第9話 三毒

【新理事会誕生】

平成29年3月6日。旧理事会(前)の後に評議員会が開催されたが、旧理事会同様に、創業家香月理事から笠井(理事長)への〝全権委任する〟という書状が絶大な効力を発揮し、評議員会も無難に閉会した。評議員会が終わり、旧理事会(後)において新理事会の発足が承認された。その後30分の休憩を挟んで〝第1回新理事会〟が開催された。

控室で待機していた新理事会のメンバー13名(香月理事は委任状出席)が理事会会場に集まった。

いよいよこれから、最重要議案〝新理事長の選出〟についての採択がなされる。

「新理事の皆さん、お疲れ様です。私は先程開かれました旧理事会において理事長職を満期退任することになりましたが、規定に則り、当理事会の一号議案におきまして新理事長が決定しますまでは、私が議長として進行を務めさせていただき、新理事長が決まり次第、新しい理事長に議長をバトンタッチしたいと存じます。よろしくお願い致します。それでは、先ず、理事の方の中から立候補される方がおられれば、挙手をお願いします。」

笠井の呼びかけに対して自ら立候補する者はいなかった。ここまではシナリオ通りであった。理事長選出の際は事前におおよその本命が決まっており、理事長を除く常任理事(学長・常務理事・事務局長・中高校長)の誰かがその本命理事を理事長候補として推薦し、席上で推薦理由を説明するというのが慣例であった。今回の場合は全ての理事に推薦の権利が与えられた。

「議長、よろしいでしょうか。」

「天知理事、どうぞご発言ください。」

「私は谷川理事を理事長に推薦します。推薦理由としましては、昨年6月の理事会において理事長を決める際に満場一致で谷川理事を理事長として選出した際の理由の繰り返しになりますが、恒常的な経営赤字体質となった本学を立て直せるのは、事業家として全国規模での成功を成し遂げられた実績を持つ谷川理事の他には考えられないという事です。宗門僧侶からの理事長輩出という原則については、一旦はお預けとさせて頂き、谷川理事が本学を立ち直らせた後に、しかるべき僧籍を持つ理事者にバトンを渡されれば良いと考えます。今はその時ではありません。今は先ず改革を断行する事。それが出来る人はこのメンバーの中には谷川理事しかおられません。」

「それでは、谷川理事を候補者のおひとりと致します。他に推薦者はおられませんか?」

「議長、よろしいですか?」

「中田理事、どうぞ。」

「私は加山理事を推薦いたします。昨年、新理事長を決める際に、私を含め満場一致で谷川理事の理事長就任に賛成いたしました。しかし、その後、教職員のみならず、同窓会や多くの宗派寺院までもが反体制派に回りました。大きな力が反体制派に加わった結果、収まるものも収まらなくなり、〝裁判〟という事態にまで発展してしまいました。その間、辛うじて通常業務だけは処理出来たものの、改革と呼べるものには一切手を付けられず、むしろ、赤字幅だけが拡大した一年でした。これは谷川理事長の責任ではなく、本学の歴史と伝統を軽視して宗門僧侶以外から理事長を選出してしまった我々理事全員の責任であります。同じ轍を踏んではなりません。教職員や同窓会、宗門宗派を甘く見てはいけません。ここは原則に立ち戻り、宗門僧侶から理事長を輩出すべきです。その点、加山理事は東京都内でも有数の名門寺院の住職をされており、ご人望ご人徳ともに優れたお方です。この方に理事長を務めて頂きたく、推薦致します。」

天知は苦虫を嚙み潰したような顔で中田を睨んだ。

「ここまでに谷川理事、加山理事のおふたりがノミネートされました。他にご発言がある方は挙手をお願いします。・・・他に推薦がない様ですので、ここで締め切らせて頂きます。それでは、これより多数決に移りたいと思います。谷川理事と加山理事のどちらかおひと方に挙手をお願いします。」

