帝国暦741年 初頭 政治劇と悪巧み

 創作物における演説シーンというのは、大いに誇張されている節がある。


 力溢るる言葉が心を打ち、道を過ちかけていた人々や、勇気がなくて日和見に走ろうとしていた人々が奮起する様は見栄えが良いのは確かである。


 だが大抵の場合、演説を打つことが許されるというのは、もう根回しも準備万端終わって勝ちが決まっている状況である。


 本当に劣勢であったならば、壇上にすら立たせて貰えないのが政治という遊戯。フランスの全権を牛耳っていたロベスピエールが内部分裂によって糾弾されるに及び、盟友のサン=ジュストが擁護の反論すら許されず、最終的に纏めて断頭台へ送られたのがよい事例だ。


 少なくとも本当に手遅れであったならば、議場に通して貰うことすらできぬ。


 仮設の本陣に招かれた時点で、アウルスは勝利を確信した。政治の有利は我が方にあれりと。


 「ガイウスの倅よ……どうしたというのだ!?」


 所は変わり、騎馬の護衛と馬車でオルジャタの要塞に着いたのは、平時であればそろそろ昼休憩という時刻であった。


 要塞はテルース基準でも前近代的な構造で、帝国が亜大陸の覇者になる前に建造された物であり、今では帝都に繋がる北方の大街道を鎮護する形骸的な兵舎と化している。


 改修されるでもなく警備兵の屯所として放置されていた要塞に猪頭人の皇帝、及び彼が何とか帝都から無傷で引き揚げさせた5,000の兵はあまりに不釣り合いで、主立った元老院議員や彼等の従僕まで詰め込むと完全に過積載という状態である。外に大量の兵士達を露営させて纏めた有様は、軍事拠点というより簡易的な避難所だろう。


 今上帝ウィリテウス・フラウィウム・エスクイリヌスは、よくぞこんな所で腰を据えられたなと、拝謁の栄誉に浴する政治担当は感心した。


 「陛下の前にお見苦しい姿を晒し、恐悦至極に存じます。前線で些かはしゃぎすぎまして」


 「前線ではしゃいだ? ……おお、では、やはり其方か!? 勇猛社が失陥していなかったという話は誠であったのだな!!」


 既にオルジャタの砦にも帝都から様々な噂が届いていた。天を貫く蒼い光の柱が立ったこと、神祇官が妙にそわそわし始めたことなど、氾濫が落ち着き始めたのを良いことに真偽定かなる噂が山のように流入していたのだ。


 また、皇帝がここにいることを掴むやいなや、盛りに盛った功を報告せんと目論んだ慮外者達まで押しかけていたので、信頼性の高い一次情報ソースはウィリテウスにとって福音に等しかった。


 指針を定めて指示を出さねばならぬのだ。自分に都合の良いことを好き勝手抜かす連中よりも、氾濫を軍に並ぶ速度で警告し、主立った元老院議員の脱出に貢献した上、会館に籠もって帝都のため死ぬまで戦う覚悟を決めた市民の言葉は信憑性が違う。


 何よりアウルスは外連も奢侈も必要とあれば厭わないが、数字だけは一切盛らないし、事業成果を取り繕うことは一度もなかった。


 情報の正確性という一点において皇帝は、この破天荒な事業を乱発して大金を荒稼ぎしている若き事業家に全幅の信頼を置いていた。


 裏帳簿だとか後ろ暗い金に一切手を出さず、合法な形で帝国に献金し続けている姿勢が基礎としてあるからだ。


 また、どれだけ覚悟が決まった詐欺師であろうが片腕と片目までは落とすまい。商売人は必要とあれば嫁でさえ質に入れようが、流石に利き手と利き目まで売り払いはしない。誰もが皆、アウルスの為人と戦傷の激しさに呑まれていた。


