きょうを読むひと

有澤いつき

きょうを読むひと

「群青に さやけき月の かたちかな」


 俺の友人は変わっていると思う。学校の帰り道に突然そんなことを言い出す程度には。

 それもいつものことだと言ってしまえばおしまいなのだけれど、俺はどうしてもそれを無視できない性分だった。気になることはつっかかる。引っかかりを放っておくと気になって落ち着かなくなる。どうしてだろう、どうしてだろうと奇妙な疑問が――他人からすれば気にしなくてもいいことを気にしてしまうのは俺の悪癖なのだ。

 それでも、気になるんだから解明せずにはいられない。わからないことがすごくモヤモヤするのだ。


「……月がどうしたって?」

雅人まさと、ほら見てみろよ」


 怜志れいしは興奮した様子で上を指さした。俺もつられて指を追う。

 夜空だ。雲のあまりかかっていない空がある。確か今日は日中も快晴で、朝の天気予報では綺麗な星空が見られるでしょう、と言っていた気がする。天体観測するには十一月の夜は肌寒いが。ああでも秋から冬にかけては空気が澄んで星を見やすいんだっけか。……そんなことは今思い出さなくてもいいけど。


「もうすっかり暗くなったな。空がどうかしたか」

「俺が詠んだの聞いてただろ⁉ 月だよ月!」

「……ああ」


 俺は怜志の言わんとしていることを理解しようと、夜空にある月を見た。円を描いた白い月が浮かんでいる。今日は満月だっただろうか。さすがに天気予報では月齢の話はしていなかったんじゃなかろうか。


「どうだ?」

「どうだ、と言われても」


 俺は言葉を濁す。怜志から送られる期待の眼差しから逃げるように月を睨んだ。十一月の空はもうすっかり暗くなるのが早い。群青色をした空に浮かぶ月……さやけき、かたち。俺は友人の詠んだ渾身の一句を何度も脳内で繰り返した。上方の月を見つめながら。

 それから力なく首を横に振る。


「群青色と呼ぶには暗すぎないか? 黒でいいじゃねえか」

「ちっげーんだよ! わかんねえかなあ」


 あー、と怜志は露骨に無念そうな溜め息をついた。ここまであからさまに失望されると俺だって釈然としないものを覚える。お前が感想を求めてきたんじゃなかったのか。話を振ったのは俺だとしても、だ。


「学校の帰り道、霜月の暗くなった夜空。一見するとそれは漆黒に見えるかもしれないが、太陽の沈みかけた際のわずかにグラデーションの残ってる部分! あの絶妙な色合いは漆黒と呼ぶには違うんだよ」

「月のある場所は黒く見えるけど」

「そこが! コントラストなんだよ!」


 わからない。俺には友人の熱く語る意図がやっぱり理解できない。

 怜志は続ける。


「月の輪郭がくっきりと浮かび上がって、その月影が幻想的で美しいっていう、そんな情感が十二分に込められた句だとは思わないか⁉」

「……ならそう言えばいいじゃねえか」

「十七字に収まらねえだろ」

「十七字で伝える意味あるか?」

「お前は! 今この瞬間! 全世界の俳人を敵に回したぞ‼」


 ムキになって怒る怜志を見るが、俺は困惑の表情を浮かべることしかできなかった。


 俺の友人・楠城くすき怜志には変わった趣味がある。俳句だか川柳だかよくわからないが、五・七・五で一句詠むことだ。

 本人がどういった意図でそれを続けているかはわからないし、本気で俳人になりたいとか職業として食っていくとかはわからないが、それは怜志の一部になっている趣味だ。部活の風景や教室の窓から見たもの、今日みたいに学校の帰り道の夜空、家族団らんのひととき――様々な瞬間を怜志は句にする。そして閃くと俺に共有してくる。そのたびに期待に満ちた眼差しで感想を求められる。俺はこいつの趣味についてとやかく言いたくはないが、いちいち感想を求められるのはちょっと億劫だった。


 怜志はいいやつだ。感受性豊か、と言えばいいのだろうか。積極的に人の輪に入ろうとするしチームの盛り上げ役を買って出たりもする。俺が知っている俳人なんて国語の教科書で見たような名前くらいしかないから、着物着て静かにここで一句、みたいなものを想像してしまうが、こいつはそういった「風流」とは無縁な、俗世にまみれた生活を送っている。でも詠む句は「風流」を目指しているという。

 それが俺には、よくわからない。


「しっかし、今日はいい句ができたと思ったんだがなあ」

「お前がいいと思ってるならいいんじゃねえか」

「ダメなんだよ」


 俺の言葉に怜志は強く首を振った。


「お前にもいいって感じてもらえるような句じゃないとな」

「なんで俺」

「だってお前、風流なんてわかんねえだろ」


 何が「だって」か知らないが、俺は押し黙った。


「…………」

「なんだよその顔。よっぽど認めたくなかったと見える」

「バカにされてるみたいで嫌だ」

「なんだそれ」


 お前って意外と子供っぽいところあるよな、と怜志が笑った。嫌味に見えないのがよりムカつく。

 そう。俺には「風流」がわからない。芸術的な感性と言えばいいんだろうか、そういったマインドで感じるべきものを、俺はどこが良いのかまったく理解できない。

 輪をかけて厄介なのが俺の性格だ。わからないことを放っておけない。どっちかといえば俺は理論的なタイプなんだと思う。そこに理屈があって、ロジックを組み立てて結論にたどり着いてようやく納得する。その過程に不明瞭な部分があることは解き明かしたくてモヤモヤする。その代表格が、「風流」である。


