嫌い嫌いも恋のうち

庭鳥 十坂

第1話 「この男、愛に興味無し」


 普通、大抵の人間は何かしらと恋したいと考えるものであり、思春期を迎えれば愛されたいと願う生物である。例え口先では、愛なんか知るもんかと言っても、愛の全てを知りたいと思うものである。しかし、「大抵」と書いたように生涯愛に飢えぬとする例外が極稀ごくまれにいる。そんな稀が、ここにいる。紹介しよう、そいつは「無藍ぶあい 照昭てるあき」という男だ。

 無藍は、愛への執着心がまったく無い。どれくらい無いかというと、お付き合いだとか、結婚だとかばかばかしいと考えるだけでなく、犬とか猫とかにデレデレするのもいやらしいと思うほどだ。

 おまけに女嫌いで、これは母親の虐待が関係しているのだが、女が横を歩くと舌打ちし、少しでも触れるとまるで蛇にでも噛まれたくらいの叫び声を上げて相手を振り払う。そして、基本的に女に近づきたくないから、電車は使わず車で通勤し、日々男性専用車両が用意されるのを待ちわびている。辛いトラウマがあったからと言ってさすがにやり過ぎである。ここまでやるのは、もう生粋の女嫌いで間違いないだろう。

 ここまで聞いて、大抵の女性の方々はこんな男こっちからお断りだ! と思っただろうが、この男、残念なことに爽やか系のイケメンである。身長も185程あり、傍から見ればモデルにも見えるので自然と女が集まってきてしまうのだ。この無藍最大の弱点に、彼自身も気づいてはいるのだが、無藍は25歳の私立高校の教師であるが故、下手に服装を崩したり、汚くすると仕事に支障をきたすので出来ないと言うのが現状である。

 さて、そろそろこの男を詳しく見ていきたいのだが、こいつは母親の影響か、少し性格が悪い。見るに堪えないと判断した場合は、読まぬ事を推奨しよう。


 季節は桜散り、青い葉が茂る頃。子供たちは夏休みに入っているが、教師の無藍にはそんな休みは無い。なぜなら、女子ソフトテニス部の顧問なので、大会に向けて部員とともに学校におもむき、暑い中練習しなければならないからだ。

 この状況、無藍にとって最悪の場面である。ギラギラに光る太陽の下で、ぎらぎらいな女と一緒に興味の無いスポーツをやらねばならない。無藍は、故障したエンジンのような声でため息をついた。

 そもそも、なぜ女嫌いが女子ソフトテニス部の顧問になったのか。これは、いうまでも無いかも知れないが、とにかく顧問をやらせたい学校側がむりやり押し付けたからである。

 無論、無藍にテニスの経験は無い。だから、まともな指導は受けさせてやれるはずが無いなのだが、女子ソフトテニス部は彼が入って以来、県大会優勝の快挙を成し遂げている。数年前までは、弱小であった事実が嘘のようだ。繰り返し言うようで悪いが、これは決して無藍の努力とか指導では無く、女子生徒達がなんとかイケメン顧問に褒めてもらおうという欲望が原動力となって起こした奇跡、または努力なのである。しかし、どうしたことか学校や親はこの好成績を取らせたのは指導した無藍に間違いないと思い、もうしばらく顧問をやめさせる気はないらしい。さっさと顧問をやめたい無藍からすると酷い話である。

 さて、そんな無藍は今日も練習内容を全て生徒にまかせ、見守ってるふりをしながら空を適当に眺めていた時、ボールが1つ足元に転がってきた。練習用のボールである。それを取りに行こうと近づく生徒も1人。

 ちなみに、練習用ボールはわざわざ取りに行かずともスペアが大量にあり、このような行為は時間を奪うだけの愚行なはずなのだが、何故かそれをとがめる者は1人としていない。なぜなら、この状況になったときここにいる女子は皆同じことをするからだ。なんなら、この時周りの女子はあぁ、羨ましいと思ってたに違いない。

 しかし、なぜこんな回りくどいことをして、無藍に接近するのか。それは上記にも書いた通り、この男が生粋の女嫌いであり、徹底して女に近づかないよう行動しているからだ。部活が終わっても何も言わずさっさと帰ってしまう全放棄野郎ぜんほうきやろうなので、こうやって顧問という鎖に繋がれているときに近づいていなければ互いに正面が向き合う事もない。

 ゆっくりとした足取りで、近づいて来たのは小顔で幼い顔の美少女「網長あみなが 由美花ゆみか」だ。学年で1、2位を争うほど可愛らしく、この美人に初恋を奪われた輩は少なくない。さぁ、例え教師であろうとも恋に落ちておかしくない美少女と究極の女嫌い無藍の直接対決が始まった。

 「先生すいません、ボール拾ってくれませんか」とボールの引き渡しを迫ったのは網長。これに仕方がなく応じる無藍。持って行くのは面倒だし、そもそも女に近づきたくない無藍はボールを投げてやろうと思い、視線を上げる。しかしそこにはもう間隔1メートルも無い位置に網長が接近していた。

 うわ、しまった! と接近を許した事を後悔する暇もなく網長は、さらに言葉を続ける。

「あはは、投げなくてもいいですよ。ボール、拾っていただきありがとうございます」その言葉とともに上げられたボールと手を優しく掴み自分の胸の近くまで引き寄せる。

 あぁ、なんてことだ。接近どころか、触れることも許されるなんて。女嫌いとして、一生の恥だ! そう思ってはいるのだが、なぜだか二人を繋ぐ手が離されぬ。これもやはり網長の策略で、長いこと触れ合えば人間はきっと恋愛感情を持つだろうという戦略である。もちろん、こんなことは普通一般の顔ではこの策は成り立たない。彼女のような美人でなければ成功しない。例外を除いて。

 無藍はもちろんその例外の1人であり、むしろ逆効果まである。触れられた手が離れない事でどんどん彼の不快感が積もっていき、ついには無理に手を引っ張る荒業を披露して、離すことに成功した。そして次に彼はこんなことを口走った。

 「テニスラケットを持つ手は汚い。離せ。」

 もう教師の吐いていい言葉じゃない。さすがの美人、網長もこの暴言には敵わずさっさと練習に戻ってしまった。しかし、彼女の無藍熱ぶあいねつは冷めることはなかろう。なぜなら、彼女が練習に戻る際、思っていたことが「やった! 話しかけてくれたわ!」なのだから。

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