「谷川理事を理事長にと思われる方、挙手をお願いします。」

天知と北村のふたりが手を挙げたが、他に手を挙げる者がいなかった。その瞬間、天知の顔から血の気が引いた。

「それでは加山理事を理事長にと思われる方、挙手をお願いします。」

中田を筆頭に、9名の理事が手を挙げた。

この様子を見届けながら、最後に、谷川が手を挙げた。

対抗馬である谷川が、自分の〝負け〟を悟った瞬間に相手側に回り、加山候補に賛成の手を挙げたのだ。天知と北村は完全に梯子を外される形となった。

「結果が出揃いました。加山理事が獲得された票は10票。谷川理事が獲得された票は2票。香月理事は委任状を出されておりますが今回の理事長選に関しては無効票といたします。以上の結果、新しい理事長には加山理事に就いて頂く事に決まりました。」

会場が拍手に包まれた。北村はがっくりと肩を落としていたが、天知は予想もしない結果をもたらしたのは笠井と堂本の策略に違いないと確信し、堂本を睨みつけたが時は既に遅かった。

「北村君。笠井と堂本にやられたな。香月理事の委任状の件にしても、今回の加山理事への賛成票にしても事前に仕掛けておかない限り、ここまで上手くはいかない。」

「笠井さんと堂本君を少し舐めていましたね。我々の油断がもたらした結果です。それにしても我々が推薦した谷川さんは手のひらを返して加山さんに手を挙げました。狡猾な方ですねぇ。」

「その通りだ。これで議事録には私が〝教職員から忌み嫌われている谷川さん〟を推薦し、私と北村君のふたりだけが谷川さんに賛成票を投じたという事実が記されることになる。谷川さんは最後の最後に私達を見捨てて、自分だけ沈む船から新しい船に乗り換えたという訳だ。汚い奴だな。そういう人間を応援していた我々に見る目がなかったという事か。」

ふたりを横目に谷川は加山に対して惜しみない拍手を送っていた。

堂本はこの滑稽な様子を見ながら、自分が谷川・天知・春海から離脱し、笠井と共に加山新理事長誕生に向け尽力して来たことが間違っていなかったと確信した。

「それでは、新理事長も決まりましたので、私はここで議長を加山理事長にお譲りして、退出させて頂きます。最後になりましたが、これまでの長きにわたり、私の様な不甲斐無い理事長をお支え頂きました皆様おひとりおひとりに心より感謝申し上げたいと存じます。ありがとうございました。加山理事長、こちらへお越しください。就任のご挨拶を頂きたいと思います。その後に、加山理事長の就任最初の仕事として、第2号議案である事務局長の選出、第3号議案である常務理事の選出について、議事進行をお願いしたいと存じます。よろしくお願い致します。」

こういうと笠井は議長席を加山に譲り、満場の拍手で見送られながら理事会会場をあとにした。

その表情は、すべての大仕事をやり遂げた〝男〟としての達成感と満足感に溢れていた。

加山が理事長就任のあいさつを終えていよいよ事務局長・常務理事を決める議案に移った。

「さて、第2号議案ですが、私(加山)としては、事務局長には北村理事に引き続きお願いしたいと思っております。彼は人柄も良く、多くの教職員から信頼されています。また、認証評価という大きな難題も無難にクリアされ、6人の新任理事者が業務停止で動けない時にも堂本さんと2人3脚で危機を乗り切って頂きました。私はこの方こそ、事務局長に相応しいと考えます。皆さんのご意見をお聞かせ下さい。」

反対意見もなく満場一致で北村(理事)が事務局長に選出された。

「さて、次に第3号議案に入りますが、その前に10分間だけ休憩を挟みたいと思います。」

このインターバルは堂本からの依頼によるものであった。

「加山理事長。天知理事は〝宗門理事〟を経営から排除しようという考えをお持ちの方です。たった今も谷川理事を強く理事長に推されました。こういう方を常務理事にすれば必ず禍根を残します。特に、天知理事の傀儡である北村理事が事務局長に決まった今、天知理事を常務理事にしてしまえば、理事会の決定権を持つ理事票の2票を彼に与えてしまう事になります。これは非常に危険です。」

