世界遺産からの脱出

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 会長の山本はグラスを高く掲げ、マイクに向かった。

「それでは、一千いっせん件達成を祝して、乾杯!」

 会場は乾杯の掛け声と、それに続く拍手に包まれた。参加者は五百人は下らないだろう。盛大なパーティーだ。

 は、東京都内に於ける、千件目の世界遺産登録達成を記念して、都庁の42階を宴会場に盛大な祝賀パーティーを開いていた。パーティーには、文化庁、日本ウネスコ協会の幹部が参列していた。スイスのウネスコ本部からも委員会のメンバーが招待されていた。

 窓外に広がる、暮れなずむ東京の街を見ながら、関係者は感慨にふけっていた。ここまでの長かった道のりが思い返される。がむしゃらに世界遺産の誘致活動を続けてきた。

 千件目は、リニアモーターカーだった。その路線、車両、駅などを含めて、世界文化遺産に登録された。既に開業から二十年余り経っているが、大阪までの延伸開業を契機に登録の活動が始まり、一ヶ月ほど前に、ウネスコ世界遺産委員会によって正式に認定されたのだった。


 21世紀も折り返しに入り、世界には既に無数の世界遺産が登録されていた。首都であり、歴史ある街でもある、ここ東京は突出して多くの世界遺産を擁していた。彼らがパーティーを開いているこの都庁は、二十年ほど前に世界遺産に登録された。文化財保護法で保護されているため、改修にはウネスコの了承と文科省の了承の両方が必要だった。勝手に工事を行えば、世界遺産登録や文化財指定が解除されかねない。関係者の頭の痛いところである。

 世界遺産の増加に伴い、改修などの工事の申請件数は膨れ上がって行った。東京だけで年間十万件を超える申請があり、書類の処理だけで膨大な時間を要した。許可が下りるまでの時間は徐々に長くなり、今では一年以上待たないと認可されない事態も起きている。また、工事業者も慢性的に不足しており、手配をしても何ヶ月も先になることが常だった。そのため、都庁の第一本庁舎のような高層ビルは、躯体くたいを維持する最低限の改修工事、保守工事以外は、なかなか手がつけられなかった。

 四十機余りあるエレベーターのうち、まともに動くのは十機ほどになっていた。エレベーターを待つより早いと、職員は十階ほどなら歩いて上り下りするのが日常になっていた。その階段も老朽化しており、ステップの鋼材が所々朽ちて欠落していて危なっかしかった。そんな理由で、都の職員の採用試験の一つとして、階段の駆け上り、駆け下りを行うようになった。都の採用試験が近づくと、都内の其処此処そこここで、ビルや神社の階段を上り下りして体を鍛える受験者の姿が見られた。


 それでも、都庁は世界遺産であり続けた。これは文化人会の存在に拠る所が大きい。東京の世界遺産は文化人会という強力な支持団体により躍進してきたと言っても過言ではない。しかし、最初から世界遺産に注力してきた訳ではない。当初、つまり時代が令和に変わる頃は、単なる文化人の寄り合いだった。暇な文化人の仲良しクラブといった所だろうか。ただ、そこに名を連ねるのは、政治家、弁護士、医師、芸術家、スポーツ選手など、社会的な地位も名誉もある人々であり、社会に対して持つ影響力がうかがい知れた。

 庶民より金回りは良いが、必ずしもが良いわけでは無いので、少し手取りがいいくらいの一般市民と余り変わらない金の使い方をしている者が多かった。ブランド品を身につけたり、BMWやでっかいSUVを乗り回したり、ゴルフをしたり、別荘を買ったりといった具合だ。しかし、中には本物の金持ちらしく、南極で避暑をしたり、アマゾンを探検したり、ネパールの秘境に紅茶を探しに行ったり、自転車でアフリカを一周したり、バングラディッシュで感染症予防の活動をする、などという粋な会員もいた。


 文化人会が世界遺産に注目したのは、ちょっとした仲間うちの会話からだった。幹部の一人が会長に話しかけていた。

「山本さんよ、暇ですなあ。ただ、幸いなことに、文化庁が文化振興には前向きなので、我々も財源には困りませんな。相当な補助金が入ってきてますよ。大したことはしていないんですがね」

