第32話 様々な事後
ルーク・アッシャークラウドが指揮した探索は大成功に終わった。まだその内容は確認中ではあるが、回収した文書には全て前カリストブルグの国璽が捺印されていた。総数はなんと40枚以上である。空前の大収穫であった。
「これは即刻調査委員会を発足させなくてはなりません!」
財務省総合政策課長アガタ・プエンテはそう宣言して、誰も手を触れない内に王宮警備兵に第一級国家機密として文書の保管を命じ、同時に探索委員がそれぞれ四名ずつ推薦した調査委員会の発足を提案し、その委員長にビスターク伯爵を推薦した。
プエンテ課長はエヌフォニ教を信用しておらず、とにかくエヌフォニ教の隠匿からこの文書を守ることを最優先に考えて提案したのであった。
そのエヌフォニ教の代表のひとりであり、プエンテ課長が具体的にもっとも警戒しているイスタローブ大司教イジ・ノシオは特に何も提言はしなかった。
ビスターク伯爵は意外な支援者の力強い協力に感謝しつつも、それをこの場で言い出すと返って揉める事は判っていたので、こちらも余計な事は言わなかった。
「しかし、些か多すぎるような…?」
レオリール子爵クロード・ジリベールはそう懸念を呈した。
「まあ全部が全部有益なものでなくても。一枚でも有益なものがあれば」
財務省国庫課長ブルーノ・タヴェルナは楽天的にそう言った。
「……」
サウザローブ大司教フィリベルト・ケーテルはこの場では何も発言しなかった。
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「それ程の回収を…」
ラウルハウゼン共和国大統領補佐官ジェレマイア・デイリーは話を聞いて呻き声を上げた。これは我が国に対してだけではなく、ついに怖れていたカリストブルグ王国の復権に繋がるのだろうか?これは方針転換を検討するべきかもしれない。
「……」
サウザローブ大司教フィリベルト・ケーテルはそれ以上の発言を躊躇っていた。
「大司教猊下には何かご懸念が?」
デイリー補佐官はケーテル大司教の表情を窺ってそう言った。
「…これはあくまで私個人の印象なのですが…」
ケーテル大司教は物憂げな感じで口を開いた。
「どうもそういった物ではないように思えました」
ケーテル大司教はその回収した状況を聞いて少し違和感を持っていた。
「どういう事でしょうか?」
デイリー補佐官はケーテル大司教に詰め寄った。
「…まあ、あくまで個人の感想だと思ってお聞き下さい」
ケーテル大司教は違和感を言った。
そもそも旧王宮は4階建てであり3階は最上階ではない。4階には別の用途があって居住空間としては3階が最上階だったのかも知れないが、王宮の王侯貴族の居住空間の上にそれ以上の用途があるとは考え辛い。これは探索当初からの違和感だった。
そして今回の回収状況である。つまりその部屋は階段のすぐ近くにあり、しかも居室だけではなく浴室と寝室までが備え付けられていたという事になる。直接見た訳ではないので部屋の装飾までは判らないが、聞く限りでは随分と生活機能を優先した空間に思えたのだ。仮にそれが国王の居室だったとすれば「約束の国」前カリストブルグ王国の国王の私的空間としては些か質素に過ぎるのではないだろうか。
「…まあ、予備的な浴室というのはあるとは思いますが…」
ケーテル大司教は一応そう言ったが納得しきっていない。第一国債を寝室の文書箱に収めておくというのがおかしい。国債は国家財産であり国王個人の財産ではない。
「では猊下はどういった物だと推測されているのでしょう?」
デイリー補佐官はそう訊いたが、さすがにそれ以上の情報は得られなかった。
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えらいことになってしまった。
ドミニカ・コウデラは視線の先にある巨大な天蓋の裏側を見てそう思った。恐る恐る首を巡らすと、予想通り「光の王子」ルーク・アッシャークラウドが満足そうな顔ですやすやと寝ており、視線を下に向けると自分の乳房が見えた。
ドミニカはそっと起き上がると、音を立てずに備え付けの浴室に向かい、お湯の温度を確かめると──かなり温かったが──そのまま浴槽に浸かった。そうしてドミニカは両膝を抱えて口元までお湯に浸かり、事ここに至った経緯を思い出した。
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「母上は頑固すぎる!ちっとも判って頂けない!」
珍しくルーク王子の機嫌は悪かった。3時間以上の母子の激論はついに決着がつかず、父と母と長男もさすがに疲れ果ててその日はそれで終わったのだが、若く使命感に溢れる気高き王子の不満はまだ収まらなかった。
「当然ですよ王子」
ドミニカもちょっと呆れ果ててそう言った。そもそも旧王宮探索に乗り出す王子など前代未聞なのだ。この一回も承認されたというより否認しきれなかっただけである。それを今後も続けるなんて話が通る訳がない。
