第18話 子役は大女優
「月野さんのお芝居はしばらくはないから、それまでは体絞ったり、方言の勉強とか役作りを徹底的にしてください」
ファーストモーニングで生中継された、クランクインがあった次の週の打ち合わせで、中田はユイにそう言った。
「え、しばらくは私は何もないのですか・・・」
明らかに、両親役のキャストのサプライズ発表のために行われたクランクインであったことは理解していたユイであったが、しばらく自分の出番がないことには少し驚いた。
「まあ、月野さんはまだ体も絞れていないし、方言もまだ甘いところがあるので、この間みっちり鍛えてもらわないとね」
そう言って、中田がユイの顔を見ながら鼻で笑った。
「だけど、まだかもめがどういう人物なのか詳細がわからないので、私はどうしたらいいのか・・・」
そうユイが言うと、中田は軽く舌打ちをして少し早口で答えた。
「大丈夫、今市沢先生が、月野さんが演技を始める時点でどのようになっていれば良いのか、いろいろ文章を作ってくださっているみたいだから。まあ、相変わらず作業が遅いんだけど」
ユイは、側にいる渡辺を見ると、少し困った表情をしながら俯いていた。一方で、その隣にいる岸野は終始無表情で、ひたすら中田の顔を見つめていた。
「あ、それから、子供時代の撮影が最初にたくさん入るから、月野さんは毎回それを見学してもらいます」
ふと思い出したように中田が言った。
「かもめの子供時代の経験や心情をすべて理解してもらってから演技に臨んでもらいたいから、これからの撮影は出番がなくても必ず来てもらうからね。まあ、子役たちを青森に呼ぶことになるから、夏休み頃に集中的に行う予定だから」
今はまだ5月末であるから、子供時代の撮影が夏休み頃となると、ユイの本格的な撮影は9月頃からだろうと思われた。まだ時間があるように思われたが、役作りのためにしなければならないことを考えると、あっという間なのだろうとも思った。仕事を一生懸命頑張らなくてはという思いと同時に、草一とはそれまでに、いろいろなところに行きたいとも心の中で、ユイは思っていた。
「さて、幼少期のキャストはまだ公表はしていないのだけど、ここで皆さんには、紹介したいと思います」
そう中田が言うと、渡辺が驚いた表情をした。ユイも心の中で驚いてはいたが、これまでも突然言われることが多かったため、この制作陣はサプライズが好きなのだろうと少しずつ割り切れていた。
「それでは、かもめの子役に登場してもらいましょう。どうぞ、入ってください」
そう中田が言うと、会議室の扉が開いた。
「はーい。皆さんこんにちは」
そう言って姿を現したのは、
「え、ゆづきちゃん!?」
彼女の登場に、これまで終始無表情であった、岸野が立ち上がって興奮気味の声をあげた。
「初めまして、山野 優月です。よろしくお願いします」
優月は満面の笑みで深々と礼をした。
山野 優月は、日本で今一番有名な子役といって間違いない。彼女がデビューしたのはなんと生後3か月のことであった。育児放棄がテーマの民放ドラマで、生まれて間もなく親に捨てられた赤ちゃんとして、優月が登場したのであった。生後3カ月であるから、当然ドラマのことなどまったく理解できていないはずにもかかわらず、母親役の顔をジッと見つめてじわじわと泣く姿が、リアルすぎると大きな話題となったのである。
3歳の時には、
4歳の時は、カルピスのコマーシャルで可愛らしい歌と踊りを披露して、それがヒットして、その年の紅白歌合戦に史上最年少で選ばれた。また、その歌の歌詞は優月が書いたことも後で明らかになって、多くの人が衝撃を受けた。
5歳で、民放ドラマの主人公を演じて、視聴率20%越えを記録したほか、大河ドラマ『銀閣義政』では、ヒロインである日野富子の幼少期と、義政と富子の長女の幼少期の二役出演した。大河ドラマでは、平均視聴率が12%であったのに対し、優月が登場する回のみ視聴率が20%を超えるという、ドラマ一番の貢献者であることを数字で明らかにしてしまったのであった。
子役界、いや芸能界の常識を大きく覆した優月は、今年度から小学生となっていた。実際にユイの目の前にいる優月は、愛嬌もあってとても可愛いが、ごく普通の小学生にしか見えなかった。ユイはもっとしたたかな印象を持っていたため、出会った一瞬でその純粋無垢さに心を持っていかれてしまった。
「優月ちゃん初めまして、岸野 真千子です」
優月が来るまではずっと無表情であった、岸野が満面の笑みとなって、優月のもとに向かった。
「真千子さん初めまして。お父さんが大ファンで、いつも真千子さんのドラマを見ていました」
そう優月は満面の笑みで答えると、渡辺の方を向いた。
「渡辺さんとは前にバラエティで一度お会いしましたよね。今度はドラマで共演できるなんて嬉しいです」
そう優月が言うと、渡辺は顔を赤らめてよろしくとボソッと言った。
ユイは、優月にどう声をかけようか迷っていると、優月からユイの方へと向かってきた。
「ユイさん、山野優月です。ご挨拶をするのは初めてですが、昨年の大河ドラマで少しお会いしましたよね」
そう優月が笑って言うので、ユイはドキッとした。確かに、『銀閣義政』はユイも出ていたが、役どころは戦死する武将の娘という名前も与えられていない役であった。多くの武将が命を失って、ユイをはじめとする武将の家族役の人たちが、焼け野原でうなだれている遠くで、義政の娘役であった優月が茫然と立ちつくすシーンが一度あったのであった。ユイ自身も、優月のことを遠くで見ただけであったため、優月が自分のことを覚えているどころか、あの当時でさえ認知していることはあり得ないことであった。
「優月ちゃん、こんにちは。どうしてそんなことを覚えているの?」
驚きのあまりユイは尋ねずにはいられなかった。すると、優月は少しだけ真顔になった。
「私はいつも、自分の出番にかかわる方々の名前は、演出もエキストラも全員目を通しているのです。もちろん、あの時はどなたがユイさんなのかはわからなかったですが、ユイさんの名前は見ていましたし、焼け野原で泣いているユイさんの姿も覚えていました」
ユイは、訳がわからなくなった。目の前にいる、このあどけない少女は、間違えなく大天才の女優であった。芸歴7年目になるという点では、ユイよりも先輩であるし、何よりもユイにはもっていない才能を多数もっていた。たった数分あっただけで、可愛い一面と天才の一面をこれでもかと見せつけられた気がした。
ユイは、恐怖を抱いていた。このような天才な少女が、自分の幼少期を演じるのである。
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