イズミ編1

 冬にしては暖かい日だった。

 雲は少なく日当たり良好。南南西の微風。海に囲まれたアトラレア群島で、風がおとなしい日はとても貴重だ。

 おかげで大好きな日向ぼっこが、これ以上ないほど快適に過ごせている。庭先の草地は程よく温まり、寝そべる背中に優しい温度を伝えてくる。打ち寄せる波の音も、心地よい子守唄だ。

「んー…」

 イズミは、半端に寝返りを打ちながら、軽く伸びをする。

 その時、広い青空の中に、鳥の影が黒く翻るのを見た。距離からして、それなりの大きさがありそうだ。

 ―――晩ごはんの、おかずっ!

 小柄な体が跳ね起きる。

 瞬きの間も置かずに、小さな手に構えられたハンドガンが、小気味の良い音を立てた。

 反動で肘が曲がる。軽い衝撃か、手首から背中まで駆け抜けた。

 放ったのは、先端を丸くした木製の弾丸。ただ撃ち落とす事だけが目的だ。

 二発目を構え直す必要はなかった。

 庭先に墜落した鳥に走り寄る。

 イズミは口をへの字に曲げた。

 気絶しているその鳥は猛禽類で、肉が筋肉質だから食べてもそんなに美味しくはない。目を覚ましたら、放してやろう。

 鳥肉のあぶり焼きへの期待を裏切られ、消沈しつつも、撃ち落とした鳥が羽根などを折ってないか確認する。

 鋭い爪の備わる右足に青い足輪、左足に葉巻くらいの大きさに丸く束ねられた手紙が付いていた。大陸からの伝書鳥だ。

 イズミは今、表情を変えずに動揺していた。

「……まずい、…か、な?」

 誰に問うわけではなかったが、問いかけのように呟きが漏れた。今度からは、獲物をちゃんと確かめてから狙おうと決めた。

 手紙の宛先はどこか。知人なら届けられる。この島に住み始めて二年弱、行動半径が狭いために知人は少ないのだけれど。

 はたして、宛先は――イズミ・カリスト。つまりこの自分だ。

 では、差出人は。

「…リンヤ、にーさん」

 リンヤ・カンザキ。兄のように想い慕う相手からの手紙に、イズミはたちまち舞い上がる。この島に住もうと決めたのも、彼が大陸のまほろば町にいると知ったからだ。

 きつく丸まった手紙を、破かないように丁寧に広げ、読んでゆく。

 簡単なあいさつ文と、近況報告がはじめにあった。レインもまほろば町に住んでいることも、これで初めて知る。後半は、町の灯台の話と、探し物の依頼だ。

 船便を使うと、荒海を避けて大きく迂回することになり、安全確実ではあるが時間がかかりすぎる。多少のリスクを孕んでも、伝書鳥で運んできたのは、これが急ぎの用件だからだ。