「そう、補助金が入ってくるのはいいが、さすがに何かしないと世間体が良くないな」

「ちょっと思ったのですが、世界遺産を推しては。今でも、ウネスコ協会や自治体が頑張っていますが、我々には、政治力も資金力もあります。幸い、国民は『世界遺産』が大好きです。我々が後押しすることで、世界遺産がどんどん増えれば、国民の間で我々の評判も上がり、税金、いや失礼、補助金もこれまで以上にガポガポと入るでしょう。いかがですか、山本さん」

「それ、乗った。じゃあ、政治力と資金力を総動員して、バリバリやろう。目標は、都内で年間三十件の世界遺産登録だ。やればできる。世界遺産登録の推進であれば、都民は諸手もろてを挙げて賛成するだろう。反対する者なんておらんよ。我が会は、その名の通り文化振興に貢献するという訳だ。まぁ、毎日あくせく働いている庶民に、高尚な文化の風を少しは味わってもらいましょう、という事だ」

 元々、行動力のある人達だ。一旦決まれば、動きは速い。瞠目どうもくすべき働きで、次々と世界遺産を誘致し始めた。それから、三十有余年を費やして、今日こんにちの「千件達成」を成し遂げていた。


 田代は、近くにある満腹食堂に来ていた。いつもの日替わり定食を注文する。ごはんのお代わりができるのでお気に入りだ。そこへ、山崎が入ってきた。山崎を見た田代はごはんを口に運びながら言った。

「おう、今日は休みか」

 山崎は隣の席に座りながら言った。

「おっちゃん、俺も日替わりちょうだい。田代、久しぶり。いや、休みというか、小田京線が保守で終日運休なんだ」

「また、運休か、この頃多いな。一週間に一日は止まっていないか」

「ああ、でも新幹線よりはマシらしいよ。あっちは三日に一日止まっているらしい。もう保守も限界じゃないかなあ」

 山崎は運ばれてきたミックスフライ定食に箸を付けながら言った。

「田代はいいなあ、通勤が無くて。今でも同じ職場か? オヨタ自動車だったよな」

 田代はエビフライをつまみながら答えた。

「ああ、こっから歩いて5分くらいさ。背伸びしたら大きな屋根が見えそうな所だ」

「あの工場はでっかいからなあ。オラウンを製造していたから、世界遺産になったんだろ?」

「うん、『いつかはオラウン』のオラウンだ。記念すべき車種だからな。なんでも『文化人会』がスイスのウネスコ本部まで行って交渉したそうだ」

「文化人会の幹部には、オヨタ自動車の役員やOBも名を連ねているからな」

 山崎は、最後まで残していた好物の白身魚のフライに箸を付けた。

「工場はもう稼働していないんで、住処すみかに使わせてもらっている。中のスペースをうまく使ってね。俺の寝床は組み立てライン横の資材置き場さ。改造して使っているんだ。なかなか快適だよ。家賃もタダだし」

「それは羨ましいなあ。お前の工場に限らず、世界遺産に住んで、その保守をしている人は多いみたいだよ」

「ああ、職住近接とはこの事だ。近接どころか、職場に住んじまっているんだからな。今は雨漏りの修理をやってるよ。もう、かれこれ一ヶ月もかかっている。なにせ広いからな、工場の屋根は。でもこれが終わる頃には別のどこかが痛んで壊れるさ」

「その分なら永久に失業しないな。世界遺産、様々ってところか」

「山崎、お前だって同じだろ。都庁の保守が仕事なんだから。あんなボロボロのビル、よく使っているよな、今でも」

「都心は、もう普通のオフィスビルは少ないんだ。皆んな世界遺産になっちゃってね」


 この頃には、東京の名の知れたビルのほとんどは世界遺産になっていた。都庁をはじめ、新宿の高層ビル群、六本木ヒルズ、虎ノ門ビル、渋谷スクランブルスクエア、サンシャイン60、トーチタワービルなどなど挙げれば切りが無い。都庁と同じく、これらのビルは軒並み老朽化し、民間企業の借り手が付かなくなっていた。企業は都外へ脱出し、東京の人口は徐々に減少しつつあった。

 東京タワーは、世界遺産に指定されてから急速に劣化が進み、崩壊の危機にあった。半径三百メートルに柵が張られ、立ち入り禁止になっていた。本来なら、とうの昔に解体されているべきなのだが、世界遺産であるが故に、補強・維持されてきたのだ。しかし、それも限界に近づきつつあった。

