北から目線

@nanikakakana

北から目線 

  日差しは眩しく、芝生は青く。ベンチに腰掛け、ロング缶のクラシックが美味しい季節。それが札幌に生きる者にとっての夏。大通公園で開催されるビアガーデンは大いなる祝祭。夏の象徴。

 でも今年は違う。大通公園は封鎖され、私は東京にいる。

 2021年7月23日。東京オリンピックの開会式が執りおこなわれる日。私は23年間生きてきてしがみつき続けた愛してやまない北海道の大地から離れ、遺憾ながら東京に送り込まれた。

 せっかくの初体験だ。手記に残しておくのもいいだろう。学習机の前で筆をとる。これはなんでもない私の、ちょっとした異世界の冒険譚。なんてことはない文章。


〇 〇 〇


 時は1日前に遡る。昨日は朝から円山動物園でサーバルキャットのポーラを眺めていた。

もうおばあちゃんのポーラと過ごすひとときはかけがえのない時間だった。ポーラに挨拶をして、ひとしきり様子を眺めたのち、大学院の講義が間に合うように帰る。それが私の週に一度の楽しみだった。

 それに昨日はポーラが元気だった。いつもはほとんどの時間を寝て過ごすポーラが、元気に毛繕いをしていた。動物園でも感じられる野生。それが嬉しかった。

 話が反れてしまった。要するにポーラを眺めていたら講義に間に合わなかったのだ。しかし、それまでの講義はしっかりと毎回出席している私である。大丈夫だろう。


 帰り道の地下鉄で、スマホを見て現実に戻る。留守電が入っている。講義の担当教授からだった。メッセージは端的だった。

 「今日の講義で試験やったから。君このままじゃ落単ね。ばいばい」

 泣きそう。ギリギリの単位スナイパーを生業とする私は単位を一つでも取り零すと留年だ。ポーラを留年の言い訳にはしたくない。教授に泣きの鬼電をかけたところ、指定された施設に行ってレポートを提出すれば許してくれるということだった。ただし期限は明日。

 まあ私はそれまでの講義は毎回出席しているわけだし! それくらいは許されても良いだろう! ふふん! どうせここから連休だし! やってやろうじゃないか! そこまでの私は威勢が良かった。なんだかんだで教授のフィールドワークに突き合わされてそのレポートを書けば良いのかと思っていたから。

 だが事態は急転する。教授からLINEで飛行機のチケットが送りつけられた。2021年7月23日付のスカイマーク新千歳羽田便の往復チケット。私は目を疑った。いや? ちょっと? 急ではないですか?

 「あの、私飛行機乗ったことないんですけど。手加減とか、その、道内とかでお願いしたい……みたいな」

 「君、成績は良いけど観光創造研究コースなのに北海道出たことないのやばいからね。町へ出ろ」

 「えへへえ、そのとおりですねえ……」

 そのとおりなので。そのとおりです。とある施設に行き、景観と風景についてのレポートを書くことになった。観光創造学でいうところの「風景」は物理的な存在である景観に個人的な感情や社会的意義を結びつけたものである。人々にその施設がどのように愛され、魅力的であるか書いてねということだろう。


〇 〇 〇

 

 そして昨日の今日。齢23歳にして飛行機デビューである。朝六時、札幌駅を出発。JR快速エアポートで新千歳空港駅まで40分程度。そこそこかかる。私はその時間を窓の外の風景を眺めるのが好きだ。札幌から離れるにしたがって都市から住宅地、そして農地や森と風景が移り変わる。ああこれこそ我が愛しの北海道。その有り様をしみじみと感じられて、嬉しいのだった。

 私が空港に来るのは初めてではない。新千歳空港は映画館や温泉、様々な施設が溢れるテーマパークであり、北海道の誇る観光地といっても過言ではない。だから飛行機に乗るのも問題ないはずだ! 大丈夫! 私は大丈夫!

 普段訪れることのない搭乗口に初めて足を踏み入れる。自動チェックイン機でチェックインを済ませ、無事航空券を手にする。一安心。飛行機なんて大したことない。大丈夫だ。……とはいえ航空券を失くしたら一大事である。大事に手に握っておく。そのまま保安検査場を何の問題もなくくぐり抜けた。言われたとおりにすれば大丈夫なのだ。はじめてにしては上出来ではないだろうか。えらいぞ私。

 寿司屋やチョコレートショップなどが立ち並ぶ待合ロビーは見ていて楽しい。だが私は飛行機に乗るのが何よりも大事。脇目も振らず搭乗口に到着。アナウンスに耳を澄ませ、あたりの様子を伺う。搭乗時間が来る。航空券は握りしめに握りしめて握りしめてしわくちゃになっていた。それでもQRコードは読み取ってくれた。人類の叡智に感謝しつつ、座席に座る。そこで私はようやく一息つけた。あとは全自動で東京行きだ。どんなもんじゃい!

