第38話 ささやかな幸せ

 

「あれ、トナカイとサンタさんかな」


 道の傍にライトで描かれたイルミネーションを指さしながら「可愛いね」と言葉を零す間宮に小さく頷きながら、俺も視線を奥へと送る。


 イルミネーションに彩られた一本道。

 反対側から来る人たちもいたが、俺たちのことは意識外なんじゃないかと感じてしまうほど二人だけの世界に入っているために、あんまり気にはならなかった。


 あまり道幅も広くはないので、邪魔にならないように俺と間宮の距離感は歩いている最中に腕と腕が当たるくらいには近づいている。

 手も繋いだままで……緊張で手汗をかいていないか心配だ。


 それでも過度な緊張をしないでいられるのは、楽しそうにイルミネーションを堪能する間宮が隣にいるからだろうか。

 それとも、繋いだ手から伝わってくる、じんとした熱のおかげか。


 どちらにせよ、本人相手に素直には言えない内容であることに変わりはない。


「アキトくん、もしかしてまだ緊張してるの?」

「……なんていうか、場違いだなって」

「そんなことないよ。私たちもちゃんとここに溶け込んでる。そもそも、他の人だって自分たちのことに夢中だし」


 だからさ、と。


 唐突に間宮は手を解き、それから指を絡めて結び直す。

 意識させるように、間に隙間が開かないよう、ぎゅっと。


「……ユウ?」


 思わず怪訝に眉を寄せて訊いてみれば、目を細めながらの笑みが返ってくる。


「いいじゃん。他の人もこうだし」

「よそはよそ、うちはうちだと思うんだけどな」

「……アキトくんが嫌ならやめるけど」


 言葉ではそう言っているけれど、間宮は続けたいと示すように上目遣いをしながら、さらに身体を寄せてくる。

 厚い衣服が間にあるから直接的な感覚としては弱い。

 だけど、このくらいの距離感にいても苦ではないと伝わるのが、むず痒くもあった。


 個人的に言えば今の手の繋ぎ方――俗にいう恋人繋ぎなんてものをするのは、かなりの気恥ずかしさと申し訳なさを伴う。

 俺が間宮からの告白に対して頷けていないこともあるし、なによりここでは人の目が少なからずある。

 二人きりだったらいいかと聞かれるとそれも違うと首を振ることにはなるのだが。


 それでもクリスマスイブという特別な日に、わざわざ間宮に時間を取ってもらっているのだから、なるべく望まれたことはしたいという思いもある。

 幸いなことに慣れてきたからか、間宮と手を繋ぐこと自体には明確な拒否反応もない。

 面倒だな、とは思うけど、それはそれ。


「嫌ではない、とだけ」

「こういうのは素直になってくれた方が嬉しいのに」

「遠回しにひねくれてるって言われた?」

「真っすぐではないよね」


 的確な指摘に何も言い返せず、勝ち誇ったように笑む間宮。

 元より口で勝てるとも思っていなかったため気を取り直して先へ視線を伸ばせば、前から手を繋いで歩く男女がやってくる。

 彼らも当然のように恋人繋ぎで、手馴れた雰囲気を漂わせながら俺たちの横を通過していく。


「ね? これくらい普通だし、誰も気にしないでしょ?」

「…………なんかこれだと本当に恋人同士に思えて落ち着かないんだよ」

「今はまだ友達だから気が引けるってことね」

「まだ、は余計だ」

「バレちゃった」


 軽口を交わして緊張を解しつつ、出口に向かって歩き続ける。


 道を彩るイルミネーションを眺めて、写真を撮って、笑い合う。

 当たり前のようで、普段とは一味違う二人だけの時間は、クリスマスイブというだけではないほど特別なもののように感じられた。


 きっとこの思い出はいつまでも色褪せず、鮮明な記憶として残り続けるんだろう、なんて思いながら、イルミネーションを背景にして微笑む間宮を写真に収める。


「暗いとフラッシュが眩しく感じちゃうね」

「目をつぶっても取りなおせばいいだろ」

「そういうのをアキトくんに見られるの、なんか嫌。絶対変な顔になっちゃうし」

「それ以上に変なことをしている自覚はないんだな」

「……ここで脱ぐのはちょっと恥ずかしいしアブノーマルが過ぎるんじゃないの?」

「誰も脱げとは言ってないしいつも自分から脱いでるだろ」


 まるで俺が悪いかのようにジト目で見てくる間宮に否定を返せば、誤魔化すためか俺の手からスマホを取って画面を確認した。

 そして満足そうに頷いて、


「綺麗に撮れてるね。後で送ってあげるから」

「……好きにしてくれ」


 こういうのは断っても送ってくると知っていたため適当に流せば、互いに会話を繋げなかったからか不意に沈黙が訪れた。

 気まずいとは感じず、冷たい夜風だけが吹き抜けていく。


「……ねえ、アキトくん」

「なんだ?」

「どうして人は誰かを好きになるのかな」

「哲学の話ならわからないぞ」

「そういう趣旨じゃないってわかってて言ってるでしょ。ほんと、酷い人だよね」


 はあ、と吐かれたため息。

 呆れられているのだろうか。


 しかしそれに反して、間宮は俺の左腕に抱き着いてくる。


 急な行動には反応できず抱き着くことを許してしまう。

 間に厚い服があるから感覚としては鈍いものの、このままだとよくないのは確か。

 かといって強引に引き剥がすことも躊躇われ――最終的に抗議の視線を送るだけに留まった。


「ごめんね、急に。抱き着いてみたくなっちゃったの」

「抱き心地は悪かっただろ」

「服があるからね。でも、すごい安心する。このまま抱き枕として家に持ち帰りたいくらい」

「冗談だよな」

「そんなわけないでしょ? 私はアキトくんのことが好き。前よりも、その想いは強くなってる。誰の目もないと自制が効かなくなっちゃいそうなくらい」


 ぺろり、と赤い舌を出して見せる間宮。

 ……えっと、もしかして俺、今ピンチ?


