第5話 ドッペルゲンガーと拳

 僕は今日、高校生になって初めて学校をサボった。

 学校とは反対方向にある駅へ向かって、重い足を動かして自転車のペダルを踏み込む。悪い事をするのに慣れてないから、「誰かに見られているんじゃないか」なんて事を考えて、そんなわけもないのに無駄に肝を冷やしていた。

思っているより、周りの人間は他人に興味ない。らしい。

そう言っていた菜乃花は、誰よりも他人の目を気にしていたと思う。

 中3の冬になって菜乃花と遊びに行くまで、僕はこの駅を使った事が無かった。ある意味ここも思い出の場所のひとつだろう。来るまでそんな発想湧いてすらいなかったけど。

 ぎゅうぎゅうにつまった駐輪場を縫うようにすり抜けて自転車を止める。高校生達とすれ違う。見知った顔が何人かいたけど知らんふりして、階段を駆け上がった。心に引っかかっていた罪悪感みたいなものを勢いと一緒に振り落とした。

 今日は家を出る前から、サボると決めていたから着替えを持ってきていて、家を出てすぐの公園のトイレで変身済みだった。

 ブランドロゴの入ったTシャツにジーパン、斜めがけのバック。僕にしては珍しくちゃんとお洒落をしている。今日の日の為に買った服達だ。その名の通りデート気分でいた。

 駅のロッカーに、学校の鞄を詰めて切符を買う。財布の中には4000円きっかり入っていて、往復で1200円。まあなんとかはなると思っていた。この時は。

菜乃花の通っていた学校のある街までの切符。その街は、初めてまともにデートをした場所だった。

近くのモールで私服で遊ぶのを見られるのは少し気恥しいと菜乃花が言ったのを今でも覚えている。普段は制服でフードコートや図書館で勉強をしていたから、その時見た私服姿の菜乃花の非日常感がたまらなく好きだった。

 駅内放送が電車の到着を伝える。1時間に1本しかこないせいで、田舎らしくない満員電車が出来上がっていた。当然座ることも出来なくて、立ったまま箱の中で揺れながら流れて行った。

 僕の菜乃花への1回目の告白をしたのは電車の中でだった。冬の寒さを打ち消す所か汗まで出てくるようなガラガラの車内で僕は告白した。

告白と言っても喉に言葉が詰まって出なくて、

乗って直ぐに「降りる駅まで手を繋いで欲しい」と言ってから、3駅の間一言も発せなかった。

 2人肩を並べて座って、手を繋いだまま時間だけが過ぎて行く。一瞬のようにも永遠のようにも思えて、2人を運ぶ箱が世界から切り取られていたようだった。

最後の駅に着くアナウンスが鳴り出してから僕はやっと言葉にできた。

「吉岡のこと好きだよ」


「ありがとう」

 菜乃花は優しい声でそう言った。

 アナウンスに促されるままに2人を結んでいた手は自然に解けて、顔をまともに合わせる事も出来ないまま帰路につく。


「まもなく、北合、北合、お降りのさいはお忘れ物ございませんようご確認ください。降り口は左です。」

 思い耽っていたのが、現実のアナウンスによって引き戻される。あっという間だった。1人で乗る電車ってこんなにも違うものなんだって、初めて知った。

 駅から1歩踏み出すとそこは僕の街よりは都会のようで、大きな道路とショッピングモールが待ち構えていた。

前回来た時は、ショッピングモールで映画のチケットを買って、駅から10分あるパン屋で買い食いをして、公園で食べながら時間を潰した後2人で映画を見た。流行りのアニメ映画だった。

その後は、一緒にゲームセンターで太鼓を叩いたり、カーレースをしたり、駄菓子屋で買い食いなんかをした。

今思うと微笑ましいデートだったなと思う。当時の僕は全部にドキドキして、上の空だった。

 今回はできる限りこのデートをなぞりたかった。

まっすぐモール内の映画館に向かって、話題作のチケットを買った。次は、パン屋。まっすぐ道を間違えることなく、進んでいく。

 これが今日1つ目の失敗だった。

そんな僕の目に飛び込んで来たのは、以前とは全く違うファンキーな看板とでも言うのだろうか、それが大々的に掲げられパン屋の面影は消え去り、そこは古着屋になっていた。事前に調べておけば良かった。時間の流れは残酷で、今はただひたすらに悲しくて仕方なかった。ガラス越しから見た感じだと、カジュアルな感じでまるで都会かぶれとでも言うんだろうか、自分とは無縁の世界に見える。出鼻をくじかれた僕は古着屋から、踵を返してモールへ帰った。

