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『To Be A Legend ~時の架け橋~』

To Be A Legend ~時の架け橋~


 ――あなたは、だれ?


 今ではない、いつか。

 ここではない、どこかで。

 豊橋とよはしレナは歌っていた――広大な客席を埋め尽くすファンの前で。


 眼前に広がるのは、満員の会場を埋める緑の手持ち照明サイリウム

 ファンが自分を応援してくれるときの旗印。見慣れたはずのその光景。

 だけど、この場所は、一体どこなんだろう。


「レナちゃん」


 誰かが自分を呼んでいる。客席のファンとは違う誰かが、緑色の光の向こうから。

「あなたは、だれ?」

 レナが問いかけても、その誰かは言葉を返さない。


 霞草かすみそうの如く揺れる夢幻ゆめまぼろしの中で、レナはただ一つのことを悟っていた。

 それが誰かはわからないけど――

 ――この光を通じて、わたしは誰かと繋がっている。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



「ねえ、アカリちゃんー。昨日わたしの夢に出てきた?」

「はい?」

 楽屋のテーブルに上体を投げ出し、スマホのストラップをつんつんと弄びながらレナが尋ねると、グループの後輩は愛嬌のある目を途端に丸くした。

「なんですかー、それ」

「誰かがねー……誰かが夢に出てきたんだよねぇー」

 テーブルに突っ伏したままレナが言うと、後輩はくすくす笑って、「みなさーん、レナさんがヘンですー」などと他のメンバーに呼びかけている。

「レナはいつもヘンだよ」

「わたし! わたしの夢にレナさん出てきたんだけど! そっちとリンクしてない?」

 ぱたぱたと寄ってくる別の後輩の楽しそうな顔を見て、レナはふるふると首を振る。

「絶対ちがう。もっと静かそうな子だった」

「えー。わたしじゃ不満かねー、レナどのはー。ちゅんちゅん」

 鳥の鳴き真似をしながらまとわりついてくる後輩を適当にあしらいつつ、レナは目を閉じて、夢に出てきた「誰か」を瞼の裏に思い描こうとする。

 だが――グループの後輩や、秋葉原ほんてんの若手メンバー達の誰を思い浮かべても、それは夢に見た「誰か」のイメージとは一致しなかった。

 あれはどこの誰だったのか。少女であったことは、間違いないと思うのだが――。

「なに、何の話?」

 ふいに楽屋に響いたたまのような声に、後輩メンバー達が次々と居住まいを正し、「おはようございます!」と挨拶を飛ばすのが聞こえる。

 レナも突っ伏していた身体を起こし、声の主に「おはよう」と挨拶をした。

 幾十人のメンバーがしのぎを削る名古屋エイトミリオンにあって、ただ一人、この自分に勝るとも劣らぬ輝きを放つ最大のライバル。この場で最年少でありながら、皆の畏敬と憧れを一手に集めるダブルセンターの片割れに向かって。