「離れてもらってもいいか」

「引き剥がしたらいいんじゃない? 私の身体を好き放題触ってさ」

「わざといかがわしい言い方をするな。で……なんだよ」

「なにが?」

「こんなことをしてまで俺に聞かせようとした話は」


 わかってるんだぞ、と目線で訴えれば、間宮は小首を傾げて薄く笑う。

 間宮は自ら離れて佇まいを直し、真正面に立つ。


「あのね、私、もう待てなくなってるの」

「俺の返事を、ってことだよな」

「日に日にアキトくんを好きな気持ちが大きくなって、私の胸で途方もない熱を帯びてる。もうどうにかなっちゃいそうなくらい、熱くて仕方ないの」


 組んだ両手を左胸に当てて、浮かべる表情はどこか切なげ。

 けれど視線と声に込められた熱量だけが、冬の寒さを遠ざける。


「だから……ごめんなさい。また伝えさせて。そして、今のアキトくんの答えが欲しい。前と変わっていなくても」

「…………ああ」


 だから、俺は頷くことしか出来なくて。


 目の前で深呼吸をする間宮を、俺はどんな目で見ていたのだろうか。


「――私は、アキトくんのことが好きです」

「…………」

「私の全部を知って、それでも私を信じてくれる……とても優しい人。私はそんな優しさからくる行動と想いに何度も助けられた」

「…………」

「私はアキトくんを信じてるから。理由付けに使っている写真がなくても。アキトくんが私を信じられなくても、私がアキトくんの分まで信じるから」


 耳に入ってくる言葉が、古い傷跡を癒すように温かい。

 間宮には嘘をつく理由がないし、そんなことで誰かを傷つけられる人ではないことを知っている。


 だから、俺も間宮を信じている――と言いたい一方で、冷たく囁く声がある。


 その『信じてる』を、お前はどれだけ信じられるのかと。


 結局、俺の心はまだ曇ったままで、真実を遠ざけようとしている。

 たとえそれが過去をひっくり返す可能性のあるポジティブなものだとしても。


「――アキトくんの答え、聞かせて欲しい」


 一点の曇りもない瞳。

 神秘性すら感じる夜闇を照らす色とりどりのイルミネーションに飾られた間宮の微笑みは、夜空にひっそりと浮かぶ月のようで。


 どんなイルミネーションよりも魅力的な笑顔を前にしたまま黙考し――申し訳なさを胸に湛えたまま首を横に振った。


「……ユウが好きだって言ってくれることは嬉しい。それに応えたい気持ちもある。……でも、まだダメなんだ。口では信じるって言っていても、完全には信じ切れないと心のどこかでは思ってる」

