第二章 本格撮影期間に突入!?

第19話 撮影期間前最後の休息

「お疲れ様」

 そう言って、ユイは草一と乾杯をする。今日は夏休み前最後の土曜日であり、日曜日にまた青森に戻るユイにとって、草一と撮影期間前に会える最後の機会であった。

 草一は20歳になっていたが、未成年のユイが変なスクープに巻き込まれるのを恐れて、二人ともウーロン茶を頼んだ。


「はあ、まだ撮影期間が本格的に始まっていないのにすごく疲れたな」

 ユイは草一の前だけで本音が言えた。

「本当に朝ドラヒロインって大変そうだよね。夏休み入ったらすぐに撮影が始まるの?」

「夏休みのうちは子役時代の撮影がほとんどだけど、私も見学しなければいけないみたい。なにしろ、ゆづ・・・」

 ユイは思わず口を滑らそうになり、慌ててウーロン茶を口にした。子役が山野 優月であることは、まだ極秘事項であり、彼氏の草一にも話してはいけないことであった。

「ふうん、そうなんだ」

 状況を察したのか、草一は優しく微笑んで枝豆を手に取った。


「そういえば、朝ドラのヒロインが決まったら、他のドラマのオファーとかもあるんじゃないの?」

 草一が何気なく聞いた。

「それがね・・・」

 ユイはため息をつきそうになったが、草一に悟られないようにこらえて話を続けた。

「MGJの人から朝ドラの役作りに専念するように言われていて、それ以外のドラマやCMは朝ドラ終わるまでは断るように言われているのよね・・・」

 中田に言われた時のことを思い出しながらユイは答えた。草一の言う通り、実際にユイのもとにドラマのオファーはいくつかあった。朝ドラヒロインに選ばれたとはいえ、実力未知数のユイに対してメインキャストをオファーするところはなかったが、一話限りのゲスト出演のオファーは複数あった。その中には、蕪菜かぶな さほり主演のドラマもあり、ユイは本当は出たいと思っていた。

「そうなんだ・・・オーディションを受けたとされる他の人たちはドラマ出演がいろいろ決まっているよね」

 草一は言葉を選びながらそう言った。

「確かにね」

 ユイはそう言って、天井を見上げた。


 もともとドラマのヘビーウォッチャーであったユイは、同じオーディションを受けた人たちの動向をしっかりと把握していた。もともと民放の主演を経験済みである田辺 杏奈は、視聴率が高いとされる月曜夜9時の放送枠で、余命2カ月のウェディングプランナーという難しそうな役どころでの主演が決まっていた。アイドル出身の鈴木 真帆は現在放送中の恋愛ドラマで、民放初主演を務めており、視聴率も回を重ねるごとに増やしている。

 一方で、ユイの因縁の相手である楠 佐奈子は一連の出来事を懸念されてか、民放ドラマに出演しておらず、先月放送されたMGJの単発ドラマに主人公の友人役で出演していた程度であった。とはいえ、オファーがあるとはいえ、ドラマ出演が増えないユイよりは役者として活躍していると言えるのかもしれない、とユイは思った。


「まあ、まずは朝ドラのヒロインってことなんだろうね」

 草一がそう言って笑おうとするが、その表情はどこかぎこちなかった。

 朝ドラ『かもめ』については、ヒロイン選抜の騒動のあとも、たびたび週刊誌などで取り上げられることもあったが、否定的な記事も少なくなかった。ユイの経験不足や演技力の無さを指摘する記事もいくつかあったが、そもそも題材が暗くてつまらなさそうという意見も多く、『大コケ間違いなし』などと書かれることもしばしばあった。

 草一もそのような記事を知らないはずはないので、あえて触れないでいるのだろうと思うと、ユイは心が少し痛かった。


「そういえば、草一は最近大学とかどうなの」

 ユイがそう聞くと、草一は少し考え込んだ。

「うーん。何もなかったわけじゃないけど、総じて通常通りだよ。そんな、わざわざ忙しいユイに伝えるほどの話題もないかな」

 草一の口調からは、嫌みなどは感じられず、ユイのことを思って話しているようであった。しかし、ユイはかえって心が痛くなった。


 まだ撮影すら始まっていないのに、どんどん自分が今までの自分ではなくなっていく。そして、草一とも確実に心の距離が開き始めている。


 草一とゆっくり話すことで改めて感じた現実を、ユイはどう受け止めて良いのかわからないでいた。



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朝ドラヒロインは悲劇 マチュピチュ 剣之助 @kiio_askym

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