第2話 「女好きの友人と」


 無藍ぶあいは、よく暇つぶしに喫茶店へ立ち寄る事がある。しかも行く店が決まっていて、それは「エレガンス」というバブル時代からあった店で外見は少し古臭く、中もとても綺麗とは言い難い。メニューも特におもしろい物はなく、The喫茶店という感じ。味も普通だ。ではなぜ、無藍はこんな店を選んでいるのかは、言うまでも無いかもしれないが一応書こう。

 彼が天性の女嫌いである事は前回しつこく述べたと思うが、今回もその女嫌いが関係している。理由は単純、こんな古臭い所に女は立ち寄らないだろうという思い込みからこの店に好んで入っている。彼の中の女性は、きっと新しい物好きで古い文化を嫌う新鮮文化主義しんせんぶんかしゅぎであるという偏見から生まれた哀れな発想だろう。真面目に働いているここの店主も、こんな不純な動機で入られてはさぞ迷惑であろう。

 さて、彼のこの暇つぶしはもちろん1人でやる事が大半であるが、どうしても喫茶店に入る道のりで女に会ってしまう事がある。それは考えなくても当たり前で、人々は、無藍と同じように暇つぶしや、買い物をするものだから男も女も出会うのは当然といえば当然である。しかしこの男は、女とすれ違うのは嫌、ましてや話しかけられたらもっと嫌なのだ。これをどうにかして避けたいと考えた無藍は、とある友人を1人連れて行くことにしている。ではその友人を紹介しよう。

 友人の名は「彩文あやふみ 光清こうせい」大学生時代からの友人であり、対女性兵器である。なぜ彼が兵器として無藍に運用されているかは、彩文の過去を語る必要がある。


 彩文が高校2年生の時、冴えない男であった。眼鏡をかけた顔も、悪い訳じゃないが良くはない。成績は普通で、運動はまったく駄目。性格も優柔不断で、優しいことには優しいが、何かもどかしいやつだった。しかし、それを好む女というのもありがたいことに少なからずいて、しかも彩文には幸運な事に、彼を好きだった女は顔が整った(網長あみながほどでは無いが)美人であった。そんなうまい話を彼が断る訳が無く、二人はついにお付き合いを始めた。

 最初は恥ずかしさもあり、なかなか距離を近づけなかったが、6ヶ月という高校生にしては長い年月を掛け、仲良く手を握り街を散歩するまでの関係を築く事が出来た。あぁ、幸せものだなぁ……で終わる話なら良かったものの、この話の本番はここからである。

 こうやって彼女といい関係になった時、彩文は心の中であるものが芽生え始める。それは、自信だ。今まで才の無い彼に無縁だった自信が美人の彼女と付き合うという強運によって今更生まれたのだ。一見、いいことに思えるかもしれない、だが今までネガティブだった男に自信が備わることは薬物に手を染めるがごとく危険である。

 ネガティブな性格というのは、実に不便なもので、大抵の人間が治そうとして治るものではなく、例え良いことが続いても、幸せと感じていても根強く心に住みつく風呂場のカビみたいなやつだ。そして、その心に住むネガティブは多くの物事に悪影響を及ぼす。もちろん、彼が身につけた自信にも当然悪い方向へ連れて行く。

 具体的に何が起こったかを言おう。彼は何を勘違いしたか、自分は美人が熱中するような男なのだから他の女も、彼女同様好きになるだろうという結論を出し、あろうことか他の女に告白をした。つまり、浮気だ。しかもよりによって、その告白相手は彼女の数十年来の親友であった。

 結果はだいたい予想できるでだろうが、この出来事を親友がばらしてしまい、怒った彼女に別れを告げられてしまった。まったく阿呆あほうなやつである。しかし、ここからがもっと阿呆で、彩文は今だに自分が女に好かれる体質であることを信じてやまないのである。その結果、彼は毎日、女にアタックしては失敗。アタックしては失敗を繰り返している。


 彩文の過去はそれなりに話したので、そろそろ現在に戻ろう。

 それで、なぜこの最低な勘違い男の彩文が対女性兵器として扱われているのか、それはこの男が近づく女全てに話しかけ、全ての女に逃げられるからだ。そういえば、無藍に関して言い忘れていた事がある。彼は、なぜだか知らないが普通のイケメン以上に女を引き寄せる力を持っているということだ。この力は芸能人に匹敵する程で、街行く女性は無藍が通ると必ず目線を彼に合わせ、一部のものはツーショットで撮ってもらおうとスマホを差し出すものもいる。

 これほどまでの女性引き寄せ力を保有している無藍は、女嫌いとしてとにかく辛い環境なのだ。そこで役立つのが彩文である。

 彩文と歩いていたら、さすがの女もそこに割り込むことはしないし、例えそこに割り込む非常識な女がいたとしても隣りにいる女キラーこと彩文が勝手に追い払ってくれる。この彩文という男は、無藍にとってとても都合のいい男なのだ。しかし、勘違いしてはいけないのは、無藍はこの男を決して好いていない。むしろこの愛に執着する姿を気持ち悪いと評価までしている。なので彩文とはあくまで共存関係であり、友人と呼べるほど友人はしていない。しかしまぁ、ここまで露骨だと、無藍に利用されているという事が分かる気もするのだが、この彩文とか言う男も、女が寄ってくるのは自分の磁力だと勘違いしているので哀れである。隣に超強力磁石があるのがわからないのか……。


