後編

 そうして、二人して所在なく雪を眺めて息を吐いて、お互いの白い息を見ながらお腹を空かせるに至っている。部屋には入れない。近所の鍵開け業者を調べたがもう開いていない。実家に帰ろうにも先輩の実家は三重、僕の実家は山形である。急には帰れない。

 しばらくすると雪が降ってきた。深々と、粉のように降り積もる雪は趣があったが、しかし今日に限って言えば天を恨まずにはいられなかった。


「あ」

「どうしました!?鍵見つかりましたか!?」

「今年は紅組勝利濃厚だって」

「呑気に紅白の情報みてんじゃねーですよ!」


 何かと思えば紅白歌合戦の趨勢すうせいをSNSで見ていたらしい。

 刑部先輩は持ち前の呑気さを発揮してほにゃっとしている。先輩の美点であり好きなところではあったが、ふたりそろってポンコツと化した今日はそんなことも言っていられない。


「ひとまず、駅まで戻りましょう。ネットカフェは年末年始も多分開いてます」


 僕がそう提案し、先輩は頷く。

 いい加減、落ち着く場所が欲しい。年末年始はお互い予定もない。どうせゴロゴロしながらネットや本を見て過ごすだけだ。しかし、せめて暖かい場所で年を越したい。


 アパートから歩いて10分ほど。

 町から人の姿はすっかり消えていた。これが都心となれば人出も多いのだろう。しかし、関東郊外のかろうじて歓楽街がある程度の駅には人の姿はすっかりまばらであった。開いている店と言えばコンビニくらいのものである。


「そういえば湯気で思い出したんだけどさぁ」

「その話まだ続けるんですね。いや、いいですけど。湯気がどうしました?」

「年越し蕎麦食べたいなって。わたし、年末は紅白とガキ使をザッピングしながらおそば食べないと越した気がしないの」

「蕎麦っすか。……そういやこの駅、蕎麦屋無いっすね」


 駅構内の蕎麦屋は去年まではあったが閉店してしまった。古いタイプの蕎麦屋はおろか、チェーン店も存在しない。

 言われてしまうと僕まで食べたくなってくる。


「え?コンビニ開いてるよ?」

「……カップ麺っすか」

「いいじゃない、カップ麺。わたしは好きだよ」


 ねぇ、と瞳をくりくりしながら首をかしげる。その動物的な所作はわざとやっているとしたらかなり計算高いが、しかし完全に天然物であった。この人物はぽんこつな言動と行動を繰り返しつつも、奇跡的なバランスで嫌われていない、むしろ皆から好かれている。その理由は天然で純粋で、邪気という邪気が失われているような人間性ゆえである。


 ふと想像してみる。

 丸い顔を綻ばせながらカップ蕎麦をすする刑部先輩。顔を赤くして、くゆる湯気に眼鏡を曇らせながら一心に、むさぼる。喉を鳴らして黄金色のつゆを飲み干し―――


 そんな、おいしそうに蕎麦をすする姿が容易に想像できた。想像の中の先輩に触発されて僕までお腹が空いてきてしまった。


「先輩、かなりずるい人ですよね。どうかと思いますよ、僕は」

「え、ごめん。……わたし今何について罵られたの?」


 戸惑う彼女の言葉には応えず、ひとまず最寄りのコンビニに入ることにした。

 二人そろって『緑のたぬき』を購入し、お湯を入れて3分待った。

 イートインコーナーは無かったので、タイマーで時間を計りながらコンビニ近くにあった公園の屋根のあるベンチに座って待つ。


 雪は次第に深くなりつつある。先ほどは勘弁して欲しい、と思ったが暖かいお湯の入ったカップが手元にある状況だと、少し心に余裕が出てくる。


「いつも思うんだけど、なんで『赤いきつね』の蕎麦って無いんだろうね。あったら絶対買ってるのに」

「『紺のきつね』はあるらしいですよ。僕は見たことないですけど」

「へぇ?紺とコンコンって掛けてるのかな?かわいいね」

「刑部先輩、キツネそばの方が好きなんですか?」

「そうだねぇ。油揚げの方が好きかな。普段だったら『赤いきつね』だね。でも年越しなら、やっぱりそばしか考えられないね」


 こんなにたぬきっぽさにあふれているのに?などと聞くのはさすがに失礼が過ぎる気がしたので聞かなかった。

 そうこうするうちに、タイマーが時間を告げた。

 待ってました、とばかりに先輩はふたを開け、眼鏡を曇らせながらはふはふとそばを啜り、つゆを啜ってのどを鳴らした。最後に赤くした顔を綻ばせながらこちらに向けてきた。完璧である。想像通りのシーンがそこに再現されていた。


「美味そうっすね、先輩」

「え、あげないよ?」

「同じもの持ってんのにもらうわけ無いでしょ。あんたの食べ方がおいしそうって話してんですよ」


 たまらず、自分の持っている緑のたぬきを開けて食べ始めた。

 湯気があふれ出し、目に染みるよう。蕎麦を啜りつゆを飲み込むと、今度は五臓六腑に染みるようだった。

 想像した通りの味と感触が口から体中に広がっていく。その当たり前のことが、とても幸せに感じる。


「うふふっ」


 だしぬけに先輩が笑い出した。

 なんです、と聞くと「あ、ごめん。おいしそうだったから」と自分のつゆをすすりながら言う。


「なんかさぁ、寒い中で暖かいもの食べるのって、いいよねぇ」

「わかります。おいしさ三割増しですよね」

「あ、あと人と食べるのも。わたし、最近はスマホ見ながら食べるだけだったから。誰かと食べるのは久々だなぁ」

「えっと……まぁ」


 誰かと食べるとおいしい、なんて月並みな言葉だ。それをわざわざ言うのは照れ臭い。しかし、目の前で美味しそうに食べている狸のような刑部先輩を眺めていると、やっぱり悪いものでもないのだろう。おいしそうに食べる人と一緒だと、こちらまでおいしくなってくる。


 まぁ、こういう年末があってもいいか。これはこれで思い出にはなるだろう。

 カップからか、それとも僕の自嘲したため息か。白い湯気が天に昇っていく。


 余談だが、彼女の鍵は彼女のカバンの底からカウントダウン直後に発見され、僕の鍵は後日、バイト先のエプロンのポケットから発見された。これもいい思い出……と言っていいものかどうか。

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大晦日の夜に鍵を失くし、公園でそばを食べるだけの話 佐倉真理 @who-will-watch-the-watchmen

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