君にさよならを言えるまで
火町
第1話 君にさよならを言えるまでに
遺書を書こう。
なんてことを、午後の抜けきった炭酸のような授業の中で思った。それから残りの授業がいつにも増してつまらくて仕方なかった。窓の外に広がる雨上がりのぐちゃぐちゃなグラウンドを見つめて、時間が流れていくのを待つ。
終業のチャイムと同時に教室から抜け出した。
高校生になってから2年が経つけれど、今以上に部活が帰宅部なことに感謝した事はこれまでになかったと思う。
多分スキップしてた。
それぐらいに浮き足立っていた。
いつものショッピングモールに向って、脇目も振らず自転車を漕ぐ。じっとりとした空気が頬を撫でる。
田舎の街並みの中で一際強く存在を主張するここは、放課後と土日は学生の溜まり場になっていた。
それは自分も例外じゃなくて、両手で数え切れないほどのたくさん思い出がここにもある。
そのほとんどは菜乃花がくれた物だった。
なんで死んだんだよって思う。
もう僕には関係ないことなのに。
雑念を振り払うように手早く買い物を済ませた。
雑貨店で買ったばっかりのノートと、使い古した筆箱をフードコートで広げる。
表紙にマイネームで遺書って力強く書いた 。
我ながらいい出来じゃんって思うと同時に絶対に人に見られないようにすべきなのでは?
なんてことを今更思ったりもした
最初の10ページは家族用にしよう、
お父さん、お母さん、じいちゃんにばあちゃん。
11ページ目からはあいつのために使おうって思った。
大好きだったあいつのために。
新品のノートの匂いが鼻の奥を刺した。
拝啓 菜乃花様へ
遺書の書き方なんてぐぐってもわかんなかったからはじめ方を手紙の書き方にしました。
堅苦しいけどまあ少しぐらいいいよね。
そっちの天気はどうですか?元気でやってますか?
こっちは知ってると思いますが、梅雨の最中で湿度と雨に悩まされています。
天国には、梅雨ってありますか?
行ったばっかりだから分からないか。
ごめんちょっと悪ノリが過ぎた。
真面目に話そうか、君の
「おい、和泉何書いてんの?」
後ろから聞き馴染みの深い、トーンの高い男の声がする。とはいえ、急に掛けられた声に反射してノートを閉じてしまった。表紙に佇む遺書と言う文字と目が合う。
「え、遺書?」
隠す間もなかった。
戸惑いの混じる声に、観念するように振り返って顔を伺う。明らかに心配そうな顔をしている。
「死ぬ予定は無いから心配すんな」
その言葉を聞いて、声をかけた主の表情は分かりやすく和らぐがまだ怪訝そうな顔をしていた。
「ならなんで書いてんの?」
「最近、遺産相続で揉める推理もの読んでさ、僕も身を固めとこうかなって」
口からでまかせだが、その説明に特別違和感を抱いているようには見えなかった。
僕が嘘ついているなんて微塵も思ってもなさそうな顔を見て、少し胸が痛むと同時に普段から本を読んでて良かったなんて関係ないことを思った。
「意外とミーハーな所あるんだな。で、肝心の遺産はどこにあんの」
「そりゃあ、もうここの中にたんまりよ」
財布の入った右ポケットを叩いてみせる。
「ならあそこのクレープ奢ってくれ、絶賛金欠中なんよ」
指さした方向は、チェーン店ばかりのフードコートで浮いている個人経営っぽいクレープ屋だった。
「次は、菅井が奢ってくれるならいいよ」
「決まり、俺はチョコな」
「ここはツナが美味いんだよ」
「絶対嘘だ、まあ和泉のお金だしそれでいいや」
「信用してないな、お墨付きだぞ」
なんてやりとりをしながらレジでツナを2つ注文して、2人並んで座って食べた。
「ちゃんと美味しいやろ」
「新感覚だわ、革命起きてる」
ちょっとだけ誇らしくなって、笑みが零れた。
これを教えてくれたのは菜乃花だった。
やっぱり受けた影響が大きすぎる。
「なあ、和泉」
「なに」
「もしほんとに悩んでる事があるならいつでも言えよ。クレープ分ぐらいなら相談にのるから」
珍しく真剣な眼差しでこっちを見る菅井の顔が眩しく思えた。目は合わせられなかった。
「ありがとう、本当に困りそうだったら相談するわ」
「おう」
そこからはいつもみたいに内容のない馬鹿話をして、外の雲行きが怪しくなってきたから解散することになった。
菅井圭。
高校に入ってからの付き合いだけど、ずっと一緒だったみたいに馴染んでて、あの気楽さみたいなのに何度も助けられてきた。
改めてきちんとお礼なんて言えそうにないから、ついでに遺書に書いとこうなんて思った。
やっぱり雨は降り出したけど、折りたたみ傘を出すより早く家に着けそうだったから浴びて帰った。
菜乃花の通夜の時の雨を思い出す。
まだ一昨日の事なのに一々思い出してたらキリがないと思うけど、彼女の事を忘れられそうにない自分に何故か安堵してた。
梅雨はまだ終わりそうにない。
菜乃花がこの世界から居なくなってから1週間が経った。亡くなったことを知ったのは今日から3日前の6月16日、通夜の前日だった。
中学の時の友達から久しぶりに連絡が来たと思ったら、菜乃花の通夜についてどうするかの話をされた。
彼女と親しかったから、もうとっくに知っていると思っていたらしい。
そんな訳ないだろ、「近いうちに死にます」なんて、言ってるものなのか?
