11●ヒルダの右手と左手の法則、それと『雪の女王』への応援コメント
ほほう。
雪の女王には、何らかの「法則」は発見できましたか?
10●第一の結末②……“自立する少女”の歴史的爆誕への応援コメント
自立という視点ではイマイチ役不足かも知れませんが、サリーちゃんのことも忘れないであげてください。白黒テレビの時代、少なくとも親元を離れて生活してたんですから。
ハイジもペリーヌも、原作にない自立への過程を丁寧に描いているところが素敵です。ペリーヌの原作にない1クール、そしてハイジでは主人公が夢遊病に追い込まれたり、車イスを投げ捨てる少年のように、人の心の弱さを強調する原作から、「クララが立った!」と喜ぶあのアニメオリジナル名シーンに至るまでの演出。ああ、何という素晴らしい時を我らは共有できたのか。
しかし、こうして自立という観点から考えると、やはり真の自立とは、決して自分勝手に生きることでなくて、他者の自立を助けてこそ輝くものなのですなあ。
作者からの返信
そうですね、サリーちゃんがありました!
魔法で生活を助けられていたといえ、一人で頑張っていましたね。
ハイジもペリーヌも、当時ナマで視たのではありませんが、後にDVDで感動。
おっしゃる通り、人間の強さも弱さも、苦難を乗り越える勇気も、
リアルに丁寧に描かれていたものだと……
惜しむらくは、ちばてつや先生のマンガ『ユキの太陽』(1963)。
和製ハイジのような雰囲気もちょっと漂う、名作だと思います。
宮崎駿監督の手でパイロットフィルムが作られながら、幻に終わったとか……
当時の“自立する少女”のイメージは、戦後の焼け野原生活の記憶から
発祥しているようにも思えます。
実写の『キューポラのある街』(1962)の姉と弟に観るように、
あのころ、女性の強さは今よりも光っていたのかもしれません。
09●第一の結末①……ヒルダは自力で下山するへの応援コメント
>ヒルダの自力下山にこだわった”のではないか
おお、その通りだと思います。
08●結末の十字路に立って……“子供向け”からの決別への応援コメント
まだ引っ張るの~
いまお昼休みなので、あの「子守歌」の解釈について書いておきます。
本編とカブっちゃったら消してください。
あの歌には、少なくとも5種類の解釈があると思っています。
1.まず、単に残酷な歌であり、歌い手は人間。
2.願いをしている対象を、ただ慰めるために、やりもしないことを神様が歌う。
3.誰かを傷つける願いをしてはいけない、自分に返ってくるかも知れないよ、という、神様または人間が歌う、教訓の歌。
4.神様が本当に残酷な行動をしてしまい、誰もいない世界で神様が歌う。
5.過去にあった人間同士の歴史の暗喩で、歌い手は人間。
あの美しい歌声とあいまって、実にいいよね~
作者からの返信
そうですか!
歌の内容を、人間が発信しているのか、神様が発信しているのか、で
解釈がいろいろと変わってきますね。
ご教示ありがとうございます。
参考にさせていただきます……
07●死の淵の彼方に……ヒルダの結末は三種類ある!への応援コメント
さて、あの「痛い微笑み」を解き明かせるか?
06●“太陽の剣”の本質……核兵器のメタファー!?への応援コメント
正直言って、すご~くコジつけに感じます。
でも、とても面白い視点です。優れた作品はというものはいつだって、創り手が意図しようがしまいが、まるで預言(予言ではない)のように現実の一面をあぶり出すものです。
ただ、それを言うなら、太陽の剣は核兵器というより、原子力エネルギーそのもの、と思います。太陽とはすなわち核反応の天体です。
また、イデオロギー的に考えても、リベラルにとってかなり皮肉なメタファーとなる点もイイですね!
作者からの返信
おっしゃる通りです!
核兵器に特定できるものではありません。
後日原稿を訂正させていただきます。
もっと総合的に“核反応の力”みたいなものでしょう。
当時の制作スタッフが「太陽の剣=核反応の力」と
認識していたとは思えませんので、21世紀の今、
ちょっとひねくれた解釈をすれば、そうなるかも……
という程度にお考え下さればと。
※返信が遅くなりすみません、体調と忙しさゆえ……
失礼いたしました。
ああ、この考えが本論の主体ですね。
いいですね。
今後にも期待します。
私個人としては、子守歌の多元解釈にも触れてほしいと思います。
作者からの返信
お読み下さりありがとうございます!
