十六 花珠也と杏音
空中に肉片が飛び散っていく。
實実の腕が引き抜かれると、
花珠也の胸にはポッカリと穴が空いた。
「あ.....あ.....ぁ....」
實実は花珠也から取り出した双石を爪で摘みまた太陽へ翳した。
花珠也の首を掴んでいた反対の手でその体を放り投げる。
硺也は為す術なく、花珠也の体が地面に転がり落ちるのを見ていた。
それからはもう、全てがスローモーションだった。
結界のドームの中で皆が何かを叫んでいる。
實実が花珠也から奪った双石を眺めては去り際に何かを呟いている。
實実の姿が消え、鷹光の力でようやく割れた結界の音、
それと同時に皆が花珠也に駆けつける足音、
母や弟たちが泣き叫ぶ声、
自分を揺さぶり何かを叫んでいる父や兄の声、
木々がそよめく風の音も、
鳥の声も、
何も、何も、聞こえない。
駆け付けてきた桜也が自分の頬を叩いて何度も名前を呼んでいるようだ。
体を揺さぶられているが何も感じない。
花珠也と同じく心臓を抉られたはずなのに、
同じように胸に穴が空いていたのに、
自分の胸元はくしくも少しずつ修復していく。
なんだ、これ....。
何で自分は生きて、花珠也が死ぬのか。
何で、何で、何で、何で、なんで、
な、ん、で、、、、
───あれ...神様、俺は今何をしてたんだっけ
ここはどこなんだっけ
俺は誰なんだったけ
何を見たんだっけ
何を聞いたんだっけ
悲しいってなんだっけ
怖いってなんだっけ
痛いってなんだっけ
花珠也ってなん.......
未だアスファルトにヘタりこんでいる硺也は、堰を切ったように溢れる感情を吐き出した。
「ぅ...ぁぁぁぁああぁぁぁああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」
目の前にいた桜也は、硺也を力の限り抱き締めた。
家族の悲しみと恐怖と絶望を纏う姿を、微動だにせず眺めている杏奈と杏音。
すると杏音は杏奈の手を握った。
「ねぇねぇナナ。」
「なに、ネネ。」
「ネネが遊べなくなってもお姉ちゃんでいてくれる?」
「もちろん。」
「なら、良かった。」
「ネネ、いいの?」
「いいよ。」
「本当にいいの?」
「ネネは、カズタクがいるおうちが好き。」
杏奈はその手を強く握り返した。
二人は鷹光へと駆け寄り羽織の裾を引いた。
「あのね、パパ」
「カズをお部屋に運んで。」
この二人は花珠也が治癒力で治ると思っているのか、そう切なさに胸を押し潰されそうになるのを堪えて答えた。
「...ナナネネ...お前たちの治癒じゃもう治せないんだよ....」
すると二人は更に裾を強く引っ張り急かした。
「いいから。」
「早く。」
二人に言われて鷹光は少し考えてから、目を見開いたままの亡骸を抱き上げた。
「そうだな、ここじゃ可哀想だよな....」
花珠也を部屋のベッドへ寝かせ、鷹光は花珠也の顔を撫でた。
目を伏せ、閉じてやると、その冷たさに堪えていたものがこぼれ落ちた。
すると杏奈と杏音がベッドの傍に並ぶと、
妹の杏音が花珠也の胸に手を充て始めた。
七色の光が灯る。
「ナナネネ...何をしてる?それにその光...まるで.....」
すると杏奈だけが話はじめた。
「これは治癒じゃない。ネネしか出来ない。でもネネは力を失う。」
「お前っ....」
杏奈は淡々と話を続ける。
「ネネがカズを助ける。蘇生する。」
『っっ!!』
その場にいた鷹光、凛、澪羅、藤也、天也は驚愕した。
「ナナちゃん...まさか....」
凛は口を抑えて声を震わせた。
「ママと同じか!」
鷹光が声を張り上げた。
「そうなんだね?ナナ!」
杏奈はコクリと頷いた。