 スカイツリーはまだ使われていたが、落下物の危険があるため、半径百メートル以内はヘルメットの着用が必要だった。

 タワーマンションも悲惨だった。区分所有者は、借り手が見つからないため、自分で住まなければならないのだが、エレベーターや上下水道が頻繁に故障し、とても快適と言える状況では無かった。ガラス窓は経年変化ですりガラスのように曇ってきて、自慢の夜景もぼやけて見える始末だった。


 千件目の登録となったリニアモーターカーの例で分かる通り、世界遺産は交通機関にも及んだ。都内の電車路線はほとんどが世界遺産になった。山手線はもう、ボロボロだった。懸命に保線作業をしているが、そもそも車両が朽ちていた。車両が更新されなくなってもう40年ほどになる。しかし、更新されないだけでなく、車内設備の保守も行われていないため悲惨な状況になっていた。シートは剥がれ、窓ガラスは無くなり、床や天井には穴がいていた。雨の日は車内で雨傘が必要だった。それでも電車は走った。鉄道マンの意地だ。自動改札機は壊れたままとなり、昔のように駅員が切符にはさみを入れるようになった。これが珍しかったらしく、地方の鉄道ファンが東京に殺到した。こんな状況でも、鉄道の世界遺産の登録は抹消されなかった。都民は自分の生活が不便になろうとも、「世界遺産」という絶対的権威を信奉し、これを犯す事など考えられなかった。

 実際、東京は世界で一番世界遺産の多い都市となっており、これが都民の自慢だった。ウネスコの事務局長が来訪した際は、都民はボロボロになったマンションの窓から手を振り、これを大歓迎した。


 世界遺産の効果として、もっとも大きいのが観光振興だ。世界遺産目当てに世界中から観光客が集まり、お金を落として行く。それだから政府も世界遺産を後押しする。しかし、世界遺産が増えるに連れ、その効果も薄れてきた。都庁で盛大にパーティーが開かれていた頃、世界の登録数の合計は十五万件に達しようとしていた。これはもちろん、人が一生かけても回りきれるものではない。それで、世界遺産間の熾烈な競争がおき、札束が飛び交った。日本でも、観光業界が「日本の世界遺産百選」を始めたとき、地元の世界遺産をこれに入れてもらおうと、自治体は暗躍した。そんな自治体から文化人会にも、明に暗に「補助金」が流れ込んだ。この資金を元に、文化人会は、さらに世界遺産登録を進め、より苛烈な競争を生むという、なんとも皮肉な構図が続いた。


 文化人会やウネスコ協会など、世界遺産に関係する様々な外郭団体には政府や自治体から補助金が下りる。それはもちろん、世界遺産が多いほど多くなる。しかし、それを上回る勢いで、世界遺産の維持には莫大な経費を必要とした。維持の為に必要な保守工事はいくらやっても追いつかず、ブラックホールのように予算を飲み込み続けた。田代や山崎のような、世界遺産の保守管理に携わる者は、都内だけで軽く十万人を超えていた。その他の関係者を全て含めると、恐らく二十万人以上が世界遺産を生業として生計を立てている事だろう。

 この対策として、ちょうど東京の世界遺産が百件を越えたとき、世界遺産税が導入された。これは地方税で、世界遺産の登録数に従って徴税された。世界遺産が千件に近づくにつれ、東京の世界遺産税は、とうとう住民税の額を超えてしまった。それでも、世界遺産に反対する声は聞こえてこなかった。文化的な活動にはお金が掛かるものだと都民の誰もが理解を示していた。逆に、世界遺産税を渋る者は、を理解しない野蛮人と見做みなされた。自己犠牲を払ってまで世界遺産を支える都民の姿に、文化人会の関係者は涙した。

 こんな東京を、海外の文化人やスポーツ選手達は、羨望の眼差しで見ていた。なぜなら、海外の諸都市では、貧困救済や福利厚生を優先する為、文化・スポーツの関連予算は削減される傾向にあったからだ。文化・スポーツに湯水のようにお金が使える東京は、憧れの街だった。


