来臨前夜
今日は、いつもとは違う日でした。
天気が良いとか、朝食が上手に出来たとか、そういうものではなく、肌に感じるもの全てです。
具体的に言ってしまえば、この肌に身につける衣服と博士の纏う空気が。
この身体をまとめて映している大きな鏡に向けて、両手を広げて自分の身体を眺めます。
「きつい?」
後ろから博士が心配そうに聞いてきました。
確か、前にこの服を身につけたのは半年ほど前でしょうか。ですが、そんな感じはしません。
「いいえ、サイズはピッタリです」
若干、厚着の服装。もちろん、普段着ではありません。
いつもの義手を固定するベルトの他にも、様々な道具を
吊り下げるための金具が取り付けられたベルトも追加で私の身体に巻かれています。
これでは本当に拘束具の様です。変態にしか見えません。でも、心配は要りません。だって、この服は人に見られないようにするための物でもありますから。
ただ、一つだけ問題点があるならば。
「これ、どうしても外せません?」
「外せないね」
それは義手の関節部に固定された金属の盾。まるで、昔の甲冑みたいなそれが重くて、邪魔で、鬱陶しいのです。
「それは君の義手を守るためのもの。もし、義手を傷つけられたりでもしたら、大変なことになるからね」
「分かってますけど……いえ、分かりました」
こういうのは素直でなければいけません。自分の都合ばかり考えていても、結果は生まれないのです。
「さて、と最後に…」
そう言うと博士は、足元に置かれていた大きな箱を持ち上げました。
「これは少し早めの誕生日プレゼント。君が喜ぶと良いんだけれど、どうかな?」
机の上に置かれた箱、それを開くと━━━━━━━━
「これは……」
それは篭手でした。それも片方だけ。それも彫刻が彫られたとっても綺麗な…。
「なんです、これ?」
「ちょっとした移動装置。とにかく、付けてみてよ」
博士が言う通りに、右腕にそれを取り付けます。
着け心地としては、あまり良くありません。手袋をしないとその内血塗れになりそうです。
これが何かも分からず、腕に取り付けたそれを見回します。すると、手の甲、それも指の付け根辺りに小さな穴が空いているのに気付きました。
少し中を覗くと、ミニマムサイズの鏃のようなモノが収められていました。その穴が指の本数だけあります。
「そこのレバーを引いてみて、…手首のとこだよ」
その通りにすると、さっきの穴から何かが飛び出しました。
銃弾のような勢いで打ち出されたそれは、壁に突き刺さります。驚きのあまり、手が動きました。しかし、右手が何かに繋がれているようにうまく動きません。手元を見れば篭手から伸びる細い紐と壁に刺さっているそれは繋がっていました。
「その糸は見た目以上に頑丈でね、君が4人いたとしてもちぎれることは無い。後は分かるよね」
「まさか、博士、私に猿になれということですか?」
「猿じゃぁ、ダメだよ。あんなにキーキー鳴かれちゃ見つかってしまうから。どちらかと言えば、君は猫のようにして欲しいね」
猫?
きっと、私はそんな疑問を表情に出していたのでしょう。
「猫だよ、猫。彼らのように素早く静かにコトを終わらせよう」
博士は、右手を丸めて私に向けて招くように上下に動かしました。まるで猫の毛繕いみたいな動きです。でも、猫はこんな風には笑わないでしょうね。
「でも、良いんですか?猫は自由な生き物ですよ。首輪でもない限り、どこかへ逃げていくかも知れませんよ」
「けれど、君はしない、でしょ?そういう人間だから、僕は君に頼っているんだよ」
博士は屈託の無い笑みを浮かべて言いました。その笑顔にむかむかして何か言い返してやりたくなりましたが……出来ませんでした。
いつもからかわれているから、たまには返してやろう、なんて思ってもこうなってしまう。この人は、やっぱり強い人なんだ。
そう分かっていても繰り返してしまうのは、自分が負けず嫌いだからでしょうか。
「…それで、出不精な私めは何をすれば良いので?」
「なにをムスッとしてるのさ。ま、いいや。君には、ここに行ってもらうよ」
そう言ってトマスは一枚の色褪せた紙をレイラに渡した。薄汚い紙には、どこかもよく分からない地図と簡易で雑に描かれた建物の絵が書かれていた。
「なんです、これ」
みたところでは価値なんてまるでないようにしか見えない紙です。価値があるとすれば、この下手な絵と字にあるでしょう。
「これは、あの場所が旧市街と呼ばれる所以となった場所だよ」
その言葉を聞いて理解できました。
「…へパス製鉄所、ですか」
「そう。ここは旧世代の遺産、1度はこの街の頂点に立っていた場所」
