序幕 3

「ねぇ、ねぇ! 灯台には一人で行くんじゃなかったのリンヤ君」

「誰もそんなこと言ってないぜ、ヒスイ。っていうか服の端を掴むの止してくれ」

 果たして言葉は逆効果となり、ヒスイの手は余計にリンヤの上着の裾を強く引っ張る。

「あのなぁ」

「だって怖いじゃんよー!」

 丘の上の灯台に通じる道の途中。家の並びは、振り返れば角砂糖に見えるほど遠のいていた。

 ヒスイは初めから乗り気ではなかったが、灯台が近づくほどにそれに拍車が掛かっている。

 リンヤはそんな彼女を、半ば引きずるようにして連れていた。事の情報源は彼女であり、事を大きくしたのも彼女が騒いだからだ。同伴の理由としては充分すぎる。

「怖いってなんだよ」

「誰も、あの灯台から人が出てきたとこなんて見たことないじゃん。幽霊とか、モンスターとかだったらどうすんの」

「……お前、会ってもいない灯台守に、恐ろしく失礼なこと言ってるぞ」

「だってさーっ」

 灯台守を知らないのは、リンヤとて同じだ。

 正直な話、行くのに些かの緊張も伴う。

 だが、灯りの消えた理由は知りたい。何より、灯りがないと日々の生活にも大きな支障をきたしてしまう。戻せるものなら、今夜までには事を解決したかった。

 丘を長く伸びる、なだらかな上り坂を、リンヤの長い影と、その後を飛び跳ねるように付いて行くヒスイの小さな影が、ひたすらに進む。

 町の建物が途切れたところから灯台まで、殆ど何もない草原が広がっていた。

 吹き渡る風は、遮られることなく駆け抜ける。鳥は縦横無尽に空を滑ってゆく。虫たちは草に隠れ、彼らの王国を地下に築きあげる。

 草原の緑の中で時々、朽ちた木の株が寂しげな灰色を主張し、そこだけが目立って見えていた。



 小一時間ほど歩き続けたところで、二人は丘の上にたどり着いた。しかし、たどり着いたところで、足が止まってしまう。

 冬だというのに、人丈の草と蔦植物が伸び放題に伸びて、灯台守の家の庭であろう場所を埋め尽くし、玄関までの道程を殆ど塞いでいた。草のせいで、家の様子はほとんど分からない。視線を上げると、間近で見えた灯台は、赤煉瓦の身体の下半分まで蔦が伸びて、覆い隠されている。

 人など、いないかもしれない。

 そう思わなかったのは、敷地を区切る柵の扉の部分だけ、蔦を除去した真新しい痕跡があったからだった。

 リンヤは、意識して一呼吸すると、ゆっくりと扉を押した。

 ギィ、

 咎めるような軋みをあげて、開いた扉の向こう。人ひとりがやっと通れる、草の分け道が出来ていた。これも、やはり新しい。

「リンヤ君、ほんとに行くの?」

「行くに決まってるだろ、ここまで来たんだ」

「私たちだけじゃなくてさあ、あの子も呼んだ方がよかったんじゃないのかな。ね、多分、こういうのって、話のネタになるとか言って喜びそうだしっ」

 あの子が誰を指すか、すぐに分かったリンヤは、途端に青ざめて首を横に振った。

「明るいうちにあいつを起こすなんて、自分から殴られに行くようなもんだ!」

「でも二人だけで何かあったら…」

「何かあった時考える。ほら、歩くぞ」

「うえー…」

 渋り顔のヒスイを急かし、意を決して草の道に入っていく。

 露を含んだ葉が当たり、ぴしゃりと頬に水を飛ばしてくる。リンヤは顔を顰めて、手の甲で拭う。しかし、数歩進むと、今度は目に直撃を受けそうになる。いちいち払っていてはきりがなかった。

