イズミ編3





 俺と、一緒に来ないか。

 もう腹ペコな思いは、しなくていいから。



    **


 耳の奥に懐かしい声がした。ふと目が覚め、気付くと頬が濡れていた。

 確か、意地でも何か情報を持って帰るつもりで、玄関前に座り込んで陣取ったのだ。そのまま、いつの間にか眠っていたらしい。

 イズミは手の甲で涙をぬぐった。

「……リンヤにーさん」

 兄と思って慕った人。初めてあった時、警戒心と敵意をむき出しにした自分に、笑って手を差し伸べた人。

 鈴の木の実が手に入ったら、胸を張って会いに行こうと思ったのに。

 イズミは、玄関の柱にもたれ、ため息を吐いた。息が少しだけ、白く濁る。辺りは既に暗い。海洋性の温暖な気候であるアトラレア群島とはいえ、冬に日が落ちれば、それなりに冷え込むのだ。

 冷たい風が吹く。イズミはぶるりと身震いした。

 お腹の音が、きゅうと鳴る。そういえば、朝食以来何も食べていなかった。

 足元には、ミエラの手作りサンドイッチが入ったバスケットがあった。時間が経って、パンが乾燥してしまっただろう。色々動いたので、中身はきっと崩れてしまっている。

「ミエラおばさん、ごめんなさい……」

 こんなになってしまうなら、先に食べておけば良かったかもしれない。

 拭いた涙が、また溢れそうになる。

 その時玄関のドアが、ガチャリと開いた。

 イズミが振り返ると、あいかわらず仏頂面の少年が、そこに立っていた。家の中の暖かい空気と、香辛料の利いたスープの匂いが、一緒に溢れ出してくる。

 少年があきれ果てた様子で、イズミを見下ろす。

「…………まだいたの、あんた」

「……うん。鈴の木、見つかるまで帰らない」

 イズミは、がんとして譲らない様子で、少年を見上げた。

 少年は気まずそうに、頭の後ろを掻く。そして、盛大な溜息をひとつ。

「……入れよ、家ん中」

 それだけ告げて、引っ込んでしまう。玄関のドアは開けたまま。

 イズミの目が輝く。

 ――手掛かりは、未だ途切れていない。

 イズミはバスケットを抱えて、少年の後を追った。


   *


 少年はモリスと名乗った。イズミを外に締め出した事を詫びる言葉は無く、代わりに、白身魚と野菜のたっぷり入ったスープを差し出した。

 イズミは夢中で頬張った。香辛料がきいたスープは、身体を内側から温めてくれる。

「……あんた、遠慮ってもの、知らないか?」

「あんた、じゃないのー。イズミ」

 大盛りのスープを三杯ほど平らげたところで、ようやく会話が生まれる。

 しかし、一言答えた所で、イズミはすぐに食事に全力を傾ける。

「おかわりー」

「……ああ、もう。どこにこの量が入んだよ、そのちっこい体の」

 モリスはあきれ果てたような溜息をついた。そう言いながらも、四杯目をよそいに行く。明日の分までと思って作ったのに、今夜で空になること必定だ。

 おかわりのスープを待っていたイズミは、隣の椅子の上に置いたバスケットを、おもむろに引き寄せた。ふたを開けて、中身を確認すると、少しだけ悲しい顔になる。

 戻ってきたモリスが、それに気付いた。何とはなしに覗き込むと、形の崩れたサンドイッチが、バスケットいっぱいに詰まっていた。

「……ずっと持ってたのか、朝から?」

「うん……」

 しばらく中身とにらめっこをした後、イズミは、ひとつ手に取って口に運んだ。乾いたパンから、ぱらぱらと欠片が落ちる。

 数回噛むと、さらに悲しい顔になった。作り立てサンドイッチの美味しさを知っているので、よけい落差が感じられるのだ。

 イズミは今にも泣きだしそうに、二段重ねのサンドイッチを見つめた。

「貸せよ、そのバスケット」

「え?」

 イズミが「いいよ」と言う前に、モリスはバスケットを引っ掴み、湯気の立つスープの皿を持って、一度キッチンへ引っ込んだ。

 少しして戻ってきたモリスは、イズミの前に大きめの深皿を置く。中身は、スープがたっぷり掛かった、サンドイッチだったもの。パンはトーストされて、香ばしさが食欲をそそる。

「こうすれば、少しはマシに食えるだろ」

「ありがとー!」

 イズミは目を輝かせ、さっそく食べ始めた。食欲が満足するのは、まだ当分先のようだ。

 自分の食事はとうに終わっているモリスは、お茶を手元に置きながら、イズミをじっと観察していた。

「なぁ、イズミ……だっけ。何の用で、うちに来たわけ? ……木を奪いにきたのとは、ちょっと違いそうだし」

「木を、奪う……?」

「やっぱり違うのか?」

「なに、が?」

「……」

 話が通じない。モリスはがくりと肩を落とした。最初から順を追う必要がある。

「ええと……だな。あんたは、ムスカルじいさんに、鈴の木の事を訊きに来た。これは合ってる?」

「合ってるー」

「じゃあ次。どうして、鈴の木のことを聞きに来た?」

「木の実がね、必要なんだってー。でも、鈴の木は実が生らないって、ミエラおばさんが言っててね。本当に生らないのか、確かめに来たー」

 実と聞いて、モリスは首を傾げる。

「木じゃなくて……、実が必要なのか?」

「そうなの」

「……何に、使う?」

「えーとね、灯りを点けるの。その実が、灯りの材料になってるんだって」

「灯り……?」

 頷いて、イズミはリンヤからの手紙を、モリスに見せた。隣の大陸の、伝書鳥便の印が、日付入りで押されている。

 ざっと内容をさらいながら、モリスはイズミと手紙を交互に見た。

「まほろば町の、灯台……か」

 名前だけなら、おぼろげだが、聞いた記憶がある。

 何十年も燃え続ける、特別な灯りをともす灯台がある町。

「……」

 どうやら、イズミは木材目当てではないらしいと、モリスは一先ず信用することにした。

 実を手に入れて蒔いても、鈴の木は、群島の風土でしか育たない。育成や植樹を目的として実を持ち出しても、他の土地では意味が無いのだ。

 イズミが不安げに呟く。

「木の実は……本当に、生らないのかな?」

「……生るよ」

 静かに、モリスは答えた。

えっ、声を出して立ち会がり、イズミが身を乗り出す。椅子が引っくり返った。

「生るの! どこにあるの!?」

「なんだよ急に。ああ、ほら、スプーンが落ちたじゃないか」

「持っていかなきゃ!」

「落ち着けって! とにかく座れ!」

「……」

 椅子を戻して、イズミが座り直す。

皿にはまだ料理が残っていたが、それにはもう見向きもしない。

 ただじっと、イズミはモリスの言葉を待った。

 躊躇うような、少しの沈黙の後。

「鈴の木に、実は生る。……いや、生っていた、かな」

 モリスは、苦々しく告げる。

「多分、何十年とか前になる。それくらいから、鈴の木は実を付けなくなった」

「……どうして」

「水源を止めたんだとさ。水を沢山吸わないと、実は結ばない。実がなきゃ、これ以上増えない。……たかが木を取り合って、大金が動いたり、裏で何かあったりとか、そういうのが嫌だって……言ってた気がする」

 イズミは、頭の中で必死に考えていた。慣れない高速回転は、すぐにオーバーヒートしそうだ。

 鈴の木に実をつけせない為、水を止めた。

 それが何十年も前。ミエラが言っていた、伐採していないのに木が増えないのは、ここに要因がある。

 そんなに前に止めて、いま残っている実はあるのか。水を止めたのは、ひとか、ものか。

「……モリス、昔のことなのに、詳しいね」

「じいさんから教えてもらった」

「おじいさん?」

 半ば投げやりなふうに、モリスは告げる。

「ムスカルは俺の爺さんだ。――去年の暮に、なくなっちまった」

「……しん、じゃった?」

 呆然とつぶやいたきり、イズミから表情が消えて、黙ってしまった。

 しばらく沈黙が降りる。

 やがて、モリスが大きなため息をついて、気まずそうに頭の後ろを掻く。

「……変に気にすんなよ。こっちが気になるし」

「……」

「ああっ、気にすんなって言ってんのにっ」

「……だってぇ……」

 イズミの顔がくしゃっとゆがむ。そのまま、ぼたぼたと大粒の涙を零して泣き始めた。

 なんでお前が泣くんだ、とモリスは慌てふためく。

 しかし、大声を上げて泣く少女を泣き止ませる方法を、ひとかけらも思いつかない。ただ、おろおろとするしかなかった。

「もう、泣くなって! 木のある場所、教えてやるから!」

 それでも泣き止まない。

 困り果てたモリスは、思わず叫ぶ。

「じゃあ、一緒に鈴の木の実、探すから! 頼むから泣き止んでくれ!」

 なだめようとした言葉が、その後自分の首を絞めるなんて、思いもしないモリスだった。


    *


 帰りそびれたイズミは、そのまま一泊することになった。

 盛大に泣いた後、モリスが仏頂面で「暗い中帰して、何かあったら寝覚め悪いから泊まってけ」と言ったのだ。

 その時イズミが「ずっと眉が寄ってるのに、優しいね」と言うと、仏頂面から渋い顔になって、「ほっとけよ!」とモリスが叫んだ。

 ミエラに心配を掛けないようにと、イズミは鳥便で手紙を飛ばした。

 夜専用便のフクロウに託した手紙には「しばらく帰らないかもしれないけれども心配しないで」と綴る。ものすごく今更な気もするが、何も連絡をしないよりは遥かにましだ。

 その文面を呼んだモリスが「勝手に居候決めんな!」とぼやいたが、結局イズミを追いだそうとはしなかった。

「……」

 間借りした小さな部屋の、窓のそばに寄って座り込む。イズミは、差してくる月明かりで、リンヤからの手紙を読み返した。

 最後に顔を合わせたのは、何年前だったか。

 また会えたら、笑って手を差し出してほしいと思う。

 だから、会いに行くには、鈴の木の実が必要なのだ。今まで貰った恩の、少しでもいいから返したい。

 明日、太陽が昇ったら、モリスが鈴の木のあるところまで案内してくれると言っていた。

 枝に実が付いている可能性は無いと思うけれども、それでもよければ、と。

「待っててね……リンヤにーさん」

 必ず持っていくから。

 窓際で、空をゆっくり移動していく月を追う。

 イズミはいつの間にか眠っていた。



     **



 月の明るい夜であっても、灯りが絶えた町には、濃い夜の気配が立ち込める。

 暗い灯台の上に昇り、まほろば町と海を見下ろす。

 ユーミエスは、つめていた息を、細く吐き出した。

 本当ならば、道沿いのカンテラに灯りがともり、中央の広場も大きな篝火があるはずだった。

 今、町の中には、小さな灯りがいくつか。それぞれが孤立して、存在するだけだ。

「……」

 今日の昼間、「少しの間だけ町を離れる」と、告げに来た友人がいた。自分の探し物は、そんなに時間はかからないから大丈夫だと笑って。

 長い黒髪を揺らして、歩き去った後姿を思い出す。

 ユーミエスは、両手を祈りの形に組み合わせ、きゅっと力を込めた。

 大丈夫だと信じたのは自分だ。でも、大丈夫だと信じたいのに、不安は胸から去らない。

「……どうか、お願い」

 震える声を、吹いてきた夜風が掻き消す。

 夜闇が、眼下に拓けた町の中に微睡む。



 ――まほろば町の灯台は、今夜も暗いままだった。









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まほろば町壱丁目壱番地ーその灯は、記憶の丘よりー @kisaragi02ky

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