「確かにそういう懸念は残りますね。ではどうしましょうか。」

「本学の寄附行為では〝常務理事は必須ポストではない〟となっています。ここは一旦、常務理事は適任者不在という事にされて議案を見送られてはいかがでしょうか?しばらく天知理事の動きを観察されて、彼が真に常務理事として信頼出来ると加山理事長が判断されれば、それから理事会の議案に諮られても遅くはないかと存じます。」

10分間の休憩を経て、理事者全員が席に着いた。

「さて、第3号議案の常務理事選任についてですが、理事長としての私の考えを皆さんにお伝えしたいと思います。常務理事という役職は理事長の補佐役として常に理事長を支え、理事長不在の際には理事長代行として経営を担って頂く事になります。理事長と常務理事、事務局長の3役は常に心をひとつにしておく必要があります。この度のクーデターについても、結局のところ、常務理事と事務局長がしっかりと理事長を支えられていれば、未然にそれを防ぎ、ことを荒立てることもなく、最善のランディングが出来たはずです。そういう意味において、現時点では、ここにおられる皆さんのどなたも、常務理事としてお願いするに相応しいと感じる方がおられないというのが正直なところです。よって、この案件は一旦ペンディングとさせて頂き、しかるべき時期に再度、議案として上程してはいかがかと思うのですが。」

これを聞いて天知の顔から血の気が引いた。同席していた谷川(理事)、春海(弁護士)の顔色も一気に青ざめた。

「理事長、よろしいですか?」

「天知理事、どうぞ。」

「私は常務理事に任命されない場合には理事職も辞めさせて頂きます。私は前理事長からこの学校法人を立て直して欲しいと乞われて参りました。もしただの外部理事のひとりとして理事会にだけ呼ばれる立場となれば改革に携わる事は出来ません。更に、先程、事務局長に就任しました北村君も私が辞める場合には共にこの法人を去ることになると思います。」

北村は黙って俯いて天知の話を聞いていた。天知が話をしている間に、谷川が堂本の傍にやってきた。

「堂本君、何とか理事長を説得して天知理事を常務理事にしてはくれんかね?君の事も悪い様にはしないから。頼むよ。」

「谷川理事、何か勘違いをされておられるようですね。私は何の発言権もない事務局の一員です。それは私ではなく、理事長に対してお願いされることではありませんか?」

「まぁ、それはそうだが・・・・。」

谷川は加山に理事長のポストを奪われたものの、天知が常務理事に就任し、北村(事務局長)と共に現場のワンツーを押さえていれば、春海顧問弁護士とタッグを組みながら次の理事長選に望みを繋げられると考えて一旦は加山に加勢をしようと考えた。しかし天知が常務理事に就任しなければ、自分の次期理事長への望みどころか、理事としての職責さえも奪われかねないと焦った挙句、堂本に縋り付いた。

「理事長、弁護士の春海です。当学校法人の顧問弁護士としてひと言よろしいでしょうか?」

「春海弁護士、どうぞ。」

「私はこれまで20年以上に渡り、本学に仕えて参りました。この度のクーデターにより本学は未曽有の危機を迎えてしまいました。私の力不足から裁判には敗訴してしまいましたが、結果的に今、ようやくあるべきところに落ち着きつつあります。理事長にも加山理事という立派な方が就任されました。加山理事長であれば、教職員・同窓会・宗門宗派のいずれからも文句が出ないでしょう。問題は現場です。実際に現場で日常を采配するのは常勤の理事5名(常務理事・事務局長・学長・副学長・校長)です。特に常任理事3役と呼ばれる理事長・常務理事・事務局長の3人のうち、スタートから常務理事と事務局長のふたりが不在となれば、せっかくの新理事会が機能しません。そうなればまた、戦に負けた落ち武者たちが息を吹き返さないとも限りません。確かに天知理事は谷川理事を理事長として推薦しました。しかし、それは既に過去の話です。選挙が終われば我々は皆、同じ志を持つ同志なのです。今、本学には天知理事と北村理事の力が必要不可欠なのです。加山理事長、何とかお考え直し頂きたく、どうかよろしくお願い致します。」

