君に献身を理解されたい。
鍍金 紫陽花(めっき あじさい)
第1話
コントローラーで手を振ったのは、久しぶりにチャハと再会したからだ。声をかけようとしたけれど、周りに人がたくさんいた。伸ばした指でメニューを開き、ソーシャル欄を覗く。フレンドは23時からログインするから、オフライン表示がずらりと並ぶ。前方の集団は会話が弾んで、チャハの笑い声を含み、俺の耳にまで届く。
「チャハは変わらないな」
俺はパブリックでワールドの床に座りながら、楽しげなチャハを観察する。
アバター改変が進み、購入したキャラと違いがはっきりわかるようになった。Twitterに集合写真を載せ、主催のイベントが成功したことを祝っていた。友達の勧めでイヤリングのアクセサリーを制作し、身内で好評なところ。どれも出会った頃と相違がある。
その時、俺は自分が落ち込んでいるとを理解した。モヤモヤやハラハラは擬音が先に現れて、その後に自分が何を思っているのかが分かる。俺は感情が遅れてやってくる。その遅れを自覚したら、決まった行動をしなければならない。そのために、ホームワールドに帰る。
自作のホームワールドに帰り、既視感ある家のアセット。入口すぎて2階の寝室。ベットの上の写真に触る。
チャハと俺が笑顔の写真。
「この写真、よく見たら髪の毛が俺の目に被ってる」
写真に着いた思い出が引っ張り出される。
記憶の上映が始まる。
この時も、今日みたいな再会の日だった。
▼
イベント会場で呼び止められる。俺はスティックを右に倒す。居たのは、小麦色の長髪とパステルカラーのジャケットを羽織った女性アバター。
「ぜんくんおひさ」
チャハは宙色の瞳を長い前髪から覗かせる。顔と顔が接近し、距離が縮まった。
呼ばれたけれど、唾が絡んで声がすぐに出ない。ヘッドセットの接触部周りを爪でかいて、返事した。
「チャハも来てたの」
「うん。ここは私のフレンドが開催しているイベント。主催者経験ある私に来て欲しいってさ」
俺は自分のアバターが破綻してないか不安になった。カメラを取りだし、全身を調べる。目指する限り、マテリアルエラーは起きず、トラッカーは飛んでいない。チャハと会うなら、異常のないようにしたかった。
「てかごめんね! いつもインバイトくれるけど、対応できなくて」
「いやいや。なにか忙しいんでしょ?」
「うん。ちょっと作業してるんだ。ちょっとコレ見てみて」
彼はアバターを変更する。頭上のローディングが100パーセントに達成し、キツネ顔の女性が出現した。
狐耳や丸いしっぽ。狐をモチーフにした10代の女子だ。目元に赤い線が引かれていて、視線が誘導される。
「10月までに販売するつもり」
「これ1から作ったの?」
「友達の力を借りて作った。深夜に友達と話していたら、やる気が出てね。大変だったよ。肌が服を通過して、長袖なのに肘が見えちゃうバグとかあった」
チャハ両腕を空に掲げ、袖から肌が露出していないことを教えてくれる。
Unityでキャラクターを立ち上げて、アバターのアセットに服が綺麗に入っていないか、保存が実行されていないのではないか。その知識なら分かるし、一緒に調べられたのに。それも友達の支援だろうか。
「なんか前はアクセサリーも作ってなかった?」
「覚えててくれたんだ。ほら、耳」と、首を傾げるチャハ。小さな注射器がイヤリングとして吊るされている。
「これやみかわでしょ」
「ぜんくんよく知ってるね」
彼のことはよく知っていた。Twitterでフォロワーが増えて、発言に注目が来てることも覚えている。でも、言えない。関係に亀裂を入れたくなくて、今の関係を永続したかった。そのアクセサリーを販売していることも知っていた。でも、買ったら2人の溝を再確認しそうでタブを閉じたことがある。
「アバターどうだった? 気に入った?」
「チャハのセンスなら良いんじゃないの」
「もう、ぜんくんに聞いているのに」
「良いと思う」
「本当に?」
「アバター可愛いし売れると思う。それに、狐なら俺も好き」
ローディングが入り、彼はアバターを戻す。普段使いしている派手な彼女は、どこに向けるでもなく、俺と面を合わせている。
「ねえ、ぜんくん」
「なに?」
「……ううん、何でもない」
「ええ、そこまで言うなら、最後まで言ってよ」
アバターの視線が俺の後ろにズレる。挙動が心と合致する時がたまにあるけれど、チャハも起きることだろうか。他愛もないことが浮かんで、共通点を探りたくなる。俺はふとしたことで、彼と似た場所を見つけたくなってしまう。
「ぜんくん。あのね……」
「あれ、チャハさん来てくれたのですか!」
全身骸骨の人が大声で駆け寄る。大きなマントは、ボーンの影響で、現実で風受けた布のようにはためく。
「来られるとは思いませんでした」
「いや、友達と久々に再開してて、話し込んじゃった」
「どうもサミィです。イベントに来てくれてありがとう。チャハさんのフレンドなら歓迎です」
「あ、ありがとうございます」
「今回のイベントは○○の配信を一緒に見て、私は専門分野なので、隣で解説を挟みます。では、かの大戦を楽しんで見ましょう」
「あはは」
「それでチャハさん。相談したいことがありまして……」
彼は主催者に連れられた。大勢に進むふたりへ届かなかった。言いかけた質問が気がかりで、心構えが空回りだ。
