序幕 4


 ユーミエスがリンヤとヒスイに伝えた材料は、全部で六品。

 雨の夜明けに摘んだ若草。

 不死鳥の翠色の卵の殻。

 金剛石が流す涙の一滴。

 月夜鳥の銀色の羽根。

 風鳴りの鈴の木の実。

 そして、光を結ぶ夢の糸。

 灯台の火焚き窯にあった燃え滓を集めたものを、二人は手掛かりになればと、ユーミエスから渡されていた。

「……伝説上のものか、聞いたことも無いやつばかりだな」

「雨の夜明けに摘んだ若草なら、まだ判るけど、金剛石の涙とか、夢の糸とかって、一体なんなのさー」

 町へ帰りながら、色々と考えてはみたものの、手に入れる方法どころか、どんな物かも見当がつかない。

 リンヤとヒスイは自分の知識量では無理だと早々に判断し、知っていそうな人物に助力を求めた。

 名をスフィレクス・マークト。幅広い分野の知識を有す学者だ。本業は地学らしいのだが、その他も雑学的に様々なことを知っている。

 町の中心から外れ、家がまばらになり始めたあたりに佇む一軒家。

 広さのある庭先にはためく大量の洗濯物は、おそらく溜まっていることにはたと気が付いて一遍に数日分を洗ったのだろう。家主の性格を反映してか、干してあるというよりも、引っ掛けてあるという印象が強い。灯台守の庭ほどではなかったが、ここも草が大分伸びていた。

 家主のスフィレクスは、手短に用件を聞いた後、二人を物置部屋になりつつある客間に案内し、待つように言った。

小一時間ほどすると、奥の部屋から、何冊も本を抱えた家主が緩慢な動作で出てきた。

「いやー…、大変なものばかり探そうとしてますねー、リンヤさん」

 束ねた髪が解れるのを気にする様子もなく、スフィレクスは耳の後ろをかりかりと引っ掻く。丸い眼鏡の奥で、下がり目尻の目が、眠そうに一度瞬いた。

「悪いなスフレ、急に頼んだりして」

「構わないですよー。僕も調べていて楽しかったですから」

「……で、どうだったんだ」

 スフィレクスの眉間に皺が寄った。うーん、と喉の奥で切れ悪く唸るのは、あまり芳しくないときの彼の癖だった。

「結論から言うと、月夜鳥、風鳴り鈴の木は、実在しますねぇ。生息分布域もわかってますので、そこまで苦労はないと思うんです。雨の夜明けに摘んだ若草は、何の若草か、燃え滓の成分分析が終わってから特定しますので追々。……問題は、不死鳥の翠色の卵の殻、金剛石が流す涙の一滴、光を結ぶ夢の糸。……不死鳥は伝説ですし、夢の糸は、何かの比喩だと思うんですよー。それで僕個人的にはですね、この金剛石の涙っていうのがすごく気になっていてですね。そもそも金剛石というのは、炭と同じ成分でありながら、元素の結合の仕方で――」

「ああ、わかった、金剛石はお前に任せた!」

 何を語らせても長いが、ことさら自分の専門分野となると一晩語っても語り足りないのがこの男だ。果ては宇宙構成の原理まで話が展開しそうなので、リンヤは早々にスフィレクスに歯止めをかけた。

 スフィレクスはまだ語りたそうだったが、金剛石が自分に任されたことで、とりあえずその場は落ち着いた様だった。

「で、スフレさんスフレさん! どこなのその生息なんとかって!」

 ヒスイはすっかり冒険者気分で、新しいおもちゃを目の前にした子供のようにはしゃぐ。

「はぁ、生息分布域です。大分遠いですよー。月夜鳥は、この大陸の北端ですから、行くだけでも一ヶ月を見ないと……。風鳴りの鈴の木はですねぇ、レリス半島の先の、アトラレア群島に生えてるんですが、まぁ、その……半島と群島の間の海が、世界屈指の荒海でして、船の墓場と異名をとるくらいで……危険ですよ、とんでもなく」

