第4話 焼きそばと宝箱とアルフォート

 ガラス張りで積極的に光を取り込む形をした図書館の館内は、空調がしっかり効いているのか、外のじっとりとした重さを拭き取ったように軽く涼しかった。

受け付けで本を返し終えたので、軽く散策をしてみることにした。2階はイベント用のホールと自習室、そして外を見通せるテラスみたいなのがある。

ドアを開けて、テラスに出る。雨のせいで当分使われてないであろう席に腰を下ろして、鞄からレジ袋を取り出した。来る途中のコンビニで買ったアルフォートの封をあけて口に含む。

きっと僕にとってもこれが1番美味しいチョコ菓子だと思う。

図書館は菜乃花と、初めて学校外であった場所だった。




 約束したボランティアの日が明日に迫り、僕は遠足前日みたいにそわそわしていた。結局朝まで寝られなくて、そのまま支度することになった。デートでもないのに、朝一から支度する自分が不思議で面白かった。どうせ体操服で行くから、おしゃれのおの字もないのに。

図書館には8時集合だから、7時半に行き道の途中にあるコンビニで落ち合ってから一緒に行く約束をしていた。けど、遅れるのが嫌で7時に家を出た。こんなに早朝に家を出るのは1週間ぶり、秋季県体の日以来だった。案の定だけど2回戦目で負けて、引退することになった。そんなことを考えるうちに集合場所につく。

夏の訪れを感じさせる爽やかとは程遠い、じっとりとしたなんとも言えない空気が僕を包む。腕時計の指す時間はまだ10分で、せっかち過ぎたかななんて思った。コンビニ内で涼んで待とうとしたら、中に吉岡の姿があって僕は店内に駆け込んだ。


「吉岡、おはよう」


「あ、和泉おはよう。早いね」


「そっちも」


「ちょっと早く行って朝ごはん食べながら待ってようと思って」

 そう言って彼女は持っていたカゴを傾けて中を僕に見せる。

いちごとクリームが入ったサンドイッチと、お菓子がいくつか入っていた。甘いものばっかりだけど、特にいちごのサンドイッチは想像しただけで胸焼けしそうなぐらいに甘そうだった。


「お会計してくるから待ってて」


「僕も何か買うよ」

 目の前にあったアルフォートと、飲み物を選んで菜乃花の後ろに並んでレジを待った。

会計が終わり、外へ出る。2人の自転車を止めてるガラガラの駐車場の片隅で、吉岡はさっきのいちごのサンドイッチを、僕はアルフォートの封を開けた。


「吉岡、凄いの買ったな。朝からは重くない?」


「そんな重くないよ、試しに1個食べてみる?」


 3つ入りのサンドイッチの1つを僕に向けて差し出す。

 遠慮なんて知らなかった僕は、それをそのまま受け取った。


「じゃあ、アルフォートあげる」

 代わりになるかもわかんないのに、サンドイッチを持ってる反対の手にあるアルフォートを吉岡に差し出した。

何故か吉岡は、笑って受け取った。

貰ったサンドイッチを食む。クリームも甘すぎずいちごの甘酸っぱさがバランスをとってて想像以上だったから


「美味しい…」


 口からこぼれるように言葉が漏れた。

それを聞いた吉岡は嬉しそうに「でしょ」と言った。

僕の知らないことを吉岡はいっぱい知っていた。

凄いと思う。食べ物に関してはだけど。

吉岡が残りのサンドイッチを食べ終わってから、図書館に向かいだす。早く集まり過ぎたから、自転車を押して向かっても余裕がある。そう言うと吉岡は

「話しながら行こうか」と言った。

僕は迷うことなく、二つ返事で返した。


向かう道中で今日の事について話してくれた。

このボランティアに参加するのは3回目なこと、出店のお手伝いをすること、去年はポップコーンを売ったこと、胸元に名前の入ったカードケースをかけること、だいたい2時頃には仕事がひと段落ついてステージのイベントを見られること、そんな話を聞いているうちに図書館に着く。