「これは非常に重要な内容です。ここは、中田総長(理事)がどのようにお考えか本音のところを別室で伺ってみたいと思います。5分間ほどお時間を下さい。堂本さん、あなたも来てください。」

加山、中田、堂本の3人が会場のとなりに用意されていた小会議室に入室した。

「さて、中田理事、どうしたものですか。是非ともご意見をお聞かせ下さい。」

「天知理事が辞めるというのは本気でしょう。となると、傀儡の北村理事も辞めさせられるでしょうね。春海弁護士が仰る通り、ふたりが同時に辞めるとなると今、最も重要であるガバナンスの強化や業務運営に支障をきたす事になるでしょう。せめて北村事務局長だけでも残って頂ければ何とかなると思いますが、彼ら2人は官庁に勤務していた頃からの上司と部下の関係。しかも共に60代後半で、扶養家族は奥方だけでしょうから、北村理事がここにきて保身のために戦友を裏切るようなことはされないでしょう。」

「やはり、天知さんを常務理事として承認するしかありませんか。堂本さんはどうお考えですか?」

「おふたりの前で誠に僭越ですが、私の意見を申し上げます。天知理事を常務理事にした場合のリスクについて笠井理事長時代と比較をしてみました。1つ目に、加山理事が新理事長に就任されたことで、笠井理事長憎しで戦っていた教職員や同窓会は攻撃の標的や大義がなくなり、恐らくは鎮まります。2つ目に、クーデターから始まり、裁判まで起こし、勝訴したにも関わらず、最終的には望む結果に至らず、逆にクーデターを起こした理事者の大半が理事から降ろされてしまいました。その間、本学の運営が停滞し、ライバル校から大きく水を開けられました。また再びクーデターを起こす様な理事者が現れれば、本学を愛する内外の関係者達が黙っていないでしょう。3つ目に、今回の騒動の結果、創業家理事を味方に取り入れることが出来ました。これが一番大きいですね。クーデターを起こした理事で残っているのは猫柳校長だけですが、彼の任期もあと1年です。見渡してみても今や理事者内に天知理事の味方をする者は谷川理事と北村事務局長のふたりだけです。これでは多勢に無勢。自分勝手なことは何もやれないでしょう。私も当初は天知理事の常務理事昇任には反対でしたが、ここは中田理事が仰る通り、天知理事の常務理事昇任を認めるしかないかと考えます。」

「おふたりのお考えは良く解りました。それではこのあと再開します理事会の第3号議案において、天知理事を常務理事に昇任させるという事で手を打ちましょう。ただし、私は次の理事改選の際には、谷川理事にはご退任頂こうかと考えています。更に、顧問弁護士も他の方に交代頂くつもりです。」

「それは良いお考えだと思います。実は私もこの騒動が落ち着きましたら、退任させて頂こうかと考えています。」

「中田理事、それは困ります。是非、これからも私を支えて頂きたく、よろしくお願いします。」

「私は、今回の騒動の当事者である旧理事会の理事は、その責任を取って全員が退任すべきだと考えています。加山理事長体制が落ち着きましたら、タイミングを見て辞表を出したいと考えています。」

「そうですか。中田理事のご意志は相当に固いと受け止めました。尊重致します。私は、いまだに〝笠井理事長の傀儡〟と呼ばれている宗門派理事のふたりについても可及的速やかに他の僧侶に席を譲ってもらおうと考えています。本人達は〝傀儡などではない〟と申していますが、この際ですから〝笠井色の一掃〟をしようかと思います。宗門理事でしたら交代要員の2~3名は何とかなりますから。」

