第33話 意外な勝者

ルーク王子が指揮する探索班が文書を持ち帰ってから早くも2週間が過ぎようとしていた。新たに発足した調査委員会は徹底的に秘密を保持しようとしたが、モノがモノだけに注目が集まるのは避けられず、また完璧な秘密保持など出来るものではない。少しずつ漏れ出した、或いは滲み出した情報はあまり明るいものではなかった。


「どうも今回のものは債権ではないらしい」


段々と、じんわりとその情報は王宮の上層から下層に向かって広がっていった。ではその大量の文書は一体なに?となるとさすがにこの情報は得られなかったが、一部の知識人などにはある程度の予想がついた。


「紙の束でその一枚ずつが別個で国璽が捺印されているもの」


それは命令書や任免状や賞状などである。さらに言うと、本来それらの書状は当然誰かに渡すもので、つまりこれらは渡すはずのものが何らかの事情で渡せなかった物なのではないか?という予測が飛び交った。もしそうなら歴史的価値はともかく金銭的な価値など全くない。骨折り損のくたびれ儲けか?という失望が王宮を覆った。


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「賞状の束なんて寝室に置いておくものですかねえ…?」

発見者だからという訳ではないが、ロディオンはそう疑問を呈した。


「…或いは、あの部屋の住人が受賞した物かも知れぬがな…」

リンドブルグヘンドブルグはそう言った。


「もしそうならあの部屋の住人はかなりの偏屈だったんですね」

ロディオンは少し笑ってそう言った。普通賞状は貰ったら飾るものである。


「多すぎて邪魔だ、と思ったのかも知れぬよ」

リンドブルグヘンドブルグもにやりと笑ってそう言った。


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一方でこの情報は新サン・リギユ大聖堂の上層部には密かに期待された。もしこれが免状ならばその中に聖誓かそれを根拠にした任免状などがあるかも知れない。懐古派にとって重要なのはピエラントーニ枢機卿を教皇に推戴する事であり、それが可能であるならば聖誓でなくてもいいのである。


しかしこの懐古派の最上位の三人の聖職者はあまり色めき立つ事はなかった。今回の探索でさり気なくそれを内示したのはピエラントーニ枢機卿自身だが、まさかこれ程早く事態が動くとは思っていなかったのである。


「…今、そういう物がでてくれば返って混乱します…」

ピエラントーニ枢機卿も馬鹿ではない。ちゃんと諸般の事情も判っている。彼が探索にそういう指示をしたのは、その情報自体が拡散する事を望んでいたのである。


現在のエヌフォニ教は各教区がばらばらになっている。それを再結集させようとする動きもないではないが、そうなるとあれほど敬遠していたサン・リギユ大聖堂の権威がないとやはりまとまらない。そしてその状況に何より困るの信徒や患者なのだ。


何せ今は引っ越し等で住む地域が変わると、それまで使えた医療免状が使えなくなるのだ。診察内容も治療内容も引き継がないし、医療免状も使えなくなるので、つまり実費診察となる。そして新しい教区では新しい信徒扱いなのでここからまた医療免状を取得する手間もかかる。患者にとっては不便極まりない状況なのだ。


この現状を憂いてピエラントーニ枢機卿は敢えて聖誓探索を指示したのである。この情報が広まれば良かれ悪しかれエヌフォニ教は再集結の動きが加速する。その結果として新サン・リギユ大聖堂以外がその首座になってもいい。大切な事は信徒と患者に不便を出さない事であった。真に彼は時を越えたサン・リギユの弟子であった。


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ケーテル大司教はそこまで献身的な考えはないが、それでも現実的な聖職者として、現時点では聖誓などという古代遺物にその権威を求める事を危険視していた。それは即ち彼のかつての弟子であるノシオ大司教への警戒である。


ケーテル大司教は、ノシオ大司教自身以外で唯一彼の真実を知る人間である。つまり現状ノシオ大司教が比較的大人しくしているのは、あくまで過去の犯罪が暴露される事への警戒である事を知っている。


従ってどういう形であっても、アナスタシア・リーンという人間が新サン・リギユ大聖堂から消え去った時、もう誰もノシオ大司教を押さえつける事はできないだろう。その結果がどうなるのかは判らないが、今と同じである筈がない。


何よりノシオ大司教が聖誓の権威に依存しているとするなら危険極まりない。聖なる光輪は国家と教会という立場の違いがあったから有効だったのであり、分断された各教区をまとめる根拠が古代の紙切れ一枚など理解が得られる筈がない。


ノシオ大司教は年齢比では優秀だが、救世の高僧でもなければ偉大な政治家という訳でもない。それどころか彼自身は医療魔法の名手という訳でもない。エヌフォニ教のためにも彼自身のためにも聖誓などという危険な存在は出てこない方が良いのだ。


忘れないでくれノシオ大司教。私は一度だって忘れた事はない。君が懺悔室で涙を流して告白していた時の事を。君は全ての信頼を失ったと言ったが、私はそれでも君の涙に信頼を見た。君は恐ろしい過ちを犯したが、それでも最後の一線は守ったのだ。でなければ君はそのカヴェ修道女もアナスタシアも他の村人も殺害していただろう。君が成すべき事は教会内の権力獲得などではない筈なのだ。


ケーテル大司教は円字を切って主に祈りを捧げた。


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そのノシオ大司教は大聖堂の客間で応対をしていた。その目には先日とは違う警戒の色があった。彼は緻密に計算して動いていたが、ここにきてとんでもなく巨大な変数が現れてしまい、それよりほぼ全ての式がご破産になったのだ。