 「何たる武者働きか! 神話の時代にも一人で氾濫をせき止めた勇者もおるまい!!」


 「私の働きなど些少なものです。決死の覚悟で最後の一兵まで要塞にて戦い散華した第Ⅲ大隊、及び救援に駆けつけてくれた第Ⅱ大隊麾下の兵士達。そして、無様な初陣を共に戦ってくれた探索者達の貢献で氾濫を食い止められました」


 「謙遜するなアウルス! 氾濫が起こったと知って尚、コブの真ん前に居座り続けた胆力、帝国広と言えど其方ほどの豪胆さを持つ者はおるまい。なぁ!?」


 皇帝に促され、本陣に同道していた第Ⅰ軍団の軍団長や、彼を補弼する執政官や法務官などの重鎮達も頷いた。


 この未だ血が滲む包帯を巻いた――態々、このために取り替えさせなかった――重症の青年が、ただ氾濫の中で逃げ回った末に怪我を負ったとは考えさせぬ迫力を発している。現地にいなければ分からぬであろうことも口にしたため、この場の誰一人としてアウルスの証言を懐疑的に見る者はいなかった。


 どうやら会館から避難を促すよう放たれた急使は、年始にも関わらず勤勉な彼等が何らかの会議を開いている時にもたらされたようだ。民会の代表や護民官、財務官や神祇官などのキャリアコースに乗った要人達が失われず済んだのは、正しく努力によって成された幸運と言えよう。


 「それで、子細を報せて欲しい。余も命じて斥候を帝都に戻らせているが、コトの推移を把握できておらん」


 「大まかに報告書をご用意してございます。複写する時間がなかったため、数が少ないので順に見ていただければと」


 周到なアウルスは訪ねてくる前に腹心二人――逃げさせたファハドまでメッサリーナに同道していたのだ――に命じ、氾濫の概要を時系列順に纏めさせていた。概要を口頭で黒板に書かせた後、丁寧に情報を整理していった報告書は戦闘詳報と呼べる域にあって、高度な勉学を収めた上級官僚達には実に読みやすい仕上がりとなっていた。


 「北の街路が埋まるほどの敵……数万? いや、十万以上か?」


 「分からぬ。先の氾濫は激烈なのもあったが、直後の属州反乱で帝都は混乱に陥った故、碌な調査もできなかったからな」


 「氾濫で死んだのか、その後の疫病で死んだのか判然としない死人が多かったですからなぁ」


 「我が先祖も家が焼けて日記を遺す余裕もなかったそうだ。だが、南方はほぼ無事だとあるな。北方の議事堂や旧家の邸宅街も殆ど被害がないと?」


 「神格の顕現!? 最古の歴史でも600年前、ほんの一瞬、神学論争に介入しただけだぞ! 大神とあっては、それこそ帝国が成立するより前ではないか!」


 「だが、あの夜中に立った光の柱。あれから放たれた神々しさは正しく……」


国家の要職達が自分が与える情報に呑まれていることを察し、アウルスは伏せた顔を悪い笑顔にした。片目を包帯で覆っていることもあって、一層邪悪に見える顔を見えないのは彼等にとって幸福だったと言うべきか。


 機を掴んだ。帝国という船の舵を確実に握っている。


 「ご質問には、順を追って回答させていただきたく存じます。疑問点がお有りの方は、この際なので遜恭なく願います」


 ここで敢えて質問を促し、偽ることなく詳らかに、そして滑らかに答えることができれば首脳陣は完全にアウルスの味方となる。


 そして、事前に脳内で打ち合わせたとおりの質問ばかりを彼は美事に捌ききった。


 死傷者は計上中であるが、焼けた範囲はガイウス達が護った部分とベリルが帝都を北上するまでに得た情報で大まかに分かっていた。軍の掌握も第Ⅳ大隊が市中に散って、落伍者や敗残部隊を集めており再編中。走狗の掃討にも移っており、兵士さえ揃えば帝都は三日と経たずに掃除を終えられるだろう。


 大物は殆ど会館の前で討ち果たされているのだ。漏れ出た小型の走狗なんぞ、軍隊の前には物の数ではない。深層の怪物が区画整理の手助けをしてくれている、なんて報告もないため殆ど確実だ。