「そうですね。それが宜しいかと存じます。それでは、皆が待つ議場に戻りましょうか。」

こうして3人が議場に戻ると、それ以外の理事は全員が席に着いて理事長の戻りを待ち構えていた。

「皆さん、お待たせしました。それでは理事会を再開いたします。当初の予定通り、第3号議案の審議に移ります。事前に常務理事として天知理事が推薦されています。天知理事は席を外して頂けますか。」

天知が退席して、審議が再開された。

「理事の皆さん、天知理事の常務理事就任に対して賛成の方は挙手をお願いします。」

理事は皆、加山・中田会談の結果に従おうと決めていたので、いの一番に挙手をする者はいなかった。暫くして、中田が賛成の手を挙げた。それを見た他の理事達も手を挙げはじめ、結果的に満場一致で天知(理事)の常務理事就任が承認された。

「天知さんを呼んでください。」

天知が議場に呼び戻された。

「天知理事、採決の結果、満場一致であなたが新しい常務理事に就任されることが決まりました。これから3年間、よろしくお願いします。」

「ありがとうございます。先程は皆さんを脅す様なことを申し上げて大変失礼しました。常務理事を拝命しましたからには全身全霊を以て本学の立て直しに尽力したいと存じます。よろしくお願いします。」

こうして、新理事会が発足し、理事3役である理事長・常務理事・事務局長も決定した。

堂本にとって、サラリーマン人生の30余年を〝銀行員〟として勤めあげたことも、残された第2の人生のたった5年間をこの学校法人に捧げることになったことも〝ご縁〟あってのことではあるが、そのたった5年間の始まりの2年間の中で起きた「お家騒動」は、これまでの人生において堂本が経験をしたことがない出来事であり、まさに〝三毒=貪・瞋・痴〟そのものであった。

堂本が在任したその時期が、100年の東京仏教大学史の中で最悪の時期であったというのは彼にとって単なる〝不運〟であったのか、もしくは当学校法人の歴史最大の危機が〝必然〟であり、その危機を乗り越える為の〝救世主〟のひとりとして神仏が彼を送り出したのか、それは東京仏教大学の〝戦争〟に終止符が打たれた後に〝歴史の証人〟達が判断することだ。

堂本は、巡り合わせとはいえ、ご縁があってこの〝戦場〟に居合わせたからには、全身全霊で「三毒」に冒された〝逆賊〟達の退治をしようと心に決めた。しかし、クーデター側に加勢する〝ほぼ全ての教職員〟を敵に回して〝謀反〟に立ち向かい打ち負かしたことの代償は大きく、平職員である堂本の帰る場所は完全になくなってしまっていた。


【離職】

長い闘いが終わり、クーデターを起こした理事の大半は東京仏教大学を去った。

加山新理事長の元、天知も北村と共に真摯に業務を遂行した。ようやく大学に平穏が戻った。

しかし、そこに堂本の居場所はなかった。

クーデターが成功することを願っていた大半の教職員にとって、堂本は〝憎き仇〟であった。〝お前さえ笠井に味方をしなければ我々が負けることはなかった〟という思いが多くの教職員に残った。

教職員からの〝四面楚歌〟を浴びながら、更に堂本を苦しめたのが〝この恨みは決して忘れん〟と〝堂本排除作戦〟に乗り出した天知の存在だった。

天知は北村に対して〝堂本を干す〟ように命じた。それからは事務局次長の堂本が事務局長の北村から相談を受けることが一切なくなった。すべては天知と北村のふたりだけで決められ、常任理事会に諮られた。

天知と北村の陰湿さは京極(前常務理事)と神田(前事務局長)のそれをはるかに上回った。

堂本の脳裏を〝自分の選択は正しかったのだろうか?〟という問いが何度も過ったが、その答えにたどり着く事はなかった。

人生は〝分岐点〟の連続であり、答えが明確な分岐点での進むべき道の選択は容易であるが、むしろ、どちらが正解であるか全く読めない分岐点にぶつかる事の方が多い。そうして誤った選択をすることも少なくはない。誤った!と思っても引き返せないのが人生だ。しかし、そこで諦めてしまうのではなく、軌道修正に向けて最大限の努力をすることこそが重要であり、それが出来るか否かでその人の価値も変わってくる。〝塞翁が馬〟の様に、〝誤った〟と思ったことが結果的に正しかったということもある。

