「おばあちゃんと緑のたぬき」
木村れい
第1話 おばあちゃんと緑のたぬき《応募》
当時、僕は9歳、小学3年生だった。覚えているのは、かい人21面相事件、正式名称「グリコ森永事件」などが起こる物騒な世相だった。スーパーに並ぶお菓子には「完全包装」ってそんな文字が包装に印字されて並ぶし、お店も大変だったと思う。消費者も異物が入れられたら大変だし、怖かった。
そんなニュースや、時代の空気のなか、3年生の僕は、何故か、ポプラ社の
しかし勿論に、かい人21面相なんかは全くの偽物で、人の食べ物に、毒を入れて脅すなどチンケで卑怯な犯罪を、本家の怪人20面相がする訳は、ないのである。だいたい20面相には人を殺す話は多分ない。
怪人20面相は、名探偵明智小五郎や、少年探偵団との謎解き、知恵比べが主となる小説なのである。21面相は、刑法230条・名誉毀損罪で怪人20面相から訴えられても、全く異論を挟む余地がないだろう。(敬愛する江戸川乱歩先生の20面相の話が熱く長くなってしまった)
しかし、高度経済成長の余韻残す1980年代前半、僕は父親が公務員家庭の、呑気な三男坊として育ち、特には何も不自由なく暮らしていた。
わが故郷は、小さな小さな市である。
当時、僕は小学生ながら、1人で、バスを乗り込み、おばあちゃんの店に週末になると通うような生活をしていて、ある意味は、傍からみたら、不良少年だったのかもしれない。
だいたいは、プラモデルをウィンドウショッピングするのである。当時プラモデルは300円程度だった。
江戸川乱歩に加えて、模型作りにも夢中だった。市街には、模型店みたいな駄菓子屋が1つあったし、おもちゃ屋は2つあった。今は、おもちゃ屋といえば、ゲーム機器が主流だけど、昔は猫も杓子もプラモデルだった。
そんな時代である。
ある晴れた昼下り、二階の自宅窓を開けると青空だけが広がっていた。広い広い青空はどこまでも続く、生命の不思議や神秘も思わせるような、永遠の空気と空だった。
僕は、ところどころ食べ汚しのシミが付いた水色のTシャツに、綿の柔らかなジーンズみたいなデザインのズボンを履き、街に繰り出した。
先程に言及したバスに乗って、おばあちゃんの居る市街の店に向かったのである。
まだ話していませんでした。
多分、読者様は、全くおばあちゃんが経営する店が何か?想像できないだろう。
手堅い公務員の孫を持つおばあちゃんの営む自営業と言ったらだいたい、駄菓子屋さんか、ひなびた食堂か、気の利いたやはり食堂か、文具店くらいしかないのである。
しかし……おばあちゃんの営んでいたのは、「麻雀荘ロン」だった。麻雀屋である。
麻雀荘は、いつもタバコの煙が充満し、なんだが、ちょっとクセが強いような大人達、オジサン、オバサンが
しかし、おばあちゃんは、麻雀荘を道楽に呑気に、経営していたくらいだったから、よく僕や、おばあちゃんと一緒に
僕のおばあちゃんを紹介したい。
兎に角、やはり、麻雀荘経営は、なるほど納得になるおばあちゃんの職業ではある。
見た目がどぎつい。当時は70代だったのだろうが、一般的な、高齢者のイメージとは、ほど遠い風貌をしていた。服の色は黒が多かったが、なんとなくギラギラした服をきていたし、厚化粧に派手なサングラスをしていた。
だいたい威張っていて横柄で、うちの父親を怒鳴り散らしたりする側面もあった。
また、おばあちゃんは、何故かやたら金持ちで、すぐに小遣いをくれる。母からお金をもらった記憶がなく、代わりに僕はおばあちゃんからシッカリお金を定期的にもらっていた。
当時の僕の辞書には遠慮というものがない。もらえるなら拒まないし、みずからお金ちょ〜だい、と悪びれずに頂いていた。
しかし不確定な収入で、おばあちゃんの気分次第だったのである。
一方で、教育ママの天然な母に、おばあちゃんの戦時中のこんな逸話を聞いたことがある。
おばあちゃんは、実は生まれが相当な金持ちの家柄で、家にお手伝いさんが何人もいる家で育ったらしい。想像しにくい世界である。しかしどこでどうなったかわからないが、数学教諭の僕のおじいちゃんと結婚した。