「夢に出てきたのが誰なのかって? わたしでもなかった?」

「うん……ジュリナじゃないと思う」

 自分と同じ、グループを黎明から支えた一期生である彼女の存在を、レナは無意識の内に「夢の誰か」の正体候補から外して考えていた。

 だって――誰なのかはわからないけど、あれはきっと、自分より後の世代の誰か。自分の想いを託すべき後進の誰かに違いないからだ。

「卒業控えてナーバスになってるから、ヘンな夢見るんじゃない?」

 そんなふうにレナに鋭く切り込めるのは、同輩にして同格である彼女だけ。

「……そうなのかなあ」

 おかしな夢を見てしまった、それだけだと忘れればいい話ではあるのだけど。

 だけど、自分は――どうしても、夢に出てきた誰かに、ちゃんと言葉を返したいのだ。

「ハイ、もうすぐ握手会始まるよ! みんな気合い入れて、握手会の価値は公演かそれ以上だと思って!」

 ぱんぱんと手を叩き、ツートップの一角が鋭く仲間に指示を飛ばす。仲間達は口々に「はい!」と声を張り上げ、きりりと戦闘態勢に入っていく。

 六つも歳が違うのに、こういうところは何年経っても彼女にかなわない。これだけ皆の頼りにされている彼女に、今さら、わたしが何を託す必要があろうか。

 やっぱり「夢の誰か」は彼女ではない、と結論づけながら、レナは大事な握手会に向けて気持ちを切り替えた。


 卒業を間近に控えたレナの握手レーンには、これまでにもまして多くのファンが長蛇の列をなしている。

 握手会はレナの大好きなイベントだった。ひょっとしたら劇場公演よりもコンサートよりも、ドラマやバラエティへの出演よりも。

 CDの売れ行きが何万枚だとか、総選挙の票数が何万票だとか聴かされるよりも、一人ひとりのファンと直に話せることは、ずっとずっと嬉しくて楽しい。

 ――だけど、卒業を発表してしまった以上、握手会でのファンとのお喋りも、ただ楽しいだけとはいかないのはレナにもわかっていた。


「こんにちはー」

 レナが明るく微笑みかけ、ファンの男性の右手をふわりと両手で包み込むと――

 男性は、今にも泣き出しそうな顔になって、か細い声を喉から絞り出した。

「レナちゃん、ほんとに卒業しちゃうの」

「……うん。でも、居なくなるわけじゃないからっ」

 男性はまだ何か言いたげな様子だったが、一枚の握手券で与えられる時間はごく短い。「剥がし」のスタッフは無情にも彼の背を叩き、機械的にレーンの出口へと送り出してしまった。

 彼の寂しそうな顔は気になったが、ひとりのファンだけに意識を向けているわけにもいかない。レナの目の前では、次のファンが大事な数秒間のために待っているのだ。

「こんにちはっ」

「レナちゃん、卒業したら東京?」

「うん……多分そうなるかな」

「寂しくなるよ。レナちゃんが名古屋から居なくなったら」

「あ、でも――」

 レナはもっと伝えたいことがあったが、時間は非情だ。もっともっと、ファンの人に思いを伝えたいのに。

「遠くへ行っちゃうの?」

「もうレナちゃんに会えなくなるの?」

 多くのファンが、それぞれに感情や表現は違えど、異口同音にレナとの別れを惜しむ言葉を向けてくる。

 レナは皆に言いたかった。「行っちゃうけど、行かない」と。

 だって、卒業はお別れじゃない。

 わたしはずっと、ここにいる。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 ――あなたは、だれ?


 気がつくと、レナは一面の草原に立っていた。

 青く澄みきった空の下、見渡す限り広がる幾千里の大草原に。


「あなたは、だれ?」

 それはレナが発した声ではなかった。

 草原の向こう、自分と同じ真っ白なワンピースを着た少女が、そう問うている。

 少女がくるりとこちらへ振り返ったとき、ポニーテールの黒髪がふわりと揺れた。


「わたしは――」


 言おうとして、ふとレナは言いよどむ。

 ――わたしは、だれだったっけ?


「知ってるよ。レナちゃんでしょ?」


 ポニーテールの少女が、草原の彼方でかすかに笑ったように見えた。

 少女が、すっと片手を上に挙げる。

 何かを欲しそうにしているその手に向かって――レナは、いつの間にか自分の手に握られていたマイクを、そっと投げ渡す。


 ――わたしを知ってるの? どうして知ってるの?


 問いかけようとしたところで、レナはふと気付く。

 白いワンピースを着ているのも、黒髪をポニーテールにくくっているのも、わたし自身だった。

 じゃあ、わたしがマイクを投げ渡したあの子は――だれ?


 ――あなたは……だれ? どこにいるの?


 レナの問いに答えるものは、だれもいない。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 アイドルとして最後の歌番組収録の日――。

