名残惜しそうに振り返り、フローラを見てから出て行った。
さようならエリーゼ。
今までありがとうね。
エリーゼを見送ったフローラは正面に向き直る。
そこにはハンスがいた。
彼はフローラを見つめていた。
フローラはハンスを見つめると丁寧に謝罪の言葉を述べる。
「ハンス様、申し訳ありませんでした」
「フローラ様、お顔を上げてください」
優しいハンスの声に胸が詰まる。
私は彼に酷いことを言ってしまった。
二人で築き上げた愛をぶち壊してしまった。
吐いた言葉は元には戻らない。
このままだと、彼は私の元を去ってしまう。
嫌。
それだけは嫌なの。
どうしたら彼を失わずに済むの?
再び涙が瞼に溜まる。
でも、今度は自分を哀れんでいるのではない。
愛しい人の大切さに気付かず、慎重さもなく、一時の感情で取り返しのつかないことをしてしまったから。
この人を失いたくないという後悔の念から涙が流れた。
この人を失いたくない。
フローラは瞳に涙を溜めたまま表情を引き締めた。
「先程の婚約破棄は取り消したいのです。
勘違いでは許されない程の失礼だったことは分かっていますが、それでも、これからもずっと私は貴方と一緒に居たい。
私のことを許して欲しい。
どんな罰も受けますから。
改めてお願いいたします。
どうか私をもらってくださいませんか?」
そのフローラの気持ちをしっかりと全身で受け止めたハンスは、今度は自分の気持ちを丁寧に彼女へ受け渡す。
「私は貴女とともにいられるなら、どんな困難も乗り越えられる。
今日のこの出来事も腕や足の傷も、それで愛しい貴女と生涯を共に過ごせるなら、もう私にとって感謝すべきものです。
どうかこれから、二人一緒に人生を歩んでもらえますか?」
「は、はいっ!!」
笑顔で返事をしたフローラの頬に流れた涙が輝いていた。
彼を失いたくなくて流したはずの涙は、これからも一緒にいられることへの感謝の涙になった。
二人が嬉しそうに微笑み合い、それを見ていた王妃は満足そうに頷いて口を開く。
「誰かに頼り切りで生きてきた貴女が、何が真実か見極めて初めて自分で決断しました。これが出来たのはハンス・クライスト、貴方の存在によるもの。王家との婚姻に望ましい地位、名誉、財産を、貴方は正直持ち合わせていません。が、かけがえのないこの国の王女フローラが、王妃としてより大きな存在になるには、貴方の存在が必要不可欠でしょう」
ミリアがロレンツに視線を送ると、国王は小さく頷いて宣言する。
「これより、今まで国民へ表明していなかった二人の婚約を正式に発表する」
フローラとハンスは手を取り合って喜んだ。
何かに気付いた表情の王妃ミリアが付け加えた。
「フローラ! 貴女、罰を受けるのでしたね。今までの面会で簡単にバツを付けた名だたる王都貴族の令息六十人へ、丁寧に婚約のあいさつ文を書きなさい。ハンスと出会う切っ掛けになったハートリン家にもよ」
最後に、大変だけど温情のあるお仕置きが来て二人は苦笑いした。
二人は、国王ロレンツと王妃ミリアに丁寧に感謝の言葉を述べてからその場を辞去する。
いつものお茶会用の部屋に戻ると、甘いムードを漂わせながら見つめ合った。
「ねえ、ハンス様」
「なんでしょう?」
フローラは大好きなハンスが喜ぶ顔を見たいから、もう胸への視線を我慢しないで欲しいと思った。
彼女にとって、今まで強かった胸へのコンプレックスよりも、彼への愛が上回っているので我慢なんてさせたくないし、それに今後はあんな傷を増やして欲しくない。
「愛する貴方からなら、胸に視線を向けられても平気なのですよ」
それを聞いたハンスは顔を赤面させて首を横に振った。
「無事婚姻して夫婦になってから、ドレスなどの遮るものを無くして、思う存分成し遂げますから」
それを聞いたフローラはこれ以上ないほど顔を赤くしたが、本当に幸せそうにうっとりと彼の目を見つめた。
了
お読みいただき、本当にありがとうございました。
読後に少しでも余韻を感じていただけましたなら、それだけで幸せです。
胸に視線を向けてくる男性はご遠慮してましてよ ただ巻き芳賀 @2067610
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