第4話 「夏、蝉の鳴く頃」


 舞台は、またも無藍ぶあいの古いアパートから始まる。しかも今回は女好きの友人、彩文あやふみもいた。

 無藍がわざわざ彼を部屋へ入れたのは、あの喫茶店事件から無藍が店に行く気が無くなってしまい、外で休める場所が無くなってしまったからだ。あそこの店主には気の毒な事だが、彼の徹底した女嫌いのために犠牲となるしかない。

 しかし、こうやって二人が集まってする話は、無藍が女の悪口を言い、それを彩文が待ったをかけるといった、くだらないものである。いい大人が、そんな事をするために忙しい時間を無駄にする様は、蚊を絶滅させるために公園に行って殺虫剤を撒くのと同じぐらい滑稽こっけいである。おや、この例え方も無駄か。二人の馬鹿が移ったのか。

 それはともかく、今日も女の悪を話にする気、満々の無藍。と言ってもその悪口は、昨日の侵略者こと瀬見川の話なので、それを聞いた彩文の言葉から始める。まさか、前の話を読まずにこれを見る読者はいるまい。

 「はぁ、なるほど。君にいとこがいたのか」

「あぁ、しかし本当に久しぶりだったから、一瞬誰か分からなかった。けど、声のデカさと言い、態度のデカさと言い、昔と変わらなかったからすぐに思い出したよ」

「しかし、不思議だね。13年前を最後に会わなかったその子が何故今頃来たんだろう」この言葉に、無藍も確かにと首を傾げる。

「まぁ、多分、暇つぶしに来ただけだろう」

「そもそも、13年前はどんな関係だったのかい」

「いや、その頃は結構遊んだんだ。昔から女は嫌いだったけど、あいつには男っ気があったからな。」

「どうして、突然会わなくなったんだい」そう言うと、無藍はうーんと考えたあと、右手の人差し指を天へ向けて話を続けた。

「思い出した。あれ以来、あいつから『女』を感じて、関わるのをやめたんだ」

「何?」面白そうな話題がやって来たので、彩文はあごを指でこすりながら、猫背になって、興味深さを主張するように聞いた。

「あれは、そうだな。今日のようなせみのうるさい夏の日だった」まるで壮大な物語の序章みたいな言葉で話を始めた。無藍の言葉は続く「いつものように公園で遊んでやっていた時だ。夕方になって帰ろうとしたら、あいつが急に足が痛くて帰れないと言ってきてな」

「君にしては優しいじゃないか」

「やかましい。えぇっと、それでだな、仕方ないからおんぶをしたんだ。そしたらその途中に突然、頬と頬をあわせて擦りつけてきたんだ」

「何か問題でも?」

「いや、だってこういうのは、女が誘惑ゆうわくに使うテクニックだろう?」

敏感びんかんな奴だな。相手は9歳だぞ? そんなことをわざわざ考える年じゃない。」

「わからないだろ。それで、俺はそれ以降あいつの遊びを適当な理由で断って、今に至るという訳だ」

「可哀想に」彩文は両手を頭の後ろにやって、天井を見ながらそんなことを言う。

「何が、可愛そうだ。あいつのせいだろう」

「きっと冤罪だ。昨日のこともあるし、謝りに行きなよ。きっと、君の女嫌いを治す良い友人になるよ」その言葉を聞いて、どうも話を共感してくれない彩文に少し怒りを現す。

「何だその言い方。女嫌いで駄目か? 病人扱いしやがって」

「なんだって? いつ僕が病人扱いしたんだよ。まったく言葉の汚い奴だな。よく教師をやってられるね」

「ふん。教師が言葉の汚さで決まるものか。俺は優秀なのだ。分かったかアホが」この争いに意味が無いと先に察した彩文は、両手を上げて降参を示す。

「へぇ、分かりました。んじゃ、そろそろ帰るかな」

「あぁ、帰れ、帰れ」


 これにて、無藍対彩文の戦いは幕を閉じるのだがここから先、無藍の知らぬ所で話が少し展開される。それを今から語ろう。

 彩文は無意味な戦いから退却して、部屋から出たところだった。そこから2、3歩歩くと、人の気配を感じたので、その気配の方を向くとそこには、ショートヘアーの綺麗な女性が無藍の家の前で待ち伏せていた。しかし、表情は何かぱっとしない。

「もしかして、照昭てるあき君の知り合いの方ですか?」先に話しかけてきたのは女性の方だ。さっきの話を聞いていた彩文は、まさかと思い返事を返さず、質問を返した。

「まさか、瀬見川さんですか」

「知っていますか」

「えぇ、さっきあなたの愚痴を聞いてきた所ですよ」

「そうですか……」それを聞くと、今度は顔を下に向けて涙目になっている。

 よくよく見るとその手には、お菓子が入っていそうな紙袋があった。おそらく、昨日の無礼に対して、謝罪をするつもりだったのだろう。しかし、勇気が出なくて立ち止まっていたところに出くわしてしまったようだ。

 彼は悪いことを言ったと思い、心のなかで軽く反省した。

「いや、すいませんね。でも、あんな男に謝らなくていいですよ。酷い奴です。さっきも、あなたの悪口ばかり言うものだから、やめてやりなよと言ったら、反撃してくるんですよ。いやぁ、無藍君は手に終えませんよ。あなたも、あんな男の事忘れて、楽しく暮せばいいんです」さっきのやり返しをするために酷評をペラペラと話すが、どうやら瀬見川の耳にはあまり届いてないようだ。

「ありがとうございます。でも、昔から仲良くしてもらってたので……」

「そうですか。じゃあ、行きなさい」

「……」催促はしたものの、昨日の追い払いの言葉がよっぽど効いたのか、銅像のごとく動こうとしない。このまま、妙な空気の中、暑苦しくいるのも嫌なので、彩文は妥協案を提示してやる事にした。

「では、どうです? 今日は一旦帰って、また心の準備ができた頃に来るのは。もしかしたら時間が経てば、無藍君も気が変わって許してくれるかもしれません。なんせ、あいつはもう25歳なんですから」それを聞いて数秒考えたのち、それがいいと思ったのか、瀬見川は首を縦に振る。

「そうします」

「そうした方がいいでしょう」


 蝉は、今日も鳴く。明日になれば昨日の蝉は死に、今日生まれた蝉がまた鳴く。夏が続く限り永遠に。そして、それを見た瀬見川は、泣いているのだろう。夏が続く限り。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

嫌い嫌いも恋のうち 庭鳥 十坂 @uka-zen

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