君に献身を理解されたい。

鍍金 紫陽花(めっき あじさい)

第1話

 コントローラーで手を振ったのは、久しぶりにチャハと再会したからだ。声をかけようとしたけれど、周りに人がたくさんいた。伸ばした指でメニューを開き、ソーシャル欄を覗く。フレンドは23時からログインするから、オフライン表示がずらりと並ぶ。前方の集団は会話が弾んで、チャハの笑い声を含み、俺の耳にまで届く。


「チャハは変わらないな」


 俺はパブリックでワールドの床に座りながら、楽しげなチャハを観察する。

 アバター改変が進み、購入したキャラと違いがはっきりわかるようになった。Twitterに集合写真を載せ、主催のイベントが成功したことを祝っていた。友達の勧めでイヤリングのアクセサリーを制作し、身内で好評なところ。どれも出会った頃と相違がある。

 その時、俺は自分が落ち込んでいるとを理解した。モヤモヤやハラハラは擬音が先に現れて、その後に自分が何を思っているのかが分かる。俺は感情が遅れてやってくる。その遅れを自覚したら、決まった行動をしなければならない。そのために、ホームワールドに帰る。

 自作のホームワールドに帰り、既視感ある家のアセット。入口すぎて2階の寝室。ベットの上の写真に触る。

 チャハと俺が笑顔の写真。


「この写真、よく見たら髪の毛が俺の目に被ってる」


 写真に着いた思い出が引っ張り出される。

 記憶の上映が始まる。

 この時も、今日みたいな再会の日だった。



 イベント会場で呼び止められる。俺はスティックを右に倒す。居たのは、小麦色の長髪とパステルカラーのジャケットを羽織った女性アバター。


「ぜんくんおひさ」


 チャハは宙色の瞳を長い前髪から覗かせる。顔と顔が接近し、距離が縮まった。

 呼ばれたけれど、唾が絡んで声がすぐに出ない。ヘッドセットの接触部周りを爪でかいて、返事した。


「チャハも来てたの」

「うん。ここは私のフレンドが開催しているイベント。主催者経験ある私に来て欲しいってさ」


 俺は自分のアバターが破綻してないか不安になった。カメラを取りだし、全身を調べる。目指する限り、マテリアルエラーは起きず、トラッカーは飛んでいない。チャハと会うなら、異常のないようにしたかった。


「てかごめんね! いつもインバイトくれるけど、対応できなくて」

「いやいや。なにか忙しいんでしょ?」

「うん。ちょっと作業してるんだ。ちょっとコレ見てみて」


 彼はアバターを変更する。頭上のローディングが100パーセントに達成し、キツネ顔の女性が出現した。

 狐耳や丸いしっぽ。狐をモチーフにした10代の女子だ。目元に赤い線が引かれていて、視線が誘導される。


「10月までに販売するつもり」

「これ1から作ったの?」

「友達の力を借りて作った。深夜に友達と話していたら、やる気が出てね。大変だったよ。肌が服を通過して、長袖なのに肘が見えちゃうバグとかあった」


 チャハ両腕を空に掲げ、袖から肌が露出していないことを教えてくれる。

 Unityでキャラクターを立ち上げて、アバターのアセットに服が綺麗に入っていないか、保存が実行されていないのではないか。その知識なら分かるし、一緒に調べられたのに。それも友達の支援だろうか。


「なんか前はアクセサリーも作ってなかった?」

「覚えててくれたんだ。ほら、耳」と、首を傾げるチャハ。小さな注射器がイヤリングとして吊るされている。


「これやみかわでしょ」

「ぜんくんよく知ってるね」


 彼のことはよく知っていた。Twitterでフォロワーが増えて、発言に注目が来てることも覚えている。でも、言えない。関係に亀裂を入れたくなくて、今の関係を永続したかった。そのアクセサリーを販売していることも知っていた。でも、買ったら2人の溝を再確認しそうでタブを閉じたことがある。


「アバターどうだった? 気に入った?」

「チャハのセンスなら良いんじゃないの」

「もう、ぜんくんに聞いているのに」

「良いと思う」

「本当に?」

「アバター可愛いし売れると思う。それに、狐なら俺も好き」


 ローディングが入り、彼はアバターを戻す。普段使いしている派手な彼女は、どこに向けるでもなく、俺と面を合わせている。


「ねえ、ぜんくん」

「なに?」

「……ううん、何でもない」

「ええ、そこまで言うなら、最後まで言ってよ」


 アバターの視線が俺の後ろにズレる。挙動が心と合致する時がたまにあるけれど、チャハも起きることだろうか。他愛もないことが浮かんで、共通点を探りたくなる。俺はふとしたことで、彼と似た場所を見つけたくなってしまう。


「ぜんくん。あのね……」

「あれ、チャハさん来てくれたのですか!」


 全身骸骨の人が大声で駆け寄る。大きなマントは、ボーンの影響で、現実で風受けた布のようにはためく。


「来られるとは思いませんでした」

「いや、友達と久々に再開してて、話し込んじゃった」

「どうもサミィです。イベントに来てくれてありがとう。チャハさんのフレンドなら歓迎です」

「あ、ありがとうございます」

「今回のイベントは○○の配信を一緒に見て、私は専門分野なので、隣で解説を挟みます。では、かの大戦を楽しんで見ましょう」

「あはは」

「それでチャハさん。相談したいことがありまして……」


 彼は主催者に連れられた。大勢に進むふたりへ届かなかった。言いかけた質問が気がかりで、心構えが空回りだ。

 俺は自分の感情がモヤモヤしたものに支配されていくのを感じた。それに対する対処法がわからず、主催者への苛立ちに変わりそうになっている。

 腹いせに他人を攻撃したら終わりだ。

 俺はイベントを純粋に楽しめないと理解した。

 どうしても、いまの嫌味のない一連の行動を反芻し、苛立ちしか残らなくなってしまった。

 俺はワールドを逃げるように移動する。

 逃げた先はプライベートルーム。自分の部屋で、好きな音楽を動画プレイヤーで流す。ピアノの旋律が気持ちを先立たせ、楽器隊の演奏が重なる。のらりくらりと交わすようなかん高い男性の声。