硺也はもう出せる限りの声を絞りつくしても尚、掠れ切った、声にならない声で泣き叫び続けていた。
桜也は黙ってその体を腕に抱き続ける事しか出来なかった。
その傍らでは夕也があぐらをかいてただ無気力に座っている。
2人を見つめるだけで、口を開くことはない。
力也も暁も、ひたすら無気力で、顔を上げることもできずにへたり込んでいた。
硺也の声にならない泣き声だけがただ響く。
そこへ、戦闘で崩れかけた門から藤也が息を切らして走ってきた。
「桜兄!!花珠兄がっ!!!」
夕也、力也、暁、硺也を背負った桜也、部屋へ駆け付けると、杏音の手のひらから灯る七色の光で、花珠也のポッカリと空いた穴が縮まりはじめていた。
「これは.....。」
桜也がそう漏らすと、鷹光が話はじめた。
「これは蘇生術だ....。この子らは....いつから気づいていたやら...杏音にだけ備わっていたようだ....。」
「蘇生って...杏音...。」
桜也が杏音の手元を見て呟く。
「そしてこれは、母さんの術でもある。」
「えっ!母さん術使えるのっ?使えないって言ってたじゃん!」
藤也が驚いて声を張った。
「正確には、使えた、かな。」
その言葉に凛は俯いた。
「母さんはな、その術を俺に使ったんだ...。」
そう言って鷹光は俯き、一呼吸おいて続けた。
「蘇生はな、どんな強い妖力使いでも、一度使えば全ての妖力を失う。一度きり、なんだ。」
「じゃあ...母さんは父さんを助けて術が使えなくなったってこと...?」
藤也が凛を 見上げながら言った。
「....そーゆーことだな。
俺は....一度死んでるんだ。」
凛はそう項垂れる鷹光の背中にそっと手を置いた。
ネネの額から汗が吹き出してきた。
苦しそうに手を震わせながらもネネは出来る限りの力を込めた。
ナナはその隣で、ただじっと立ち続けていた。
そして鷹光は更に重たそうな口を開いて言った。
「恐らく、ネネは力を使い果たせば長い眠りに入る。」
『えっ....』
一同が言葉を失った。
「母さんもそうだった....オレの目が覚めても、母さんはその後三年間眠り続けたんだ。
ネネも....恐らく....。」
それを聞いた天也が声を震わせて言った。
「と.....止めない..と...ネネが....。」
そう涙を滲ませ拳に力を入れる。
鷹光は声をつまらせた。
「天ちゃん.....止められないのよ。」
天也が震えながらそう零す凛を見上げた。
「その力を発動したら途中で放棄することが出来ないの。力を使い果たすまで止まらない。
今ネネちゃんが手を止めちゃったら....この七色の光は行き場と目的を失い、発生元を食い尽くすのよ.....。」
「そんな.....ネネはまだ五つなんだぞ.....。」
天也はその場で膝から崩れ落ちた。
「そうね....あの時十八歳だった私でも苦しいものだった....。」
すると、割って杏奈が口を開いた。
「これはネネの意思。ナナは止めない。カズはいつ目が覚めるか分からないけど、みんなネネを信じて。」
杏奈はその場の誰よりも気丈だった。
見ると、花珠也の傷口はもう塞がりかけていた。
杏奈はその後しばらくずっと苦痛に耐えながら冷や汗がダラダラと流れる中震える手をかざし続けた。
桜也が硺也を背中から降ろし畳へ座らせると、今の話を聞いていたのかいないのか、廃人のように下を向いたまま動かなかった。
力也も壁に背中を付けたまま力の抜けたようにズルズルと座り込んだ。
皆が放心状態のまま時間が流れて行った。
そして遂に、杏奈の手のひらからゆっくりと七色の光が消え、その小さな体がグラりと後ろへ倒れかけた瞬間、背後にいた夕也がその体を受け止めた。
杏奈はそのまま、意識を失った杏音の胸元へ手をかざして青い光を放った。
