赤と緑

石濱ウミ


 あの日――。

 世界は、二つに分かれた。


 僕たちは、離ればなれ。

 


……。



「……ですから、物事について是か非の明確を示す言葉として『白黒はっきりさせる』と使っていたのは西暦2030年が最後になります。まあ……今からほんの15年前までだから、君たちのご家族はを良く覚えているんじゃないかな。今は……はい、じゃあ柿森かきもりさん」


「ハイ。えっと『赤緑はっきりさせる』です」

「そうです。ありがとう。じゃあ他に変えることになった慣用句を、知っている人?」


 ぱらぱらとまばらに手が上がる。


「じゃあ、里中さん」

「ハイ。『緑赤りょくせきを弁ぜず』」


 おおー、と教室がどよめく。

 恥ずかしそうに俯いた里中さんの、顔を真っ赤に染める様子が可愛らしい。


「うん、凄いね。その通りです。善悪の区別がつけられないってことだね」



 現代国語の時間。

 僕は、紙型タブレット……いわゆるノートを片手に授業を受ける子供たちを教卓の上から見渡す。


 15年前のあの日。


 あの日も、いつもと変わらない今日のような晴れた午後だった。

 授業中、窓際に座るあの子の横顔を、頬杖を突きながらこっそり見つめていた時。


 空に突然現れた無数の赤と緑。

 そのあまりの非現実なことに、水色の空に鮮やかな赤と緑が綺麗だな、なんて思ったのは一瞬。

 徐々に近づいて来るそれらの物体に、気づいた教室内から悲鳴が上がり始める。


 それは円盤型の宇宙船だった――。




「……先生っ。先生は、その日のこと覚えていますか? その頃、私たちと同じくらいでしょう?」


「うん」

 忘れようにも、忘れられない。


 あの日、それらは世界中の空に突如として現れた。

 その後、世界を二つに分ける。

 東と西に。

 北と南に。


 ……赤と緑に。


 地球に降り立ったその対立する赤いきつねに似た宇宙人と、緑のたぬきに似た宇宙人によって、僕たちは否応もなく星間戦争に巻き込まれたのである。


 僕たちは、どちらか一方を選ばなくてはならなくなった。


「……どうして先生は、赤を選んだんですか?」

「実はね……その時、好きな子が居たんだ」


 えーっ、と驚きの声を上げる生徒たち。

 もしかして、それって……と口々に騒ぎ始める教室に向かって、人差し指をぴんと伸ばした片手を上げる。

 静かに、の合図だ。

 忽ち、黙り込む生徒たちに僕は、ちょっと照れながら言う。


「その子の好きな色が、赤だったんだ」


 女の子たちの、きゃーという悲鳴に似た甲高い声。男の子たちの低い騒めきが、溢れ返る。それから? どうなったの?

 僕はまた、人差し指を上げた。

 密やかなクスクスと笑う声が、あちこちで聞こえる。にやけ顔の子供たち。


「そう。そしたらね……その子が選んだのは緑だったんだ」


 静まり返る教室。


「……どうして?」

 『緑赤りょくせきを弁ぜず』と答えた里中さん、だった。


「さあ……。どうしてだろうね? 聞きたくてもその日以来ずっと、その子とは離ればなれなんだ」


 

 家に帰って、テレビをつける。


 見慣れた赤いきつね型宇宙人が、僕たち地球人と熱い討論を繰り広げていた。

 持ち時間五分の間に、其々が語る幸せ。

 その幸せの形は、お揚げのようにふっくらとして噛み締めるたびに滴るとかなんとか。

 それはふやけた天ぷらには無いと言った地球人に拍手喝采が送られる。


 僕はカリッとした天ぷらも、ふやけた天ぷらも好きだけどね……と呟きながらテレビを消そうとした時、臨時ニュースが入ったと画面が突然切り替わった。


 急拵えの慌ただしい記者会見場に、三人の人物が入って来る。

 その一人の姿に、胸がギュッと締め付けられた。

 そこに映っていたのは、緑のたぬき型宇宙人と赤いきつね型宇宙人に挟まれるようにして立つ一人の女性。


 年月が経っても、見間違えようもない。

 ――あの子だった。


「赤緑戦争の締結をここに、宣言します」


 あの子の声で赤いきつね型宇宙人と緑のたぬき型宇宙人が、がっしりと握手を交わす。


 物凄い数のフラッシュが焚かれる。画面にはフラッシュの点滅にご注意下さいとの文字が、音声が流れる。

 どちらを選んでも幸せを享受出来るが、両方ならば、更なる幸せが享受出来る。

 また、どちらを選んでも幸せに優劣はないとこの地球で教えられた、と赤いきつね型宇宙人と緑のたぬき型宇宙人は、肩を組んで笑った。

 色で分かれた世界が、離れ離れになっていた世界中の人々が、元の生活に戻り再び一つになる瞬間だった。



 講和条約が結ばれるきっかけとなったのは、この女性の一通の手紙からだったのだそうだ。


 僕はいま隣に座る立役者である彼女に、その手紙には何を書いたのか聞いてみる。

 すると、笑って首を横に振って言った。


「それは秘密。でも、どうしてあの日、貴方は赤を選んだの?」

「それを言うなら、君が緑を選ぶなんて」


 僕たちは、顔を見合わせて微笑み合う。


「貴方が」

「君が」

「「そっちを選ぶと思ったから」」


 その瞬間、言うまでもなく僕たちは、温かな幸せに包まれたんだ。





《了》





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赤と緑 石濱ウミ @ashika21

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