 復旧し大国の首都として十分な機能を取り戻すのに時間は掛かろうが、そう遠くない内に帰還も適おう。


 光の柱に関しても、聖痕及びその原因と効能の考察を送っていたことが上手く働く。神々の糧を掠め取っていた益を氾濫に失敗した代価として吐き出さざるを得なくなったという予想は、帝都から離れても観測できる神々しさが裏打ちしていた。


 最後に、軍関係者は第Ⅱ大隊の助力と第Ⅲ大隊、及び第Ⅳ大隊の関与を聞いて、寡兵の探索者が生き残ったことには差して疑念を抱いていない。


 銃のことを誤魔化す気はなかったが、かなりやりやすい方向に進んだのは事実だった。


 「皆様方ご納得頂けたのであれば、一緒に避難なさった元老院議員諸氏にも、ご報告する場をいただきたく存じます。差し出口ではありますが、我が醜態によって帝都の無事を保証できるかと」


 「……であるな」


 四肢が欠けようと国の為に――お題目であっても、姿勢を見せるのが大切だ――馳せ参じた資産家の言葉を咀嚼し、皇帝は深く頷いた。


 主立った幕僚や執政官以外にも、この要塞には数十名の議員が残っている。皇帝が帝都安堵のため、防備も十分とは言えぬ場所に踏ん張っているのだ。退いては最悪罷免されることを考え、怖くても頑張って居残った者達。


 「一刻後に場を改めて議員を集めよう」


 彼等は今後、危難の状況において尚も帝都を諦めず踏みとどまった名声で以て、政治的な主流を構成する素地がある。老獪な叩き上げの皇帝は、これを期に政界を自分好みに塗り替える気満々で下知をした。


 しかし、一刻後? と随分また悠長な設定に首を傾げるアウルスであるが、この意味と答えは直ぐに分かることとなる。


 別室に皇帝と二人で入ることになったのだ。


 「で、其方、何をした。余程奇抜なことをしでかしたのだろう」


 「……やはりお聡い。軍事関係では一切の隠しごとはできませんね」


 ウィリテウスは本物の叩き上げだ。軍団に御奉公した後に護民官を経たのち、時勢に求められて皇帝の椅子に座った究極の現場人間であれば、異常なことが起きねば回天の戦果を得られないことくらい分かる。


 少なくとも彼は、自分が手塩に掛けて編成した軍団、その迷宮鎮護に当たった大隊が粉砕されている時点で〝尋常の手段〟による氾濫の収拾が起こりえないことを確信していた。


 そして決着を付けたのは、数多の新商品と新技術の独占により今をときめく実業家だ。かつて帝国が征服欲に溢れていた時代、内海の覇権を争った都市国家群の発明家に艦隊をけちょんけちょんにされた歴史を知る彼は、既知ではない何かによって戦況をひっくり返したであろうことが容易に想像できた。


 実際、帝国安閑社の民生品は全て既存の手工業的生産法を全て置き去りにした、異常なまでの大量生産と安価さによって成り立つのだ。勇猛社などという半私兵集団を組織し始めた時点で、皇帝は何かやらかすだろうなとアタリをつけていたのだった。


 「元よりご説明する予定でしたが……まず、これをご覧に入れたく」


 「……なんだ? 妙な……いや、ほんとなんだ、筒の先にまた筒?」


 アウルスはトガの内側に手を差し込み、不慣れな左手を不器用に操って一つの道具を引っ張り出す。


 前世地球の人間であれば、その道具が多様な呼ばれ方をしているものの、本質的にどんな道具分かっただろう。


 レンコン、リボルバー、あるいは輪胴式拳銃。


 Bが試験的に製造していた五連発拳銃である。


 「設計者は銃と呼んでいます。新型の投射兵器で、鉛の塊を火の妙薬によって撃ち出す新機軸の武装。探索者に運用させることを想定し、迷宮産の品で作られました」


 これは元々、ベリルがアウルスの身辺警護に本気を入れねば拙かろうという事態に備えて用意したもので、カリスが渡されたクエレッラと同じく量産を主眼に入れていない一品物。鋼から削り出したフレームは小銃と同じく中折れ式で、機構に一部真銀を採用することで剛性を担保していた。