 スケジュールの関係で東京に一泊するレナの相部屋は、七年にわたって一緒にダブルセンターを張り続けた彼女だった。

「レナちゃん、今夜もヘンな夢見そう?」

「どうかな。ジュリナと一緒なら、見ないかも」

 レナがくすっと笑うと、彼女も明るく笑い返してくる。

「前世の記憶、ってやつかもねー。レナちゃんが夢に見てる光景って」

「うーん……どうかなあ」

 レナはベッドに腰掛けて足をぶらぶらさせながら、首をかしげてみせる。

 そういったオカルトチックな話は嫌いではないが、あの草原やワンピースの少女が前世の光景と言われると、どうにもピンとこなかった。

「前世っていうなら、むしろ来世かも」

「来世?」

「だって。わたし、その子にマイクを渡したんだよ。マイクを託す相手がいるのは、過去より未来じゃない?」

「……まあ、ぶっちゃけどっちでもいいんだけど」

 チームメイトは、適当なところで話をちょん切ってくる。

「それより、卒コンのセットリスト考えたの? レナちゃんが決めていいって、先生に言われたんでしょ」

「ふっふん。実はもう出来てるんだ、じゃーん」

 レナはちょっとだけ得意げに胸を張って、スマホのメモに入れてあったそれを盟友に見せつける。

「えっ、なに、レナちゃん仕事早いじゃん」

 彼女は目を丸くしていたが、なんのことはない。好きなことならレナは夢中になれるのだ。


 卒業コンサートのセットリストを組むのは、すごく楽しい作業だった。

 自分の好きだった曲を。それに、ファンのみんなが好きと言ってくれた曲を。

 最後の大舞台で歌いたい曲は、数えきれないくらいある。

 銀河の輝きを纏って。青春の飛沫を上げて。高らかに進軍の声を上げて――

 大好きな曲の数々を、最後の思い出として皆に聴いてもらおう。

 最後だからこそ、ポジティブな微笑みを振りまいて、前のめりに夢を歌うんだ。


「今だから言うけど――わたし、ずっと、レナちゃんにはかなわないって思ってた」

 電気を消してベッドに入ったあと、並んだ隣のベッドから、彼女がそっと呟きかけてきた。

 キャラに合わない盟友の発言に、レナはびっくりしながら、言葉を返す。

「……わたしの方こそ、ジュリナにかなわないよ。ずっと言われてきたじゃない。あなたは太陽で、わたしは月だって」

「ううん。太陽わたしは一人で勝手に輝くだけ。だけど、レナちゃんは――周りのみんなを。後に続くみんなを輝かせることができるの」

 彼女の声には、切なさと嬉しさが入り混じっているように聴こえた。

「わたしはずっと、そんなレナちゃんに支えられてきた……。あなたは、太陽の太陽なんだよ」

 七年分の思いを込めて発せられる友の言葉に、不覚にもレナが涙腺を緩ませていると――彼女はレナを泣かせようとする攻撃の手を止めず、さらに言葉を続けてくる。

「特撮の映画のとき……レナちゃん、インタビューで言ってたよね。名古屋エイトミリオンをわたし達だけで終わらせない。何十年、何百年先まで続くグループを作りたいんだって」

「……恥ずかしいよ」

「それ聴いて、わたし思ったんだ。わたしの輝きなんて、きっとわたしだけで終わりだけど――レナちゃんの輝きは、ずっとずっと未来まで、受け継がれていくんだろうなって」

 そんなことを言える彼女のほうが、やっぱり何倍も大物のアイドルって気がするけど。

 レナが黙って頷くと、その衣擦れの音を受けてか、彼女は「寝よっか。明日も早いよ」とふんわり言ってくる。

「……おやすみ、ジュリナ」

「おやすみ。レナちゃん」

 家族にも等しい仲間と一緒に過ごす時間も、もう、あとわずかだ。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



「レナちゃんのことは、ずっと知ってるよ」


 夢の中で、ポニーテールの少女が微笑みかけてくる。


 ――あなたはだれ? どうして、わたしを知っているの?


「わたしは、あなたを目指してここまで来たんだもん」


 ――ここ? ここって、どこのこと?


「夢に見た、このステージに」


 少女の言葉に、レナははっとなって目を見開く。

 いつの間にか、レナは少女と一緒に立っていた。

 幾万の観客の歓声がこだまする、満員のスタジアムのステージに。


 そこはレナの卒業コンサートの会場だった。

 いよいよ今夜、自分はマイクを置かなければならないのだ。


 レナは、ステージの上で向かいあう少女に、切ない気持ちで問いかける。


 ――あなたが、かわりに歌ってくれるの?


「かわり? ……ううん。レナちゃんも一緒に歌うの」


 ――だって、わたしはもう、歌わなくなっちゃうんだよ。


「ちがうよ。レナちゃんは、ずっと歌い続けるの――ずっとずっと先の未来まで」


 ……未来?


