エピローグ

「はあ、手術?」


「そう、ワキガの。大成功だったわね」


 母は僕の下着のシャツをたたみながら機嫌よさそうに言った。


 既にあの手術から三か月が経過していた。手術そのものはそれほど手間ではなかったが、手術後、傷口が開かないように二週間ほど腕と脇をギプスで固定し続ける必要があったのが面倒だった。


 それを左右の脇で一回ずつやったので、合計で一か月半ほど僕はほとんど片手で生活しなければならなかった。


 とはいえ、当時の僕は就活も終わっていて、取り立ててすることはなかった。それに今時、大学生なんてスマホを触れる指だけ残っていれば、日常生活は十分送れた。


「高いお金出した甲斐があったわ。全然臭わないもの」


 母は満足そうに洗濯物に鼻を押し付けて息を吸い込んだ。随分とオーバーなリアクションだった。洗濯後のシャツを嗅いでも柔軟剤の香りしかしないだろうに。


 確かに術後、自分の脇から嫌な臭いが漂うことはなかった。しかし、もともと自分も周囲もほとんど気にしていなかった程度の臭いだったので、本当に手術までする必要があったかは分からない。


 相原をはじめとする友人の反応は皆一様で、「クサいと思ったことないけどな……」と首をかしげた後、「まあいいじゃん。臭いなくなる分には」と口をそろえた。


「そんなに変わってないと思うけど……」


 僕がそういうと、母はきっとにらむように僕を見た。


「いえ、あなたは気づいてないだけよ。ほんとにひどかったんだから。ワキガだとね、女の子にモテないし、会社でもいじめられるのよ」


「大げさだな……」


「大げさなじゃないわ。あなたも会社入れば分かるわよ。なんにしても良かったわ。就職する前に手術できて」


 まるで世間の代弁者みたいな口を利く母に少し嫌気がさしたが、彼女が満足ならば、まあいいだろう。お金を出してもらっているから、僕に直接的な負担はない。親は何かと子供の心配をする生き物だし、これも親孝行の一つと言えるかもしれない。


 手術を受ける前は、なんだか色々余計なことを考えてしまったが、過ぎ去ってしまえばやはり考えすぎだったと思う。当たり前だけど、僕の脇の臭いが消えたところで。生活に劇的な変化なんてないし、ましてや社会への影響なんて皆無と言っていい。


 もう、今となっては何を悩んでいたのか分からないくらいだった。


「ま、やらないよりはやった方がよかったかもな。手術代、出してくれて助かったよ。ありがとう」


「ええ。そうでしょう、そうでしょう」


 母は、嬉しそうに頷くと、洗濯物に視線に戻した。そして膝の上で丁寧に僕のシャツをたたみながら言った。



「じゃあ、次は脱毛ね。今時、顔に髭なんて生やしてたら、不潔だってみんなから嫌われちゃうんだから……」

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