 腕時計は7時50分。

 ゆとりをもって着けた。駐車場に自転車を止めてから、受け付けを済ます為に2階のホールへ向かう

入り口にある名簿に名前と学校名を書いた。それを見た受付の女性に確認をされる。


「星奈中学校のよしおかなのかさんと、いずみしょうさんで間違いないですか?」

 あー、名前間違えられてる。「わいずみ」って珍しい呼び方らしいし仕方ないよなって思った。訂正するほどの事でもないように思えて悩んでいると


「あの、これでわいずみって読むんです」

 僕より先に、吉岡が訂正を入れてくれた。


「あ、失礼しました、わいずみさんですね。では、お2人に名札をお渡ししておきます。ボランティア中は付けておいて貰って、帰る前に返却して頂けると助かります。」

 名札を受け取った後は、ホール内で今日のやることの内容の説明や役割分担について話を聞いた。

僕と吉岡は、焼きそばを売ることになった。


 熱した鉄板の上で、大人2人が焼きそばを作っていく。そこから、出来上がったのをトングで揚げ物を入れるパックに詰めた。

そうしてるうちに祭りが始まり、一足が増えてくる。なのに人の流れはここが見えてないみたいに、通り過ぎて行く。最初はそうでもなかったけど、10分経ったあたりからなかなかにまずいんじゃないかと思い始めた。見かねた僕は声を出した。


「いらっしゃいませー!!出来たて熱々の焼きそばはいかがですか!!」

 そんなに大声ではないけど、意識してはっきりと喋る。


「いらっしゃいませー!!1つ300円の美味しい焼きそばはいかがですかー!!」

 僕を真似するように、吉岡も声を出す。

声に釣られたのか、やっとお客さんが来てくれた。と思ったら直ぐに行列が出来て、飛ぶように売れ始めた。

休む間もなく時間は過ぎていき、吉岡が接客する裏で僕は出来たてほやほやの焼きそばをパックに詰める。詰めた端から、面白いぐらいに売れていった。気づいた時には昼を過ぎていて、焼きそばの在庫も残り僅かになっている。

 最終的には2時になる頃には人波も静まり出していたが、何とか200食分を完売させることが出来た。焼きそばはもう残ってなくて食べられないのが残念だった。


 遅めの昼休憩を迎えて、さっきまで焼きそばを作っていた鉄板でホルモン焼きを大人のボランティアさんが作ってくれた。出来たて熱々は何を食べても美味しいというけど、これは別格に美味しかった。疲れた身体に肉の旨みみたいなのが、スーッと効くような気がする。吉岡もこれでもかってくらいの幸せそうな顔をして肉をほおばっていた。

「成長期なんだし、もっと食べな」

 という言葉に甘えて、結局2人揃って2杯目も平らげた。


 建てられていた仮設テントの片付けを手伝ってから、2階のホールへ向かう。今から、ビンゴ大会をするらしい。

ホールの入口でビンゴカードを受け取る。ステージの上では、県のゆるキャラとゲストで呼ばれたアナウンサーみたいな人が何か喋っていた。僕と吉岡は、人混みを抜けて前の方でビンゴのガラガラを回す所を見た。