 探し物は、風鳴りの鈴の木の実。この群島に自生している固有種。まほろば町の灯台の灯りに、必要なのだという。

 イズミは思わず首を傾げる。

「鈴の木なんて、きいたこと…ない」

 それは、自分が知らないだけで、存在はするのだろうと思う。

 それ以上の問題は、このアトラレア群島の、どの島のどんな環境の場所に生えているかが分からない事だ。

 群島の数は、有人のものだけならば数は二十に届かないが、無人島や細々したものまで合わせると百を超えてくる。

 それに地理的な問題とは別に、木の実が生る季節も考慮しなくてはならない。

「うーん……むずかしい、なぁ……」

 イズミは、片足をぶらぶらと遊ばせながら、ゆっくりとした動作で首を傾げる。

 情報が足りない。

 まずは、人に訊ねるなり、本で調べるなりして、必要な知識をかき集めるところからだ。

 正直言うと、自分はそういう事に向いていない。

 拳銃で正確に撃つことだけなら、自信があるのに。

「……とりあえず、鳥さん、起きるまで、待とうかな」

 そして、手紙を飛ばそう。

 遅くなるかもしれないけれど、見つけて必ず届けると書いて。




    **


 自室に籠り、スフィレクスは永い間顕微鏡を覗き込んでいた。薬品を使って成分ごとに分離させた燃え滓が、種類別にプレパラートに乗せられ、彼の手元に不揃いに並んでいる。

 成分分析結果の覚え書きを、くたびれた紙に書きだしていく。

 一度炎にさらされてしまった材料から、掴める情報は少なかった。それでも出来る限りのことは知りたいと思い、僅かな手がかりも逃さないようにつぶさに観察した。

 思うような成果が得られず、ここ数日は眉間に皺が寄ったままである。

 思わず、大きなため息が出る。集中力が途切れた。

 そのタイミングを見計らったかのように、軽いノック音があって、レインが入って来た。

「あー…、レインさん済みません。まだ、はっきりした事が判らなくてですねぇ」

「それでも、これだけ推測できたんだろう」

 スフィレクスの隣に立ち、レインは覚え書きの紙を拾い上げて、ざっと目を通す。

「金剛石は、本物の金剛石か?」

「ええ。混じっていた不純物で、どの地方で採掘されたのかもおおよそ見当が付きました。それ以外は……特に植物の特定は難しいです」

「そうだろうな。燃えた後だから」

 然したる落胆の色を見せる事なく、レインが頷く。

「ヒスイは今朝出発していった。リンヤは三日前に、知人宛てに手紙を出したそうだ」

「僕らも動きませんとねぇ」

「どこまでいく?」

「クロクス地方の鉱石採掘場が最有力候補地なので、そこへ」

「随分と東に離れたな」

「列車と、馬車と、あとは徒歩。順調にいっても、着くまでに数日ってところです」

 これでもヒスイの行先よりは近いですよ、とスフィレクスは付け加える。

 クロクス地方までは、ずっと陸路。船旅のように、転覆事故に遭うこともない。街道の整備された、治安の良い町沿いに行けば、盗賊等に遭遇する確率も少ないだろう。

「大変なのは、レインさんじゃないですか。ふたつも引き受けて」

 レインは、すいと視線を明後日に向けた。

「……そうでもないさ」

 低く呟いた声が、誰にも拾われず、ぽとりと床に落ちる。一つ息を吐き、彼女は身を翻した。

「私も近日中に発つ」

「ええっ!? まだ特定が済んでないのにですか!」

 思わず、スフィレクスは立ち上がってしまう。その拍子に、椅子がガタリと引っくり返った。

「そんなに驚く事か。これは急ぎの事態だろう」

「しかしですねぇ……」

 狼狽えるスフィレクスの前で、レインは覚え書きの紙をひらつかせた。

「これだけ分かっていれば、充分だ」

 スフィレクスは、はっとした。

 レインの整った面差しが、薄暗い部屋の中で少し微笑んだように見えた。灯りとりの火が揺れたせいだろうか。

 その不思議な笑みが、瞼の裏に焼きついた。

 長いスカートを揺らして、レインが出ていく。

 再び一人になった部屋。スフィレクスは、顕微鏡と資料でごった返す、自分の机を見つめた。

 リンヤと、灯台守の少女から助力を求められてから、必死になってかき集めた情報。そのいずれも、決め手に欠ける。探しているものが、すぐに実像を思い浮かべられないものが多い。

 雨の夜明けに摘んだ若草。

 不死鳥の翠色の卵の殻。

 金剛石が流す涙の一滴。

 月夜鳥の銀色の羽根。

 風鳴りの鈴の木の実。

 光を結ぶ夢の糸。

 これがそうだと、はっきりいう事の出来ない中の捜索だった。

 誰もが思案顔をして、足踏みをする。それなのに。

「レインさん、やはり、笑ってました……よね」

 まほろば町に、再び灯りを戻すために、灯台の火の材料を探しに行く。――物語の種を拾えると言って、彼女が喜びそうな事態だ。

 しかし、あの微笑みは。

 スフィレクスには、それだけではないように、思えた――。

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