「まあ、そのようなご緊張はなさらずに」

男は珍しくにこにこと笑いながら優しくそう言った。


「まだ確定した訳でもありませんし、仮にそうなってもまだまだ先の事ですよ」

その人物、ビスターク伯爵カレル・アッシャークラウドは勝者の笑みを浮かべながら形式上は謙虚にそう言った。


「…いえいえ、王弟殿下のこれまでのご尽力を思えば当然の事と…」

ノシオ大司教は目を伏せてそう追従した。もはや事実上、この王弟が彼の新しい上司になってしまったのだ。


持ち帰った文書の殆どは予想通り意味のないものであった。それは任免状の束だったのだ。つまりそれを授与すべき、或いは授与した人間ももうこの世には居ない訳で、歴史的な価値はともかく財産としての価値は全くなかった。しかしその紙の束の中にとんでもない書状が紛れ込んでいた。そこにはこう記されていた。


太師ニ叙スノ箇条


一、三王ヲ輔弼シ政ニ尽ス

一、王佐ノ才ヲ認メラル

一、藩屏ノ責ヲ全ウス

一、貴顕ノ責ヲ全ウス

一、自ラ祖ニ能ズ

一、次王ヲ教エ導ク


次王継承ニ拠テ之ヲ太師ニ叙ス

御名御璽


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太師、それは事実上国家の最高権力者である。言葉としては「王様の先生」という程度の意味だが、それはつまり国王が持つ全ての権限に対して「指導」ができるという意味になる。それだけを聞けば「要するに国王と同等の権力を持つ」或いは「国王の持つ権力を行使できる」というだけだが、実はそれに留まらない。


太師は事実上国王と同等の権限を持ちつつも、形式上はあくまで臣下であり、つまり王様に「こうした方がいい」と教えているだけ、という事になる。なのでその責任はあくまで国王自身に対してだけのもので、その政治的判断に対する責任自体は国王が担うべきだと考えられている。


つまり何をやっても許される超権限者という事になってしまうのだ。


勿論普通はこんな空前の超大権が許される訳がない。しかし人間の世界というものは愚かなもので「絶対に誰も就任できない地位」という訳の分からないものがあったりもする。そしてそれはしっかりカリストブルグ王国にも存在していた。


しかし長年この地位に就任するための条件は不明であった。もっと言うと誰もそんな馬鹿な権限者などを実際に就任させようなどと思ってすらいない訳で、まあ要するに御伽噺の類としか考えられていなかったのである。


その御伽噺の条件が実際に発見されてしまったのだ。しかもその条件はなんとビスターク伯爵カレル・アッシャークラウドがほぼ満たしている。後はルーク王子が王位を継承してしまえば完璧にこの条件が合致してしまうのだ。


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「まああれです。私も甥から煙たがられたくはありませんからね」

ビスターク伯爵は謙虚にそう言ったが、ノシオ大司教はその言葉をしっかりと聞き留めていた。今までビスターク伯爵が公式の場でルーク王子を「甥」などと呼んだ事は一度もなかった。心なしか声も少し大きく、張りがあるように思えた。


「それに医療も探索もまだまだエヌフォニ教に頼らなくてはなりません」

むしろこちらこそこれからもよろしくお願いします、と王弟殿は頭を下げた。そう、人間という者は、自分に完敗した人間には素直に頭を下げられるものなのである。


「…いえいえ、王弟殿下とカリストブルグの為に…」

混乱し過ぎて追従もうまく言えないノシオ大司教であった。


「しかしあれです。探索に関してですが」

そらきた。ノシオ大司教は身構えた。


「もう少し事前調査の精度を上げるべきかも知れませんね」

それは先日までのビスターク伯爵なら絶対に言わない言葉だった。それはつまり「精霊の交流者」たるノシオ大司教の千里眼の精度を疑う事になるからである。


「この際ですから事前調査班を復活させる事を考える必要があるかもですね」

ビスターク伯爵という良識人であり王家の藩屏は、太師という無敵の免罪符を得て、この気に入らない若い大司教の権限を縮小する事に躍起になっていた。


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「やはり精霊も愛想が尽きたようですね」

ロディオンは結構人の悪い笑みを浮かべてそう言った。ロディオンはノシオ大司教の真実の全てを知っている訳ではないが、彼の許されざる悪事は知っており、それにより本当に殺害を実行しかけた事がある。それを止めたのはアナスタシアだった。


──金の卵を産む鶏を絞めるのは卵を産まなくなってから!──


アナスタシアは別にノシオ大司教を庇った訳ではなく、実は彼が金の卵を産む鶏とも考えてはいなかったが、恋人未満の義弟を殺人者にする訳には絶対に行かなかった。それに彼女もその時はショックで泣き震えていたが、それも一日泣いてたらスッキリした。レイプされたぐらいでいつまでも泣いてられるか!


「まあ別に破戒という事でもないし、少しは大人しくしてるでしょ」

アナスタシアは少しロディオンに同調するよう言ったが、しかしやはり義弟があまり人の悪い顔をするのは好きじゃなかった。悪人は私だけで充分だよ、ロディオン。


「…なにをするんですか…」

アナスタシアはロディオンの頬を引っ張って無理やり笑い顔のようにした。


「ロディオン、悪い顔してたよ」

アナスタシアは珍しく邪気のない笑顔を義弟に向けてそう言った。


「私が悪人なんだからあんたは善人じゃないと困るよ」

じゃないと一緒にエクソシストやらないからね!と言っていつもの人の悪い笑顔で笑うアナスタシアであった。ロディオンはその顔を見て少し顔を赤らめて笑った。


義理の姉妹が本当の恋人同士になるのは、近い将来なのか、または遠い未来なのか。それはまだ誰にも判らなかった。


(完)

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