「……そっか」

「ユウは何も悪くない。それだけはわかっていて欲しい」


 間宮の好意を素直に受け取れないのは未だに女性不信を拗らせているからで、それ自体は間宮と何一つ関係ない。

 よって悪いのは全面的に俺。


 だから間宮が気に病む必要はないという意味での言葉だったのに。


「……アキトくんも、何も悪くないんだよ」


 どうして、自分のことのように悲しそうな顔をしてるんだよ。


 ……なんだよ、これ。


 胸が痛くて、無性に寂しくて、目の奥が熱い。

 渦巻く感情を間宮の前だからと押し隠そうとして、でも上手く処理できなかった結果、自然と涙が瞼から溢れてくる。


「ごめん。もう、見てられない」

「――っ」


 泣いているのを見られないよう顔を背ける前に間宮が伸ばした両手によって頭が胸へと引き寄せられ、すとんと柔らかに着地した。

 この体勢が何を意味するのか瞬時に判断を下すも、抱き寄せる力には逆らえない。


 鼻孔をくすぐる、ほんのりとした甘い香り。

 その奥にあるものを意識して体温が上がる感覚があったが、コートの生地によって緩和されているおかげか触り心地のいいクッションだと自分を誤魔化せなくもない。


 どうしようもなく落ち着いてしまうのは人間の本能なんだろうな、なんてこじつけをしながら突然胸を満たした感情をなだめる。


 やっとのことで落ち着いてから、


「……前もやったよな、こういうの」

「そうだね。落ち着くでしょ」

「………………まあ」

「私の心臓の音、聞こえる?」

「聞こえないな」

「それは残念。乱れ切ったリズムを聞けたのにね」


 声と一緒に頭を撫でる間宮の手つきは、凍り付いた心までもを溶かしてしまうくらいに優しく、人のぬくもりに満ちていた。


 それでも言葉から推測するに、間宮は絶賛ドキドキ中であって。


「……ありがとう」

「どういたしまして」


 言葉を合図に間宮の胸から解放されて、少しだけ気まずさを感じながらも向き合う。

 絶対に涙の痕が残っているであろう顔を見せたくないな、なんて思いながら、それをみたところで間宮の気持ちが変わることもないだろうと頭の片隅で考える。


 たったそれだけの、世の中の大半の人が当たり前にしていることが俺からすると進歩で、自分の歩みの小ささに思わず苦笑が漏れてしまった。


「それにしても、やっぱりダメなんだね」

「……それに関しては本当にごめんとしか」

「いいよ。だって、まだ・・って言ってたから」

「言葉の綾だな」

「誤魔化さなくてもいいのに。誰が損をするわけでもないんだからさ」


 これは口を滑らせたかな、と今更ながら後悔を覚えたが、ひとまず置いておく。


 明確に認めたくないだけで間宮のことを意識はしているし、好ましい相手だとも思っている。

 少なからずそう思っていなければ誘われたからといってクリスマスイブに二人で出かけよう、なんて誘おうとは思わない。


 ただし、その想いが友達に対するものなのか、はたまた男女の関係……恋愛感情としてのものなのかまでは判別がつかない。


 間宮の想いに対して応えるためには女性不信を改善する必要がある。


「……アキトくん。期末テストで目標達成した報酬の、小さなお願いの権利使ってもいい?」

「俺に何かさせる気なら内容による、とだけ先に言っておくからな」

「そこは何も言わずにうんって言うところじゃない?」


 むーっと口先を尖らせつつも、視線を右往左往させながら落ち着きのなくなる間宮。

 間宮がこんなにもどっちつかずの態度をとるのは珍しい。

 それを面白いな、なんて思いながら眺めていると、遂に覚悟が決まったのか「よし」と呟いて、