 住宅街にも、世界遺産のな影が忍び寄ってきた。東京都心には、意外と住宅が多い。都庁の直ぐ横にもマンションや一戸建て住宅は沢山ある。近くのビルや駅、公園が世界遺産に指定されると、その「地区」一帯が対象範囲となり、自分の家が世界遺産に強制的に組み込まれてしまうのだ。そうなると、家の改修も改築もままならず、何をするにもいちいち申請が必要となる。高層ビルや交通インフラからの申請が優先されるため、一般住宅からの申請は実質上、放置されていた。そのため、水道、ガス、電気などの設備が不調をきたし、屋根や窓も壊れ始めた。防犯上も好ましくない。住宅街は、徐々に荒廃していった。


 危機感を覚えた住民達は、こんな苦境からの脱出を計画した。しかし、明に世界遺産を非難することははばかられるがあった。とりわけ文化人会を敵に回すことは、無用なトラブルを生む事になり、避けなければならなかった。

 住民達は表向きは世界遺産に賛成しながら、脱出のための地下組織を作った。アジトは西新宿に置かれた。発起人は孟瀬という男だった。この組織には山崎も加わっていた。というのは、都庁の保守作業のかたわら、近くの住民の家の修理もしていた山崎は孟瀬の家も訪れていた。そこで、この地下組織の事を知ったのである。山崎は、世界遺産に虐げられている住民達の為になればと、協力を申し出た。

 住民達は、世界遺産指定で不動産価値が暴落する前に、ひそかに自宅を売り抜けた。都の担当者は不審に思ったが、毎日のように企業が東京から去ってゆく状況の中、さほど重視もしていなかった。

 

 決行の朝、まだ暗いうちから住民達は新宿中央公園に集まり始めた。皆、家財道具をリヤカーや大八車に積んでいる。自動車を使うことも考えられたが、この先には、道路が損壊したところもある。世界遺産指定の影響で放置された道路だ。とても自動車で通れないところもある。そんな場所は人力で乗り越えなくてはならず、自動車は使わない方が賢明だった。

 いよいよ世界遺産からの脱出だ。先頭にはノルディックウォーキング用のストックを持った孟瀬が立った。その横には山崎がいた。行動を共にする決意だ。家財道具を荷車に載せた、長い長い住民の列が続いた。それは新宿を発し、西へ西へと向かって行った。

 その列は奥多摩地方を目指していた。その頃、奥多摩にはいくつか廃村があった。これらの村の一つに移住しようというのだ。世界遺産とは無縁の理想郷だ。目的地に選ばれたのは香南かなん村だった。奥多摩湖の先にある。

 住民達は幾多もの困難を乗り越えて、とうとう奥多摩湖畔に辿り着いた。しかし、奥多摩湖を越えてゆく道は全て崩壊していた。もう30年も前に世界遺産に指定された奥多摩湖とその周辺は、人が住まなくなり、保守されなくなった周囲の道路や橋は崩れ落ちていた。

 一行は途方に暮れた。遥々はるばるここまで来たのに、目的の村にたどり着けない。香南村は奥多摩湖を挟んだ対岸に遠く霞んで見えていた。一行の中には、彼らを引き連れてきた孟瀬を非難する者も現れた。しかし、非難したところでもう戻れない。都心に戻っても、まともに暮らせる場所は無い。全て世界遺産に飲み込まれてしまっていた。

 その時、孟瀬もうぜが湖畔に仁王立ちした。湖を凝視し、ストックを高く掲げて叫んだ。

「我等に、香南村への道を与えたまえ!」

 すると、奥多摩湖の水面がゆっくりと揺らぎ始め、やがて大きく二つに割れ始めた。意気消沈していた人々にとって、その光景はまさに奇跡だった。真っ二つに分かれた湖水の壁はさながらナイヤガラの滝のようだった。

 孟瀬はストックを前方に突き出し、言った。

「さあ我がたみよ、行くぞ!」

 住民達は、再び長い列を作って湖底に出来た奇跡の道を進んだ。左右には高く水の壁が聳えている。しかし、湖底はドロドロで、足を取られて大変だった。あちこち魚が跳ねる中を転びながら進んだ。

 こうして住民達は、香南村に辿り着いた。このままでは人も住めない廃村ではあったが、世界遺産の制約が無く、自分達の自由にできる喜びは何物にも変えがたかった。もちろん、世界遺産税を取られる事も無い。人々は開拓民のように、朽ち果てた住居を再建し、荒れたを田畑を耕していった。孟瀬はその功績を称えられ、初代村長となった。山崎もこの村に住むことを決心し、孟瀬の手足となって働いた。