 女避けを連れて、行くいつもの喫茶店。ただ黙ってコーヒーを飲みたい無藍だが、彩文がいる限りそうそう静かにはならない。

 「いや、この前は本当に大変だったよ。つい3日前に入ったバイトの女の子がさ、突然辞めちゃって。女の子にやらす予定だった仕事を全部僕がやる事になってさ。しばらく疲れが取れそうにないよ」おそらく、3日で辞めてしまったのは彩文が原因だろうと、言ってやりたい気持ちはあるが、彩文の話に口を突っ込むと面倒な事になるので無藍は適当に話を流す。

「そうか、そりゃご苦労」

「君、いつも冷たいね。モテないよ?」それがまったく逆だから、面白いものだ。

「あ、そうだ。俺も最近困った事がある」

「何」

「最近、生徒の女がしつこく俺にやって来るんだ」ここで言う生徒の女とは、例の美人、網長である。

「へぇ、そりゃ面白い。君のような女嫌いによって来るものなのか」彩文は無藍の女嫌いを知っている。だから彼をモテない男と過小評価している。どこまでも哀れな男だ。

「あぁ、まったく迷惑なもんだ。この前なんて、なぜか手を持って離さないから、汚い手で触るなと言ってやったんだ」

「ははは! 言い過ぎだよ」

「いや、あの女にはこの程度の言葉じゃ効かないんだ。あれ以降も休み時間なんかにしつこく話しかけてきて、休める時間がない」

「その子は、君の担当なのかい」

「いや、俺は3年だから違う。話しかけてくるのは教室移動のときにだ」

「へぇ! それって君に好意があるんじゃないか?」

「それじゃ困る。教師と生徒の恋愛は禁止だ。それに、教師なんかに好意持っては風紀を乱す事になるぞ」

「そうだけど。別にいいじゃないか。バレなきゃいいんだ。一回経験として、付き合ってみろよ。そんな経験、人生で一度だってないぜ」

「一度もなくていい」

「さすが、見惚れるほどの女嫌い」

「教師の鏡と言いたまえ」

「あははははは! にしても、君が女の子の事を話すなんて珍しいね。もしかして、君も彼女のこと気になっているんじゃないか?」

「馬鹿言うな。俺は愚痴ぐちってるだけだ」

「ま、だろうね」

二人は目の前に置かれたホットコーヒーを軽くすする。喉を通る熱い液体はやがて胃に収まり、胃液をほんのり温める。一瞬、静寂が訪れた。無藍は、その一瞬に心の安らぎを感じていた。しかし、ほんの一瞬。

 扉の方でカランカランと金属が美しく奏で合うメロディーが聞こえた。客が来たのだ。いつも無藍と彩文しか来ない喫茶店なので、珍しいと思い無藍は、扉の方に視線をやった。無藍は、錆びた自転車のブレーキ音みたいな声で「何」と言った。なぜなら、そこに立っていたのは噂をしていた例の美人こと網長であったからだ。

 すると、その情けない声の方を向いた網長はハッと驚く。

「先生じゃん!」その声にまた無藍は驚かされる。

「おい、あの子は誰だ? 知り合いか」唯一状況を理解できない彩文に小さな声で真実を伝える。

「あれは、あのあれだ。さっき言ってたしつこい女だ」

「あぁ! なるほど、かわいいじゃないか」

「どうしてここにいるの先生」

「それを言いたいのは、こっちの方だ。まさか、ストーカーして来たのか」

「違うよ! ここは、私が休日よく来る喫茶店なの。ここのショートケーキが美味しいのよ」

「嘘」

「嘘じゃないわ。ねぇ、柳田やなぎださん」この、柳田さんとはどうやらここの店長の事らしい。

「えぇ、お二人はよく来てくださってますよ。こんな、所に……本当、助かってますよ」

「ね? 嘘じゃないでしょ」

「そうか。じゃあもうここには来ないでくれよ」

「ええ! どうしてよ」

「俺が来れないだろう」

「どうして? 私がいたら何が駄目なのよ」

「じゃあ、はっきり言ってやる。俺はな、お前のことが……」と思いを伝える前に彩文が言葉をかき消して割り込んできた。

「待ってよ、お嬢ちゃん。君の話は聞いたよ。なぜ、こんな女嫌いに近寄ろうと思うんだ」

「……。」

「あぁ、すまない僕は無藍君の親友。彩文と言う」いつから親友になったんだと無藍はつっこみかけたが、彼の思い込みが酷いことは前からだったのでとりあえず今回は見逃す事にした。

「んで、君は彼が女嫌いなことを知ってるのか」

「先生が女嫌い? そんなことないわよ」

「へぇ? これだから無知とは怖いもんだ。僕は君よりも長いこと会ってるんだぜ?」

「いや、そうじゃなくて……」

「じゃないのくそもない。僕はなぁ、彼の親友として……」とここで何か危険と感じたのか無藍は、二人の会話を止めるように立ち上がった。

「彩文、そのコーヒーを飲み干せ。帰るぞ」

「えぇ、先生もう帰るの?」

「僕は、忙しいんだ。二学期の準備をしなきゃならないからな。」

「そう、じゃまたね先生」その言葉に返事はせず、彩文を連れて店を出た。

 店を出た後、二人はしばらく黙って歩いていたが、やはり彩文が話しかけてきた。

「なぁ、君。もしかしてさっき、あの子に嫌いとか言おうとしてただろ」

「それが何か」

「やめといたほうがいい。失恋を経験したことがあるから知っているんだ。愛とはただ人を幸せにするもんじゃない。時にナイフのような鋭利さを持って人を殺すこともあるんだ。つまり……」

「お前が話しても信憑性がない」

「あはは そりゃそうかもしれないけどさ」

「それと、お前は少し余計なことを言い過ぎだ。これから二度とあの女に関与するな」

「……へへ。それは、すまないな。あぁ、うん」

「なんだよ」

「なんでも」

それから先、会話がはずむことは無く、途中で挨拶無く別れたのだった。

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