堂本もまさに今、その〝分岐点〟に差し掛かっていた。そうしてその決断が正しいか否かを判断する為に、ふたりの人物の元を訪ねた。

東京中央銀行丸の内支店。

「支店長、ご無沙汰をしています。この度は色々とご心配をお掛けしました。」

「堂本さん、ご無沙汰をしています。担当から事情は聴いています。今回は大変でしたね。結果的にクーデターは収まったということですね。」

「はい。ただ、問題はまだ完全には解決しておりません。新理事会が発足したまでは良かったのですが、その後の新理事長選において、性懲りもなく実業家の谷川理事を強引に推す勢力がありまして。事前に他の理事に根回しをしていましたので、無事に宗派僧侶であられる加山理事が理事長に就任されましたが、悪い事に谷川理事を推挙した天知理事と北村理事が本学事務職のナンバーワンとナンバーツーとして選任されて、実質的に現場を取り仕切っています。天知常務理事は理事長選における敗退をいまだに逆恨みしておられ、私は完全に蚊帳の外に置かれている状況です。」

「それはいけませんねぇ。堂本さんが改革の一翼を担われて推進されなければ、役所あがりの人間だけではなかなか改革など望めないでしょう?それでは笠井理事長が描いておられた3つの改革にも手が付けられていない状況ですか?」

「3つの改革案のうち、多目的な学習や研修を行う施設を持つための新キャンパス用地買収は実行しました。新学部を設立し新たな学生を確保する構想については看護大学か看護学部を設立する構想を描き東京中央大学と話をするところまでは進んでいます。小学校を設立する構想についてはなに一つ手を付けられていません。これからという時にクーデターが勃発し、1年半もの長きにわたり、改革がストップしてしまいました。」

「これから再開しようにも、その常務理事と事務局長が堂本さんを排他しようとしているのであれば、これは由々しき事態ですね。このことを現理事長はご存知なのですか?」

「いえ、加山理事長にはお伝えしていません。加山理事長が天知常務理事に忠言されても、それを聞き容れるような方ではありません。かえって私への攻撃が激しくなるでしょう。そこで、本日、支店長にお時間を頂いたのは、これから申し上げます私の身勝手な決断をお許しいただけないかというご相談です。」

「それはどういう相談ですか?」

「せっかく、銀行人事部からご紹介頂き入職させて頂きました学校法人東京仏教大学を、自己都合で退職させて頂きたいと考えています。銀行から頂戴したご恩に仇で返す様な事になってしまい、大変心苦しいのですが。」

「・・・そうですか。確かにこれだけの騒動が勃発して、結果的に理事長を守り切ったとはいえ、堂本さんの味方はほぼ全員が外部理事で、内部理事や教職員の大半が敵方でしたものね。その多くが大学に残っているのであればとても働けないですね。銀行は行員を送り出した先で、行員にとって不可抗力的な出来事、例えば倒産などですが、そういう事が発生した場合は、送り出した行員を呼び戻し、あらためて新しい就職先を斡旋するという制度になっています。堂本さんの場合もそれに該当します。堂本さんは出向ではなく一旦は退職されていますから、銀行員として呼び戻すことは出来ませんが、ハローワーク等に登録を頂き、失業扱いという登録をされ、銀行からの回答を待って頂ければ、どこかそれなりの企業を斡旋できると思います。いかがですか?」

「支店長、ありがとうございます。大変ありがたいお言葉ですが、現役の行員さん達が第2の人生を控えておられる中に私が割り込むのも気が引けます。先ずは自分で探してみようかと思います。やはり次も学校法人に絞って就職活動をする予定です。」

