赤いきつねと緑のたぬきと、除夜の鐘
ninjin
赤いきつねと緑のたぬきと、除夜の鐘
「おーい、伊藤ちゃん、そろそろ店頭のカップ麺、それから3段ラックとかも下げて良いよ」
「はーい。って言っても店長、もうあと緑が1ケースと3個、赤い方がちょうど2ケースしか残ってないですよ。もう出しっぱなしで良くないですか?」
俺は腕時計を確認して、暫し考えてみた。
閉店まであと30分、そして年が明けるまであと1時間半・・・か・・・。
要は、早いところ片付けを済ませて、俺は早く帰りたいのだ。閉店後5分で店を出たい、『ゆく年くる年』くらい、俺も自宅で視たいのだった。
現在の時刻、大晦日の22時30分、店内に客は居らず、居るのは俺(店長)と学生アルバイトスタッフの伊藤くん、二人きりなのだ。
通常(昨日まで)営業時間は、10:00~24:00なのだが、今日、大晦日は一時間前倒しの23時閉店の指示が、本部から出ていた。
この一時間前倒し閉店には、一言も二言も思うところがある。
何故、『たったの一時間』の前倒しなのか?
だってそうだろう。実際に、今現在、店内の客はゼロなのだ。然もそれが予想できたから、従業員は俺とアルバイトの二人だけだし、まんまと予想通りになっているので、二人で暇を持て余している状況なのだ。
もう日本国民の大半は、自宅で『紅白』、若しくは『絶対に笑ってはいけない~』をテレビ視聴してるに決まっている。
同じチェーンの他店では、殆どの店舗が午後9時閉店しているというのに、何故だかウチの店だけは午後11時閉店という、差別というか嫌がらせとでもいうべき扱いなのだ。
勿論立地の問題であることは理解している。駅前のドラッグストアと郊外のドラッグストアでは、客層も違えば最大集客時間帯も異なる。
にしてもだ、大晦日の午後9時以降にドラッグストアに用事がある人間なんて、そうそう居るものではない。予想も出来たし、そのことを担当スーパーバイザーと部長にも申告し、ひと月前には他店同様の午後9時閉店を打診はしたさ。
答えは『NO』。『却下』。
駅前徒歩5分の立地で、電車が動いている時間帯は店舗を開けておくべきだという、一体誰得なのか、意味の分からない理由で、僅か一時間だけ閉店時間が繰り上がった。
本気で『電車が動いている時間帯』に店を開けておくのであれば、普段も深夜1時まで営業すべきだし(やりたかぁないが)、大晦日に至っては初詣ダイヤの兼ね合いで、24時間営業にしなくちゃならない筈なのだが、そこはそうはならない。
スーパーバイザー曰く、
「飯沢店長も、大晦日くらい早く帰りたいだろうから、年内に自宅に帰れるように、午後11時閉店で良いよ」
何なのだろう、この恩着せがましい言い様は。
しかし、言い方がどうであろうと、決定事項は決定事項であって、それ以上俺が何を言ったところで、午後11時の閉店時刻は変わることはないだろう。会社なんてそんなもんだ。
反論して自分の意見をその場で主張したところで、時間の無駄であると同時に、その先上司から「面倒臭い奴だ」と思われるだけなのだ。
勿論腹の中では納得もしていなければ、従順な気持ちなんてものはこれっぽっちも無く、『上司も会社もバカばっかりだ』、そんなことを考えていた。
それでも波風を立てることを好まない俺は、「分かりました、ありがとうございます」と、可笑しな作り笑いを浮かべて了承したのだった。
一度は伊藤くんに「片付けて」と言ったものの、俺は少し考えを変えた。
カップ麺なんて軽いものは、最後の最後に片付けても良いな。然も、年越しそば需要のある今日までが『広告の品108円』であって、明日、元旦に148円の定番価格に戻ってしまったら、売れる訳がないだろう。
あと30分しかないが、若干でも在庫は減らした方が良いような気がした。
ま、売れなくても仕方ないが、出してりゃ間違って売れるかもしれない。
「うん、そうだな。やっぱ伊藤ちゃん、緑と赤いのはそのままで良いや。先にトイレットペーパーとティッシュのカゴ車、カップ麺だけ残して、それ以外のラック、それから店頭と店内のゴミ箱片付けちゃおっか。俺、レジに入って精算の準備するわ」
「了解っすぅ」
そう返事をした伊藤くんは、早速店頭に出て片付けを始める。
俺も事務所でコインカウンターと現金チェックシートを準備してレジに入った。
どうせお客も居ないのだ。レジ3台の内、2台は締めてしまって、残りの1台も数字の入力までしておけば、あとはボタンを押すだけで、1分でレジ精算作業は完了させられる。
そして事務所に戻ったら、金庫入金と日報印刷を俺がやっている間に、伊藤くんにはシャッターを下ろさせ、戸締り、冷蔵庫の温度管理チェックをやって貰えば、23時05分には店を出られる算段だ。
先に2台分のレジ精算を済ませ、三台目の紙幣と硬貨の数をチェックシートに書き込んでから腕時計に目を遣ると、22時45分。