「これから毎日、ナナがネネを癒す。」
杏奈の顔は、見た事がないくらいに険しく、凛々しくもあった。
青い光が消えると、夕也はそっと杏音を抱き締め、無言でそのまま抱き上げ部屋を出た。
杏奈と藤也、凛と天也が部屋へ運ぼうとする夕也の後をついていく。
そこからはただ長かった。
次の日も、次の日も、硺也は食事も睡眠も取らずただただ部屋の片隅に寄りかかり、下を向いて座ったまま。
皆が代わる代わる声をかけ、食事を運ぶが反応はなかった。
杏奈の治癒で回復した澪羅も、襖をチラリと開けては心配そうに時々様子を見に来た。
五日後、力也が硺也に食事を運ぼうと部屋へ入ると、花珠也は変わらずベッドで眠っている。
起きるのか起きないのかも分からない花珠也を切なそうに見たあと硺也を見ると、
壁に寄りかかったまま眠ってしまっていた。
力也は硺也を畳に横たえると、枕を敷き、毛布をかけてやった。
「....硺兄.....」
涙の跡が乾いてガビガビな頬を撫でると、力也はハッと我に返り、静かに部屋を出た。
そのまた数日後、同じように力也が部屋に入ると、硺也は起き上がって相変わらず同じ位置に座っていたが、その目はベッドで眠る花珠也に向けられていた。
「硺兄....あ...の...」
なんと声をかけたらいいか戸惑っている力也に、硺也は久しぶりに口を開いた。
「毛布かけてくれたろ。ありがとな。」
花珠也に目をやったまま硺也は呟いた。
「あ....あぁ..いや....別に...。」
力也はいたたまれなくなり、部屋の去り際になんとか思いついた言葉を絞った。
「ふ...風呂でも入ってこいよ。」
硺也は視線を変えずにまた呟いた。
「あぁ。そうするよ。」
硺也は意外とすんなり立ち上がり、部屋を出ていった。
風呂から上がり、こざっぱりした硺也は杏奈と杏音の部屋へ向かった。
襖は開いており、凛と杏奈が驚いたように硺也を見た。
「硺ちゃんっ...!」
硺也はスタスタと杏音の眠るベッドへ向かった。
そして布団をめくり、杏音を抱き上げると、強く抱きしめ言った。
「ありがとな、ネネ....。」
硺也はそのまましばらく動かなかった。
杏奈がその顔を覗き込むと、
硺也の頬を涙が伝うのを見た。
硺也は杏音をまたベッドへ戻し、凛へ言った。
「俺、絶対實実を倒すから。」
それだけ言って硺也は花珠也のいる部屋へと戻って行った。
あれから三週間が過ぎた。
硺也は相変わらず一日のほとんどを花珠也の傍で過ごしていた。
皆が代わる代わる運んでくれる食事もきちんと摂るようになった。
「ん.......」
僅かに聞こえた声に硺也はハッと顔を上げた。
ベッドの上で眩しさに顔をしかめる花珠也がゆっくりと目を開き始めた。
硺也は震える全身をなんとか立ち上がらせてゆっくりと花珠也に近づくと、花珠也は硺也へ手を伸ばしかけていた。
即座にその手を握り、言葉の代わりに大粒の涙がボロボロと溢れ出していた。
花珠也が微かに何かを呟いているが、硺也にはほとんど聞こえない。
花珠也が目を開ける、手を伸ばす、声を発する、....生きている。
それだけで今の硺也には十分すぎるほどの奇跡だった。
いろんな思いが溢れ出した瞬間、硺也は大声で泣き始めた。
硺也の異様な声を聞いた他の家族たちが部屋へ駆けつけた。
花珠也の胸に突っ伏し、子供のように声を上げて硺也が泣いている。
花珠也は硺也越しに駆けつけた家族たちの顔を見ると、ゆっくりと手を上げてピースサインを見せた。
そこにいた鷹光の肩には、微笑む式神の沙耶香の姿もあった。
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