30:はなむけ

「あなたも旅人ですか」

「ええ、まあ」

「旅人にしては、変わった格好ですね」

「よく言われます」

 私もよく聞くやり取りを交わしながら、Xは見知らぬ『異界』を歩いている。

 いたってのどかな草原の真ん中に、煉瓦造りの道が通っている。そして、馬を引き連れた旅人が、Xの傍らで不思議そうな顔をしていた。それは不思議だろう、Xの格好はどう見ても旅人のそれには見えない。ただ、異質という点において、その土地の人間でないことも明らかなのであった。

 Xと並ぶ旅人はよく日に焼けた肌をした、若い男だった。褪せた金色の髪はしばらく手入れをしていないのか伸びっぱなしになっているが、決してみすぼらしい感じはせず、旅人の精悍さをさらに際立てる働きを負っていた。

 道が交差する場所で偶然出会ったXと旅人は、どちらともなく一緒に歩き出し、そしてぽつぽつと言葉を交わしているのであった。

「あなたは、どちらへ?」

「あてもなく、気の向くまま、風の吹くままですよ」

 旅人の問いかけに、Xは彼にしては珍しく少しおどけたような口調で答えた。ただ、Xの観測に決まった目的地があるわけでもないから、その言葉はあながち冗談というわけでもない。

 Xもまた、旅人に聞き返す。

「あなたは、これからどちらへ?」

 すると、旅人は腰に佩いた剣を軽く叩いて、真剣な表情を浮かべて言うのだ。

「北へ。……このまま、真っ直ぐ、北へ」

「北には何があるのです?」

「旅人さんは知らないのですね。ここから北には、人々を苦しめてきた魔王の居城があります」

 そして、自分は魔王を打ち倒すための旅をしています、と。旅人は言う。その横顔は凛として、放たれた言葉に嘘があるようには思えなかった。

 思えなかった、けれど。

「たった一人で、ですか」

 Xはぽつりと言う。旅人は確かに大きな荷物を背負い、剣を佩き、馬を伴ってはいたけれども。周囲に人の姿はなく、草原には旅人とXの二人だけが存在していた。旅人は「ええ」と頷いて、朗らかに笑ってみせるのだ。

「それが、私の――勇者として生まれついた者の、役目ですから」

「勇者、ですか?」

「はい。魔王を倒せるのは、勇者のみです。それならば、他の人々をあえて危険に晒す必要もないでしょう。私一人が全てを背負えば、十分というものです」

 旅人はあくまで笑顔だった。何一つ、何一つ、己に課されたものを疑っていない、そういう表情。その晴れやかな顔に、何故だろう、同じところなどないはずのXの顔が重なる。

「そういうものなのですね」

「そういうものなのです」

 旅人は言い切る。そんな旅人に、果たしてXはどのような表情を向けていたのだろう。わからないけれど、その後に続けられた声は。

「……羨ましいですね」

 言葉通りの羨望を、滲ませていた。

「あなたには、果たすべきことがあって。迷うことなく、前に進むことができる。前に進んでいる限り、正しい自分でいられる。それは、とても……、得がたいものです」

 それは、Xにしては珍しい饒舌さだった。Xはいつだって多くを語らない。私の中では、そういう人物であり続けてきたから。

「私は、あなたのようにはなれませんでした。私は勇者ではありませんでしたし、魔王なんてものもいませんでしたから。ただ、そう、きっと、私も、そういうものに、なりたかった」

 言って、Xは立ち止まる。旅人もXが立ち止まったのを見て、足を止める。

「なんて。……あなたの旅は、これから先も、険しいものなのでしょう。その苦労も知らずに、言えたことではありませんね」

 旅人は真っ直ぐにXを見つめる。Xもまた、真っ直ぐに旅人を見つめ返していたに違いない。二人の間に沈黙が流れて、数拍の後に旅人が言った。

「今まで、私を祝福する者はいても、『羨ましい』と言う者はいませんでした。あなたは、不思議な人ですね」

 Xは応えない。だから、私はXが何を思っているのかを、知ることは、できない。

 旅人は目を細めて、今度は眩しそうな表情を浮かべてみせる。

「けれど。きっと、あなたにもあるのではないですか。あなたを前に進めてくれるものが。正しくあるために、できることが」

 ――正しく、あるために。

 Xのありさまは、正しさ、とは程遠い。Xは既に過ちを犯してしまった人間だ。取り返しのつかないことを繰り返した結果、何もかもを失って、近い将来に命すらも失おうとしている。もちろん旅人はそんなことを知る由もないのだが……。

 Xは、果たして旅人の言葉をどう受け取ったのだろう。いつになく、穏やかな声で、言ったのだ。

「そうですね。そうだと、信じたいです」

 それがXの本心なのかどうか、私には、わからない。

 わからないけれど、無性に胸が苦しくなる。Xの胸の内を思うことなどできるはずもないのに、私は……、その言葉に、祈りを持たないはずのXの祈りを勝手に見出してしまったのかもしれない。

 それきり、二人の間に言葉はなく。

 しばらく、草原を渡る風の音だけがスピーカーから聞こえてくる。

 やがて、旅人は馬の鼻を北へと向け直す。

「それでは、私はこれで。……あなたは、どうするのです?」

「風の吹くまま、旅を続けますよ」

 本当は、私の命令に従うまま、でしかない『異界』の旅路。それでも、Xは旅人にそう言ってみせるのだ。旅人はその答えに満足したのか、地を蹴って馬に跨り、そしてXを見下ろして晴れやかに笑った。

「それでは」

「ええ」

 Xもまた、目を細めて――。


『あなたの旅路に、幸あれ』


 はなむけの、言葉を。

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無名夜行 - 三十夜話 青波零也 @aonami

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