 

 別に初めての飛行機はなんてことはなかった。吹雪の中で自動車を運転する方がよっぽど死を感じる。とはいえ疲れ果てていたので機内で泥のように眠る。着陸の衝撃で起きる。

 ……あっけなく東京である。羽田空港と書いてある。寝て起きたらついていたのでよくわからない。体感5分である。実感はないが、多分ここは東京なのだろう。

 とりあえずバスターミナルで東所沢へのバスが出る乗り場を探す。指定された場所なのだ。お目当てのバス乗り場を見つけ、券売機で東所沢行きのチケットを購入。なんというか当たり前のことなのだけれど、券売機に表示される地名が東京で感動してしまった。池袋に品川、秋葉原! テレビで見たことある! おのぼりさんのミーハーぶりを晒してしまっていないかあたりを確認する。大丈夫、誰もいない。ちょうどタイミングが良かったようで、数分待ってリムジンバスがやってきた。そのまま乗車。座席がふかふか。ちょっとうれしい。

 バスは空港の施設を抜け、橋を渡る。窓から外を覗くと沢山の車が走っている。緑は少ない。遠くにビル群がかすかに見えて、その風景がとても東京だと思った。札幌には、遠くのビル群なんてなかった。

 私は本当に東京にきたんだ──そんな気持ちを抱いたまま、私は再び眠りにいざなわれた。リムジンバスのシートはふっかふかだったのだ。

 

 目が覚めるとそこは北海道であった。……いやいや? このリムジンバスは正しく東所沢に向かっている。けれど、窓から見た景観が、私には北海道の風景だった。広い道路に緑が鮮やかな街路樹。都心とはちがう、ゆとりのある街並み。落ち着いた雰囲気。

 実はここは北海道なんじゃない? スマホの地図アプリを開く。現在地は……埼玉県。ちゃんと北海道を脱している。しかし実感はない。なんだろう。ふわふわしている。

 ふわふわしているうちにリムジンバスが東所沢に到着。下車。息を吸う。空気が美味しい、気がした。

 

 地図アプリで目的地を入力。川沿いに住宅地を進み、公園が見えてきたところで右に曲がる。そこから真っ直ぐに北へ進むと左手に今回のお目当ての建物が見えてくるはずなのだ。

 こうしていざ町を歩いてみると、先ほど北海道だなあと感じた景観にも少しずつ違いが見えてくる。当たり前だが所沢に白樺は生えていない。家並みも降雪を考慮した北海道のそれとは違う。これが所沢らしさなのか、私にはまだ判断がつかないが、少なくとも、結構住み心地が良さそうだ。落ち着いている。好きな感じ。

 そんなことを思いながら、進路を北にとり歩いていると、唐突に岩のような巨大な建築物の片鱗が見えてきた。胸が躍る。これが指定された施設か!このためにはるばる北海道から飛んできたのだ! 少しくらいワクワクドキドキしてしまってもいいだろう! 

 目的地までの最終直線はちょっとした坂道になっていた。少しずつ建物の全貌が見えてくる。いかにも花崗岩でゴツゴツと幾何的な建物。こんな穏やかで優しい町にあるにはあまりにも唐突感のある建築物。異様な光景と言ってしまってもいいだろう。でも確かにこの町には現実にそれがある。その異様さがこの土地の風景を作り上げている気がした。素敵な街だ。

 

 坂道を登りきり、目的地に辿り着いた。目的地・ところざわサクラタウン、その場所。おそらく地元の家族連れだろうか。大いに賑わっていた。あんな異様な建物が人々に愛されて足を運ばれているのはなんだか微笑ましい。私にとってはあの建物は異様で、唐突に感じるけれど、ここに住んでいる人たちにとっては当たり前の存在なのかもしれない。その感じ方は根本的な価値観の違いであり、受け取る「風景」の違いである。私は別世界を一人さまよっている気分になる。その体験が既に楽しい。良い観光地。

 そのとき私は見た。例の巨大建築物の外壁にはべりついている巨大な異形の生き物を。そして私は見てしまった。その生き物のつぶらな瞳を。見つめあってしまった。

 か、かわいい……。そう、思った。大きな翼。つぶらな瞳。たくさんの生き物を従えた身体。生き生きとしていて、すぐにでも飛び出してきそうで、見ていて飽きない。あとから調べたが「武蔵野皮トンビ」というらしい。そのままひとしきり武蔵野皮トンビを眺めて過ごした。向こうが見つめてくるから、こちらも見つめるしかない。先に動いたほうが負けだ。


 帰りの時間を知らせるアラームが鳴る。慌てて駅まで走る。道中たくさんの銀の卵をみかけた。あれはなんだろう。北海道とは異なる理がここでは働いているのかもしれない。ドラゴンぐらいいてもおかしくない。



  帰巣本能というものはすごいもので、私は無事札幌にかえってきた。レポートには「東所沢の土地に屹立するところざわサクラタウンの風景は「異世界」だった。」とだけ記述し提出した。しっかり怒られた。単位はくれた。優しい。ポーラにまた会える日々が帰ってきた。

 ここまで読んだらわかると思うのだけど、私は結局北海道が好きなのだった。しかし、あの建物の異様さはもう一度味わってみたい。落ち着いた土地に見合わない謎の建物。周辺の風景は味わえた。次はその中身もしっかりと味わってこそ、その魅力がわかるというもの。再見。

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