「分かりました。壁にぶつかった時には遠慮なくご相談ください。私が現役であるうちは全力でご支援します。今回の場合は堂本さんが再就職先を見つけた後に〝銀行斡旋〟という〝保証〟を後付けすることも可能だと思います。」

「ありがとうございます。感謝します。」

堂本は中田にもこれまでのお礼を兼ねて退職の意志を架電で伝えた。

「中田総長、先日の理事会では色々とお世話になりました。本当にありがとうございました。」

「おぉ、堂本君か。君はよく頑張ったね。君がいなければあの破廉恥なクーデターが成功し、東京仏教大学の歴史に汚点を残していたかもしれない。よく笠井理事長を支えたね。」

「ありがとうございます。私など理事長と皆さんの間を走り回っただけで何もしておりません。」

「私の失敗は、天知さんを常務理事として残してしまったことです。あの新理事会までに常務理事として真に相応しい人物を新理事メンバーとして忍ばせておくべきでした。そうすれば天知さんが選ばれることはなかった。彼は実に狡猾な男です。今は大人しくとも隙を見せればいつ何時、牙をむくかも分かりません。その下で働くあなたも大変でしょう。」

「中田総長、本日はお別れのご挨拶のつもりでお電話しました。実は、私、来月末を以て東京仏教大学を退職します。昨日、銀行の支店長にも伝えました。北村事務局長には今週末にも退職願を提出する予定です。」

「えぇ?本当ですか?それで、次の職場は決まっているのですか?」

「いえ、まだ何も。銀行から再度紹介するとのお話はありましたが、銀行にお願いすれば、紹介いただいた企業の業種が万が一、自分がやりたい仕事ではない場合もお断りが出来なくなります。それよりもハローワークに登録をして、希望業種を絞って探してもらう方が、結果的に納得が出来る気がします。」

「・・・堂本さん、確かあなたの出身は福岡でしたね?私の大学も福岡である事はご存知でしたか?」

「はい。私は福岡県で生れ育ちました。大学から東京に移り、東京で就職をし、それ以降今日までずっと東京です。中田総長がトップを務めておられる西日本大学が福岡の大学である事も存じ上げておりました。」

「堂本さん、あなたさえお嫌でなければ、私の大学で私の〝改革〟の手伝いをして頂けませんか?福岡への単身赴任もしくはご家族とともにお越し頂く事になりますが。」

「え?」

堂本は中田からの思いもよらない言葉に、返す言葉を失った。

「うちも今、〝改革〟が出来る人材が不足しています。あなたの様な方にお手伝い頂ければ大変有難い。ただし、最初はあまり良い条件は出せないと思います。最初から部長・課長の待遇をしてしまうと、周りの反感を買います。最初は〝参事〟として中学校・高校の立て直しのお手伝いを頂く事になります。年収も今よりもはるかに低くなると思います。うちは人件費比率を非常に低く抑えています。東京仏教大学の人件費比率70%超に対してうちは50%台前半です。そういったことを納得して頂いた上で、本学にお越し頂けるのであれば是非ともお願いしたいと思います。」

「あまりに突然で、しかも具体的なので正直驚きました。」

「実は、今、大学の附属中学校・高校の立て直しが経営上の最大のミッションで、私が昨年度から中学・高校の校長も兼務して改革を進めているところなのです。ちょうど人材を公募しようとしていたところでした。それで条件等も具体的に申し上げられたという訳です。あなたも条件がより具体的な方が判断しやすいでしょう。答えは急ぎませんが、出来れば今月中に頂ければ助かります。」

「中田総長、ありがたいお言葉を賜り心から感謝致します。中田総長の下で働けるのであれば、私にとってはこれ以上の喜びはありません。考える時間など必要ありません。是非、よろしくお願い致します。」

「おぉ、そうですか。でもそんなに安易に返事をしてもよろしいのですか?私の大学にも天知の様な人間はおりますよ?入職されてから〝こんなはずではなかった〟と仰らないでくださいね?笑」

