ボクたちの毎日は、始まったばかり
あれから、季節が二つほど移り変わった。
「芽衣ちゃん、ネクタイどこか知らない?」
「二段目に入れたよー?」
「あ、あったあった。ありがとー」
ボクたちは一週間前から同棲を始めた。
本当はもっと早く始めたかったんだけど、千早くんがうだうだと悩んだり、あとはバーチャリアルとの交渉が長引いたりでここまで漕ぎつけるのに時間がかかってしまった。バーチャリアルの方は「認めないなら引退する」と脅したらすんなり引き下がってくれたんだけど、とにかく千早くんが強情だった。
『配信中に俺の声が入って迷惑をかけるかもしれない』
この言い訳を半年で百回は聞いた。
しかし話しぶりから察するに、本当にそれを心配しているのではなく、女性と一緒に生活することへの恐怖を漠然と感じているだけみたいだった。毎週末ウチに泊まりに来てる癖に何を言ってるんだと思った。
最終的に、それが原因で同棲できないならバーチャル配信者を辞めると宣言したら千早くんは渋々首を縦に振った。これは本心だった。ボクは兎に角千早くんと一分一秒でも一緒にいたかったんだ。
「それじゃ、行ってきます」
スーツ姿の千早くんが玄関に向かって歩き出す。ボクは見送りの為にその後ろをついていく。これはこの一週間で自然と出来たルールだ。家主のボクがルール。異論は挟ませない。
「ほら千早くん、こっち向いて」
「…………うう」
靴に履き替えた愛する人を無理やり向き直させる。
まったくもう、いつまで恥ずかしがるつもりなんだか。
「じゃあ…………行ってらっしゃい。早く帰ってきてね?」
ボクは千早くんにキスをした。
これが、ボクたちの一日の始まり。
◆
「やっほー!
さて、肝心の配信業の方はと言うと、最近は専らエムエムをプレイしていた。
「今日もこおりちゃんとコラボだよー! こおりちゃんよろしくね!」
「はい、よろしくお願いします」
あの喫茶店の出会いがきっかけでボク達はよく遊ぶようになった。
といってもボクから連絡した訳ではない。ボクと千早くんの顛末が気になった菜々実ちゃんがダイレクトメールを送ってきたのだ。ある日いきなりこおりちゃんのアカウントから『どうなりましたか?』なんて連絡が来るからびっくりしたのを覚えている。
それからはお互いにプライベート用のルインを交換して、たまにリアルでも遊んでいる。こおりちゃんは姫とも仲がいいから、三人で出かけたりすることも多い。因みに千早くんは誘っても絶対に来ない。男が一人だけなのは恥ずかしいらしい。
『ありおり助かる』
『ありおり丁度切らしてた』
『お泊り会マダー?』
ボクとこおりちゃんの組み合わせは、いつの間にかファンの間で『ありおり』と呼ばれるようになっていた。お互いの配信で最近よく話題に出しているからだろう。近いうちにオフコラボをやるのもいいかもしれないな。ボクの家では、出来ないけれど。
「今日はどうしよっか?」
「大会に向けて連携の練習をしましょうか。まだ息が合わない所がありますから」
「うう…………ごめんよ…………。ガンバリマス…………」
「いえ、ありすさんも最初に比べたら随分上手になりましたよ。もうスナイパーじゃ勝てないかもしれませんね?」
「ちょっとおおおおおおおお! 思い出させないでよーーーーー!!!」
「ふふっ、ごめんなさい」
こおりちゃんの弄りは強烈だ。ボクがMMVCに勝って千早くんに告白しようとしてたのを知った上でのこの言いよう。まあ、今幸せなのを知ってるから安心して弄れるのかもしれないけどさ。
MMVCといえば、来月第三回が開催される。
なんとボクはこおりちゃんとペアを組むことになった。こおりちゃんに誘われたのだ。
────こおりちゃんはボクの因縁の相手だ。
あっちの世界でも、こっちの世界でも勝てなかった。リベンジしたいという想いは確かにある。ボクはこおりちゃんの誘いを断ることも出来た。当然断るものだとボク自身思っていた。
けれど、ボクは自分でも驚くほどすんなりその誘いを受けていた。
こおりちゃんに誘われて気が付いたのは…………もう、ボクにとってこおりちゃんは、そして菜々実ちゃんは、千早くんを取り巻くあれこれとは関係なしに一人の友人になっていたということだった。
これは菜々実ちゃんがどうというよりボクのメンタル的な要因が大きかった。
ボクはもう不安になることはない。だから、菜々実ちゃんに思うところも何もない。
「大会、絶対勝つよー! 前回は
この世界に来てからずっと驚きの連続だったけれど、何が一番の驚きと言えば…………こうして菜々実ちゃんと仲良くやっていることだろうなと思う。
◆
結局のところ、この世界が何なのかは分かってない。
タイムスリップ?
それともパラレルワールド?
どちらにしろ、非現実的な事がボクに起きたのは確かだった。それが何なのか、確かめる術をボクは持っていない。
「目が覚めたらあっちの世界に戻ってるかも」────そう思わない夜はない。こっちの世界に来たのは突然だった。ならば、帰る時も突然かもしれない。ボクに出来るのはただ、祈ることだけだ。
この幸せな日々が一日でも長く続きますように。
ところで、あっちの世界のボクはもえもえと仲良くやってるかな。もしかしたら存在ごとこっちの世界に来てて、もえもえを一人にしてたりしないよね。一つだけ心配があるとすればそれだ。もえもえを寂しがらせていませんように。これについても、ボクに出来るのは祈ることだけだった。
ガチャリ、という小さな解錠音が辛うじて耳に入る。
ボクは吸い寄せられるようにリビングのドアに手をかけ玄関に歩き出す。
ボクが配信をしているかも、と物音を立てないように気を使いながら革靴を脱いでいる────キミがそこにいた。
「────おかえりなさい、千早くん!」
ボクたちの毎日は、始まったばかり。
◆◆◆
お世話になっております。
芽衣ルートはこれにて完結です。長い間読んで頂きありがとうございました。
また、今日から新作の投稿を始めました。
女装主人公が妹の為に頑張る異世界恋愛モノです。
こちらも読んで頂けるととても嬉しいです。
女装がバレた子爵令嬢は、皇太子に愛されながら他人の恋に奔走する~何でも言うこと聞きますから女装だけはバラさないでください!~
https://kakuyomu.jp/works/16816927862211631212
他ルートは構想がまとまり次第開始する予定です。
これからもよろしくお願い致します。
【IFルート】偶然助けた女の子が俺が激推ししている大人気バーチャル配信者だった 遥透子@『バイト先の王子様』書籍化 @harukatoko
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます