十七 暁と鷹光



その日の午後の事だった。


硺也から連絡を受けた暁は、安倍家の屋敷へ続く山の一本道を全速力で走り抜けていた。



花珠也が、目を覚ました。



それはあの日の絶望を覆す奇跡。


暁はただの嬉しい、という感情一つだけを抱き、涙目で坂道を走った。


屋敷の門のインターホンを鳴らそうと立ち止まると、庭にいた硺也を見つけ声をかけた。



「あぁ、アッキー、やっと来た。」



硺也はいつぞやとは比べ物にならないほど表情明るく出迎えてくれた。


硺也はさぞ苦しかったことだろう、と、目を潤ませた。

花珠也は目を覚ましたとはいえ病み上がりだ、泣いてしまうだろうけどあまり騒ぎ立ててはいけないな、そう思いながら硺也の手元を見ると、リードを持ち、その先では首輪に繋がれた花珠也が腕立てをしている。



「よぉー!アッキー!ふはっ!大丈夫かよそんな息切らして!」



わけの分からない光景のせいで、再会後の切ない妄想に浸っていた数秒前の自分を心の中で捻り潰した。



「何してんすか....」



暁は若干冷ややかに言った。



「ん。病み上がりなのに實実を倒すとか言って家飛び出そうとするから首輪付けた。」



硺也はさも当たり前かのように淡々と答えた。



「仕方がないから筋トレしてる。」



それに重ねて花珠也が補足した。


なるほど、よぉーーく分かった。



「いや....数時間前まで眠り続けてた人が筋トレもどうかと思いますがね....。」



『ふはっ!!』



花珠也と硺也は揃って笑った。



「でも本当に良かったです。僕...。」



暁がそう言いかけると、花珠也は被せるように言った。



「アッキーとの約束も果たしてねーのに死ねるかよっ。」



地面に付いていた手の土をパンパンと払いながら花珠也はニカッと笑った。



「それに...あの野郎はぜってー許さねぇ。」



せっかくの笑顔を實実に対しての憎悪で曇らせた花珠也。


硺也もリードを持ちながら表情を曇らせ、屋敷の中を見つめ出した。


彼らは、双石なんかよりも大事なものを失った気分だった。





──────八時間前。




目を覚ました花珠也は、硺也からこれまでの事を聞いた。



自分が三週間も眠り続けていた事、双石を奪われ、力を得るであろう實実が次に現世で何をするか分からないこと。


他の家族たちも見守る中、

最後に杏音の事を聞くと、花珠也はカッと目を見開き、突然ベッドから飛び降り杏音の部屋へ走った。


三週間というブランクにふらつき、硺也に支えられながら部屋へやってきた花珠也は、

未だ眠り続ける杏音を見て青ざめた。


そして怒りや悲しみがぐちゃぐちゃに入り混じる身体を震わせながらベッドへと歩み寄った。



「なん....なんでだよ...なんでお前がこんなんなってんだよ!!ネネっ!!くそっ!くそっ!なんでっ....!なんでぇっ....!!」



皆が一通り味わった怒りと悲しみと絶望感が、花珠也には今一気に降り掛かって怒号と涙となり溢れた。



硺也はスエットのポケットに手を入れて、開いた襖の縁に寄りかかり、無気力にその姿を見つめている。


杏音にかけられた布団を握りしめて泣き出す花珠也に、そばに居た杏奈は気丈に言った。



「カズだって、同じことしたはず。」



五歳の子供のその一言にハッとして杏奈を見ると、杏奈は凛々しい顔で付け加えた。



「ネネはカズタクがいるお家が好きって言ってた。だから喜んでカズを治した。なのに泣かないで。ネネを怒らないで。」



杏奈は表情こそいつもの無表情だが、少し怒っているようにも見えた。

それは何か、我慢しているかのような。


花珠也は両袖で急いで涙を拭き、何度か深呼吸をして嗚咽を飲み込むと、杏奈の頭に手を置いた。



「ふはっ...ごめんごめん、杏奈、怖かったろ、そんで、寂しいよなっ....怒ってないよっ。そんで、もう泣かない!ネネがくれた命、ぜってー無駄にしねーから!ありがとな!」



無理やり笑う、まだ少し潤む瞳を見上げながら杏奈は、コクリと頷いた。


部屋を出て廊下を歩き出す花珠也は、片腕で目を抑えている。

硺也はその肩を抱き寄せながら歩き、部屋へと戻った。




───────


庭にいる三人を見付け、鷹光が声を掛けてきた。



「暁くん、来てたのか。ちょうどいい。三人とも来なさい。暁くんの白狐の事だ。」



三人はハッと顔を見合わせ、鷹光の後を追った。


鷹光の書斎へやってきた。


部屋の中は壁一面が本棚となっていて、収まり切らない古そうな本や資料が床にも積み上げられている。


三人はソファと椅子とに座り、鷹光の開口一番を待った。



「狐についていろいろ調べたんだが、白く大きく、足が三本の獣妖と言えば、

やはり〖白蔵主〗に間違いないだろう。」



『はくぞーす??』



三人は声を揃えた。



「白蔵主は白い狐の妖でな、白狐の中でも幸福をもたらす吉兆の徴として、とある寺では神としても祀られているらしい。

だが時代によって伝承は各地様々に伝わっている。

つまり過去に複数体存在してきた可能性がある。

それが今の時代では、」


『アッキー!』


「そう。なんの経緯で君が生まれたかまでは分からんが、こうなるといよいよ君のお母さんは大物である可能性が高まったね。」


「大物って例えば?」



硺也が聞き返す。



「天狐、空狐、あるいは....九尾。」


「九尾......。」



暁はその言葉に反応した。

あの日、燕下で感じた違和感、母の声、

記憶の奥をつつかれたような感覚。

何か思い出せそうで思い出せない。



「天狐や空狐ならばいわば神に近い存在とされていて、人には害を為さないという。

だが九尾となれば厄介だ。あれは人を喰らう。」



──────ドクンっ......



暁の中の何かが更に反応した。


何か...何か大事なことを忘れているような...。



「九尾は狐の中でも最大とされる妖力を持つんだ。白蔵主よりも遥かにね。」



暁の頭の中に、残像のようなものがチラついている。



「あの時のアッキーよりもすげー妖力って事かよ!やべーな!」



白い、獣が、血まみれ、の、肉、を、

..........



「どした?アッキー。」



花珠也が暁の顔を覗き込む。


それにハッと我に返った暁は慣れない嘘をついた。



「なっ..んでもないですっ!」



それを横目で見ていた鷹光は話を暁に切り替えた。



「とりあえず、だ。俺の推測が正しければ、暁くんは癒しの力を持った吉兆の徴、ってことだ。伝承によればな。

まだまだ謎は多いが今わかっているのはこれくらいだ。

さて、俺は叔父さんとこ出かけてくるぞー。はい解散ー。」



やや不自然気味に話を切り上げた鷹光は羽織を羽織ると、袖に隠し持っていた形代をふっと飛ばした。

すると形代は沙耶香へと変化し、ふわりと机の上の積まれた本の上に座ると、部屋を出ていく鷹光に小さく手を振った。



「はくぞーす、ねぇー、ふーん....。」



花珠也はまた暁の顔を覗き込んで不思議そうにしている。



「治癒力があるのもそのせいだったんだね。」



暁に顔を近づけすぎた花珠也の肩を引きながら硺也も言った。


まだ先程の残像が目の奥にこびり付いている暁は上の空。


鷹光の部屋を出てからもとてつもない違和感と不安に襲われていた。




.

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

七色の双弓 ゆあっしゅ @uash

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