「それに今回の回収でしばらくは充分かも知れないじゃないですか」
侍女とはいえ7年も一緒に生活していたら遠慮も目減りするものだ。息子とも弟とも言えない10歳年下の王子というのは、まあそのどちらでもあるようなもので、ドミニカも呆れつつもこのかわいい年下の男の子を適当に諌めた。
しかしルーク王子もまた母に似て頑固だった。というよりこの場合は息子に影響されて母にそういう性格が形成されたと言うべきかも知れない。いや頑固と言うより母としてはもうこれ以上は絶対に譲れない所まで追い詰められたと言うべきか。
「もう回収だけの問題じゃないんだ!」
ルーク王子は大声でそう言った。同行したメンバーはあまり強く認識しなかったが、この高貴な王子は、旧王宮は単なる不死生物の巣窟どころか恐るべき謎に満ち溢れた魔宮であると直感していた。それを放置など絶対にできない。
「僕は旧王宮で伝承の怪物も、そうではないモノも何匹も目にした!」
ルーク王子は最後に見た女性型のナニモノかを思い出した。あれこそが旧王宮をして魔宮たらしめる本当の理由の筈だと確信していた。あれを追い、謎を解明しなくてはならない。それこそが我が使命であると確信していた。
「それこそ絶対にダメじゃないですか!」
ドミニカも悲鳴に近い大声を上げた。そんな危険な存在が居るなら王子どころか誰も侵入禁止である。場合によってはどうにか魔道士と契約して伝説の大魔法、
「お忘れのようですが貴方様は王子なのですよ!判っていらっしゃいますか!?」
王妃マリアからバトンタッチされた訳ではないが、ドミニカも段々と熱が入ってきてこの王子を本気で諌め始めた。とにかく絶対にダメに決まってる!何言ってるのよ!
「ドミニカ!セックスをしよう!」
はいい!?
「君の言う通りだ!僕は王子だ!だとしたらやるべきことは決まってる!」
そう言ってルーク王子はドミニカの腰を抱きかかえ、そのままベッドに押し倒した。ドミニカは余りの事に頭が混乱してどうにも対応できなかった。
「僕の子供を産んでくれ!そうすれば国家は安泰だ!」
ルーク王子の珍しい怒りと物凄い論理の飛躍で頭が混乱しきったドミニカは、しかしそれ故に自分の本心のもっとも素直な部分が現れてしまった。つまり自分はこの王子に絆されていたのであり、分かりやすく言うとこの王子が好きだったのである。
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ニコ・リンドブルグヘンドブルグはにこにことその様子を見守っていた。好き嫌いの激しい夫がやっとジャガイモを食べるようになったのである。
「これ!それは吾輩のものだ!食べるな!」
ニコライ・リンドブルグヘンドブルグはこの大混乱の食事の最中でも王国騎士としての節度を守ろうと苦慮していた。これ!鍋に直接口をつけるな!
「うむうむ。立派であるぞ、我が息子よ」
口ではそんな立派な事を言いながら、父イーゴリも両手でフォークを器用に操ってジャガイモやニンジンを確保して美味しそうに頬張るのであった。
その様子を見ていたサーシャ・ミリオンは溜息をついた。ああ、ついに我が主人までハーフリングの業に堕ちてしまったか。
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「よう先生、大丈夫かい?」
レオンは花束の代わりに適当に難しそうな本を見舞い品として持ってきた。
「…なんとかな…」
ロズワルドはまだ回復しきっていなかったが、それでも随分ましになっていた。
「今更だけど、あんた俺と同い年だったんだな」
レオンは意外そうにそう言った。もっと年上だと思っていたのだ。
「…年齢など意味はあるまい…」
ロズワルドは微苦笑を浮かべてそう言った。
「…年だけ重ねて無益な人生もあれば、若く亡くなっても有益な人生もある…」
それにそのどちらに価値があるとは判じられないとも付け足した。
「そういうものかね?」
レオンはやや意外そうにそう訊いた。
「…人は、自分自身からは自由にはなれない…」
レオンはどういう意味?と訊き返した。
「例え今の自分が、かつて憧れた自分の姿であっても、自分である事は変わらない」
ロズワルドはそう語り始めた。
「どこまで行っても、或いは行かなくても、それが自分である事には変わらない」
ロズワルドは語り続ける。
「だから人は自分という檻から抜け出せぬ。しかしそれこそが自分自身なのだ…」
迷いもある。不遇もある。恵まれぬ事も意に沿わぬ事もそれこそ星の数ほどもある。そしてそれこそが自分なのだ。否定などできない。ただそれを背負うしかない。
「私は、あくまで自分自身に従って魔術を学ぶ学徒だ。それ意外の何者でもない」
それはあくまで自分で選択した事であり、他の誰かと比べて偉い訳ではない。