 濡れるに任せ、がさがさと草をかき分けて、とにかく足を前に出した。

 そうして抜けるころには、リンヤは全身が雨に降られたようになっていた。彼の後ろにぴったりとくっついていたヒスイは、若干占める程度で済む。

「……帰りはヒスイが前を行けよ」

「……いいよ。ちっちゃいから、進むのがどっちか見えないけど」

「やっぱり俺でいい」

 服に着いた水滴を払ったが、申し訳程度にもならなかった。

 灯台守の家は小さかった。木の柱と、昔は白かっただろう粗塗りの壁、木枠の二重窓。花壇と畑の痕、火のない炭焼き窯。外から見えたのはそれだけだった。

 家の玄関先は、石材が敷かれていたことで、辛うじて草の侵食を免れていた。

 木製の古びた扉。小さくて丸い、曇りガラスの窓が一つだけついている。銅色の取っ手は、頻繁に触られる場所が黒ずんでいた。

 ノックをして、少し待つ。反応はない。

 今度は声を出して呼ぶ。結果は変わらずだった。

 その後、ゆっくりと二十を数えるほどリンヤとヒスイは待ったが、やはり、誰かが出てくる気配はない。

 取っ手を引く。簡単に動いた。

 すぅ、と二人は背筋が寒くなった気がした。

 最悪の事態を想定する。

 無言のまま頷き合うと、足音を忍ばせて、そっと家の中に踏み入った。


 泥棒が家探ししたあとのような惨状が、まず出迎えてくれる。

 本、手紙、インク、使いかけのメモ用紙、布の切れ端、枯れた植物、空の瓶――。

 散乱した物に、埃は殆ど積っていない。これも、まだ事が起こってから新しいのだ。

 それなのに、家の中にある空気は、何十年も前から停滞していたようで、湿り、沈んでいた。

 誰も住んで居ないようであるのに、誰かが居た証拠はある。

「……なんだ、この家は」

 思わずつぶやいた時、


 ――ガタッ


「……!」

「ひゃーっ!」

 一番奥の、戸の向こうから、音がした。

 何かが、自然に落ちてしまった音か。

 注意深く耳を澄ませた。

 しばらく息をひそませ、動きを止める。

 すると、また。


 ――ガサガサ、ゴッ…トン…!

「…ああ、もう、どうしましょー…」


 物音に加え、声もした。確実に、誰かがいる。それもおそらく、若い女性だった。

「いくぞヒスイ」

「は、は、はいよ…っ」

 音のする方へ気配を殺して進む。

 床と靴底が立てる微かな音も、今は邪魔だった。

 戸の取っ手に手をかける。そこも、埃が不自然に除去されていた。

 まず、少しだけ引いて隙間を作り、部屋の中を覗き込んだ。

 廊下以上に物が散乱している。

 その中を、忙しなげに動く少女が居た。

「…やっぱりないわ。これじゃあ、全然足りない……」

 呟く声は泣きだしそうなほどで、困り果てているのが伝わってくる。リンヤは難しい顔をしながらも、戸をあけて部屋に入った。

「なぁ、お前――」

「や、ど、どなたですかっ」

 弾かれたように振り返った少女が、怯えた眼差しで誰何した。

 無理もない。リンヤは、両手をあげて、敵意がないことを示した。背が高く、目つきの鋭いこの容姿が、相手に恐怖と警戒を与えてしまうことを、彼は自覚していた。「お前は見た目で損をする」と、ある友人はよく口にする。

