雪の大地

赤城ハル

第1話

 まっさらな雪野原を長靴で踏み進める。

 踏むたびにタオルを噛んだよう触感が足裏から脳へと突き抜ける。私はこれが嫌いだ。

 今は冬ではない。夏だ。じゃあ、どうして夏に雪かというと惑星規模の異常気象が発生して世界中で大寒波が押し寄せて来ているから。温暖化は一体どこへやらだ。

 さらにそこへ新型インフルエンザで多くの命が亡くなったから事態は大変なことに。ギリギリ国が保っているが、常に人手不足が否めない状態。除雪車も通らないし、誰も雪かきしないから積もってばっか。

 その雪は膝下まで積もっている。

 足で雪原を踏むというより脚を前押しして削り進んでいるようだ。

 雪は重たく中々前に進みにくい。

 もうスボンは膝から下がびちょびちょ。その下に履いている股引きも靴下もびちょびちょで水を吸って重い。

 私は溜め息を吐いた。溜め息は白く湯気のように霧散する。

 そして家に辿り着いた。

 玄関周りは雪かきがされていて、脚が解放された。

 戸を開こうするも鍵が掛かっていた。

 私はチャイムを鳴らし、戸を叩く。

「おうい。帰ったぞー」

 戸の向こうから「はーい」と娘の声が聞こえた。

 ネジ鍵が回される間、私は帽子と肩、リュックに乗った雪を払う。

 がらがらと戸が開き、俺は「おー寒かった」と言って中に入る。

 そして長靴を脱ぐ前にリュックを娘に渡す。

「何か見つけた?」

 パンパンに膨らんだが軽いリュックを見ながら娘は聞く。

「きつねとたぬきだ」

 俺は廊下に腰を下ろして長靴を脱ぐ。

「きつね!? 駄目じゃない。野生きつねは寄生虫を持ってるのよ!」

「違うよ。本物じゃないよ」

 次に俺は靴下を脱ぐ。その時、痛みが。

「イタタ」

「イタチ!? そんなのまであるの!?」

「違う。靴下がひび割れに引っ付いてんだよ」

 寒いと肌がひび割れを起こす。

 最初はただの皺だったが、どんどん皺が深くなると奥がぱっくり割れて血が出る。それがひび割れ。

「ちょっくらシャワー浴びるわ」

 俺は風呂へと向かう。

「今、浩一が使ってるわ」

 浩一とは娘の旦那。

「もう帰ってたのか?」

「お父さんと違って日帰りよ。ついさっきまで雪かきしてたの」

「何か見つけたか?」

「乾電池とかトイレットペーパーとか日用品よ」

「そうか」

「坂田さんはどうだった?」

「ああ、無事さ」

 廊下を進み、リビングに入る。

「じいじー、なんか見つけた?」

 幼い孫の純ちゃんがぴょんぴょん跳ねながら私に近付く。

「ああ。きつねとたぬきさ」

「きつねぇ?」

「お母さんがリュック持ってるから見てごらん」

 娘はリビングのソファーに座り、床にリュックを置く。

 孫はうきうきしながら娘の隣りに座る。

 私は帽子と耳当て、マフラーを取り、それらを帽子かけに一緒に掛ける。そしてダウンジャケットを脱ぎ、ハンガーに。

 娘はリュックを開いて、中の物を取り出す。

「あら? きつねって赤いきつねのことだったの。で、緑はたぬきと」

 そう。私が見つけたのは赤いきつねと緑のたぬき。

「何それ?」

 幼い孫が娘に聞く。

「お湯を入れるときつねうどんやたぬきそばが出来るんだよ」

「すごーい。魔法みたーい」

「そうだねー」

 娘も孫に笑みを向け、楽しむ。

「あら、お義父さん、帰ってきたんですか」

 シャワーを済ませた浩一君がリビングに入ってきた。顔はほんのり赤く、茹だっていて、体から湯気が上っている。

「ああ。今ね。それじゃあ、私はシャワーを浴びようかな?」

 そう言って私は脱衣所へ向かう。


  ◇ ◇ ◇


 シャワーを浴びて戻ると娘達がダイニングテーブルで私の戦利品であるカップ麺を食べていた。

「もう食べているのかい?」

「ちょうどお昼だしね」

 と娘が言う。

 私は台所の棚から爪楊枝を一つ取り、リビングのソファーに座る。左足の裏を右腿に乗せて爪楊枝で踵のひび割れに引っ付いた靴下の繊維を取る。

 シャワーのおかげか多少は取りやすくなったが傷口を抉るようで痛い。

「水落としのレバーは下げた?」

「いいや」

「ちょっとー!」

 娘は大きな非難声を出す。

「日中は平気だろ?」

「駄目よ。夕方からまた降るっていうんだし。水道管が凍ったらどうするのよ。誰が直すっていうのよー」

「……分かったよ! 後でやっとくよ!」

 右足が終わり、次は左足のひび割れにとりかかる。

 靴下の繊維を取り終わった頃、娘達も昼食を食べ終わっていた。

 爪楊枝と靴下の繊維をゴミ箱に捨て、

「それじゃあ、私も食べようかな」

 と、私は赤いきつねと緑のたぬきを手にして悩む。

 うどんはよく食べる。ならそばか。

 しかし、今はうどんの口になっている。

「ムム、ム」

「何悩んでるのさ?」

 娘が呆れつつ聞く。

「そうだ! 皆はどれを選んだ?」

 3人もいるなら偏っているはず。

「浩一は緑のたぬきで私と純ちゃんは赤いきつねを別けあったの」

「別けあった?」

「純ちゃん一人で食べれないでしょ?」

 まあ確かに小さい子にあの量は無理だろう。

「じいじー、きつねとたぬき食べたー」

「え?」

「ああ。それは浩一のそばを少しあげたのよ」

「なるほど」

 きつねとたぬきを合わせるか。それもいいかもしれない。

「変なこと考えてないよね」

「…………いや」

 私は赤いきつねを下げて、緑のたぬきを選んだ。

「その前に水落とし!」

 娘が煩く言う。

「分かったよ」

 私は溜め息交じりに言った。そして風呂場へ向かおうとしたところで、

「自分やっておきました」

 と、浩一君が言う。

「おお、すまないね」

「いえいえ、自分もシャワー使ったんで」

 そう言えば私がシャワーを使う時、水落としはされてなかったな。

「それじゃあ、たぬきを食べましょうかね」

 俺はたぬきの蓋を半分めくる。

「あっ! ポットにお湯ないからね」

「ええ!」

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雪の大地 赤城ハル @akagi-haru

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