 今の俺を歌ってくれるから、椅子の肘置きに体重を載せられる。


「え、なんだ」


 画面横にオレンジのアイコンが現れる。それは、誰かが俺の場所に来たいというリクインだった。チャハが俺の場所に来たがっている。それを許可したら彼は来るはず。

 俺は躊躇わず押した。


「いやー、話してる途中にごめんね。追っかけてきたよ」

「イベントは?」

「大丈夫。何とかなるよ」

「そうじゃなくて、抜け出してきていいの?」

「いいよ」


 その声色は優しかった。母親が赤子の頬を撫でるように優しい。そして、張り詰めていた心が弛む。気が散っていても、チャハと話すだけで楽になる。俺は単純な構造で出来ていた。


「話が途中で切れるのは、ぜんくんの苦手なことの一つでしょ」

「そんなこと言ったっけ」

「分かるよ。だって、ずっと付き合いあるから」

「覚えてるんだ。俺の事」

「覚えてるよ。ぜんくんのことはまだまだ知ってるよ」


 小さな指が人差し指から折りたたまれていく。顔を上に向けたり、右に頭を降ったりする。


「コンビニスイーツが好きなこと。高校の元担任が嫌いなこと。ゲス極をまだ聞いていること。大勢な人が苦手というより、生産性のない同調で会話を繰り返す人が苦手。狐娘が好きなこと」


 これは、なんて言う感情なんだろう。


「間違ってた?」


 俺の無言が否定的に囚われてしまった。咄嗟に考えから抜け出した。


「間違いはないよ。ただ黙ってたのは、自分のことなのに、自分のことは何も知らないんだなって」

「そんなもんだよ。チャハも色んなことしてるけど、本当に欲しいものは手に入ってない」


 彼はため息を吐いた。

 俺から近づき、手を頭に乗せる。そこから、相手の目線の先まで緩やかにおろしていく。彼の頭を撫でるスキンシップをした。


「疲れてる?」

「疲れるよ。ワールド作ったら、滞在した人達から荒らしをバン願いが来て、対処したり。発言に気をつけたり。前みたいに和気あいあいと話したいよ」

「そうだったんだ」

「ぜんくん、意外そうな声しないで」

「前は仕事の愚痴とか話してくれたよね。変なこと喋って笑って、そういう放課後の再現みたいな。楽しかったね。でも、チャハは遠いところに行って。それが楽しいんだと思っていた」

「遠くに行ってないよ。試しに、ほら!」


 撮影の音がした。彼はどこからともなくカメラを持ち出し、2人の写真を勢いで押す。


「願えば会えるよ。ずっとは、居れないけど。離れていても一緒だよ。今、ぜんくんとチャハがいた事は無くならない。辛くなったら、思い出の中の今日を噛み締めていけばいい」

「俺は、感情があとから付いてくるんだ。擬音が前に来て、感情が到着して、悔しくなってずっと引き摺っちゃうんだ。だから、辛い時に辛いとして、写真に辿り着けるか分からない」


 俺は何を話しているのだろう。

 熱に浮かされたみたい。チャハが心の中に思っていたであろう確信に触れてしまったから、口が滑った。


「擬音の段階で手に取ればいいよ」

「そっか。すぐ動いたらいいんだ」

「うん」


 スキンシップの手を止める。俺は目の位置からうごこうとした。しかし、それを阻むように掴まれる。当然、コライダーがないからすりぬけるけれど、手にチリチリとした熱さが残った。


「まだ撫でて」

「うん」

「そういえば、さっきは何を言いかけてたの」

「もう言った」

「えー、どういうことなの」


 反対の手で撫でる。ただ、ずっと触り続ける。

 ワールドに咲かせた花がゆらゆらと揺れていた。



 画面横にアイコンが出ていた。ずいぶんと、チャハと余韻にひたっていたようだ。既に数分がすぎている。

俺をワールドへ呼び出しているようだ。許可を押し、場所を移動する。そこは、先ほどの会場。


「もうぜんさん。どこに行っていたの」


 フレンドが俺を呼んだ。彼は俺と遊びたくて召喚させたらしい。


「別に。ただの作業だよ」


 あれから俺もフレンドが増えた。目の前にいる彼みたいに、遊んでもらっている。最近は、チャハのタイムラインを眺めなくなった。


「ぜんくんー!」


 集団の中で綺麗な君が手を大ぶりにする。振り返す代わりに、首を右にかたむけ、装着しているアクセサリーを露見させた。チャハは気づいたようで親指を立てる。周りの狐娘アバターが要領を得ない様子で、仕切り直すように新発売のアバターのすばらしさを語っている。

 俺たちは距離が生まれたけれど、過去は嘘じゃなかった。擬音が心に流れて、感情が確定する前に、写真を見たらいい。その流れで何度救われたのだろう。

 今、彼が俺へ手を振ってきた。名付けたことのない感情が現れた気がした。

 俺はこれを好きと呼んでいいのか知らない。

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君に献身を理解されたい。 鍍金 紫陽花(めっき あじさい) @kirokuyou

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