「勝手に家に入って、悪かった。けど、危害を加えに来たんじゃない。そこは、まず信じてくれないか」

「私たち、まほろば町から来たんだ」

 リンヤの後ろから、ヒスイがひょこりと顔を出す。

 まほろば町、と聞いた時、少女の顔から猜疑の色が消える。

 かわりに、困惑と、申し訳なさがない交ぜになったような表情が現れた。


     **


 少女は、テーブルの物を押し避けて無理やり作ったスペースに、少しの茶菓子とハーブティーを差し出した。

 リンヤとヒスイは、勧められるままに椅子に座り、少女の様子を窺った。

 ひとまずは、話が出来そうだ。

「――すみません、灯りを途絶えさせてしまって。不便を、したでしょう」

「じゃあ、君が灯台守なの? 名前は? 私はヒスイ、こっちのでかいのがリンヤ君。見てくれ怖いけど頼りになる人なんだよ」

 ヒスイが早口でまくし立てる。少女は申し訳なさそうな表情のまま、曖昧な笑みをうかべた。

「私は、ユーミエス・フェリクトスと言います。ユミと、呼んでください」

 ユミ、とリンヤは口の中で繰り返した。知り合いには居ないが、聞き覚えがあるように思ったのは、よくある名前だからだろうか。

「じゃあ、ユミ。さっそく本題なんだが、まほろば町の灯りが消えたことは」

 知っています、とユーミエスが頷く。

「昨夜でしょう。……この灯台の灯りも、絶えさせてしまいました。灯台守として、私はあってはならない失態をしてしまった……」

 ユーミエスが、また泣き出しそうになる。

 それほど、深刻になることだろうかと、リンヤは首をひねった。

「消えたなら、また点ければいい。新しい油や、薪が必要なら、町の工房で用が足りると思う」

 いいえ、とユーミエスは首を横に振った。

 その意味が分からず、リンヤとヒスイは互いに顔を見合わせた。

 光を灯すには、灯り油と芯。灯台ほどの大きな炎なら、薪も必要だろうが、町で用立てられないものでもない。

「灯台の灯りは、普通の灯りとは違います」

「え…?」

「永く灯り続ける火をつけるためには、それ専用の、特別な材料が必要なのです。それに、灯台の火と、町の中の灯りとをつなぐ線が無くては、いくら灯台の灯りが戻っても町は暗いまま。……一度灯りが絶えてしまうと、古い線はもう使えないので、それも用意しなくてはならなくて」

 そこまで聞いて、リンヤとヒスイは得心がいった。

 家の中の荒れようは、ユーミエスがその材料とやらを探していたためだ。そして、必要な材料は、今、足りていない。すぐに灯台の灯りを戻すことは出来ないのだ。

「ユミ、その材料を教えてくれないか。俺たちが持って来る」

「ええっ! ちょっとリンヤ君」

 隣でヒスイが素っ頓狂な声を上げたが、リンヤは気にしなかった。

 はるか海の向こうの科学の国のように、電気とやらで夜を明るく照らす技術は、この町にはない。

 ここの夜を照らすのは、黄燈色に揺れる優しい炎の光だ。まほろば町は、少しでも早い灯台の復活を望んでいる。

 しかし、ユーミエスは頑なだった。

「そんな、頼めません。……入手がとても難しいのです。大陸の端の国までいかなくては、手に入らないものもあります。灯台のことは私の責任、私が行きます」

「灯台を無人にほうが良くない。材料がそろった時すぐに灯せるよう、ユミが準備しておいて、俺たちは探しに行く。独りですべてやるより、効率がいいはずだろ」

 リンヤも引かなかった。

「ですが、……」

 それ以上続けられず、ユーミエスは唇をかんで俯いた。

 ハーブティーが湯気を立てなくなるまで、三人の沈黙は続いた。

 やがて、すみません、と絞り出すようにユーミエスが言った。

「何を謝って――」

「すみません、実は私、まだ灯台守の見習いなのです! 材料があっても、調合の仕方がわからないのです」

「けど、今までの灯台の火は」

「あれは先代の灯台守、私のおばあ様が五十年前に灯した火」

 顔を上げたユーミエスは泣いていた。

 泣きながら、リンヤとヒスイに頭を下げた。

「……材料を集めてください。その間に私は、もっと勉強して、立派な灯台守になります。どうか、お願いします……!」

 深く深く、ユーミエスはなおも頭を下げる。

 リンヤは、彼女の細い肩に、そっと手を置いて揺すった。今ここで、一番歯がゆい思いをして、一番悔しさを噛みしめているのは、この少女に違いなかった。

「顔を上げてくれ。――引き受けた」

「リンヤさん」

「人脈は広い方だと思うんだ。必ず材料を持って帰ってくる。皆が、灯りを待っているからな」

「ありがとう、ございます」

 また、ユーミエスは涙を零す。

 それは、感謝の涙だった。


     **


 リンヤとヒスイを、ユーミエスは玄関先で見送った。草をかき分ける音がしばらく続いた後、鉄柵の開閉音。二人の話声が遠ざかり、やがて無音になった。

「……これだけで、いいのか」

 客人が去るのを見計らって、家の中から聞こえた声。ユーミエスは、振り返るかわりに、そっと俯いた。

「私は大丈夫だと、信じます」

「そうか。……それなら、私も帰ろう」

 ユーミエスの横を、人影がひとつ、するりと抜けてゆく。

 迷いなく草の中に入るその姿を見送るユーミエスの表情は、祈りを捧げる修道女のように静かだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る