広告な彼女

やすんでこ

広告な彼女

「あんた、たまにはこっち帰ってきて、畑手伝わへんのか? お父さん最近ずっと調子悪いんやで。あんたの顔を久しぶりに見たいゆうてたし」

「そんな収益性の低いことに時間かけられないって。父さんのことも、自分がそっちに行ってよくなるわけじゃないでしょ? こっちはアプリ開発で忙しいんだから、邪魔しないでほしい」

 実家の母からだった。父と二人で農家を営んでいる。

「アプリ? サプリメントとかそういうやつか?」

「ごめんもう切る。家には帰らない。それが結論。こっちは副業が軌道に乗ってきて忙しいから」

「ちょっと──」

 母が言葉をつなげる前に私は通話終了のボタンを押した。汗水流して金を得ることにこそ価値がある、なんて馬鹿げた妄想に取りつかれているから年老いても働かなければならないのだ。ネットで検索すれば儲け話なんて腐るほど出てくる時代に、わざわざ実家に帰って畑を手伝おうとは思わなかった。

 ベランダで煙草を一本やってから、再びパソコンの前で胡坐をかいた。

「ああー、またエラー出てる。JDKのバージョンが古いのか……」

 ブラックコーヒーを堪能しながらエラーを探るのは、もはや私のルーティンである。大学時代の友人に副業を勧められ、最初はブログを書いていた私だが、文章を書くことが肌に合わず、アプリ開発に乗り換えた。

「ヨシミ」私は部屋の隅で動画を見ている恋人に呼びかけた。正直、私にはふさわしくないほどの人だ。

「何?」

「そろそろ出かけよっか」

「マジっ! やっと出かける気になってくれたんだね。どういう風の吹き回し? ねえねえどこ行く、水族館とか美術館に行きたいんだけど」

「いいね。今日の作業は終わり。電話かかってきたせいで気分が悪くて……少しリフレッシュしようかと」

 私たちが最初に向かった先は、水族館だった。土曜日なので、長蛇の列ができている。私たちは列の最後尾に並んだ。いつもなら魚を眺めるためだけに自分の時間と体力を使うのは馬鹿馬鹿しいと文句を言っているが、たまには無駄なことにエネルギーを割くのも悪くない。いや、残暑が厳しいのでやっぱり前言撤回。

 いよいよ順番が来て、館内へと入場。ただし──魚は一匹も見えなかった。いや、正確に言うと、確かにそこに魚は存在するのだが、一部の入場者しかみられない仕様になっている。私たちの目に映っているのは、水槽のガラスを埋め尽くさんばかりの広告だ。

 世界的大手広告会社の××が格安のサブスクで人間の視覚情報を取得・購入し、広告対応のディスプレイが視界に入ると、即座に目の前のディスプレイ──今でいう水槽のガラスに広告が映し出される。サブスク加入者は政府公認のジェム円やジェムドルといった通貨を使用でき、普通の円を使うよりもお得になる。現にこの水族館の入場料も無料だ。

 照明の緩い通路を二人で手をつないで歩いていると、アナウンスが鳴った。

『A水槽からE水槽までは2000ジェム円、E水槽からQ水槽までは5000ジェム円です。それ以外は10000ジェム円です。ジェム円が不足しているお客様は、○○水族館の公式アプリで動画を視聴いただくと、ジェム円を貯めることができます! それでは、水族館の魅力をどうぞごゆっくりー!』

「動画リワードだね」Tシャツ姿のヨシミがいった。

「詳しくなってきたじゃん」

「そりゃ、君の恋人だもん! 独り言で、ずっとバナーとかリワードとかインタースティシャルとか言ってるし」いいながらヨシミは髪の毛をいじる。

「うっ、否定できない……」

 私たちの所持金は、50000ジェム円。一通り見て回ることはできそうだ。スマホでジェム円を消費すると、たちまち目の前の水槽に魚が出現した。

「うっわー、すごい! エイだー! 下から見ると笑ってる顔みたいだね!」

「ほんとだ」

 別に興味はなかった。金銭的にはお得なはずだが、心は満たされなかった。ヨシミが隣で笑っているのを見るだけで、私は充分だった。少し別の言い方をすれば、必要充分だ。

 そのとき、スマホが鳴った。また母からだ。切ってもしつこく掛けてくるので、低い声で四回目の電話に出てやると、

「お父さんが倒れて……病院に──」

 さすがの私もすぐに水族館を飛び出し、新幹線で実家まで急いだ。心を落ち着かせようと窓の外に目をやるも、視界に入るのは広告だけで、ジェム円を使って景色を見れるようにするか迷ったが、結局やめた。かといって目のやり場に困るので、数秒おきに変化する広告を眺めていると、『広告彼女』という宣伝広告が目に入った。Tシャツに極薄膜ディスプレイを搭載し、そこに広告を載せて恋人に着せる、という仕組みだ。男性の利用客が多いサブスク制サービスで、好きなタイプの彼女を選び、広告付きの衣服を着せて一緒に街をデートする、みたいなビジネスモデルである。

 母に指定された病院に着くと、ベッドの前で泣き崩れる母の姿があった。私は察した。母の背中を優しくさすってやると、その手を払いのけられた。

「お父さん死んでもたんやで! ずっとあんたのこと心配しとったのに……、それを、死んでからやっと顔見せに来るなんて……この親不孝者! 東京に行って、そんな訳の分からへんちゃらちゃらした服なんか着て……お母さん、悲しいわ……」

 親不孝、と言われたら、生んでくれとは言ってないと返したくなるが、さすがにこの場面で口にするのは憚られた。

「寿命だったんだよ」そう割り切ろうとした私だが、じわじわとこみ上げてくる感情があった。涙が勝手にこぼれる。悲しさを自覚していない、にもかかわらず。思い出すのは父と過ごした時間、畑の手伝い。思い出補正、と馬鹿にしたくなるような出来事の数々が、私の胸を締め付ける。

「父さん!」

 私は父の顔を覆い被す白い布をのけた。だがもう一枚曇ったフィルムが父の顔を覆っていて、医師いわく、

「あっ、ジェム円の利用者の方ですか? 申し訳ありませんが、亡くなられた方のお顔を拝見するには10000000ジェム円が必要となります──」

 私はその場で膝から崩れ落ちた。


 帰りの新幹線。私は実家に一泊もせずに、東京に帰ることにした。ジェム円のサブスクも退会しようと決めた。便利なのは認める。不便な点もない。じつに効率的だった。でも、何か大切なものを私は失っている気がした。

 アパートに帰るとヨシミが心配そうな顔で出迎えてくれた。

「あれ? お通夜とお葬式は?」

「出席しない。そんな権利ないから」

「そう、なんだ……。なんか、悲しいね」

「もう一つ話がある」

「何?」

「お互いの契約を解除しようと思う」

「恋人関係を? どうして?」

「なんとなく……」

「そっか、でも君と過ごした時間を、絶対に忘れないよ」ヨシミは真っすぐ私と目を合わせてきた。この人は本気で私に惚れていたんだろう。

「ありがとう……」久しぶりに私は人に感謝の意を伝えられた気がした。「さようなら、吉見くん。わたしなんかを『広告彼女』に選んでくれて」

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広告な彼女 やすんでこ @chiron_veyron

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