11月30日『はなむけ』

 今日も、いつもと変わらない一日になるのだと、私は思っていた。




 今日の朝食は、たまごサンドと玉ねぎのスープ、茹でたソーセージにミニサラダ。ラビン師匠と一緒においしく食べて、食後の紅茶を飲んでいた。


「師匠!今朝、洗濯物を干している時にあの魔法使ったら成功したんですよ。ほら、師匠が教えてくれた乾燥させる魔法。今日は焦がさないでタオルを乾かせました〜!」


 十日ほど前に教えてもらった魔法をようやく習得できて、私は嬉しかった。報告したら師匠も喜んでくれるだろう。そう、思っていたのに。


「そっか、さすがだね。ティアは飲み込みが早いなぁ」


 言葉としては、はっきりと褒められている。けれど師匠の表情は悲しそうでもあったし、寂しそうにも見えた。


 うん?どうして、そんな顔してるの?


 私の心に、小さな波が立つ。根拠も何もないけれど……。嫌な予感がした。


「ティア、大事な話がある。君の両親から連絡があったんだ」

「私の親から?」


 聞きたいけれど、聞きたくない。矛盾しているのは分かっている。


「ティアが国に帰れる時がきたよ。これからは両親と一緒に暮らせるんだ」

「そう……なんですか」

「あぁ。二人とも君の帰りを待っているよ。良かったね」


 師匠は寂しそうに、でも口元には笑みを浮かべて言った。良かったね、と言われたけれど。


「あの、私……。まだ両親のこと、よく思い出せないんです。こんな状態で帰国したって……」

「それなら大丈夫。心配いらない」


 師匠は席を立って、私のすぐ近くに立った。座っている私の頭に手を置いて、


「君に必要なのは、この魔法だ。……ディスペル」


 ディスペルって、解除の魔法?なんで?


「あ」


 頭に置かれている師匠の手のひらから、温もりが伝わってくる。と同時に、古い記憶が徐々に脳内に再生される。……思い、出せた。


「師匠っ!私って……!?」


 思わず立ち上がり、彼の目を見る。


「私は……。異世界から、師匠の魔法でこちらに来た人間、だったんですね……?」

「そう。ティアの両親に頼まれて、僕は君をこちらの世界に連れてきたんだ。……やっぱり、ティアは無意識の内に自分自身へ記憶封じのまじないを使っていたんだね。他のことも思い出せたかい?」

「えっと……。記憶が一気に流れてきて、まだ混乱してるんですけれど……」

「じゃあ、端的に伝えるね。君の両親はとある国の国王と王妃で、ティアは国でただ一人の王女だよ」

「……嘘、ですよね?もしくは、冗談?」

「事実だよ」


 冷静に話す師匠とは対照的に、私は驚きの連続で落ち着かない。


 ……私が、王女?いやいやいや、そんな柄じゃない!


 でも、母国にいた頃の記憶は鮮明によみがえっていた。忙しそうに国政に関わっていた父と母の姿、家族で過ごせる時間は優しくしてもらったこと、家庭教師に教わった礼儀作法や一般教養など。

 どうやら、師匠の話は本当みたいだ。


「ラビン師匠、私は……。国に帰るべきなんでしょうか……」


 記憶を取り戻した今、両親の元に帰りたい気持ちはあった。けれど、ここでの生活を続けたい思いもあった。


「ティア。君の両親は、君の意思を尊重すると言っていたよ。ティアがここに残りたいのなら、それでも構わない」

「私の、意思……?」

「うん。ただ、どちらの生活を選ぶかすぐに答えが出ないのなら、気持ちが五分五分なら……。家族が待っている国に帰った方がいいと、僕は思うよ」

「……今、決めなきゃダメですか?」

「今じゃなくていいけれど、今夜には答えを出して。国で待ち続ける二人の心情を考えると、あまり先延ばしにはしたくないし。あぁ、一応荷造りはしておいてね。国に帰るのなら、ティアと一緒に身の回りの物も向こうへ送るから」

「……分かりました」


 頷きはしたが、今夜までに答えが出るとは思えなかった。




 日中の家事もそこそこに済ませ、のろのろとしていた荷造りは夜には終わっていた。

 異世界の母国に帰るか、ここに残るか。気持ちは半々で答えは出なかった。


「荷造り、できたみたいだね」


 師匠の指示で、身の回りの物を詰めた旅行鞄を屋上へ持ってきた。十一月最終日の今夜、屋上はとても寒い。寒いけれど、そんなの気にならないほど私の気持ちは複雑でこんがらがっていた。


「ティア、この鍵を君に返すよ。異世界転移の術で、これから君を世界の狭間はざまへ飛ばす。狭間の空間で正しい扉を見つけて、この鍵で開けるんだ。そうすれば国に戻れる」


 師匠は話しながら、自身の首にかけていた鍵のネックレスを私の首にかけた。


「私……、まだ答えが出ません。国に帰りたい気持ちと同じぐらい、ここでの生活も続けたいんです」


 声が震えて、気を抜けば泣いてしまいそうだった。泣きたくなんてないのに。そんな私を見て、師匠は困ったように笑っていた。


「ティア。気持ちが半々なら、君は国に帰りなさい。両親が待っているよ」

「でもっ……!師匠は、これから一人になって、それでいいんですか!?」

「僕はティアが幸せならそれでいい。……これは僕からの、はなむけの品だ」


 師匠は懐から何かを取り出すと、私の左手を取った。私の左手人差し指に、指輪をつけてくれた。青い、雫型の石がきらりと輝いている美しい指輪だ。


「もう思い出しているだろうけど、君の本当の名はティアードロップ。君が生まれた時に、両親が喜んで涙を流したことからその名前になったんだ。そして、この石はブルートパーズ。石言葉は希望。人差し指にこの指輪があれば、ティアが困った時や悩んだ時に、未来へ進むための道標みちしるべになるだろう。僕の魔力も込めてあるから、御守りとしてティアに贈るよ」

「ラビン師匠……!」


 まばたきをした拍子に、こらえていた涙がこぼれた。

 師匠は魔杖まじょうを掲げて、魔力を放つ。その瞳が潤んでいるように見えたのは、きっと気のせいじゃない。


「さようなら、ティア。君は、僕の自慢の愛弟子だよ」


 私は眩い光に包まれた。



   ◆



 ラビン師匠へ


 師匠、元気にしていますか?この手紙をあなたが読んでいるのなら、私の魔法が成功したということでしょう。

 私は国に戻ってから、王女様とか姫様とか呼ばれるようになりました。もう一年経ちますが、ここでの生活にまだ慣れていません。

 師匠の元を離れて気が付いたことがたくさんあります。一番強く思うのは……。


 私が帰りたいのは、あなたと暮らしたあの洋館だということです。


 いつか、異世界転移の術を自力で習得して、師匠のところへ帰ります。

 私が「ただいま」って言う日まで、待っていてください。


                    あなたの愛弟子ティアより



   ◆



 ティアをこちらの世界から送り出して、一年。異世界にいるあの子から手紙が届いた。


「驚いたな……」


 僕が一度見せただけの魔法を、その応用術を、たった一年で習得したようだ。やはり、ティアには魔法の才能がある。


「僕も、おかえりと言える日を待っているよ」


 すっかり静まりかえった洋館の庭先で、十一月の寒さに震えながらも、僕は自然と笑顔になっていた。




                              〈おわり〉

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