 そこでレナは目を覚ました。目の周りが、袖が、枕が、なぜだかしっとりと涙に濡れている。

「未来……」

 朝日の差す寝室でレナは呟く。

 覚醒のはざまに彼女は悟っていた。自分が、マイクを託すべき相手は――。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 その日、名古屋近郊のスタジアムには昼前から人が集まり、満員の熱狂が天地を揺らしていた。

 レナは歌う。大勢の仲間を率いてセンターに立ち、アイドル人生最後のセットリストを。

 去りゆく青春の名残を惜しむように、目一杯の声を張り上げて。


 夜闇に包まれる会場を照らす、サイリウムの光の海のなかで――

 レナはしっかりと噛み締めていた。自分がここに立っている意味を。


 このマイクを託すべき相手は、特定の誰かではなかった。

 自分が卒業した後の未来に――まだ見ぬ未来の世界そのものに、アイドルの輝きを繋げる。

 そのために自分は歌っているんだ。


『その時は、もう誰もわたしのことなんて覚えてないだろうけど。

 それでも、わたし達の作った歴史は未来に繋がる。

 ……そんな架け橋になるのが、今のわたしの夢なんです』


 いつか自分がインタビューで語った言葉が、レナの意識にリフレインする。

 そうだ。歴史を未来に繋げるために、わたし達はここに立っている。

 何年、何十年、ひょっとしたら何百年も先の未来にまで。


 卒業コンサートはいよいよクライマックス。予定された演目は次々と消化されていく。

 レナが駆け抜けた七年間の振り返りや、後に残る仲間からの手紙の読み上げ。

 兼任していた別グループの仲間達からの、ビデオメッセージに見せかけたリアルタイム中継。

 そちらのグループのファンまでもが緑色の光で自分を見送ってくれるのを見たときは、涙が抑えきれなかった。


 そして、遂にレナは歌い始める。

 アイドルとしての最後の一曲。この日のためだけに用意された卒業ソングを。

 ガラスの靴を脱ぐときが来たのだ。


 ――あなたは、だれ?

 光の彼方から呼びかけてくるその声に、レナは胸を張って、心の中で答える。

 劇場を埋め尽くす幾万のファンに向かって。

 それだけじゃない。今日、この場に来ることのできなかった人達にも――

 遥か未来の人々にまでも、届くように。


 わたしはレナ。豊橋レナ。

 いつだって、ここにいる。


 今はマイクを置いて、夢に羽ばたくけれど――

 いつかまた、誰かが求めてくれるなら。

 わたしはきっと、この場所で歌う。


 会いたくなったときは、空に、大地に、その名を呼んで。

 風となり、花となり――わたしは、どこにだって希望を届けよう。

 いつでも、何度でも。

 誰かがわたしを求めてくれる限り。


 だから、みんな、そんなに切ない顔をしないで。

 わたしはずっと、ここにいるから。


 たとえ、わたしがこの世にいなくなっても――

 わたしの魂が、歌い続けるから。


「レナちゃん」


 最後の曲を歌い終え、幾万の拍手と歓声に包まれるなか――

 スタジアムをいつまでも照らし続ける緑色の光の向こうに、レナは少女の姿を見たような気がした。


「――いつか、未来で」


 少女はマイクを握って嬉しそうにしていた。レナが渡したマイクを。

 千里の草原の彼方から笑いかける彼女に、レナも優しく微笑み返す。


 満員のファンに笑顔で手を振り、天に舞い上がるゴンドラに乗って、ステージを後にしながら――

 レナは、夢に見た少女に、そっと小さく呟き返す。

「……いつか、未来で」


 幾万の観衆がレナの名を呼ぶ声が、広大なスタジアムにいつまでも響いている。

 何の取り柄もなかった自分をアイドルとして愛してくれた人達が、万感の思いを込めて振り続けるサイリウムの光は――

 涙に歪むレナの視界に、最後の瞬間まで、ずっとずっと輝き続けていた。


 アイドルとして最後に見るのがその景色であったことを、レナは心から誇りに思う。

 そして願わくば、この輝きが未来に繋がるように――レナは胸の中でそっと祈りを込めた。



 ――あなたもこの光を見られるといいね。いつか、どこかの、遠い未来で。


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美女と野獣の仮面武闘(スーツアクト) 板野かも @itano_or_banno

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