「お前の詠んだものを理解しようとはしてる。でも、読み込むほどにわからなくなる」

「というと?」

「そんな回りくどい言い方をせず、直截に言えばいいのにと」

「……お前さあ」


 怜志の胡乱な視線はこの手の話を重ねていくと必ず見られるものである。つまり、俺はまた同じ結論にたどり着いてしまったということだろう。


「文豪にも同じこと言えんの?」

「文豪……というと」

「夏目漱石が『I love you』を『月が綺麗ですね』って訳した話」

「ああ……でもあれは創作の可能性もあるって」

「ならそれでもいい。誰かがそう感じ、言葉を編んだってことだろ」


 言葉を「編む」というワードチョイスも俺との違いを感じるところだ。俺はそんな単語使おうとも思わないし、現代文や古文を読んでいても、特に物語となると理解に苦しむ部分が多い。

 怜志は言う。


「風流ってのはさ、面白さなんだよ。遊びでもいい」

「遊び……」

「そ。お前の合理的な考えはもっともさ。わざわざ回りくどいことを言ってうまく伝わらなかったら意味ないし、そんな面倒な表現をしなくてもいい語彙を俺だって知ってる。でも詠むんだ。先人の五・七・五なんていう鬼みたいな縛りの中で表現することに楽しさを感じてる」


 怜志の見ている世界と俺の見ている世界とはまったくの別物なのではないかと、時折思うことがある。

 たとえば今日の月。俺には真っ暗い空に丸い月があるようにしか見えない。でもそれを、同じものを見ているはずの怜志はさっきみたいな言葉で表現する。夜空の群青色と月影のコントラスト? 輪郭の鮮明さ? それが何をどうしたら魅力的に映るのか。むしろ何故、そんな風に見えるのか。

 俺は赤ペンで答えを渡された子供だ。テストならそれを写せば正解できるけど、俺にはその答えの意味が理解できない。どうしてそうなる? 途中の計算式も書いてほしい。いや、そのために怜志が解説をしてくれているんだろうけど、そもそもどうやったらそんな風に見ることができるのか。起点が前提として違う気がした。


 わからなくてもいいはずなんだ。「風流」なんて、知らなくても生きていける。別に俺は芸事で身を立てたいと思っているわけではないのだし。じゃあ何になりたいかと問われると、それは別の話になるが。

 ただ……俺の理解できないことに熱を注ぐ、友人のキラキラした眼差しが少し、羨ましかったりする。


「……いいな、そういうの」

「は?」

「いや。お前がそんなに楽しんでる川柳を、俺が理解できないのが腹立たしい」

「腹立たしいと来たか」


 怜志は苦笑していた。


「じゃあこれは宿題にしよう」

「宿題?」

「そ。俺が詠んだ句を、お前は読むんだ」


 ……すぐには理解できない提案をされた。


「ちょっと待ってくれ。お前の句を……よむ……?」

「そう、読む。『読書』の『読』むな」


 どうやら漢字の話をしているらしい。友人の言葉遊びは今に始まったことではないが、口頭で言われるとすぐに理解できないのが難点だ。それに付き合わされるのもなかなか骨が折れるのだが言わないでおく。

 それに、今日はなんとなくいつもと違う気がした。


「俺が詠んだ句を読み込め。そして意味を考えるんだ。何故俺はこの題材を選んだのか? 何故この言葉を選んだのか? 俺は何を伝えたかったのか? そして……お前ならどんな言葉を使うのか」

「俺なら?」

「そうすれば、お前に風流を理解してもらえる気がしてさ。まあ今回はさっき俺が解説したし、それをヒントに考察してくれればいいよ」

「考察、と来たか」

「論理的に考えるのは得意なんだろ?」


 同意を求める怜志は心底楽しそうだ。

 現代文は苦手だ。文章から心情を推し量れとか、この描写が何かの暗喩だとか、そういったものを見ていると余分だと思ってしまう。怜志の川柳なり俳句なりも同じだ。そんな面倒な手法を取らなくても、せっかく言葉があるのだからもっと明確な言い方をすればいいのにと思ったことは少なくない。

 でも、詠んでいるときの怜志はとても楽しそうで……友人として同意を求められれば、それに理解を示したいとも思う。

 未知なるものは解明したい。不明瞭なものには納得を与えたい。論理的に考えて、俺なりの手法でも答えを導けると言うのなら――


「……なるほど」

「ん?」

「論理的に考えて結論を出す、か。俺の方法で風流を理解する――お前も譲歩してくれたわけだ」


 ただ、お互いの主張をぶつけるのではなく。

 怜志は一瞬目を丸くしたが、はにかんで答えた。


「お前には俺のファンになってもらいたいからな」

「なんだよそれ」


 悪くない。きっとそれもひとつのアプローチだ。

 見上げれば夜空に白い月。浮かんだ月影の輪郭は、さっきよりも明瞭に見えた気がした。

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