「だから逆に…」
そこでロズワルドは少し咳き込んだ。
「だから逆に、酒と妄想に埋もれた人生に納得が行くなら、それは無価値ではない」
それもまた人生なのだ、とロズワルドは言った。
「それに、私の研究も、その妄想も、大宇宙視点で考えたら何も変わらぬよ」
ロズワルドはやや苦しそうに苦笑を浮かべた。
「…結局、自分がそれを望むか望まないかだけだ…その程度の差でしかない…」
そこまで言うとロズワルドは目を瞑って背もたれに寄りかかった。
「随分と哲学的だねえ…」
レオンは少し茶化しを含めてそう言った。
「じゃあ人生は虚しいものなのかね?」
レオンも少し興味が沸いてそう訊いた。しかしそれは即座に否定された。
「人生に虚しさがあるとすれば、それは他者から自由を奪われた場合だ」
それもまたロズワルドらしい視点で説明してくれた。
「例えば、生まれついての王侯貴族など、実は彼らこそが不遇の極みだろうな…」
王侯貴族に生まれてもその軛を逸脱する者は居るが、基本的に彼らは生まれた時からその生きる手順が決まっており、それに沿って生きるしかないのだ。ロズワルドはそれ程の虚しさや不遇などない、と断じた。
「そういう意味では、かの王子は随分と自力で不遇を脱却されておるな」
ロズワルドは目を瞑ったままそう言ってにやりと笑った。
「そういえばさ、その王子様がとんでもない事を言い始めたぜ」
レオンはそう言ってルーク王子が言い出した事を説明してくれた。勿論今回のチームを探索専門班にするという話である。目を瞑ったままそれを聞いていたロズワルドは黙ったままにやりと口を曲げた。
「…前言を撤回しなくてはならないかな…大した王子だ…」
ロズワルドはぼそりと簡単な感想を述べるに留めた。
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「こらあ!貴様ら遅いぞ!何をしておるか!」
兵士達はその若い赤髪の下士官を非常に煙たがっていた。畜生もうあのシスコン野郎が戻ってきやがった。煩くてしょうがねえよ。死ねば良かったのに。
ロディオン・リーン軍曹は多忙である。この怠け者の兵卒どもは少しでも気を抜くとすぐに身体も錆びるし悪い遊びをし始めるのだ。この栄光ある聖堂騎士団の兵士としての自覚が足らぬ!すこし間が空いてしまったからビシビシ鍛えねば!
「遅い!あと5周追加だ!」
わりと意外と結構S気質な助祭殿は兵士達にさらなる訓練を施すのであった。
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アナスタシアは昼休憩になると図書室で真面目に本を読んでいた。勿論これはここにある書架から借りた物である。いくら何でも高位法典を人目に晒す訳にはいかない。
アナスタシアの行動にはふたつの理由があった。ひとつには福ジョージ法典はかなり古い物なので言葉や意味を調べなくてはならない。もうひとつは
「アアアアアアナスタアアアアアシアアア」
そう言って音もなく彼女に近寄ってきた人物が居た。その人物はアナスタシアの驚きの反応などお構いなしに一方的に質問してきた。
「ねええねえええこここ今回はどどどんなオオオオバケがいいいいたあああ?こここ怖かったああああ?おおお教ええてええよおおおととと友達でしょおおおお?」
いつも言ってるけどあんたほど怖いのはそう滅多に居ないって。
アナスタシアの同期の中で唯一の女性であるマリー・アーキンは非常に変わった人物だった。何と彼女はオバケなどが怖いと言うのだ。じゃあ何でエクソシストやってんのよと言いたいが、実は彼女はオバケなど怖れてなどいない。むしろ大好きなのだ。臆病なのに怖い話が大好きという変わり者だが、さらに変わっているのは彼女自身がそのオバケやら幽霊のような言動をするのである。というか見た目がモロに。
夜中にトイレで彼女と出くわして悲鳴を上げて失神するというのは、まあ日常茶飯事とまでは言わないが一週間に一回くらいは起こる。アーキンの方もそれに驚いてこれまた失神する。あまりにも頻発するので寮監は夜10時以降のトイレの使用を禁じてしまったが、事は生理現象なのでどうしようもない事だってある。つまりそのルールがさらに事態を悪化させているのは言うまでもない。
「だから別に大したのは居なかったってば!」
アナスタシアはそう言って立ち上がって図書室を出ていった。勿論今回は稀に見る程の大波乱であったが、それを言ったら本当にこの女に取り憑かれてしまいそうだ。何せ見た目の印象通りに非常にしつこくて細かいのだ。旧王宮より恐ろしいわ。
「おおおおお教えてよおおお!」
マリー・アーキンは正に心霊現象のような声を出してアナスタシアの後を追いかけた。如何に強欲で勝ち気な聖女にだって苦手なものはあるのである。
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