金色のチョコレート

銀色小鳩

1話完結 金色のチョコレート 

        

「ついてきてほしいの」

 修学旅行、最後の夜に、亜季はそういってわたしの腕に腕を絡ませた。

 彼女の指に握られた紙袋がかさかさと音を立てる。一緒に選んだ紙袋の中には、一緒に選んだチョコレートが入っている。彼女のセンスのよさを感じさせる箱に入れられ、ラッピングも細かくきめられた、わたしたちの相談の結晶みたいな贈り物が入っている。

 チョコレートをどうやって作ったのかだけ、知らない。

 月明かりもなくあたりは真っ暗だ。晴れているのか曇っているのかよくわからない。波の音と静寂が耳を鋭敏にさせる。

 浜辺へと続く長い海辺の道を、彼女は怖がって歩く。私の腕に力をいれてしがみつくようにしながら。私は逆にそんなことできない。自分からは彼女に触れることができない。

 反対側の手で、落ち着かない気分でポケットを探ると、さっき買ったばかりの金平糖の袋に手が触れる。金平糖が私の指をやさしく刺してくる。

「曇ってるのかな、晴れてるのかな、これ」

 わたしが質問すれば、すぐに答えられる距離に、いつも彼女はいた。彼女は普段より潤んだ声で答えた。

「曇ってるよ。晴れてるとね、月が出て、暗い海が反射して金色に光るの。前に見たことがあるんだ。すごくきれいなの」

 弦のように響く、耳にのこる声が、いつまでも鼓膜をころがっている。

「ちょっと残念だね。金色の海。見たかったな」

 そう、夢見るみたいに彼女は言った。

「朝もきれいかな」

「朝もきれい」

 のびやかに。歌うように。この夜の中で、亜季の声は音楽的だ。

「見たいね」

 わたしがそう言ったとき、浜辺についた。

 浜辺に、彼女に数ヶ月まえに告白してきた同級生が立っていた。バレンタインと被った2泊3日の修学旅行で、心の込もったチョコレートで彼女は返事をするはずだった。二人の声の聞こえない距離までで彼女はわたしから手をはなした。

「ここで、待ってて? お願い」

 卒業したら、会わないですむ。

 木の陰で、息をひそめて彼女を待ちながら、わたしはゆるやかな波の音をきいている。波の音が静かすぎて、二人の会話が聞こえてきそうで、ポケットから金平糖をだして舌にのせる。きらくる、からころ、音をたてるみたいに、金平糖がまわりながらわたしの胸を刺している。

 後ろから息のはずむ音が聞こえ、彼女はわたしの腕にまた手をかけた。

「渡してきた?」

 彼女はすぐに答えなかった。

 帰り道、宿への海辺の一本道を同じようにたどりながら、小さな声でわたしにつたえた。

「受け取ってもらえなかった」

 静かで、波の音以外、あまりにもやわらかで、息の音が聞こえそうで、わたしたちの会話は少なかった。宿につくと、彼女の手が、わたしと選んだ箱をそのままわたしに差し出した。

「あげる」

「え……」

「理佳、たべていいよ」

 部屋の中にはわたしと彼女しかいない。他の同級生はどこへ行ったのか。

 亜季は敷かれている布団に入り、そのままわたしを背にして向こうをむいてくるまってしまった。

 横開きのガラス戸が開いて、クラスメイトが声をかけた。

「みんな、男子も集まって今騒いでるよ。来ない?」

「亜季。みんな集まってるから来ないかって。どうする?」

 亜季はこっちを向かない。

「いかない。疲れたから。ちょっと」

 いつもと同じように、穏やかに、彼女が答える。

「亜季は疲れたから行かないって。わたしも調子わるいからやめとく」

 そっとクラスメイトに答えて、ガラス戸が閉じてしまうと、本格的に部屋の中は静かになった。

「食べちゃうよ。いいの?」

「いいよ」

 彼女は、いつも、遅刻するわたしを叱っていた。優しく、宿題を忘れるわたしを、そんなんじゃダメでしょと咎めていた。2年間もいっしょにいて、わたしはわかっていなかった。

 強くてよかったね。どうぞ一人で頑張れば。あんたはいいじゃないか、強いからそんなことがいえるんだ。強いからわたしの気持ちなんてわからないんだ。学校へ行くのが、生きるのがつらくて仕方ないわたしの、家を出るときの吐き気を知らないから――。

 そんなんじゃなかった。こんなときでもあなたは表さないから、いつも声にまで表すことがないから、気付いていなかった。

 わたしは足が震えている、いつも足が震えている。臆病ものだ。

 あなたはしっかり立っているのに。その心は震えることがあったのに。今も、後ろ姿はこんなに過敏に震えているのに。

 あまりにも優しく語る声を聞いて、穏やかに咎めることばを聞いて、勘違いした。強いからだと。

 箱を開くと、ころんと丸いトリュフが出てきた。口に含んだそれは、金色に光って口の中で溶けた。

「おいしいのに」

 彼女は答えない。

「おいしいのに。もったいない」

 何回も、トリュフがわたしのなかで溶けた。わたしのからだにゆるやかに溶けた。

 修学旅行は終わった。

 今でも、海を見ると記憶が蘇る。高校はもう永遠のかなたにある。

 見たかったね。一緒に見たかった。広がる金色の海を、あなたと見たかった。

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