 なお、この脱出行は、エクソダスと呼ばれた。詳しくは、後日出版された「出世界遺産記」を参照してほしい。


 数年が過ぎ、村はどうにか普通の暮らしができるまでに復興した。田畑からの収穫も安定し、自給自足も可能だ。そんなとき、村へ訪問客があった。身なりの良さそうな、5,6人の男女である。

 村長の孟瀬は丁重にもてなした。民家と見間違うほどの小振りな茅葺屋根の村役場で、囲炉裏を囲んで車座になった。村長が切り出した。

「こんな辺鄙なところまでおいでになってご苦労様です。で、ご用件は」

 一行の一番年配の男性が口を開いた。

「実は、世界遺産についでなんだが・・・・・・」

 村長と隣に座っていた山崎に緊張が走った。男性は続けた。

「この村に何か世界遺産になるものが無いか調査に来たのだ。知っていると思うが、都心はもう世界遺産だらけになってしまって、新たな世界遺産を見つけられないのだよ」

 孟瀬は、この男、どこかで見たことがある、と思っていた。そうだ、地下組織のアジトに、要注意人物として張リ出されていた顔だ。そう、文化人会の会長の山本だ。道理で、態度がでかいはずだ。

 孟瀬は冷静に対応した。

「いやいや、ここは開拓したばかりで、残念ですが世界遺産になるようなものはございません」


 一連の話しの後、まだ諦め切れないのか、一行は村を一周してみる事になった。念のため山崎は付いていく事にした。一行は、あれなんかどうかとか、これなんかどうかと、目利きをしている。その度に山崎はヒヤヒヤした。

 そんな時、一行の中の自然遺産担当が、双眼鏡であたりをぐるりと見回して言った。

「あのー、もしかすると、ここは謎とされていた秩父山塊の破局噴火の中心だったかもしれません」

 山本はもう帰ろうとしていたが、この調査員の言葉に足を止めた。

「ん? それはどういう事かね」

「もし本当なら、これは大変貴重なもので、世界自然遺産にできます」

 山崎は言葉を失った。やっとここまで築き上げたこの村が、また世界遺産にされるかもしれない。

 山本はそんな山崎の思いなど無視するかのように言った。

「どうです、山崎さん。あなたの村が世界遺産になるかもしれないんですよ。ワクワクしませんか。いや、我々は無償で協力しますよ。日本の文化振興のためじゃないですか」

 その時、一行の案内役をしていた女性の携帯が鳴った。文化人会の事務局長だ。

「あっ、はい。そうですか。ああ、それはちょっと大変な事になりましたね。分かりました。会長にお伝えし、とりあえず帰京します」

 事務局長は、山本の所に行き、何事かを告げた。そして一行は山崎への挨拶もろくにしないまま東京都心へと引き返して行った。


 孟瀬と山崎は、また文化人会の一行が引き返してくるのではないかと、気が気ではなかった。しかし、翌朝の新聞を見て、何が起きていたのかなんとなく分かった。見出しにはこうあった。

「先進国、ウネスコと決別」

 記事には、米国、EU、イギリスがウネスコを脱退した事が書かれていた。世界遺産登録をめぐる問題が原因らしい。カナダ、オーストラリア、ニュージーランドもそれに続くという。しかし、日本はどうするか決めかねているらしい。当面は、ウネスコ支持を維持するのではないかとの話しだ。

 読んでいた孟瀬は山崎に言った。

「なんかオリンピックに似てないか。2032年にオーストラリアで開催されたのを最後に、先進国は揃って、今後オリンピックの開催国にはならない事を宣言したよな。でも、あの時も日本だけは宣言を保留したんだ。報道によると、政府筋は、これで競争相手が減るなんて事まで言っていたらしい」