 紙薬莢の弾薬を五発装填できる、現状この世で唯一の連発銃。


 とはいえ、性能は差して高くない。精度、威力、共に懐剣より幾分かマシ程度の護身用だ。


 形状はエンフィールドNo2.MkⅠリボルバーを短銃身化したような古風な造型。なれど胡桃材の銃把をフィンガーグルーブ指の形に沿った凹凸形状に変更するなど、古い設計に新しい銃の発想が導入されている。更に懐に呑んでも目立たないよう小型であるため、腰にぶら下げた護剣と違って謁見時に没収されず持ち込むことができた。


 然しながら、戦には使えない。小型過ぎて威力も精度も足りぬし、紙薬莢の脆さを〝シリンダーごと再装填する〟変態技術によって克服しているせいで非常に使いづらいせいだ。


 故に鉄火場に向かうにも関わらず留守番を命じられる残念な子ながら、説明の見本には十分である。


 不慣れなりに操作を実演し、理屈を簡単に説明するアウルス。皇帝の黒目がちな目は油断なく見慣れぬ鋼の塊を見定めた。


 「これは懐剣代わりのお守りなので、走狗の撃退に運用した物とは大きく異なりますが、仕組み自体は同じです。当たりさえすれば50歩先の敵でも撃破できます」


 「ふーむ……凝っている割りにえらく効率が悪いな。大弓でも50歩先の走狗を殺すことは能おう。何を思ってこんな複雑かつ贅沢に鉄を使う道具を作った? それだけの価値があるのか?」


 現近代の混血児といった風情の銃は、アウルスが護身用に持ち歩くことを念頭に据えて作られている。口径と射程を犠牲とする代わり携行性に重きを置き、暗殺者に抵抗するべく製造されたものの、日の目を見るのが一番の危険の後とはさしものベリルも予想できなかっただろう。


 実際、銃身が恐ろしく短いせいで精度に難があるこれは、至近距離において短刀より簡単に人間を殺傷できる以上の利点はない。狙って当てられる間合いは――それも、利き手と利き目が残っていた上でだが――15mが精々であるため、アウルスも基本的には机の肥やしとし、出先の寝台で枕の下に敷くお守りとして扱ってきた。


 だが、その利点が見本に丁度良いと判断し、この場に持ち込まれたのであった。


 「陛下は素人の殺し合いをご覧になったことはありますか?」


 「無論、あるとも。余はこれでも下町育ちでな。何なら酔って殴り合いをしていた時期もある」


 「は、はぁ……」


 「思い返せば不格好極まり、突いても中々に死なぬ場所を狙うなど、却って痛々しいな。一撃で首を落とすか、胸を突くかすれば向こうも痛くなかろうに」


 「これは、理論上頭か胸に当たれば殆ど素人でも人を殺せる武器です。鎧を着た荒武者であろうと、迷宮の痛みを知らぬ走狗共でも」


 「……ほう?」


 猪頭人の目が俄に眇められた。


 銃は扱いこそ難しいが、素人が人を最も簡単に殺せる武器である。


 何せ破壊力が違う。豆鉄砲などと揶揄される22口径ですら、有効射程内で頭部か胸に当たれば大体死ぬのだ。しかも、距離さえ近ければ剣や槍よりも難しい技術が要らぬ。


 当たりさえすればいいのだ。まぐれであっても。


 人間が斬られたり殴られたりで即死する部分というのは存外少ない。結果的に死に至る箇所は多いものの、即死させるのは〝殺し方〟を知らねば困難だ。首でも入り方が浅ければ、二呼吸か三呼吸の間は動いて反撃されることもあろう。