博士は、そうは言いますがこれは遺産ではなく、置き土産というのが正しいと私は思います。
この場所━━━━━━へパス中央製鉄所は、確かにこの街の全てに使用される鉱物の鋳造、及び加工の全てを担っていました。まさに現代の王、そう誰かが言っていたのを思い出します。しかし、それは過去の話。あの戦争の時、この街から入ってくる物資が無くなったその時に、かの玉座は崩れ落ちたのです。
鉄が無ければ、炉は動かない。炉が動かなければ、管理する人間に居場所はない。人間の居場所がない建物は、王の城とは呼べない。
かの産業改革が起こり、戦争に打ち勝った後もこの製鉄所の周りだけは活気は戻りませんでした。王国には既に代わりの王様がいたのです。戦時中とは、もっとも技術が発達する瞬間。その中で建設された最新の工場からすれば、ただ巨大なだけの製鉄所は時代遅れもいい所でした。
そうして、あの場所は形作られていきました。
働き場所を無くした労働者たちの受け皿は既に埋め尽くされており、あの街は立地としても大規模な再開発を起こすこともできません、だから、あの街は、未だに息がありながらも腐りつつあるのです。
…大体、把握はできました。
つまりは、旧市街に住む不幸な生い立ちの誰かさんがエヴァン氏の奥さんに勝手に抜け駆けしやがってと逆上して引き起こした事件とでも考えておけば良さそうです。あと一言添えるのならば、革命やら成り上がりだとかに興味津々なお若い方達が引き起こしたとも考えられますね。
「つまり、ここに彼女はいるんですね」
「察しがいいね、さすが僕の助手だよ。そう、君はここに行ってエヴァン氏の奥さんを救出してもらう」
「分かりました。任せてください、いつものように終わらせてみせますから」
「あまり、無茶だけはしないでおくれよ」
ともあれ、
「…利益の絡まない事件って、どうしてこうめんどうなんでしょうか」
「仕方ないよ、今の時代の人間はそういうものだからね」
そういう人間なら嫌というほど観てきました、と言いかけ━━━━━━━━ズキリと頭が痛んで、あまりにも酷い痛みで膝から下の感覚が無くなって倒れ込むように地面に
「大丈夫かい?」
博士の声が聞こえました。めったにしないはずの他人を心配する声。でも、私はあまり日にちを開けずに何度も聞きました。それは全部、この私に向けられていた。つまり、わたしはそれだけ迷惑をかけたんだ。
「だい……じょ…ぶで、す」
でも、それは強がりでした。
収まって、収まってよ、博士に心配をかけたくない。
そう念じても、頭痛が引くことはありません。それどころか悪化の一途を辿っている気がします。
世界が遠くなる感覚、縮んでいく視界は鮮やかで趣味の悪い色彩に変色していく。
おおよそ、意識と呼べる物が喪失した時、聞こえる訳もないはずの誰かの声が聞こえた。
《この国は変わる。誰にも止められないんだよ、例え君がどうしようともそれは同じさ》
《誰が、君の心が彼らと同じだと言ったんだ。君は彼らとは違う》
《だって、君は天使なんだから》
「大丈夫、君は"彼女”じゃない。君は君だよ、レイラ・ホワイト」
その声は、私を向こうから連れ戻してくれた。
優しくて暖かい、耳によく馴染んでいる声。
「博士…?」
いつの間にか、私は床に寝ていたようで、後頭部の感覚からして今は博士の膝の上に頭をのせているようです。
「わたし…どうしていました?」
「寝てたよ。少しばかり、疲れちゃったんだろうね」
博士はそう言って優しい笑みを浮かべています。
「…申し訳ありません、仕事の前なのに」
「別にいいさ、君が望むなら今日じゃなくても良いんだよ?」
その言葉は、私には悪魔の囁きのようにしか聞こえませんでした。向かってはいけない方へと誘ってくる甘い言葉は、今の私にとっては毒そのものです。
「大丈夫ですよ。私たちの良いところは依頼だけはかならず達成させることじゃないですか」
博士は一瞬だけ心配そうな顔を見せてたと思えば、直ぐにいつもの余裕のある緩やかな表情へと戻りました。
「…分かったよ、観念した」
それじゃあ、と博士は続けます。
「なら、さっきの続きをしていこうか」
博士は、工場の内部構造、予想できる相手の数、などを説明して下さっています。ですが、その時でも私の頭の片隅には嫌な違和感が燻り続けていました。それを認識する事に、私は心に念じていくのです。
あなたには邪魔はされません、わたしは私なんだから。
と、何度も何度も言い聞かせていくのです。
〜CLOCK・WARKER〜 《小さな発明王と隻腕の少女》 猩猩 @naesan2512
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