そいつが悪い訳では無いのに、悪態をつきそうになった。
衝撃が大きすぎて、考えるだけで頭がクラクラした。
自殺ということだけを聞いてそれ以上は聞かなかった。
それ以上は知りたくないって思った。
身近な人が死ぬのは初めての事だった。
そして迎えた6月17日。通夜にでた。
今にも雨が降り出しそうな梅雨らしい空気感が葬儀の重たい雰囲気を悪化させているみたいで、息が詰まるようだった。太陽は影すら見せようとしなかった。
参列する人の半分以上が見覚えがなかったから、僕と高校が離れてから出来た友人達なんだろうなって思った。
みんなお揃いで目を赤く腫らして彼女の死を悼んでいるみたいで、泣いていない僕の居場所はここには無いように感じた。
喪主をしている彼女の母親の泣き腫らしたであろう顔を見て、本当の事なんだって今になって実感が湧いてくる。もしかして自分はめちゃくちゃ薄情で最低な奴なんじゃないか。
ネットで見た通りに淡々と通夜は進んで行った。その間、啜り泣く音が途切れることはなかった。
菜乃花は知ってたんだろうか、これだけの人に愛されていた事を。今度会ったら小突いてやろうと思った。
長く続いたお坊さんの言葉がやっと終わり、彼女の母親が話し始めた。それを支えるように、背中をさする男性がいた。
母子家庭だったという話を覚えていたから本当の親父さんが来たのかもしれない、皮肉なことだと思った。それとも今の彼氏さんなのかも。
邪推は良くないと思ってそこで思考を停止させた。
話を聞き終わり、その後の食事会には出ないで帰ろうとして外にでると、見計らっていたみたいに雨が降り始めた。
「空も泣いてる」
なんて、同じく帰りがけだった誰かがそばで言った。そんな訳あるわけない。わかってる。
あるわけがないけど、もしも、もしもそうなら僕が流せなかった涙の分を肩代わりしてもらおう。
なんて意味わかんないことを思って、持ってきてた折り畳み傘を鞄にしまって歩いて帰った。
降り注ぐ冷たい水が身体に染みた。
幸い、風邪は引かなった。
菅井と別れてから、家に帰りついた後も雨は止む気配を見せない。屋根に打ち付けられる雨音をBGMに、遺書の続きを書こうと思った。
雨=菜乃花、みたいな当の本人には似ても似つかない等式が僕の中で出来かけていた。
真面目に話そうか、君の通夜に行ったよ。
たくさん人が来てた、同じ中学の奴らと高校に入ってから出来たであろう友達。
みんな悲しんで、菜乃花が居なくなったことを惜しんでいたよ。
もちろん僕も。
どうして居なくなったのかなんて、野暮なことは聞かないよ、きっと君には君なりの理由があったんだろう。
少しでも相談してくれたら良かったのに、まあ疎遠になっていた僕が言えることじゃないか。
ここまで書いてみて、僕は君に伝えたい事が増えていることに気づいたんだ。
君が教えてくれたクレープ、僕の友達が美味しいって言ってくれたんだ。
やっぱり君はセンスがあるよ、それともやっぱり食い意地センサーが付いてるだけかもね。
ここまで書いて、一旦筆を置いた。
1人になると考えないようにしようとしても、どうしても考えてしまう。
菜乃花はもう居なくなってしまったという事を。
そんなの嫌だし、認めたくない。
人は忘れられた時が本当の死。
そんな言葉が、好きな漫画に出てきてからずっと頭に残っていた。
菜乃花は死なないんだ。
僕が忘れたりしないかぎり。
そう僕が忘れないかぎり、は。
僕は急に怖くなってしまった。
忘れてしまう事が。
どうしようもなく怖くて仕方なかった。
こんな感情を抱いたのは初めてだった。
時間が経てば経つほど、君との記憶が薄れて行く気がした。
今日のクレープだって、思い出せていなかったら、このまま記憶の片隅に追いやって忘れてしまっていたかもしれない。
そんなことしたくない。
この思い出たちは、今の僕をつくるかけがえのないもの。
確かに、いい思い出ばっかりじゃない。
嫌だったり悲しかった事もあった。
それでも、その全部を一欠片として失いたくなかった。
だから、君がくれた思い出をなぞろうと思う。
決して忘れることのないように。
君と行った場所、君と食べた物、
君と見た物、君とした事。
全部、全部を今の僕の言葉で君に伝える。
君がいた証をこの世から1つたりともなくさないで済むように。
ただ、この世界に菜乃花を繋ぎ止めておくものが欲しかっただけなのかもしれない。
自己満足にしかならない、
決して届くことの無い君に向けた遺書。
空っぽで寂しいものだったとしても、
僕にはこれしかない。そう感じていた。
降り注ぐ雨はまだ止みそうにないなと思った。
翌朝、そんな僕の気持ちを無視するように、太陽が久しぶりに顔を出し、永遠に続くかに思えた雨がまるで嘘だったかのように吹き飛んでしまった。
照りつける太陽を見て、僕は決心した。
菜乃花と出会ったあの場所に行こうと。
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