11月29日『地下一階』

 この洋館には地下室がある。地下一階への扉は強固な魔法で施錠してあって、入れるのは僕だけだ。

 弟子のティアが魔法の自主練習をしている間に地下室へやってきた。ランタンの灯りで置いてある姿見すがたみを照らす。鏡に手をかざし魔力を注ぐと、鏡面に身なりの良い二人の姿が映った。


「やあ、国王に王妃。……近くには誰もいませんか?」

『あぁ、大丈夫だ。ラビン殿』

『ラビンさん、ティアは……。ティアードロップは、元気にしていますか?』

「えぇ。とても元気に毎日過ごしていますよ」


 僕の言葉に彼等、ティアの両親は安堵あんどしたようだ。二人の表情から陰りが消える。


「明日、ティアに話をしてこちらの世界から彼女を送り出すつもりです。異世界転移の術は、失敗すれば世界の狭間はざまに取り残される可能性もあり、危険を伴うものです。ですが……。あなた方が用意したこの鍵があれば、ティアは迷わずにそちらへ渡れるでしょう」


 僕は首から下げている鍵を指し示す。この鍵はティアがこちらへ来る前に、僕の指示で国王と王妃が用意した物だ。あちらの世界ゆかりの品があれば、ティアは母国へ帰れるはず。


「国王。国の方は、もう落ち着いたのですね?」


 僕が確認のためたずねると、国王は力強く頷いた。


『北の大国との冷戦は終わったよ。粘り強く、対話による交渉を続けた甲斐かいがあった。今なら、ティアが帰ってきても安心して暮らせるだろう』

「そうですか。それはなにより。まったく、北国の統治者も出来が悪いな。昔、あれだけの大きな戦で痛い思いをしたはずなのに」

『ラビン殿。あなたは私の祖父……、先先代の国王の時代から我が国に貢献してくれた。娘のティアのことでも、あなたには恩がある。もう一度、こちらへ戻ってきてはくれないだろうか?』

『ティアも、十年近くあなたと暮らしていたんですもの。離れることになったら、きっと寂しがるわ。ラビンさんも私達の国で生活しませんか?』


 国王と王妃の申し出は有り難いものだったが……。僕は苦笑してこう答えた。


「僕は、あなた達の国では少々名が知れていましてね。戻ったら、また魔法研究所の所長に、と推薦されるでしょう。僕が求めているのは、名誉でも権威でもお金でもない。静かで平穏な日々なんです。それに、今はこちらで数人の患者へ薬を処方していますし、ね。ここでの生活を手放すことは、僕にはできない」

『そうか……。残念だが、それなら仕方ないな』


 国王は心惜しそうに眉を寄せた。王妃も、寂しさを表情に出しつつ口を開き、


『ラビンさん、私達はティアの意思を尊重します。あの子がそちらの世界に留まりたいのなら……。無理強むりじいはできません』


 二人が、ティアの幸せを一番に願っているのは、話していてよくよく伝わってくる。だからこそ、僕はティアを国に帰すべきだと思った。


「分かりました。最終的な判断は、ティアに任せます」


 ここに残るか、母国へ帰るか。ティアがどちらを選ぶかはまだ分からないけれど。


 どんなに寂しくても、僕としては家族の元へ帰るように勧めよう。そう、強く決意した。

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