『ホルス……』の作品的特徴のひとつとして、善と悪、明と暗、寒と暖、
といった二極対比が縦横に組み合わされていることが言えると思います。
ただ、単なる二極対比でなく、「善と悪、明と暗、寒と暖」と思っていたら、その価値判断が逆転していた……ような、絶妙なトリックも解釈できるところが、最大の魅力かと。
作品中のバトルの部分は、二つの正義の衝突にあると思いますが、
さらに奥底には、“ヒルダの過去”がカギとなって、
作品全編でホルスが信じて守り、勝利させた“人間たち”ですら、
グルンワルド以上の悪ではないかと解釈できる材料が残される点が、
この作品の物凄さでしょう。
どなたか専門家がヒルダのプロファイリングをしたら、
作品がはるかに奥深くなるでしょうね。
“子守歌の多元解釈”はどういった内容なのか、
機会あれば詳細をご教示下されば幸いです!
私が感動しましたのは、
「ヒルダの子守唄」と「子供の唄」の、見事なまでの二極対比です。
この二つの歌で、世界を表現しているみたいで。
作品全体の結論に関わる内容が、そこにあるようにも思えます。
まだ本稿の先は長いですが、おつきあい下さればありがたいです……
04●グルンワルドの正体……冬将軍は、本当に悪(ワル)なのか?への応援コメント
少し乱暴な解釈に感じます。
ヒットラーは貧弱な小男です。
作者からの返信
そうですね、私の言葉足らずというか、乱暴な解釈でした。
もちろん、ただの冬将軍でも、人類にとっては残酷な脅威です。
ナポレオンもヒトラーも、ロシアの冬将軍に敗れましたし。
ただ、敵(人類)に勝って占領し「支配し搾取する」のでなく、
明らかに「排除(殲滅)すればいい」と意図しているところが
グルンワルドらしい哲学かと思います。
人類に対する戦い方が、「戦争」ではなく「自然災害」の方に
どちらかといえば近いところに、
グルンワルドの本質が現れているのかと……
グルンワルドの外見は、子供たちにもわかりやすく、
より強く、怖く、時に醜く造形されていったようで、
「グルンワルドのイメージは、僧侶から武将へと変わっていった」
(ロマンアルバム エクセレントP90)とあります。
グルンワルドの本質は、もともとは恐ろしい悪魔というより、
冷然とした自然神に近かったのではないか、という印象を持ちます。
追って、原稿を直させていだきます……。
03●なぜ、ヒットしなかったのか?への応援コメント
私は彼らスタッフには、多少は大衆にそっぽ向かれる自覚や覚悟があったと思いますよ。
でも、それでも創りたかったのではないか、と思うのです。
作者からの返信
お読み下さりありがとうございます!
ご指摘のとおり、制作スタッフの皆さんは
「それでも創りたかった」のだと思います。
だからこそ、会社側からの強烈な要望を跳ねのける形で
作品が形になったのでしょう。
しかしその意志は、(当時は)報われなかった……
興行的に惨敗だったことは確かで、悲劇の作品となりましたが、
これもまた、『ホルス……』が歴史に名を遺す要因になったかと思います。
なにぶん私がアニメ制作現場には素人のため、
(身内には関係者がおりますが……)
いささか不手際な表現もあるかと存じますが、
ご指摘をお受けして、随時修正もしてまいりますので、
何卒ご容赦のうえ、今後ともよろしくお願いいたします……
02●はじまりに……秘められた伏線の謎への応援コメント
とても興味深く拝見しております。
>先に述べた、さまざまな疑問の答えが、シナリオの行間の、ふと見落としてしまいそうな空白の奥底に、しっかりと用意されているはずなのです。
と、ありますが、強く同意します。
ただ、「用意」ではなく「結果的に残ってしまった・形になってしまった」ものも多いような気がします。まあ、それもまた才ある人が物語るときの天の采配であるのでしょう。
作者からの返信
お読み下さりありがとうございます!
おっしゃる通りです。
「用意」ではなく「結果的に残ってしまった・形になってしまった」
のが、実態に近いのかもしれない……と思いますが、私にはわかりません。
ただ、一観客の印象としては、さまざまな推論の材料が、
何度も観れば観るほどに発見されて、
まるで巧妙な確信犯がわざと用意したかのように見えてしまいました。
作品の各所に残された、推論の材料は、
意図的にではなく、偶然の産物かもしれません。
それとも高畑監督が全てをご承知で、足跡を残されたのかどうか……
そこはもはや、神のみぞ知ることかと思います。
おそらくご指摘の通り、“天の采配”なのでしょう。
それだけに、凄い作品が残されたものだと、今更に思います。
12●第二の結末……魂の浄化、そして楽園幻想への応援コメント
実写映画「ブラジル」のような解釈、それもありえますね……
なお、私見ですが「マイノリティレポート」もそういう観点で見ると震えます。