戦時中、僕の母とおばあちゃんが住んでいた栃木の家に、夜にどろぼうが入った。当時その我が家も戦時中で、あまり金はなくなっていた。おばあちゃんは母にいった。
「私達はまだまだ、なんとか食べていける、でもあの人達はどろぼうしないと生きていけないくらいに困っているんだよ、黙って盗ませてあげようね。」
今思えば、それがおばあちゃんの本質であり、ヒューマニズムだったのか。僕はその話を初めて聞いた時にぼんやり思った。「人間の持つ1番大切な本質は、みかけだけではわからないし、人間理解とは実に難しい。」
簡単には、ヤンキーみたいな、おばあちゃんに、そんな側面があった事に率直に驚いたのである。
そんな良い逸話をしながらも、またおばあちゃんとの麻雀荘での、会話に戻っていく。
「れい、この間、有名な俳優さんが、きたんだわね。おばあちゃん映画好きだからね、良かったわ〜。」
「へえ、おばあちゃん、凄いねえ。サインはもらったんだよね、もちろん。」
「もらったよ。」
一 麻雀荘ローンさんへ 〇〇太郎 一
「おばあちゃん、なんか違うくない?」
「何が?」
「だってさ、ロンでしょ?」
「ロンだわね。」
「だってローンって。」
「ああ。そう。」
「おばあちゃん、今気づいた?」
「えっ、何が?」
「おばあちゃんなんか、伸ばしたら変だよ。」
「確かに……ローンって伸ばしたら借金してるみたいになっちゃうわねえ。」
「そうなんだあ、ローンって借金の事をローンって言うんだ。僕は意味は、知らないよ。」
おばあちゃんは首をかしげて、少し困ったような顔をした。
僕は後に自分が、無駄遣いをして、クレジットカードローンのリボルビング払いを使い、ローンという言葉の意味をつくづく体感することになるとは、知る由もないのである。
「れいさ、夕ご飯は、出前とるかね?ラーメン?スパゲッティ?」
「うーん。そうだな。僕、緑のたぬきがいい。」
「あっ、そう。そこの部屋にあるから勝手に取ってきなさい。れいは緑が好きかね?私は赤いのが好きだわ。」
緑のたぬきと赤いきつねが何故に常備されていたかと言うと、お腹の空いた麻雀荘の大人達が購入して食べるためなのである。
「僕は両方好きだけど、緑のたぬきが1番に好きだよ。というか、緑のたぬきしかカップラーメン食べたことがない。」
「ひさこはインスタントラーメン買ってこないんかね?」
「お母さんは、カップラーメン買わないよ。」
「れい、じゃあおばあちゃんのも取ってきなさい。」
僕は緑で、おばあちゃんは赤である。
僕の天ぷら蕎麦の天ぷらは、お出汁をしっとり吸い込み、美味しそうに麺の上にふわりと浮かんでいた。おばあちゃんのお揚げもしっとりとフワフワに見えた。
箸で天ぷらを掴むと、ボヨボヨと崩れた。麺と絡ませて蕎麦を啜る。
「れい、旨いんかね。」
「旨いよ、そりゃあ。」
「安い子だわよ。ははははは。」
おばあちゃんは、数年前に99歳で亡くなった。かなりわがままかつ、自由人だった。大往生である。泣かない事はないが、特にすごく悲しくもなかった。苦しまずに老衰だったし母も長い老老介護から開放されたからである。
僕のおばあちゃんの思い出の中には、緑のたぬきが鮮明にある。だから僕は緑のたぬきを今も食べているし、食べるとおばあちゃんを思い出して、時には泣いてしまうのである。
〜おばあちゃんありがとう。僕のおばあちゃんで居てくれてありがとう。今も心の中に僕のおばあちゃんは生きている〜
《おわりに》
人生とは?、人は何故生きるのか?
人生とは、人からもらった優しさを、自分なりの形で返していく営みだ。
おばあちゃんから、もらった優しさを小説にして
映画や、小説を読むのが、大好きだったおばあちゃん、きっと、見てるよね。
「おばあちゃんと緑のたぬき」 木村れい @kimurarei0913
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます