イズミ編2
「ミエラおばさん、イズミ、出かける」
ソーセージを頬張りながら、イズミは唐突に切り出した。空になった皿を、横に積み上げる。これで十枚目だ。
ミエラは、四十半ばの恰幅の良い婦人だった。イズミの、今の住まい――アトラレア群島ショーン島にある家なのだが――の家主だった。
たった一人で島にやってきたイズミが、初めに会った島民がミエラだ。「この島で、お腹いっぱい食べてお昼寝して、暮らしたい」と開口一番に言ったイズミに、ミエラは「それじゃあうちにおいで。家賃は、家事手伝いだ」と誘った。
三人の子供たちは、それぞれ成人して都会へ出ていき、今は夫と二人暮らし。寂しさを感じていた所に、イズミが現れた。もとが、両祖父母にミエラ親子を加えた大家族だったため、部屋も盛大に余っていた。ミエラの夫も快く受け入れてくれて、イズミは実の娘のように可愛がられていた。
「出かけるって、いつ、どこへだい?」
「んっとね……。風鳴りの鈴の木っていうのが、あるところ。明日行くー」
ミエラは、手にした食器を取り落としそうになった。
「風鳴りの鈴の木だって? どこにあるのかわかってるのかい、イズミちゃん」
「どこ?」
イズミは目を瞬いた。そういえば、分かっていなかった。
「どこって、……どこ?」
「あれまぁ、この子は。その木はね、群島の一番南の無人島に、ちょっとだけ生えているんだよ。どうして行きたいんだい?」
「実を取りに行くの。りんりんって、鈴みたいな音がするんだってー」
ミエラは怪訝そうに眉を寄せた。
「イズミちゃん、そりゃあ無理だよ」
イズミは、ろくに噛まず、ごっくんと人参を呑み込んだ。――無理だって?
「……なんで?」
「それは……」
ミエラは言い淀んだ。木は、生えている。白い身と、薄い茶色の年輪模様が美しい、島の固有種。大変希少なもので、かつては工芸品への需要があった。しかし、現在は伐採が禁止されている。それなのに、木は増える気配がないと聞く。それどころか、少しずつ枯れて、減っているとも――。
イズミは辛抱強く、答えを待っている。
真っ直ぐな視線に根負けして、ミエラは口を開いた。
「……あの木は、実が生らないらしいんだよ」
三呼吸分の、沈黙が降りた。
「実が、ない……の?」
イズミは、恐る恐る聞き返す。
ミエラは頷く事しかできなかった。
イズミは、ズボンのポケットに入れてある、リンヤからの手紙を、服の上から触った。
必要なのは、風鳴りの鈴の木の、実だ。それが、無いなんて。
そのまま、しばらく動けなくなってしまった。食べ物の味が、急にわからなくなった。
「イズミちゃん、大丈夫かい?」
「……んー」
大丈夫、じゃない。正直言って。
これでは、大好きなリンヤに、実を届ける事が出来ない。手紙も、無理という報告しか書けない。
「ほんとに、生らないの……?」
「そうだねぇ……」
諦めきれずに、イズミはもう一度聞いた。
ミエラが難しい顔で唸る。
と、ふと思い出した。
「ああ、そうだ! もしかしたら、あの人が知っているかもしれない」
「だ、だれ!?」
「鈴の木の、きこりをしていた人がいる。ムスカル爺さんという方で、生きてりゃ七十も大分過ぎてるはずだけど……」
「会いに行く! 明日!」
イズミは身を乗り出して叫んだ。
普段おっとりした彼女の、突然の大声に、ミエラは目をまん丸くした。風鳴りの鈴の木の実が、どうしても欲しいのだろうと察する。
「じゃあ、サンドイッチを作ってあげようね。中身は、チキンとトマト、チーズもはさもうか」
「ミエラおばさんありがとー」
はしゃいだ返事をして、イズミはまた夕食を頬張った。
*
翌朝、朝食の後、イズミは早速出かけていった。
持ち物は、ミエラ特製のサンドイッチがはいったバスケットと、腰に付けた小さなウエストポーチだけだ。
昨日よりも少しだけ風が強いが、空は綺麗に晴れわたっており、太陽がまぶしく輝く。
時々すれ違う島の人々とあいさつを交わし、島の人よりも多く出会う小動物達を目で追う。鼻歌交じりで上機嫌に、イズミは歩いて行った。
「お手紙、いつ届くかなぁ……」
見上げた空に流れる雲が早い。鳥影がそこを横切っていく。
昨夜の夕食後、イズミはリンヤに手紙を書いた。伝書鳥の足に手紙を括り付け、お願いねと言って外へ放したのが、今朝、陽が昇り、周囲が温かくなってすぐだ。
このアトラレア群島と大陸の間には、世界屈指の荒海が広がっている。船便だと、荒海を避けて南下した先の港に届いた後、陸路で北上しなければならない分、手間と運賃が掛かる。
各地の郵便集荷所を経由して、田舎のまほろば町に届くのは、七日先か十日先か。
それが伝書鳥便、しかも最速の猛禽類を使うなら、大幅に短縮できる。交通と連絡の網が発達した都会ではすたれかけた文化だが、田舎では重宝する。
手紙が届いて、リンヤが少しでも喜んでくれたらいいと、イズミは思う。
そして手紙だけではなく、風鳴りの鈴の木の実も、いつかしっかり届けなければ。
てくてくと歩き続け、島の間をいくつか小舟で渡り、また歩く。
たどり着いたのは、アトラレア群島、マナイル島。最南端の島から数えて三つほど手前になるこの島は、人が住む南端の島。さらに南の三つは、島が小さすぎたり地形が適さなかったりで、皆無人島だ。
朝食後すぐに出発したのに、マイナル島に着くころには昼を大分過ぎていた。
「おなか、すいたー……」
きゅう、と空腹を訴える音がする。しかし、イズミはサンドイッチのバスケットは開けずに、進み続けた。
もう少しで、ムスカルという老人の家につくのだ。ご飯は、手掛かりを貰った後、自分へのご褒美にするつもりだった。
島民に場所を聞きつつ行った先は、島の中でも山よりの奥地、熱帯の植物が多く茂る区域だった。
道など無いように見えた雑木林だったが、人の通る狭い通路が、きちんと一本拓かれている。通路の両脇はある程度草が刈り取られた跡があって、人の往来があるのは確かのようだった。
また、お腹がきゅうと音を立てる。イズミは、バスケットをじっと見て、
「……まだ、だめだよー」
何とか誘惑を乗り切り、雑木林に分け入った。
上の方で、鳥の鳴く声がする。高さのある木の葉が、風に揺れて音を立てるのがよく聞こえる。
もしも鈴の木の実が鳴ったら、この葉擦れと一緒に、りんと綺麗な音がするのだろうか。
そんなことを考えながら行くと、急に雑木林が拓けてくる。
「あ……った」
一軒の木造家屋が見えた。高床式に木材で組み上げられた骨太の家は、古びてはいたが、頑丈そうだ。家の左手側には、倉庫のような簡易的な建物があり、材木が積んである。そのすぐ手前が作業場で、加工するための道具や台が置かれていた。
家主は在宅中らしく、煙突からはもくもくと煙が上がる。
イズミは、逸る気持ちそのままに家の入口まで走って行き、玄関のベルを鳴らして来訪を告げた。
そのまま少し待ったが、反応が無い。
首を傾げつつ、もう一度ベルを鳴らそうとした時。
「――うちに何か用?」
「!」
振り向くと、十五歳くらいの少年が立っていた。日やけ気味で浅黒い肌に、色の抜けた髪。顔立ちは整った部類に入るものの、仏頂面のためか、険があるように見えてしまう。
薪を抱えているのを見ると、倉庫から出てきたところのようだった。
イズミは、少年をじっと見る。
……七十の老人には、どうみても見えない。
少年は、すたすたと歩いてきて、イズミの前に立った。
「あのさ、用が無いならどいてくれる? 薪、運び入れたいんだけど」
「ええと……誰?」
「それ、こっちの台詞」
イズミを肘で軽く押しのけ、少年は玄関ドアの正面に立つ。
薪を抱えたまま、器用にノブを回してドアを開けて見せた。
「用が無いなら帰ってよ。忙しいし」
「用! 用ならある! 私、イズミっていうのー。この家の、ムスカルさんに、会いに来た!」
家の中に上がりかけた少年が、胡乱な目でイズミを見た。
「……何しに?」
イズミは大声で叫ぶ。
「鈴の木のこと、訊きに来た!」
次の瞬間、玄関のドアがバタンと音を立てて閉められた。次いで、内鍵を掛けるガチャリと言う音。
呆気にとられたイズミは、立ち尽くすしかない。
はっと我に返り、慌ててノックをして呼びかける。
「ねー、開けて! 開けてよー。ここ、ムスカルさんの家なんでしょう?」
返事の代わりに、がん、という音が返ってくる。ドアを反対側から蹴ったようだ。
とっとと帰れ。そう言われていた。
「ムスカルさんに、会わせて! 開けて!」
――自分の持っている手がかりは、ここだけだ。何も得られなかったら、先に進めないのに。
時間だけが、ただ空しく過ぎる。
「……開けてよぅ…」
しょぼくれた呟きが零れる。
手のひらをドアに付けたまま、イズミはずるずると座り込んだ。
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