「私の方こそ、中田総長のご期待に沿う様に頑張ります。ところで、今後のことについてご指示を頂けますか。」

「実は、ゴールデンウイーク明けにでも本学に入職して手伝ってもらいたいところですが、あなたが東京仏教大学を退職されて直ぐに同じ仏教系グループに属する私の大学で働きだしたとなると、私からあなたを引き抜いたように見えますから、2か月間ほどインターバルをおいてはいかがでしょうか?その間に西日本大学のパンフレットや寄附行為でも読みながら勉強をなさって下さい。」

「分かりました。」

こうして、思いがけなく堂本の西日本大学入職の内々定が決まった。

平成29年4月末日付で堂本龍平は東京仏教大学を退職した。

平成27年4月1日に〝出向〟という形で本学に勤務してからわずか2年1か月という短い期間であったが、堂本にとっては長く険しい道のりであった。

堂本の退職に対して加山(理事長)は強く慰留し、当初は退職願の受理を拒んでいたが、〝中田総長の下で働くことになった〟事情を堂本から聞かされると、最後は快く送り出してくれた。

堂本にとってこれからまさに第3の人生が始まろうとしていたが、まさかその2年後に、西日本大学においても、東京仏教大学を上回る規模のクーデターが勃発することなど、この時は思いもよらなかった。


【三毒】

人は誰しも心に様々な迷いを持っており、これが俗に言う〝煩悩〟であり、その煩悩の種類は百八つあると言われている。その中で最も人の心を毒す煩悩が〝三毒〟である。

「貪欲(どんよく)」「瞋恚(しんに)」「愚痴(ぐち)」略して「貪・瞋・痴(とん・じん・ち)」を〝三毒〟と呼ぶ。「貪欲」とは、欲深く、際限なくモノを欲しがること、「瞋恚」とは、自己中心的な心で怒ること、「愚痴」とは、物事の道理に暗く実態のないものを真実のように思いこむことである。

この三毒こそが人間の諸悪・苦しみの根源であり、我々が最も克服すべき煩悩なのである。

哀しいことに、人は生まれて間もない物心もつかない時期から〝貪欲な心〟を持っている。

母親の乳房にむしゃぶりつきながら、一方の手では飲んでいない方の乳房を握りしめ、独占しようとする。

乳児から既に始まっている〝煩悩〟は、親からの悪い因縁(悪い遺伝子)を受け継いだものであるが、人は生涯、この〝欲望〟と、それを抑えなければいけないという〝理性〟との狭間に立たされながら成長していく。

人はこの世に生を受けてのち、親や教育者たちから情操教育を受けながら道徳心を培い、〝悪因縁〟の影響を極力抑えようと努力をし、出来るだけ〝人様に迷惑をかけない人間〟として人生を全うしようとするのが一般的な姿だ。

そもそも〝生まれながらの善人〟などはこの世に存在しない。生まれもっての煩悩をいかに抑えられる人間になれるか、自分の悪い性根(悪因縁)という壺(つぼ)にどれだけ蓋(ふた)をし続けられるかで、その人の価値が変わってくる。

平常時には閉められていた蓋も、非常時になると開いてしまう。非常時にも蓋を閉められるか否かが、人の〝人としての真価〟を左右する。

「貪・瞋・痴」はあらゆる人の心の中にあり、いたるところで顔を出す。それは、仏道や神道に身を置く人間であっても例外ではない。

この物語の舞台となった大学は、仏教の教えを「建学の精神」とし、教職員の多くが僧侶や寺院関係者である。それにも関わらず、ここで起きた出来事は、まさに〝三毒〟に冒された者達による、血で血を洗う〝醜い闘争〟として、この大学の歴史に深い傷として残り、再び同じ轍を踏まないためにも、これから永く大学内で語り継がれることだろう。

(完)

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三毒 森 浩明 @ryuheidoumoto

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