 映画開始までの1時間、予定を前倒しして1人でゲーセンへと向かった。1人でやる太鼓もカーレースも当然だけど味気なくて、退屈でしかない。分かりきっていた事なのに、わざわざ実感するようなことばっかりしてほんとに馬鹿だと思う。

そんな憂鬱になった僕の気分をお菓子が吹き飛ばしてくれた。駄菓子屋で買い食い。菜乃花が好きなゼリーにガムにチョコレート、思い出の福袋かと思うぐらいそこは懐かしくて、これだけで今日来て良かったなんて思えた。

選び終えてお店を出た頃には、もう上映開始まで10分前に迫っていた。

 小説の実写化映画を見た。ちゃんと面白かったし、誰かに感想を言いたくなった。けど1番は菜乃花ならどんな感想を持つのかななんて事ばっかり考えていた。

ちょうど時刻は昼を過ぎようとしていて、お腹の空いた僕はフードコートへと向かうことにした。

 これが2つ目の失敗だった。

見覚えのある学生服の学生達がフードコートでたむろしていた。ざっと20人弱はいる。そこでやっと思い出した。菜乃花と同じ学校の制服だという事を。通夜で何人も見かけていた。

 多少居心地の悪さを感じたけど、それよりも空腹を満たしたかった。チェーン店のお好み焼きを頼んで待つ。ベルで呼ばれてから取りに行って戻ってくると、2つ隣の席に男2、女3の5人組の高校生が座っていた。耳を塞いでも聞こえそうな声量で話す彼らは正直好ましくなかったけど、注意するほどじゃないし我慢すれば済む話だった。

 お好み焼きの中身は冷えていて美味しくなかった。菜乃花なら甘めの評価でも二度と来ないを選択しそうな味だった。そんなこんなで、お好み焼きに気を取られていて彼らの話は入っていたけど、流せていた。ここまでは。

「3組に自殺した子いたじゃん、なんだっけ吉岡さん?あれ自殺の原因、母親の彼氏らしいよ」

「え、まじ?てか、あの後いじめアンケートとか個人面談とかクソだるいかったわ。死ぬなら人に迷惑かけないで死んで欲しいわ」


 菜乃花の話をしているのはすぐにわかった。本当はこの時点でこれ以上聞かずに席を立ち去れば良かったんだ。

 これが3つ目の失敗だった。


「ほんとそれな、てか話戻すけど、母親の彼氏にdvされてたらしいよ、あざ見た子いるって」

「えー、それほんと?野球部のマネージャーの先輩に虐められてたんじゃないの?仕事押し付けられてるの見た事あるし、結構部活外でも嫌がらせ受けてたって聞いたけど」


 こいつら全員、菜乃花の通夜には来てなかった。だから、ただの他人でしかないし、すでにこの短時間で別の理由が出てる時点で噂話以上の何者でもない。そう分かってても席を離れられなかった。

 こんな何もない片田舎で自殺なんて珍しいし、僕も知り合いじゃなければこうやって噂話をする側の人間だったかもしれない。話の種として消費されるのを咎める権利はないと思った。けどこの声量で面白おかしく話すような話題でもないし、モラルも何もかもが欠けているなと思った。

 正直、殴りかかってでも黙らせたかった。

 そんな中集団の1人の男がさらに声を荒らげた。

「俺さ、本当の理由知ってるんだよね」

「どんなんなん?」

「大学の先輩との間に子供が出来て、それがきっかけで振られて病んで死んだんだよ」

「まじか、やばくね?それってもしかして加地先輩?」

「そう、えーなんで、わかったん?」

「あの先輩、そういう噂めっちゃあるし、てかそれどこで聞いたん?」

「えー、本人から。なんか俺に振られて死んだんだけど笑うわ、って言ってたわ」

「まあ加地先輩イケメンだしな、てかあの吉岡ってやつも本気で加地先輩と付き合ってると思ってたのかなあの顔で」

「それよ」

 下品な笑い声が耳に響く。僕のなかで何かが壊れる音がした。

「おい」

 僕の声に反応して振り返った下品に笑う顔めがけて、思いっきり握りしめた拳をぶつけた。勢いよく椅子ごと倒れ込む。初めて人を殴った。自分の手も痛い。人を殴る痛みなんて知りたくなかった。そのまま、乗りかかって制服の首元を掴んで尋ねる。