「うげ、そんな場所にあるの風鳴りの鈴の木。……じゃあ、月夜鳥! 具体的な地名とか場所とか」

「月夜鳥は確か、フォクストロト領のイラフ郡だったと……」

「えっ……」

 一瞬裏返った声を漏らし、ヒスイは絶句する。

 リンヤがその隣で、地名を小さく呟いた。

 フォクストロト領イラフ郡といえば、万年雪が領土の大半を占め、冬にはブリザードが天然の防壁となる。瞬の春と永久の冬とも言われるほどの、極寒の土地だ。

 唯一、火山の麓の温水が湧き出る地域だけが、人の居住を許し、農耕を可能にしていた。

 と、

「なんだヒスイ、お前の出身地じゃないか」

 はたと思いだし、リンヤが言った。

「あー、じゃあ、月夜鳥はヒスイにお任せをするとしまして、あとは……」

「やだ、やだやだ! あんな所帰りたくないよう! 寒いし、人もいないしさぁっ」

「でもですねぇ、知っている土地のほうが物探しはしやすいと思いますよ」

「それでもやだよぅ!」

「――非効率な我儘は、許可できない」

 隙のない言葉は、三人のうちの誰からでもなかった。

 ヒスイとスフィレクスは目を瞬かせ、リンヤが一人青ざめる。

 部屋の入口には、いつの間にか一人の女性がいた。名前をレイン・キサラギ。背中の半分まで届く豊かな黒髪と、切れ長の瞳が印象的で、申し分なく美女の括りに入る。

 ストールを肩に掛け、ロングスカートを揺らして歩く姿は一見大人しそうではあるが――。

「灯台と町に灯りを戻すのと、故郷に行きたくないのと、優先すべき事項はどちらだ」

 問い詰めに容赦はなく、低く抑えた声は、それこそブリザードのように冷え切っていた。

 ヒスイが何も言えずに、叱られた子供のように縮んでしまう。筋の通らない反論は、彼女の前では悉く切り伏せられてしまうのだ。

 ヒスイのその様子があまりにも哀れに見えて、リンヤは自分も犠牲になると分かりつつ声をかけた。

「レ、レイン…。今日は、随分早い時間に起きてるんだな」

「あぁ!?」

 鮮やかなほどの喧嘩腰。

「夜に明かりが取れないなんて、私にとっては死活問題だ! 察しろ馬鹿野郎」

「ばか…っ!?」

 ――レインは、申し分なく美女の括りに入る。それも、誰もが認める、と冠詞が付くほどに。だが、その性格は烈火と激流のごとく、苛烈を極めるところにあった。特に、リンヤに対しては容赦がない。

「だ、だから、昼間に仕事したらいいって、俺は何度も言ってるだろう」

「だから何度も言わせるな! 私は夜行性の物書きだ。昼間なんぞ天敵だ。それとも何だリンヤ、お前は、私が仕事出来ず生活に行き詰って死ねばいいとでも思っているのか。そうか、その口ぶりはそうだろうな、そうに違いないな。一体いつからお前は人の命の決定権を持てるほど偉くなったんだ? 死の神ブランジェの大鎌にでもかかって首から上をすげ替えてから出直して来い!」