「――せめて一つくらい、思い出が欲しい。聖夜には似合わない、失恋の苦い気持ちを忘れられるような……ささやかな幸せが」

「……どうしろと?」

「そこは藍坂くんの裁量次第ってことで」


 抽象的な要求だけを伝えて、間宮は両目を瞑って完全に待機の姿勢に入った。


 ……これ、本当にどうしたらいいんだろうか。


 下手な真似は出来ないし、何もしない選択肢も存在しない。

 間宮は余程のことがなければ俺を拒絶はしないだろうけど、逆に俺が間宮にできることは限られている。


 間宮は思い出が欲しいと言っていた。

 クリスマスイブにはふさわしくない、俺のせいでもある失恋という記憶を上書きするような優しい記憶。


 自然と伸びた両手が間宮のマフラーが巻かれた首の後ろへと回った。

 少しだけ留まってしまうも、意を決して華奢な身体を傷つけないように抱き寄せる。


「……これくらいしか思いつかなかったんだ」


 咄嗟に出た言い訳をすれば、非情に落ち着いた様子のまま間宮は身体を俺へと預けて笑っていた。


「折角なんだからキスくらいすればよかったのに」

「嫌だ」

「そんな露骨に拒否されると私も傷つくんですけど」

「……普通に考えて付き合ってないのにキスとか、無理だろ」

「アキトくんはピュアだね。でも、大切にしてくれてる感じがして安心する」


 もっと、と催促するように頬ずりする間宮。

 それに応えるべく、右手で恐る恐る間宮の髪に触れ、なるべく崩さないように注意しながら撫でていく。


「……こんなのでよかったのか?」

「うん。これくらいが丁度いい。手に入りすぎず、何もないわけじゃない。ちゃんとアキトくんの気持ちは伝わってる」


 間宮の両腕が俺の背中に回って、ただでさえなかった距離が互いの息遣いすら鮮明に聞こえるほどにまで縮まる。

 動揺しながらも引き続き間宮の頭を撫でていると、その頭に白い小さな粒がふわりと乗っかっていた。


 顔を上げれば夜空から白い粒――雪が降り始めていることに気づく。


「ユウ。顔を上げてくれ。面白いものが見られる」

「――すごい。ホワイトクリスマスだね。綺麗……っ」


 花が咲いたような笑顔の間宮と一緒に空を見上げ、感嘆の声を漏らす。


「これなら思い出に残るんじゃないか?」

「そうかも。今日一日は全部、アキトくんからのクリスマスプレゼントだね」

「メリークリスマス。ユウ」

「メリークリスマス。アキトくん」


 言葉を交わして、突き合わせた笑み。


 優しく暖かい時間に身も心も浸るように、雪が降るほどの寒さすらも忘れて淡い幸せの時間を二人で噛み締めるのだった。


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これにて二章完結となります。長らくお付き合いいただきありがとうございました!三章に関しては開始時期が未定ですので、始められそうになったら近況ノートの方でご報告させていただきます。

また、GA文庫より書籍一巻も好評発売中ですので、よろしければそちらもよろしくお願いします!!


少しでも面白いと思っていただけたら、フォローや星を頂けると嬉しいです。最近感想返信できていませんが全部見ていますので、そちらもとても嬉しいです。是非よろしくお願いします!


追記

このたびGA文庫様より好評発売中の『優等生のウラのカオ』の二巻制作が決定しました!!秋頃発売予定となっています!!是非よろしくお願いします!!

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