第3話 「侵略者」


 突然だが、無藍ぶあいの自宅について軽く説明しよう。

 彼は給料の割に古く、安いアパートに住んでいる。玄関から入るとすぐ左側にユニットバス、そこから廊下を歩くと壁に埋め込まれた形で置かれるシンプルなキッチン。そしてさらに進めば、広さ6畳の部屋1つ。そこにベッドとパソコンそして、教材が置かれた机がある。

 部屋全体は、ミニマリストを疑うほど物が無い。これは無藍が買うもの、もらうもの全てに愛着が無いからである。例えば本を買ったとしよう。彼はそれを一読めばもう必要ないだろうと決めつけ、売るか捨てるかする。普通なら、少しでも思い出として残していたり、ちょっとでも博識な人に見えるよう棚に置いてたりするのを、彼は見栄っ張りのやる事だと考えてやらない。

 もしかすると、彼の考えの方が一般的かつ正しいものかもしれないがこの論争は本作に一切関係無いのでこれ以上深堀ふかぼりする事はしないでおこう。

 さて、彼の簡素な部屋には来客が来ることはほとんど無いのだが、今日は珍しく来ているようだ。そして、それを知らせるようにインターホンが数回、短い間隔で鳴る。

 「あぁ、なんだよこんな時間に!」

 ぶつぶつと文句を言いながら、扉を開ける。すると、彼にとって懐かしい顔が飛び込んできた。

 「やっほ! 元気にしてた?」夜8時を回っているにも関わらず、大きな声で挨拶をかけてきたのは、いとこの「瀬見川せみかわ 鳴海なるみ」である。

 最後にあった時は無藍が12。瀬見川が9歳の頃であるから、実に13年ぶりの再会である。しかし、そんな再会もやはり女嫌いの無藍にとっては嬉しいはずがない。

 「何故、ここを知っている? 父さんには必ず言わないようにと、口止めしたはずなのに」彼の父は、母と違い真面目で、特に息子の約束となると絶対に破らないと豪語ごうごする程の無藍好きだ。なので、ここを知る父以外の知り合いが訪れるはずがない。

「伯父さんの好物を私が知らないとでも?」

「まさか、酒を飲ませたな。あれほど人前で飲むなと言ったのに」

「それは、酒好きには酷よ」無藍の父は酒が入ると、例え最愛の息子との約束でも簡単に破ってしまう程、口が軽くなる。だから、あらかじめ予防線は張っておいたようだが、それも酒の前には通用せず。恐るべし、酒。

 「で、何用だ。用が無いならさっさと帰れよ」

「酷い! 人を何時間も待たせたくせに」

「待たせた記憶は無い」

「私、昼頃に一度来たのよ? けど、いないからしばらくここらで遊んでたの。それでもうくたくたなのよ」

「平日だぞ、昼は学校にいる。せめて連絡を入れてくれよ」

「連絡しても、駄目って言うでしょ?」

「それは、そうだ」

「ねぇ、もうそろそろ立ち話はやめにして中に入らない? 椅子にゆっくり座りたいわ」

「入れるものか。帰れ」

「ケチ」

「ケチでもいい。早く帰らないか。下の階の人はこの時間に寝るから、あまりうるさくすると怒られる」

「入れてよぉ。晩ごはん作るから」

「もう食った」

「どうせ、昔みたいにちょっとしか食べて無いんでしょ? 不健康よ。私がいっぱい作ってあげるから」

「駄目だ、駄目だ。食わないものを作ってどうする。知っているか、日本は食品ロスの多い国で、世界から名指しされているんだ。お前みたいな、無駄に生産して食料を無駄に捨てるやつがいるから日本は、恥を晒してしまったんだ」と、今日学校で聞いた講演をそのまま引用して、瀬見川を悪者にしてみせる。

「私だけじゃないでしょ?もう、そんな事言ってないで、入れてよ。ねぇ」すると瀬見川は、らちが明かないと悟ったか、なんと無理やり歩を進めるという強行手段に出た。

「おい、やめろ。ここから先は俺の聖域だぞ。女に入る権利は無い」

「何を馬鹿な事言ってるの。いとこなんだからいいでしょ? それにいつまで女の子を嫌いでいる気よ。そんな性格でよく教師が務まるものね」それもそうである。何故、女嫌いなのに、男子校とかでは無く男女共学の高校で働くのか。これには一応訳はあって、女のいない職場がいいとわがままを言っていたら簡単に仕事が見つからないので、仕方なくやっているようだ。

 と、ここでやめろ、やめろと言っていたのにも関わらず、ついに瀬見川の侵攻を許してしまった。これは、女嫌いの弱い所が出ていて、それが何かと言うと女嫌いは、女嫌いをまっとうするあまり、相手に触れることを好まない。つまり、このように無理やり体を進めて来るのを手で押し返せず、どうしようも無くなるという事だ。


 部屋に入ってからの瀬見川は、さっきの不機嫌が嘘のように楽しげだ。

「へぇ、なんか味気ない部屋ね」

「じゃあ、帰ればいいじゃないか」

「冷蔵庫に何か入ってない?」無藍の催促は耳に聞き入れず、勝手に冷蔵庫を漁る。しかし、部屋が味気ないなら冷蔵庫の中身に味があるはずが無く、あったのは飲みかけの緑茶と、醤油などの調味料だけだった。

「なにこれ。何も無いじゃない」

「何も無いことは無いだろう」

「何も無いよ」

「お茶があるじゃないか」

「お茶しか無いじゃない! 今日ここで食べていく予定だったのに、残念」

「じゃあ、良かった。ここにお前の食う飯は無い帰れ帰れ」

「じゃあ、買ってきてよぉ。お願い」お腹をさすって腹が減った事を示唆するジェスチャーをする。

「どうしてもここで食べなきゃ駄目か? 外で食べてきたらいいだろう」

「だって、外に行ったら部屋に戻してくれないでしょう。それに、話したいことも……」と途中で声が小さくなったせいで言葉を聞き取れない。しかし、無藍はそんなことを気にする男じゃないので、聞き返す事なくまた帰宅の催促をする。

「さ、餓死したくなきゃ帰ることだ」

「……わかったわよ。帰る。帰るわ」少し、怒った口調で急ぎ足で来た道を戻り、ついに帰っていった。

 この時、瀬見川は少し涙目でいたのだが、もちろん無藍は気づかず、瀬見川が帰ったのを窓から確認して、玄関の鍵を締めた後、安心を噛み締めていた。


 夏の夜は、涼しい。しかし、今の瀬見川にとっては決して心地よいものでは無かった。むしろ、もっと暑くても良いなんて思っていた。

 瀬見川は久しぶりに会った、いとこがあまりにも冷たくあしらってきたので、期待を裏切られた感覚でいた。

「昔はもっと優しかったのにな」独り言を言うと、何かを思い出したのか、こらえてた涙がついに頬を流れる。そして、とぼとぼと冷えた道路を歩いて帰っていった。

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