ひとまず私の身の上話
さて、突発的に執筆を開始した手前、法律・制度関連のお話は調査不足なので、ひとまずは私の身の上話でもつらつら語らさせていただこう。
「テメ―の下らねー自分語りなんざ聞きたかねぇ―んだよォー! もっと法律とかのお堅い話をしろやァー!」というロックな読者の方々は、いっそ読み飛ばしてしまってもいいかもしれない。まぁ、筆者との私としては、せっかくこうして書いたのだし、読んでいってもらいたいのだが。
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さて、サクサク行こう。
今を遡ること33年前。西暦1988年、実質的に昭和最後の年。5月初旬、富山県のとある病院で、一人の赤ん坊が産声を上げた。
その日、永多家(仮称)の長男として生を受けた、くりくりとしたおめめが特徴的な珠のような赤ん坊は、真澄(仮名)と名付けられた。
言わずもがな、私だ。
当時の私の姿は我が家のアルバムに記録されているが、確かに神々しさすら感じる可愛い赤ん坊である。天使かしら。現在の醜態とは比ぶるべくもない。どうしてこうなった。それを今から語ろうってんだよ。
私は長男であると同時に祖父母にとっては初孫ということもあり、それはもうちょんちょんにされた。ちょんちょんにされたというのは富山弁でめちゃんこ可愛がられたという意味である。つまりめちゃんこ可愛がられたワケだ。
さて、このエッセーを執筆するにあたり、祖父母世代では唯一存命の当事者こと父方の祖母にインタビューを敢行し、当時を振り返ってもらった。
余談であるが、祖母は御年89歳。最近はだいぶ耳が悪くなってきたが、まだまだしゃんしゃんなばあちゃんである。ちなみにしゃんしゃんな、とは富山弁で矍鑠としたさまを表す慣用句だ。要は元気なばあちゃんということである。調べてみたら割と全国的に使うみたいね。話がそれた。
それはさておき、インタビューの結果であるが、かなり高度な富山弁を用いた供述であり文章に起こすとワケわかめになるので、以下に要約する。
今でもやっているのかどうかは縁が無いので知らないが、私が産まれた当時は新生児をショーウインドウのように陳列して見せびらかす儀式をやっていて、上で述べたとおり、出生時の私はほかのどの子よりも目が大きく、よく目立ったそうだ。くりくりおめめと言えば可愛らしいが、後の展開を知っている身からするとこれもう完全なフラグである。
私は逆子で未熟児だったこともあり、ちょっとばかし病院でお泊りしてから現在の実家へまかりこしたわけだが、待望の初孫であった私を祖父母はそりゃもうちょんちょんにした。上記のとおりである。
微笑ましい日常の一幕であるが、しかし、この過剰ともいえる可愛がりが、私の生命を別つ分水嶺となった。
さいしょに”それ”に気づいたのは、父方の祖母であったという。
「ねぇあんた、この子、右だけ瞬きしとらんがじゃないけ?」
祖母はそう、父に注進したのだという。そこで、父母も私の異常な兆候に気が付いたそうだ。
祖母の談では、その時、私の右目は瞳孔が開ききっており、光の反射なのか何なのか、瞳が金色に見えたという。
我が家は静かなパニックに襲われた。
もちろんそれは、これから来たるパニックの前哨にしか過ぎなかったのだが。ともあれ、父は私を連れ、私が産まれた病院へ急ぎ走った。
眼科の医師は、すぐさま大学病院への紹介状を書いた。
その時点で発覚したのか、それとも紹介された金沢医科大病院で発覚したのかは、定かではない。情報の錯綜っぷりからも、当時の我が家のパニックの状況を推察できる。
しかし間違いなく、いくつかの事実は発覚した。
一つは、その時点で既に、私の右目は機能を停止していたこと。
一つは、病状の進行からして、私が生まれながらにして、厄介な病魔に体を蝕まれていたこと。
――そして、このままでは命がないこと。
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「網膜芽細胞腫」
それが、私を蝕んでいた病魔の名前だ。Wikipediaによると1万5千人にひとりの確率で発症する、いわゆる小児癌である。
父はこの病気と、私の出生の数年前に発生したチェルノブイリ原発事故との関連性をうそぶいていたが、そういう陰謀論的なのはひとまず脇に置く。このエッセーは別にMMRではないので。
さて、この段になって私には二つの選択肢が突きつけられた。いや、選択肢と呼べるような代物ではない。実質は一択。
病魔は、私の右目を既に食い尽くしてしまっていたから、いつどこに転移してもおかしくはない。病魔を完全に駆逐するためには、右の眼球を一つ、犠牲にするほかなかった。そうでなければ、待っているのは死である。
すぐさま手術は執り行われた。腫瘍は右目だけでなく、左目の一部と脳にまでその魔の手を伸ばしていた。
ちなみにこのとき摘出された眼球は、スライスされて学術標本として保存されているらしい。今でも現存しているのかは定かではないが、私の眼球から学生諸子が学びを得ているのかと思うと、どこかこそばゆい想いがある。
なお、この時行った放射線治療の結果、左目は白内障となり、更には成長ホルモンを分泌する器官を損傷して小人症まで発症することになったが、まあ生きているだけめっけもんと言えるだろう。
小人症についても、注射で直接成長ホルモンをぶち込むことで、現在は(四捨五入すれば)180センチ近い身長と100キロを超える体重を得ている。体重は不摂生が原因じゃろ、という真っ当なツッコミには、つとめて耳をふさがせていただくが。
ともあれ、私は生後二か月にして右の眼球を失い、一命を得た。
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