俺は自分の感情がモヤモヤしたものに支配されていくのを感じた。それに対する対処法がわからず、主催者への苛立ちに変わりそうになっている。
腹いせに他人を攻撃したら終わりだ。
俺はイベントを純粋に楽しめないと理解した。
どうしても、いまの嫌味のない一連の行動を反芻し、苛立ちしか残らなくなってしまった。
俺はワールドを逃げるように移動する。
逃げた先はプライベートルーム。自分の部屋で、好きな音楽を動画プレイヤーで流す。ピアノの旋律が気持ちを先立たせ、楽器隊の演奏が重なる。のらりくらりと交わすようなかん高い男性の声。
今の俺を歌ってくれるから、椅子の肘置きに体重を載せられる。
「え、なんだ」
画面横にオレンジのアイコンが現れる。それは、誰かが俺の場所に来たいというリクインだった。チャハが俺の場所に来たがっている。それを許可したら彼は来るはず。
俺は躊躇わず押した。
「いやー、話してる途中にごめんね。追っかけてきたよ」
「イベントは?」
「大丈夫。何とかなるよ」
「そうじゃなくて、抜け出してきていいの?」
「いいよ」
その声色は優しかった。母親が赤子の頬を撫でるように優しい。そして、張り詰めていた心が弛む。気が散っていても、チャハと話すだけで楽になる。俺は単純な構造で出来ていた。
「話が途中で切れるのは、ぜんくんの苦手なことの一つでしょ」
「そんなこと言ったっけ」
「分かるよ。だって、ずっと付き合いあるから」
「覚えてるんだ。俺の事」
「覚えてるよ。ぜんくんのことはまだまだ知ってるよ」
小さな指が人差し指から折りたたまれていく。顔を上に向けたり、右に頭を降ったりする。
「コンビニスイーツが好きなこと。高校の元担任が嫌いなこと。ゲス極をまだ聞いていること。大勢な人が苦手というより、生産性のない同調で会話を繰り返す人が苦手。狐娘が好きなこと」
これは、なんて言う感情なんだろう。
「間違ってた?」
俺の無言が否定的に囚われてしまった。咄嗟に考えから抜け出した。
「間違いはないよ。ただ黙ってたのは、自分のことなのに、自分のことは何も知らないんだなって」
「そんなもんだよ。チャハも色んなことしてるけど、本当に欲しいものは手に入ってない」
彼はため息を吐いた。
俺から近づき、手を頭に乗せる。そこから、相手の目線の先まで緩やかにおろしていく。彼の頭を撫でるスキンシップをした。
「疲れてる?」
「疲れるよ。ワールド作ったら、滞在した人達から荒らしをバン願いが来て、対処したり。発言に気をつけたり。前みたいに和気あいあいと話したいよ」
「そうだったんだ」
「ぜんくん、意外そうな声しないで」
「前は仕事の愚痴とか話してくれたよね。変なこと喋って笑って、そういう放課後の再現みたいな。楽しかったね。でも、チャハは遠いところに行って。それが楽しいんだと思っていた」
「遠くに行ってないよ。試しに、ほら!」
撮影の音がした。彼はどこからともなくカメラを持ち出し、2人の写真を勢いで押す。
「願えば会えるよ。ずっとは、居れないけど。離れていても一緒だよ。今、ぜんくんとチャハがいた事は無くならない。辛くなったら、思い出の中の今日を噛み締めていけばいい」
「俺は、感情があとから付いてくるんだ。擬音が前に来て、感情が到着して、悔しくなってずっと引き摺っちゃうんだ。だから、辛い時に辛いとして、写真に辿り着けるか分からない」
俺は何を話しているのだろう。
熱に浮かされたみたい。チャハが心の中に思っていたであろう確信に触れてしまったから、口が滑った。
「擬音の段階で手に取ればいいよ」
「そっか。すぐ動いたらいいんだ」
「うん」
スキンシップの手を止める。俺は目の位置からうごこうとした。しかし、それを阻むように掴まれる。当然、コライダーがないからすりぬけるけれど、手にチリチリとした熱さが残った。
「まだ撫でて」
「うん」
「そういえば、さっきは何を言いかけてたの」
「もう言った」
「えー、どういうことなの」
反対の手で撫でる。ただ、ずっと触り続ける。
ワールドに咲かせた花がゆらゆらと揺れていた。
▼
画面横にアイコンが出ていた。ずいぶんと、チャハと余韻にひたっていたようだ。既に数分がすぎている。
俺をワールドへ呼び出しているようだ。許可を押し、場所を移動する。そこは、先ほどの会場。
「もうぜんさん。どこに行っていたの」
フレンドが俺を呼んだ。彼は俺と遊びたくて召喚させたらしい。
「別に。ただの作業だよ」
あれから俺もフレンドが増えた。目の前にいる彼みたいに、遊んでもらっている。最近は、チャハのタイムラインを眺めなくなった。
「ぜんくんー!」
集団の中で綺麗な君が手を大ぶりにする。振り返す代わりに、首を右にかたむけ、装着しているアクセサリーを露見させた。チャハは気づいたようで親指を立てる。周りの狐娘アバターが要領を得ない様子で、仕切り直すように新発売のアバターのすばらしさを語っている。
俺たちは距離が生まれたけれど、過去は嘘じゃなかった。擬音が心に流れて、感情が確定する前に、写真を見たらいい。その流れで何度救われたのだろう。
今、彼が俺へ手を振ってきた。名付けたことのない感情が現れた気がした。
俺はこれを好きと呼んでいいのか知らない。
君に献身を理解されたい。 鍍金 紫陽花(めっき あじさい) @kirokuyou
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