当たった人は挙手して、ステージに景品を貰いに行くみたいだった。20回目ぐらいのガラガラが回ったとき、吉岡は僕の服を引っ張ってこう言った。


「和泉、どうしよ。当たった、当たったんだけど」

 興奮冷めやらぬって感じで吉岡はそのまま発表するみたいに綺麗な挙手をして、ステージの方へ走っていった。

今の景品はよくわかんない鉄のコップだった。

本人は満足そうだったので、余計なことは言わなかった。

結局僕は当たらなかった。


 イベントも全部終わり、受付に名札を返して帰る。

なんというか、達成感みたいなものを感じていた。またしたいなって思えるぐらいには満喫というか充実した時間だった。


「今日、どうだった?」


「忙しかったけど、楽しかったよ」


「よね、やっぱ楽しかったでしょ」


 吉岡は得意気にそう言った。



「私も楽しかったよ、いつもより何倍も」

 屈託のない笑顔が眩しくて仕方なかった。

 2人並んで自転車を押しながら帰る。せっかく持ってきたのに完全に無駄になっていた。けど、そのおかげで歩くスピードが遅くなったから、色んなことを話せた。

学校のこと、勉強のこと、自分のこと、家族のこと、色んな話をしている内に、恋バナに話が流れて行った。


「和泉は好きな人いるの?」

 正直いなかったけど、そう言うと話が終わってしまいそうで僕は聞き返した。


「吉岡は好きな人いるの?」


「いるよ」

 意外な返事に、俄然、興味が湧いてくる。吉岡は誰が好きなのか知りたいと思った。


「誰?」


「秘密」


「当てる。ヒント頂戴」


「なら名前の1文字でいい?」


「いいよ」


「さ」

 正直、吉岡が好きなのは僕なんじゃないかと1mmも思ってなかったと言ったら嘘になってしまう。まあそんな甘い幻想みたいなものは、見るも無惨に粉砕された。

グレッチで思いっきり殴られたみたいに。

僕の名前に「さ」の文字はない。


「難しいな、同じクラス?」

 辛うじて出た声が言葉が上擦ってないか不安になる。


「ううん、別」

 全く見当がつかない。今更ながら僕は吉岡のことを何も知らなかったんだと思い知ることになった。

衝撃と衝動でその場で溶けて消えてしまいたくなる。


「まあ、吉岡が選ぶんならめちゃくちゃ、いい男なんだろうな」

 紡ぐように吐き出した言葉は感情とはちぐはぐで自分が分からなくなりそうで仕方なかった。吉岡はこの言葉に照れるように俯いて呟く。


「2組のさ、坂本くんが好きなんだ。私」

 2組の坂本、確か吉岡と小学校が同じで僕は同じクラスになったことがなかった。背が高くて野球をしてるぐらいしか知らない。自分の無知さが憎い。


「坂本くんのどこを好きになったの?」

 なんでこんなことを聞いたのか、自分でも分からなかった。吉岡は顔を真っ赤にしながら話し出した。


 小学校のころ自分は応援団や学級委員をするような活発な子だったこと。

小6で親が離婚して、苗字が変わったこと。

周りから見られる目が変わっていって、みんなが自分を可哀想だと腫れ物扱いしたこと。

それがきっかけで人前に出るのが怖くなって、全員が敵に見えていたこと。

そんな変化に馴染めないうちに中学生になってしまったこと。

そんな中で変わらず接してくれたのが坂本だったこと。

ここまで言い切ると、吉岡は一息ついて言った。


「好きって言葉にするとめちゃくちゃ恥ずかしいね」

 目が眩むような眩しさと真っ直ぐな言葉が僕を刺す。

坂本のことを話す吉岡は、今まで見てきた美人なんかより何倍も綺麗で触れれば汚れてしまうような透明な輝きみたいなものを放っていた。瞬きをするのが惜しくなるぐらいに。

僕の目を焼き付けるように、その笑顔が頭から離れない。


 世界が残酷なのか、僕が馬鹿なのか分からないけど、好きな人について話す吉岡を見て落ちる音がした。


 恋に。


 僕は吉岡のことが好きなんだ。

意味わかんなかった。好きな人がいるって言ってる人の事を好きになるなんて。振り向いて欲しいとか、僕のものにしたいなんて感情じゃなくて、ただただ吉岡に惹かれていた。

このキラキラした感情を向けられてる坂本が羨ましかった。

けど2人の間には入り込む余地なんか感じられなかった。

僕はこの気持ちを閉まっておく事にした。

見ないふりは出来ないから、丁寧に宝箱にしまっておこう。

この気持ちが色褪せないでいいように。


「ほんとに大好きじゃん、応援するよ」


「ありがとう和泉」

 白い肌が照れて朱に染まった君の顔。

横から照らす夕日と混じって僕と君を赤く染める。

今だけでもお揃いだななんて思う。


 そのままコンビニについてから解散した。激しく心臓を叩くこの音が吉岡に聞こえなくて良かった。本当に。

鞄から袋を取り出す。朝買ったアルフォートの残りを食む。

甘さが全部を紛らしてくれる気がした。







 溶かけのチョコと混ざるようにクッキーを噛み砕く。

思い出に耽けるうちに、夕日の傾きを感じた。席から立ち、テラスを後にする。

 あの時のボランティアみたいに、自転車を押して同じ道をなぞりながら帰る。夕日が僕を赤く染めた。懐かしさと寂しさが、込み上げてきて仕方なかった。

晴れた空に似つかない雨が僕の頬をつたった。

菜乃花はやっぱり雨なんかじゃなくて、太陽だったんだ。

今更気づいた所で何も変わらないことだけど、今の僕には充分だった。やっと菜乃花が居ない世界に来たんだ。

どうしようもなく苦しかった。

1度決壊したダムみたいに流れ落ちる雨は止まなかった。

壊れた宝箱を抱きしめ続けるだけじゃ駄目なんだ。

僕は先に進まないと行けない。

ぼやける視線と対称に何故か僕の心は澄み渡っていた。


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