「加地ってどこの大学生?言えよ」

 一緒にいた4人はドン引きして、動けないみたいだった。

 相手からすれば話してただけで急にわけわけらんやつから殴られて、頭おかしいやつに絡まれたとしか思えないだろうし、自分でも自分の頭のおかしい自覚はあった。

 椅子の倒れた音と、それに人に乗っかかっている自分。周りから見ても明らかにおかしい状況に人だかりが出来そうだった。

「千賀大」

 そいつの口からそれを聞くと一気に頭から血が引いていくのを感じた。手を離して、自分の席の荷物を持って、人だかりを抜けて行った。正直、警備員やそういう人に見つかったら学校をサボってるし、補導だけじゃ済まないと思った。

 もう人に手を出した時点でダメなのに、なんとかして逃れようとしてた。

 そのまま一直線に店を出る。向かった先はあの古着屋だった。そのままドアを開けて店内に入る。いかにもって感じの店員を横目によく分からない柄のポロシャツと、7分丈みたいな黄色いズボンと帽子、残りのお金全部使って買ってから、

「このまま着ます」

 そう言って、元着ていた服を貰った紙袋に詰めて、近くの公園で捨てた。

 とにかくモールから離れるように歩いた。土地勘もないのにただひたすら歩いた。すれ違う人、全部が敵に思えた。

 よくわかんない裏路地を散策したり、入り組んだ住宅街の閑静な公園でブランコをしたりして時間を潰した。

 お金を使い切ってたせいで、カラカラになった喉を公園の水道で潤すことになった。4駅分、歩いて帰るとかなりというかそれなりに時間がかかる。移動するなら暗くなってからにしよう。傾いた夕日の差し込む公園で、雲行きの怪しい空を眺めた。スマホの電源を映画館以降切りっぱなしだったことを思い出す。

 つけると親や先生、学校からの通知が何十件と貯まっていた。

「これ以上連絡がないと、捜索願いを出します。早めに連絡ください。何かあったのかと心配になります。怒ったりしないから帰ってきて」

 母親から来たメッセージを読んで、罪悪感に苛まれ、すぐにでも帰りたくなったが、生憎帰る手段は徒歩しかない。

 そこでポツポツと雨が降り始めた。雨宿り出来そうなとこはなかった。いや、あった。住宅街と市街地の境目になるように建つ、電気屋の立体駐車場。早々と閉まっているそこに逃げるように駆け込んだ。

 母親には、「心配かけて、ごめん。事件や事故なんかに巻き込められたわけじゃないです。朝までには帰ります。ごめん。」

 そう一通だけ送って、電源をoffにした。

 これで世界から、完璧に隔絶されたような気がした。廃棄品らしきものが置いてあるそばで3角座りでうずくまって雨が過ぎるのを待った。本格的に降り出した雨は、夕方を飲み込んで街を真っ暗にして行く。

 通り過ぎていく車の光がキラキラと反射して、それを眺めているだけでも意外と退屈しなかった。

 今日は失敗ばっかりだったし、学校もサボって、人も殴ってしまった。まるで本物の不良みたいで、そう思うと何故か変な笑いが零れそうになった。優等生なんかじゃなかったけれど、こんな事とは無縁の人生を今までもこれからも送って行くと思ってた。

 僕は不良になってしまったということと、菜乃花ならあの映画を見てどんな感想を思うか、なんて事を遺書に書きたくなったけど、生憎、駅のロッカーに鞄ごと突っ込んで来てしまっていた。少しだけ後悔している。

 なんて思ううちに、車が減ってきていることに気づいた。雨足の強さは変わらず、僕の頭上で踊ってでもいるようだった。スマホをつければ時間は分かるのに、そんな気も湧かずただただ時間が流れて行く。千賀大学の加地。こいつの顔を1目でも拝むにはどうすればいいだろうかなんてことばっかり考えていた。

 それに気を取られて、僕に近づいてくる4つ目の失敗に気づけなかった。雨音に紛れて、足音と独特なリズムの音がして僕の前を横切る。頭を垂れていた僕は驚いて前を向くと、相手もこちらに気づいた様で驚かしてしまった。暗くて顔は見えないけど、おそらく犬の散歩をしている女の人だと思う。駐車場で座り込む男なんて、ほぼほぼというか完璧に不審者だし、相手からすれば恐怖でしかないだろう。僕は咄嗟に、