このままお客は誰も来ずに閉店かぁ・・・。ま、今入って来られても嫌だけど・・・。
その時だった。
「店長居るぅ?」
聴き慣れた、あまり耳障りの宜しくない掠れてどすの利いた男の声。
あちゃぁ、こんな日、こんな時間に来るんじゃねぇよ。死ね。
俺は本気でそう思ったが、そんなことは
「どうしたの?やまちゃん」
俺から『やまちゃん』と呼ばれた男は、歳の頃は俺と同じ三十代半ばか、それより少し上くらいの感じで、出で立ちは、この年の瀬、くそ寒い中にも拘らず、おかしな
近くの
「おお、店長。良かったよ、開いてて」
この男はどういう訳だか俺に懐いていて、いつも話が長くなる。
まぁ懐いている理由としては、俺がこの店に赴任して来た2年前、何だかよく分かんないが、俺が薦めた薬がバカみたいに効いことが原因らしい。
出会った当初は、流石に俺もこの強面の男にちょっとはビビり、苦手な客だと思っていたが、今となっては、ただのちょこっと面倒臭い程度のお客だ。
普段であればそんな輩もどうということはない。話に付き合ってやるのも
しかし、予想に反して、慌てた様子でやまちゃんはこう言うのだった。
「店長、あそこのカップ蕎麦とうどん、1ケース何個入り?」
「確か、12個だけど」
「1、2、3・・・で・・・32個かぁ、うん足りる」
「違うよ、36個だよ」
「あ、おお、そうだった。あれ、3箱、全部くれ」
「あ、ああ、3ケースね。おーい、伊藤ちゃん、緑のやつと赤いやつ、ケース全部持って来て」
「はーい」
伊藤くんがバカ真面目に3ケースをレジの俺のところまで運んでくるのを見ながら、俺はこう思う。
バカ、何で残りの3個も持って来ないんだよ。売り切っちゃえば良いじゃねぇか、と。
「お会計、4199円、頂戴しますね」
「おぅ、端数、9円かぁ・・・じゃ、5010円で」
「・・・変わんねぇよ」
やまちゃんは俺が言った「変わんねぇよ」の意味が分からなかったらしく、5010円を出し、そしてお釣りの811円を受け取ると、「ありがとう、ほんと、開いてて助かったよ」、それだけ言って、カップ麺のケースを抱えて店を出て行った。
俺は呆気にとられながらも、再度腕時計を確認する。
22時52分。
「店長、片付け、ほぼ完了しましたぁ。あと、何かやること有りますかぁ?」
「お疲れさん。ああ、そうだな、店頭に出てさ、バスケのガードみたいにやっとけよ。これ以上、お客さんが入って来ないようにさ」
「わっかりましたぁ」
伊藤くんはふざけて本当にバスケットのガードみたいな動きをしながら、再び店頭に向かう。
「バカ、本気でやるなよ」
「分かってますって。けど、何だったんスかね、やまちゃんさん。あんなに慌てて」
「何だったんだろうな?ま、でも良いだろう。片付ける手間が省けたし。3個残ったけど」
俺は残った3個の緑のたぬきをレジで打ち、自らの財布を取り出して会計した。
それから最後のレジの修正金額を打ち込み、そしてそのまま、何事も無く、閉店時間を迎えたのだった。
23時05分、予定通りだ。
SECOMをセットして、最後の施錠をした俺は、扉の外で待つ伊藤くんに「お疲れぇ。来年も宜しくぅ」と言って別れ、駅に向かう。
おや、駅前に何やら行列が出来ている。何だろう。
その先頭で、こちら側を向いているのは、やまちゃんじゃないか。
簡易の長机に、先ほどまでウチの店の店頭に並んでいた、赤いきつねと緑のたぬきが並べられ、どうやらお湯を注いで並んだ人たちに1杯ずつ渡しているようだった。
あこぎな商売してやがるな。108円が一体幾らに化けてるんだ?
しかし、そんな
そして、その人々の身なりは、お世辞にも綺麗とは言えない。いや寧ろ薄汚れているのだ。
要はこの辺りの住所不定の、所謂『浮浪者』だった。
カップ麺を手にした背中の随分と曲がった老人?(身なりが身なりなので、本当のところは分からない)が、同じ仲間と話すのが少し聴こえた。
「まだまだ、世の中捨てたもんじゃないねぇ。温かいそばを年越しにタダで食わせて貰えるなんて・・・」
俺は慌てて小走りにやまちゃんの陣取るテーブルに駆け寄り、自分の鞄から先ほど買った緑のたぬきを3つ取り出して、長机に追加で並べる。
「やまちゃん、手伝うよ」
やまちゃんは少し驚いた様な表情をして見せたが、「お、店長、助かるよ。そこの七輪にかかってるヤカン、もう沸いてるから取って貰って良いかい?」、そう言いながら、目の前で待つ人々のカップに、お湯を注ぐのだった。
「なんか、こっ恥ずかしいとこ、見られちゃったな」
「そんなことないさ。やまちゃん、良い人なんだな・・・」
果たして幾つ目だかは分からないが、除夜の鐘の「ゴォォォン」という音が、随分と遠くから聴こえた気がした。
おしまい
赤いきつねと緑のたぬきと、除夜の鐘 ninjin @airumika
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