 息もつかずにレインが言い切る。

 今度こそ、リンヤも何も言えなくなった。頬が不自然にひきつるのが、彼自身にも分かった。

 ヒスイが喉の奥で悲鳴を漏らす。

 普段と変わらないように見えるのは、最年長のスフィレクスだけだった。

「まぁまぁレインさん、そのあたりで…。材料を、どうやって集めるか、相談を始めることろだったんですよー」



 灯台の灯りの材料の事を、スフィレクスは己の知識と推測の届く範囲で、先ほどよりも冷静に、三人に伝えた。

「……難しいものばかりだな」

 ぽつりとレインが零した言葉は、その場の誰もが、再確認したことだ。

 明確なものが解らない。解っても入手が容易ではない。一昼夜で解決できないということは、口に出す必要もないほど、明確に察っせられてしまう。

「金剛石は、僕が行きますよ。どんなものか分からないんですけどねぇ、専門分野ですし、他の誰かよりはマシかと」

「つ、月夜鳥は……私が行く、うん」

 これで残りが四つ。

 リンヤは頭の中で地図を広げる。まほろば町に定住の前は、世界中を転々としていた。かかわったことのある誰かの、何かの、どこかの名前が、引っかかりはしないだろうか。

「アトラレア群島は、……」

 言いかけて、頭を過る顔がある。

「知り合いが、まだそこに住んで居れば……、風鳴りの鈴の木を頼もうと思うんだ」

 レインが、視線だけで誰だと問う。

「イズミって名前の、女の子なんだが」

「ハンドガンのイズミか」

 確認するように発言したのはレインだ。

 リンヤは頷いて見せた。

「そうだ。二年くらい前に貰った手紙に、アトラレアに住みはじめたようなことを……確か、書いてあった」

 話していくほど、リンヤの頭の中にある記憶は鮮明に蘇る。

 イズミ・カリスト。小柄な体と、敏捷な動き。ハンドガンとは思えないほど、その射撃は狙ったものを正確に打ち抜く。

 残りは三つ。

「不死鳥伝説は、色んな場所にあるけれど。どっか、一番信憑性のあるところから当たるしかないかなぁ……」

「不死鳥そのものの信憑性というなら、どこも似たり寄ったりですねぇ」

「それなら、例えば、不死鳥に例えられそうなものがある場所というのは? 動物なり、植物なり、現象なり」

「そういうの好きで詳しい奴だったら知ってる。アオ・イスランドル・コバルティア。民話なんかを歌い踊りながら、旅してる奴だ。とりあえず、彼女にも協力を仰いでみる」

「リンヤさん、本当に人脈広いですねぇ」

「まぁ、昔取った杵柄みたいなもんだな」

 これで、とりあえず二つ。

「それなら、雨の夜明けに摘んだ若草と、光を結ぶ夢の糸は、私が行こう」

 締めくくるようにレインが言い、席を立とうとする。

「いや、待て待て! ひとりで二つ探すのか、レイン。片方は俺が行く」

 リンヤが引き止めた途端、レインの視線が鋭く彼を刺した。リンヤの肩がぎくりと震える。しかし、引き下がらなかった。

「夢の糸なんて、一番見当がつかないものじゃないか」

「だから、なんだというんだ。他のも難しいのは大して変わらないだろう」

「せめて分担を――」

 レインの表情が険しくなる。

 勢いに任せて言葉で攻めるのとはまた違う、根底に居座る明確な何かがある時の、彼女の感情の現れ方だ。

 何かをくみ取れれば、片方を自分に任せてもらえるとリンヤは思った。

 だが。

「お前は動くな!」

「な、何でそうなる」

「司令塔が必要になる。全員の動きを見て、上がってきた情報を集め、判断する役割。この中の誰より、リンヤが適任だ。だから、お前は動くな」

 諭すような口調。レインには珍しかった。

 しかし、こんな言い方を彼女がする時は、その意思が揺らがないことを、リンヤは長い付き合いの中で知っていた。

「……その二つ、頼んだ」

「はじめからそう言え」

 これで、六つの材料の担当が、一応の決まりを見せた。

 探しに動き出すのは、材料が明確に分かっている物はできるだけ早く。そうでないものは灯りの燃え滓の分析が終わり、そこから何かすこしでも特定出来てからということで落ち着く。


 四人が別れたのは、暗がりが空を半分以上食んだ頃。

 町の灯りは、今夜も灯らなかった――。

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