「家出です。気にしないでください。」

 訳分からないことを口走っていた。その女の人は、優しめな声で

「大丈夫?」

 と聞いてくれたけど間髪入れずに

「大丈夫です。すみません」

 そう言った。

 それを聞くと女の人は、「気をつけてね」と言うと去って行った。それからしばらく経ってから、僕は不安になってきた。もしかしたら、あの女の人が通報したりするかもしれない。外の雨は通夜の時なんかより何倍も強くて、僕をここから逃がさまいとしているようにしか見えなかった。気を張りすぎていたのか、気を失っていたかのように、時間は過ぎていき決して寝ていたわけじゃないのに気づくと空が白みを帯びてきていた。そんな中また足音がして、そっちを向くと傘をさしている女の人がこっちに向かって歩いてきていた。僕は動かないようにして、身をすくめる。

 さっきより明るくなって、いたのもあってはっきりと雰囲気というかそういうのがわかった。多分さっきの人だ。

 何をしに来たのかな、なんて思ってるうちに僕の前まで来た。

 顔を上げてその人の顔を見る。腰が抜けるかと思った。そこには、菜乃花がいた。いや、違う。そんな訳ない。夢でも見ているんだ、そうに違いない。思考がまとまらない。

 そんな僕に向けて、その人は言った。

「大丈夫?お腹とか空いてない?」

 記憶の中の菜乃花の声より低いし、なによりさっきの犬の散歩をしていた人の声に違いなかった。よく見ると、菜乃花より少し小柄で、髪型も後ろで結ってあって全然違っていた。

 でもどう見ても顔は菜乃花に違いなかった。

 お腹は空いていたけど、僕は驚きのあまり声が出なくて相手の問いかけに頷くしか出来なかったがそれで伝わったようだった。

「これ、少ないけどなにか好きな物食べて。」

 そう言うと、僕の手に2000円を握らせようとする。

「いや、受け取れません。大丈夫です。」

「大丈夫よ、お姉さん働いてるから」

 そう言って、僕の手に無理やり握らせた。

「ありがとう、ございます」

「いいのよ、気をつけてねほんとに」

 そう言うとお姉さんは足早に去って行った。夢かと思って頬をつねってみたけど痛かった。これは夢じゃなかった。僕の手には渡された2000円が確かに握りしめられていた。

 頭がどうにかなりそうだ。心の臓がバクバクしっぱなしでこのまま爆発するんじゃないかと思う。少なくとも正気でなんていられないと思った。

 そんなことを考えるうちに、僕にここから出ていいよと言わんばかりに雨はどんどん弱くなっていってついには、ぱたりと止んでしまった。僕は引き寄せられるように近くにある24時間営業のハンバーガー屋へ行った。お腹膨らませないと何も考えられないと思ったし、この2000円をずっと持っておくのがしんどかった。

 朝の限定セットみたいなのを食べた。熱々のハッシュドポテトが体に染みた。時刻は5時34分で、近くの駅を探せば始発で帰れそうだなって思ってやっとスマホをつけて時間と最寄りを調べる。僕は降りた駅からさらに二駅先まで歩いてきていたみたいだった。ハンバーガーを飲み込んで、ジュースを飲み切ると僕はスマホを頼りに駅まで歩いた。1100円の切符を買って、始発を待った。早朝だったし、電車内の人は行きより少なかったのもあって席に座れた。大人ばっかりで浮かないかなと思ったけれどそうでも無さそうで安心した。今日1日の情報量が多すぎて、頭はパンクしていてどうにかして処理したかった。まずとりあえず帰って布団で寝たかった。

 目的の駅に着くと、駆け足で階段の登ってロッカーから荷物を出して駐輪場にあるびちゃびちゃの自転車に乗って帰った。家の玄関は開けっ放しにされていた。音を出来るだけたてないようにして中に入る。リビングを通って上へ上がろうとする。ソファーの上で母が寝ていた。僕を待っていたのだろう。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。起こさないように2階へ上がって服を脱いでそのまま寝た。目が覚めたのはお昼を回って2時だった。

 僕は、起きていの一番にあの女の人のことを思い出していた。せめて名前でも聞けば良かったななんて。代わりにしようなんて思ってない。ただ、偶然にしては出来すぎている。運命なんて言うと安っぽいけど、とにかくもう一度会いたかった。

 

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君にさよならを言えるまで 火町 @himachi08

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