 相手が鎧を着ていれば尚更である。一番狙いやすい腹はカバーされてしまい、同時に頭も切りづらいため、軍人を殺すのは同じく訓練した軍人でなければ難しい。


 だが、銃は違う。狙って当てるのには技術が要るが、ただばら撒いているだけで十分脅威となり、女子供でも10年訓練した軍人を殺せる。


 拳銃だと素人では5m離れただけで当てられないなどと嘯かれるが、逆を言えば5mより間合いを詰めれば〝誰でも人を殺せる〟武器は画期的に過ぎよう。


 「余でも、か」


 「これはかなり控えめな性能ですが、当たり所によっては。氾濫の撃退に使った物であれば、頭か胸あたりなら確実に即死かと」


 「重ねて問うが余は猪頭人だぞ? それでもか? 50歩も離れていても?」


 「確実に。低地巨人でも殺せるのですよ」


 護身用拳銃の口径は9×29.5mmと弾の直径だけみれば小銃より大きいが、代わりに装薬量を大幅に減らしていることと弾頭そのものが軽い影響で威力は比べるべくもない。


 霊猿人より何倍も頑健な猪頭人が絶命しうる箇所はグッと少なく心許ないものの――7.62mmでも当たり所によっては死なぬ動物が原形だけある――短剣一本で対抗するのに比べたら勝率は何十倍も違ってこよう。


 なればこそ銃とは恐ろしいのだ。使い方さえ教えれば、五歳児が大の大人を殺すことができるのだから。


 「なるほどな……で、それを我々にずっと隠していたと」


 「……迷宮産の物資に依拠するが故に不安定、かつお披露目するほど洗練されていなかった……では、言い訳に不十分ですかね」


 分かって聞いてくる友人の息子に皇帝は鷹揚に笑って見せた。


 牙を見せ付けることで、遠慮は無用、放言自由であると示す。そのために二人になったのだから。


 為人を十分に聞き及んでおり、それなりに付き合いがあるアウルスもまた、ここは言葉を飾るより素直に言った方が理解も得られようかと諦めて白状した。


 助けに来たのに謀反を疑われて処刑されてはまるで笑えぬ。そもそも、この弁解でさえ自分から説明することで二心がないことの証明が目的なのだ。半端に行って信頼を損ねては何の意味もないではないか。


 「……変に見せ付けて、外征欲出されたらやだなぁって」


 偏にそれだけ。世界を滅びから救うだけで大変なのに、平和まで護れなどと言われたら堪った物ではない。またぞろ外征欲を出して奴隷の仕入れ先を補充しよう、なんて試みられては経済的な悪夢だ。


 況してや変に暴れ廻って、かつて討たれた魔王が如く帝国が世界の敵になったら洒落にならん。世界中全部敵に回して最終的に勝った国なんぞ、古今何処にもないのだから。


 「はっ、ははは! そうきたか! 平和でなければ商売がし辛い投資家故の目線だな!! そういえば、カエサル家は奴隷の仕入に手を出さぬのが家法だった!!」


 「いや、陛下、洒落にならんのですよ本当に。おわかりでしょうよ、実際」


 「まぁな! こんなちっぽけな物で本当に余が殺せるなら、戦は変わるな! 想像力がない者なら強さを実感するのに時と実績が要ろうが、余だけは分かるぞ!!」


 「……何故です?」


 「何度も暗殺されかかったからな!! その余を殺せると大言する武器、そして偽りを申さぬ其方の言葉を今更疑うものか!!」


 えぇ……? とドン引きしている霊猿人の若人に向かって、猪頭人の皇帝は力強く胸を叩いた。そこには分厚い毛皮の下に硬い硬い筋肉との複合装甲がはち切れんばかりにあり、戦が近づいて気分が昂ぶれば硬化する脂肪の層も潜んでいる。


 いわば生体複合装甲。毛皮は生中な刃を拒み、打撃さえ肉が吸収し、四人張りの大弓でさえ硬化した脂肪に阻まれ骨に届かぬ。この絡繰りを知らずに背中を刺そうとした者には皆、例外なく素手によって死を下賜してきた皇帝にとって〝自分を殺しうる武器〟というだけで警戒するには十分なのだった。


