19(ノベルバー2021)

伴美砂都

19

 テストの裏に書くような夢もなかったし、紙飛行機にして飛ばすような反骨精神もなかった。成績はいいほうだったけど一番にはなれなかったし、そのことを悔しいと思ったこともなかった。十九歳のことを大人みたいに思っていたけど、なってみれば、何もない。


「菜穂ちゃんはもうレポート終わってるもんね」


 ふいに言われて、へ、と間抜けな声が出てしまった。昼休みのあとの講義が急に休講になって拍子抜けしていたところで、亜美ちゃんと麻理恵ちゃんと三人で喋っていた。来週までのレポートが終わらない、終わらない、と二人があんまり言うので、だったらこの時間にやればいいのになあ、と思ったら一瞬ぼーっとしてしまったみたいだ。


「いや、終わってないんだけど……」


 ほとんど終わってはいるけど、あとちょっとなんだけど。とか、めんどくさそうだから言わない。うっそお、と亜美ちゃんが高い声で笑った。


「絶対終わってるよ、菜穂ちゃん優秀だもん」

「いいなあ、菜穂ちゃん頭よくて」


 あ、そうだったな、と思った。子どものころからずっと、私はこうだった。本当は大して頭なんか良くないし、なにか深く考えてるわけでもないのに、口数が多くないせいかときどきこう言われる。


「ほんとに終わってないんだってば」


 自分で思ったより強い声が出て、亜美ちゃんはスマホに滑らせる指を止め、麻理恵ちゃんは少しびっくりした顔をした。二人は顔を見合わせて、そして笑う。


「怒ったでしょ」

「いや、怒ってはない、けど」

「えーうそ、絶対怒ってる」

「うちらのこと怒ってるよね」

「本当は嫌なんでしょ」

「バカだって思ってるよね、うちらのこと」


 ちょっと目を逸らすと窓の向こうには曇天の空が見えた。何度でもこういう人たちに出会ってしまうのは、自分のせいなんだと思ってきた。それは、そうなのだろう。うるっせえよ、と言った声は面白いほどドスがきいていて笑ってしまいそうになった。


「ふざけんなよ、てめえら一生それやってろ」


 蹴っ飛ばした机はちょっと冗談みたいな大きな音を立てて、壊れたかもしれないと思ったらほんの少しだけ罪悪感があった。机だって私と同じで、言いがかりみたいな悪意を向けられるいわれなんてないはずなのだ。ごめんと言うのは、でもやめた。



 この校舎から出るとき外階段をいつも通ってしまうけど、もしかしたらここは非常階段なのかもしれない。渡り廊下を歩く人たちを上から見ながら、ふと思った。頬杖をついた手すりは埃っぽい。雨が近いのか、ひんやりした風が一筋吹いた。

 手のなかでくしゃくしゃになっていたのはそういえば件のレポートで、途中まで書いて、印刷して直そうとしたのだ。だからデータはクラウドにもSDカードにもあるわけで、手放したところで反骨精神でもなんでもない。錆びた手すりの上、なけなしの平らなスペースで伸ばして折ると、少し黒く汚れた。飛ばした紙飛行機は、そのへんの木に引っかかって、すぐ止まった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

19(ノベルバー2021) 伴美砂都 @misatovan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る