にゃ会はおどる

猫たちの音楽会

 長毛種《ソマリ》のしなやかな前脚がヴァイオリンを奏でている。


 バルコニーへと続く窓には、三段ほどのケーキを逆さまにしたようなシャンデリアが映っている。その下には、猫がふたり。


 窓から目をそらし、白猫のマーヤを見つめると。彼女はきれいに微笑んだ。口角を上げ、しかし歯は見せず。ヒゲが少し上を向くように。

 その整えられた表情が、ぼくを夢見よりちょっと冷えた心地へと運ぶ。ヒゲがむずがゆくなったのは、恥ずかしさとひとさじの哀しみからなのだと思った。


「踊りませんか?」

「喜んで」


 彼女の艶やかなツメ先が、ぼくの肉球に重なった。互いのやわらかな前足が、繋がってぼくらの距離をぎゅっと縮める。ながい夜を過ごす予感がした。


 彼女は胸元に例のブローチをつけ、パーティードレスを着こんでいる。その上からうっすらとした羽織を肩にかけている。


 暖かく小さな彼女の前足は、短くふわふわとした白毛に包まれている。後ろ足全体をおおうのは、ゆるく組まれた編み靴だ。

 今夜は舞踏会だから、動きやすさと華やかさを兼ねそなえた装いをしている。


 はじめのステップは……そうだ、右から。二歩進んだところで、いったん止まって、切り返して左へ。くるりとマーヤが一回りするたびに、ぼくの鼻にはかすかに花のにおいが香る。


 ぼくは本来、マーヤとともに舞踏会へ参加など、できないはずだった。以前の豪華客船では許可が下りたのは、爆弾さわぎなんて予期されていなかったからだ。前回はマーヤを狙ったものではなかったが、危険が及んだことに違いはない。

 本来ならば、マーヤには護衛がパートナーとしてつく予定だった。

 そこを何とか頼み込んで、ぼくに代えてもらった。本来は何とかならないのだが、何とかなってしまった。

 護衛は、いつでも駆けつけられる範囲でぼくたちを見守っている。

 


「ねえ」

「なに?」 


 ささやく声は、まるで子猫が戯れるような甘さがあった。嬉しいのだろう、お嬢さまでない時間が。

 ふだん、そんな素振りを見せないけれど、彼女は多くのものに縛られているのだ。たとえば、ロシアンブルーという血筋。

 ロシアンブルーというのは、神話のなかで登場する北国の名前でもある。国土が広い一方、険しい山々と凍てつく風が吹き荒れる環境。

 猫にはとても住まうことのできない地。

 そこにたどり着いたものはみな、氷のような眼差しをもち、暖かみのない笑みを口もとに浮かべるのだという。


 ロシアンブルーという血族は唯一、そのロシアという国に活路を築いた猫だとされる。そして世界に『大いなる夏』が訪れ、世界が沈み──いまの世が創られていったそうだ。

 

 ロシアンブルーのブルーという単語は、神の世のことばが由来だ。


 とにかく、ロシアンブルーというのは珍しい。その希少性から、とくに血統マニアに狙われやすい。

 猫をコレクションするなんて。なんと恐ろしいんだろう。


 マーヤの家柄もまた、大きく彼女を縛っている。彼女は家柄にふさわしくあれと躾けられた上に、ロシアンブルーのホワイトという存在を暴かれぬようにと躾けられてきたのだ。

 ぼくも本当の彼女の色を知らない。


「ちょっと」


 マーヤの声が胸元で聞こえる。彼女の薄くてやわらかい耳が、びくびくとする。


「ごめ……」

「動いちゃだめ」

「だけど」

「ほら、ニャルツを思い出して」

「ニャルツ?」

「あら、まちがえた。ワ、ル、ツよ。軽く踊ったことがあるでしょう?」


 クスッと鼻をヒクつかせ、マーヤはインサイドステップをした。

 いま、ぼくらは密着している。猫毛ごしの熱が触れあうだけじゃない。色とりどりの布が舞う。白、茶、黒が絡み合って、シャンデリアがそれを凝視する。お互い、まるで会場の熱に酔っているみたいだ。

 楽器の響く背景で、ピアノがひときわぼくの耳を通り抜けていく。あれ、さっきのソマリの彼じゃないか。ヴァイオリンだけじゃなく、ピアノも弾けるのか。

 違うちがう、いまはダンスに集中しないと。

 

「ぼくは……」

「なぁに?」


 ぴくりと耳筋が立ち、マーヤが今度は外向きの顔で笑う。


「君がたのしめるなら」


 1、2、3のリズム。ステップ、ステップ、ステップ。

「ぼくは何度だってリードする」

 ぼくの全力でターンを決めた。

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ぼくとマーヤ 旧星 零 @cakewalk

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