 記事には、こんな事も書かれていた。

「政府、世界遺産関連の予算を縮小。世界遺産税の廃止も視野に」

「都の世界遺産登録を全面的に解除へ」

「政府、世界遺産の関連団体への補助金を停止。特に大口の『文化人会』には大打撃か」


 東京都心では、ほとんどの世界遺産登録が抹消され、これまで機能不全に陥っていたビルや交通機関は、刷新されることが決まった。まだ使えそうな建造物は修繕し、損壊がひどいものは取り壊す事になった。これを機会に、新たな都市計画が検討され、より多くの緑があり、歩行者や自転車が中心の街づくりが計画された。これは建築業界の特需を生み、人々は再び東京に集まり始めた。

 孟瀬と山崎はその後も気に掛けていたが、とうとう文化人会の一行が戻ってくることは無かった。


 山崎は久しぶりに田代を訪れていた。オヨタの工場がどうなっているか心配だったのだ。

「田代、やっぱりここにいたか」

 山崎は、昼時に満腹食堂に来れば、田代がいると思って来てみた。

「おう、山崎、今どうしてるの」

 山崎は、世界遺産からの脱出行や、香南村の暮らしの事を話した。

「へー、そりゃあすごいな。それ、新聞で読んだよ。でもそこにお前がいたとはなあ」

「うん、ついつい住民と意気投合しちゃってね。でも、移住して良かったよ。いい所だよ。田代はどうしてるんだい? だってオヨタの工場も世界遺産解除になっちゃったんだろ」

「あー、その通りさ。でもね、解体して、自転車工場を作るって、巨大な」

「それは初耳だなあ。そういやオヨタも、もうこれからは自動車の時代じゃないって言ってたしな。それに都心では新たに自転車道が整備されるんだろ、ヨーロッパ並みに」

「ヨーロッパ並みかどうかは、俺は知らんが、これまでのようにデコボコしたり、狭かったりというのは解消して、快適に走れるようになるそうだよ。信号も自転車や歩行者が優先され、常に自動車が待つようになるそうだ。あと、自転車やお年寄りには大変だった歩道橋は全廃されるそうだ」

「すごいな、それでは膨大な工事が何年も続くな」

 それを聞いて、田代はちょっと嬉しそうにした。

「そうなんだ。俺はまずはオヨタ工場の解体に従事するが、その後もずっと仕事はあるよ。当面、安泰だ」

 山崎は、美味しそうに日替わり定食を口にする田代を見て、東京もこれで変わっていくかもしれないと思った。そして呟いた。

「そうしたら、都心に住んでもいいかもな。ちょっとだけ期待してみようか」

 オヨタ工場の解体工事現場からは、遠く槌音が聞こえていた。


【 特別続編 】


 物語は終わった。村人は平和な日々を送っていた。しかし、一人、孟瀬だけは、何か心に引っ掛かるものを感じていた。

「何か抜けている。何か欠落している・・・・・・ 何かしないと」

 山崎は、時折そんな風に呟く孟瀬を気にかけていた。聞いても要領を得ない。

「どこかに行かないと。どこかに登らないと」

 孟瀬は何かを求めているが、自分でもそれが分からない様子だ。


 そんなある日、山崎は早朝の散歩に出た。空がやっと白んでくる頃だ。歩いていると、孟瀬を見かけた。孟瀬は西の空を黙って見ている。

「早いですね、孟瀬さん」

 その時、昇ってきた朝日に照らされて、西の遠くに聳えるある山の頂が、赤く輝いた。モルゲンロートだ。

 孟瀬は山崎に気付いたが、挨拶もほどほどに、興奮した様子でこう言った。

 「山崎さん、あの山分かるかね、あの輝いている山。名前を知ってるかね」

 山崎は急に聞かれて驚いたが、少し考えていた。この廃村を事前に調査したとき、かつて香南村の長老だったというお年寄りに会って話しを聞かせてもらった事がある。彼は、今は奥多摩町に住んでいる。周辺の地理や風土について色々と教えてもらった。その中に、この山の話しがあったのを思い出した。長老は言った。

 「西に輝く山あり。剣豪の聖地なり。山中にてよく剣術を学ばん」

 その山の中腹には大きな剣道の道場が開かれ、多くの剣士達が鍛錬に励んだという。山崎は、山の名前を思い出そうとしていた。剣道に所縁ゆかりのある名前だと思ったのだが、思い出せない。

 その時、振り向いた孟瀬が、大きく目を見開いて山崎に迫りながら言った。

「それはもしや? もしや?」

 山崎はとうとう思い出した。

「あっ、竹刀山だ!」










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