 「廊下を曲がった瞬間、遠間から大弓で胸を射られたときは死んだかと思ったな! 骨で止まったが!!」


 そこは死んでいてくれ、常識的にとのツッコミを呑み込むのにアウルスは必死だった。霊猿人の常識が揺らぐことを言われてはいるが、流石にライン越えだ。


 とはいえ無理もない。元々猪は80kgクラスの個体でも、ぶつかったら軽トラの方が負けるような怪物。それが体高2m、体重200kg近い形に育てば並の武器では死なぬが道理。


 アウルスは荒事から離れて生きてきた故に実感が薄いが、斯くの如く霊猿人の定規から外れたタフネスを持つ種族は多い。他ならぬ護衛のカリスがそうであるのだから、当たり前のように〝大体の敵を殺せる武器〟であると銃を理解している方がテルースの常識から外れているのだ。


 いや、むしろ銃こそ既存の常識から大きくズレた存在である方が正確であろうか。


 「うむ、まぁ、子細は問うまい。時間もないしな。其方はつまり、これを戦争には使わせたくないと」


 「世界を蝕む迷宮の排除にのみ用いたいと心底より願っております。帝国や商売の安堵のためであれば、多少使うことは厭いませぬが」


 「ふーむ……で、あるなら、幾らか知恵を貸し助力をしてやってもよい」


 誠ですかと立ち上がるアウルスを落ち着けと片手を上げて御した猪頭人は、顎をじっくりなぞりながら笑った。


 「代わりに其方、ちょっと余が推してる後継者の後援になれ」


 「……はい?」


 思わぬ展開に間抜けな声を上げた救国の英雄に満足したのか、猪頭人は笑い声を上げながら手を数度叩く。


 すると、奥の間から男性が一人。


 「まぁ、余も疾うに退陣の時期だったのだが、如何せんそうも言ってられんのでな。多分、これが終わったらまた非常時決議で任期が5か10年は伸びよう。故にガイウスの倅よ、ちと悪巧みに付き合え」


 現れたのは酷く顔の良い男だった。あまりに整いすぎていて美形という言葉ですら足りぬ、ムーサイの美を司る神々が全力を注いで作ったかのような美貌を何と喩えれば良いか。


 修辞学を徹底して叩き込んだAの脳髄でさえ形容に悩むのだ。語彙が死んで、捻り出された最初の感想は、ただただ「顔が良い」に尽きる。


 後の歴史書に〝顔人事〟だの〝美形大正義〟などと不名誉な詰り方をされる歴史的美男とアウルスの邂逅は、人知れず逃亡先の要塞にて行われた…………。


【補記】

 エンフィールド No.2 リボルバー。

 イギリスRSAFロイヤル・スモール・アームズ・ファクトリー・エンフィールドの傑作リボルバー。ムスカ大佐が持ってたアレ。

 アウルスが携行していた物は工作精度や紙製薬莢の都合により装填数が5発に減らされ、何を思ったかシリンダーごと交換する構造に魔改造されているが、剛性はフレームに一部神銀を用いることで強引に解決している。

 本質的には短銃身のリボルバーで小口径でしかないこともあり、本当にお守り以上の役割を果たせない代物。それでも短剣よりマシであるし、狙い所によっては大型人類でもノックアウトできるため作られたワンオフ品であり、恐らく今後はコスト面のこともあって贈答品以外が製造されることはないだろう。


【あとがき】

 昨日ご報告しようとして忘れていたのですが、参加していた第五回ドラゴンノベルスコンテストの中間考査に引っかかりました。まだ本決まりでもなんでもないですが、2,600にも及ぶ選考作品の中で30と余作品の中に選ばれた名誉に浴することができたのも、コメントなどで創作意欲に薪をくべてくださった皆様のおかげです。末筆ながら、これからも何卒よろしくお願いいたします。

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下準備転生~下準備チートは全てを駆逐する~ @Schuld3157

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